18 竜の郷愁、ヨランの禁忌
そうだ、セーゴさんとの会話で思いついたことと言えば。
「竜って、日本から来たのかなって、思ったんだけど」
私がふと言ってみると、
「お、気づいたか。さすがは俺の教え子」
先生は優しく笑う。
「俺もそう思う。竜珠を持たなくても俺を――日本人を背中に乗せてくれて、余計そう思った。竜には、日本への郷愁の思いが残ってるんじゃないかって……」
そして、少し真面目な顔で言う。
「ヨランの禁忌を知ってるか?」
急に振られて、私は詰まった。
「し、知らない」
「日本との間を自由に行き来できるようにすることが、禁じられているんだそうだ。何でかって考えると、確かに当たり前なんだよな。竜が日本に脱走したら困るだろ」
「あ」
私は納得した。
竜の王が日本に行ってしまったら、“トローノ”を守る者がいなくなる。イルデルアは小さな国だから、そうなったらすぐに他国に攻め込まれてしまいそうだ。
「でも、何だか可哀想……日本を恋しく思っても、行けないなんて」
私がつぶやくと、先生は私の髪を梳きながらうなずいた。
「俺も最初はそう思った。でも……もう、こちらに来て長い時間が経ちすぎたな」
「え?」
「竜が、日本に帰ったとするだろ。姿を現したら、とたんにパニック間違いなしだ。弱った女王が、日本に乱入して誰かの目を奪おうとすることも考えられる……そうなったら、捕まるか殺されるかだろ」
そうか……もう日本には竜がいないんだものね。
最初に竜がこちらに来たことと、日本に現在は竜がいないことも、関係があるのかもしれない。何か、日本で暮らせないわけがあってこちらに来た、とか。
真実は、今ではわからないけれど……。
「それで先生、こちらを離れられなかったんだ」
「そう。セーゴが、俺か尚奈のどちらか一人だけなら返せるって言ったのは、そういうわけだ。黒い瞳を持つ誰かが、こちらに残る必要があった」
混血の進んだヨランの民の目は、代わりにはならないらしい。
「先生、日本を守ってくれてるんだね」
私が先生の肩に顔を寄せると、先生は苦笑した。
「そういうと、何だかヒーローみたいだけどな。……なあ……そろそろ、先生、って呼ぶのもそぐわなくないか? 名前で呼ぶ?」
「な……名前って、ひ、ひで、ゆき、さ……無理無理、恥ずかしい!」
顔が一気に熱くなって、私は両手をぶんぶん振った。
「そんな風に呼んだら、絶対セーゴさんあたりにからかわれ……あ」
そうか。
セーゴさん、もしかして今夜、私がこの部屋で先生と出くわすようにし向けた……?
だってセーゴさん、先生を日本に返してやる、って言ってた。これ以上、先生に無理をさせるつもりはないって。
私と再会させて、先生が私と一緒に日本に帰る気になるようにさせようとしたのかも。
「この部屋、先生が考えて作ったんでしょ?」
尋ねると、先生はうなずいてちょっと笑った。
「天井が壊れて以来、使ってないみたいだったからさ。俺専用の、なんちゃって日本庭園」
やっぱり。先生だけの庭に私を送り込んだのね、セーゴさん。
後でお礼を言わなきゃ、と思いながら、視線を木へ向ける。赤い実が、月明かりに光っている。
「こんな屋内でも、育って実をつけるんだね」
「イルデルアは暑いから、こうやって少し暑さを遮って育てるのもいいらしい。それに、土にいい肥料も混ぜてあるしな」
「肥料?」
「竜の幼体の、糞」
えー、そうなんだ!
ちなみに、竜は成体になると、食べ物は食べなくて平気だそうだ。糞もしない。
仙人みたいに、霞を食べるのかなぁ? 成体は次元が一つ違うんだね。
「先生は、もしかして毎晩、この部屋に?」
先生の肩に頭を乗せたまま、聞く。先生の声が、身体を通して伝わって来る。
「う……まあ、な。だいたい。ここに来て、寝る前にボーッと……」
「日本に思いを馳せてたんだ……」
竜の郷愁の想いがわかったのは、同じ思いをしてたからかな……と思っていると、先生はふと立ち上がって私から離れ、石の灯籠に近づいた。
そして、本来明かりが入るスペースに手を入れ、何かを取り出すと戻ってきた。
「笑うなよ……これを見て、お前を思い出してた」
手の中には、三年前にいつの間にか私のリュックから消えていた、クマのぬいぐるみのキーホルダー。
「先生……かわいい」
私が笑うと、先生は「笑うなって言っただろ」とムッツリして。
また、私にかみつくように口づけた。
いつの間にか、眠っていたらしい。
気がついたら、天井の壊れた場所から朝日が射し込んでいた。私は先生と肩を寄せ合って、大きな岩にもたれていた。
同時に目を覚ましたらしい、先生。
笑顔で、おはようのキスを交わす。
アイレやヴィントが部屋にいない私を心配しているといけないので、先生が連絡係の人に伝言を頼んでくれた。私が先生といるって知ったら、安心してくれるだろう。
それから、いつかのように二人で手をつないで、朝食を食べに上の食堂へ行った。
すっぴん顔だったし、先生とくっついていたので、出会った何人かが
「……あっ……!? サーナじゃないか!」
って気づき始めた。
驚きの声が伝播して、狭い食堂の中はざわざわし始める。何だか芸能人みたいだけど、実際には一般人の私は、先生の隣で「どうも」「こんにちは」「お久しぶりです」とぺこぺこ頭を下げる。
ちょ、先生。笑ってるけど、何も知らない人たちは三年前に「愛憎のもつれでシガーがヒサナを海につき落とし、その時にヒサナが抵抗してシガーの目に傷を負わせたんじゃないか」って疑ってたんだからね! しっかり誤解を解いておかないと!
