15 実験から導かれる初代トリッパーの正体
「俺たちは驚いた。日本から人が来るなんて、大昔に一度あったきりのことが、また起こるとは思ってなかったからな。今も竜にそんな力があったのか、と……。しかしこれで、こちらの世界と日本には、竜の力が届くようなつながりがあることがわかった」
セーゴさんはテーブルの上で手を組んだ。
「そこで、俺たちは思った。竜珠が――もしかしたら行方不明の女の子も含めて――日本に迷い込んでいる可能性はないだろうか、と」
「それでさっき、日本から竜珠を取り戻すとかって……」
私は大きく一つ深呼吸した。
でも、そのためには、こちらから日本に行く方法を見つけなくてはならないよね……?
……あ。
「ちょ、実験ってまさか! 日本に行けるかどうかを試すために、私を帰したの!?」
思わず椅子から腰を浮かすと、セーゴさんはさらりと言った。
「惜しい。お前に、日本への道をつけさせたんだ」
「ええっ??」
私は三年前の、日本に帰った時のことを思い出した。
「帰らせて」と言った私を、セーゴさんはヨランの住処の、まだ足を踏み入れたことのない地下深くへと連れて行った。
一見、洞窟が途中で開けたような広場。でも、そこに足を踏み入れた途端、私は思わず立ち止った。
「地面が……揺れてる」
ゆーら、ゆーら、と地面がゆっくり揺れていた。地面にはいくつも割れ目が合って、時々そこから水がこぽっと湧きでたり、またおさまったりしている。地面が壁からわずかに離れてるんだろうか……。
そして、広場の真ん中で一頭の黒い竜が、翼をたたんで眠っていた。揺れる地面の上で、気持ち良さそうに……。
それで私は思ったんだっけ。
ああ、「ヨラン」って「揺籃」……ゆりかごのことか、って。ここは竜を育てるゆりかごなんだ。
「この下は、海水と淡水が入り混じっている。そして、こちらの世界とあちらの世界の水が混じっている、とも言われている」
セーゴさんは言うと、竜を回り込みながら言った。竜は金の瞳を細く開けて、セーゴさんを視線で追っている。
「俺と親父――頭領は、お前たちが日本からやってきたことを知ってすぐ、もし日本につながる扉を開くならここだと、見当をつけた。で、女の子が行方不明になったのと似た状況を再現したんだ」
見ると、岩壁の一部が壊れている。
まさか、竜に暴れさせて壊させたんじゃ、と聞こうとした時、セーゴさんが
「覚悟はいいか。行くぞ」
って言って。私がうなずきながら振り向こうとした時、いきなり目の前を炎が通過して……。
思い出しながら私は、テーブルをはさんで向こうに座っているセーゴさんを睨みつけた。
「あの時、あそこにいた竜が、次代の王だったんですね。わざと怒らせて、炎を吐かせたんでしょう」
「ああ。まだ成体になってないから、暴れても大したことはない」
しれっと言うセーゴさん。何年も竜を育ててるからって、慣れすぎ!
彼は続ける。
「以前、頭領と実験した時、怒った次代が破壊した場所が一瞬鏡のようになって、おかしな景色が映ったんだ。でも、そこに入ろうと思っても俺たちは入れず、そうこうしているうちに壁は普通の岩壁に戻ってしまった。でも、お前なら通れると思ったんだ」
そう、炎がぶつかって新たに壊れた岩壁に向けて、私はセーゴさんに突き飛ばされたのよ!
「こうやって戻って来たってことは、成功だったんだろ」
言われて、私はしぶしぶうなずく。
「気がついたら、海辺にいました……」
九十九里の海岸に、砂まみれになって転がっていたのだ。
「お前が通った瞬間に、俺も同時に腕をつっこんだ。この辺はもう勘だが、扉に何か挟んで締まらないようにしちまえ、っていう感覚だな。未だに自由な行き来はできないが、とにかく日本に竜珠があるかどうかを探す第一歩にはなった。今の状況は後で見せてやる」
セーゴさんは言って、身を乗り出した。
「さあ、お前の話を聞かせてもらおうか。どうやって戻って来た?」
「私も……勘みたいなものです」
私は寝台のそばからトートバッグを持ってくると、中を探った。そう、塾が閉校になったことを知って――先生との思い出の場所が消えたことを知って、矢も楯もたまらなくなって、とっさに……。
「以前、女王が古書庫を壊した時に、拾ったんです。後で気づいたんですけど、これ、女王の鱗ですよね」
私はピンクのガラスのようなものを取り出し、テーブルに置いた。三年前に拾ってリュックに入れたまま、日本に持って行ってしまったのだ。
「もし女王がまだ女王なら、そのう……自分の鱗に気づくかなーなんて思って。これを持って、呼びかけてみたわけです。名前を」
「なるほどな」
セーゴさんは鱗を見つめて、妙に納得したように腕を組んだ。
「竜は、お前やシガーによく懐くな、と思っていた。最初は日本人の血が濃いからだろうと思っていたんだが、子竜がお前の声によく反応するのを観察していて、もしかして原因は『声』というか『音』じゃないかと、思い当たったんだよな」
音?
「“トローノ”の中にいると気づかないと思うが、お前とシガーは日本語をしゃべっている。そして、お前が言う『アーグラグテーナ』の発音、これも日本語の発音だ。竜たちは、日本語の音を好ましく思うんだろう。だから余計、鱗を持ったお前の呼びかけに反応したのかもしれない」
ううむ。難しい。でもなんとなくわかった。
つまりあれね、日本人が英語で自己紹介をする時、自分の名前なのに「英語っぽく」発音しちゃう事ってあるよね。なんか違和感あるな、と思ってたけど、女王は逆に日本語の発音で「アーグラグテーナ」って呼ばれると、しっくりくるのかも。
あれ? ということは。
「それじゃあ、まさか」
私はぽろっと、言った。
「この世界の竜って、元々日本から来たとか?」
「さあなぁ。でも、日本では竜は架空の動物なんだろ?」
セーゴさんはそう言ったけど、私はどきどきしてしまった。
きっとそうだよ