そうこうしているうちに、聞き覚えのある声がした。
「サーナ!?」
振り向くと、シャーマさんが立っていた。
驚きと、微笑みと、何だかちょっと泣きそうな表情。
良く似合っている皮の服……でも、鎧風に肩に光っている鱗は、次代のものじゃないんだな。毎日この服をまとう時、どんな思いでいるんだろう。
私は先生とつないでいた手を離し、ぺこりと頭を下げると、シャーマさんに笑いかけた。
「お久しぶりです」
ちょっぴり先生との仲を疑っちゃったこともあったけど、もう大丈夫。この人のためにも、竜珠の件が早く解決するといいな。
及ばずながら、私もできることはやってみよう。
「驚いたわ……やあね、シガーったらとろけそうな顔しちゃって」
シャーマさんもすぐに、いたずらっぽい笑みを返す。
先生はそれを聞いて、何やら自分の頬を片手でこすったりしていた。
フォーグさんを見ないと思ったら、用事があって昨夜から大陸側へ行ったんだそうだ。
竜を助けるために今後どうするか、フォーグさんやシャーマさんと相談したい。でもその前に、セーゴさんやゲンマさんと話をしたかったので、ちょうど良かった。
日本から竜珠を取り戻そうと思ったら、ヨランの禁忌に触れることになるからだ。
先生と私は連れ立って、ヨランの民の住処へ行った。
手をつないで現れた私たちを見て、セーゴさんが珍しく、皮肉の混じらない優しい笑みを浮かべた。
現在の日本への『扉』がどうなっているのか、まずは見せてもらうことになった。
地下深くへ降りると、あのゆらゆらと揺れていた地面――揺籃――は今は水に沈み、地底湖のようになっていた。潮位か何かが関係あるのかな。
そして、以前はここにいた次代の姿は、今日は見あたらない。
「あの竜は……?」
尋ねると、セーゴさんが地底湖を指さした。
「水の中で眠ってる。まだギリギリ幼体だから、よく眠るんだ」
揺籃の水際を回り込み、少し高くなった場所に登って行くと、日本に帰る時に通った岩壁があった。
私が日本へ通り抜けた後、セーゴさんが腕をつっこんだ場所は、直径三十センチくらいの鏡になっていた。鏡と言っても透明ではなく、黒光りしていてまるで墨をながしたように渦を巻いている。
「お前が通り抜けた時、ここは透明な鏡のようになって向こう側が見えていた。そこに俺は腕をつっこんだんだが、竜の力で扉を固定できないかと思って、とっさに足下に落ちてた次代の鱗もつっこんでみた。そしたらこうなった」
セーゴさんがサバサバと説明する。本当にこの人、野性というか本能というか、そういうので生きてるよね。
セーゴさんが拳で軽く鏡を叩くと、コン、と固い音がした。
心得たように、先生が交代して鏡にそっと触れる。すると、そこには波紋が広がった。手が、向こう側へ突き抜けている。
その状態でセーゴさんが鏡にふれると、同じように手が向こうへ抜けた。
「こんな感じで、シガかヒサナと一緒になら、日本へ俺も抜けられるらしい、ということはわかった。さて次だ」
いったん鏡から腕を抜き、しばらく鏡を見守る。
すると、黒い鏡にぼんやりと景色が映った。どこかの神社らしく、赤い鳥居が見える。
日本だ。黒髪の人々が訪れて、参拝している。
「この鏡はこんな感じで、時々日本のあちこちの風景を映すようになった。で、つい先日、ある景色が映ったとき、次代が反応したんだ。いきなりそこから出てきて」
と揺籃を指さし、
「鏡に近づいて鳴き声を立てた」
次話、少しお時間頂くかもしれません。よろしくお願いします。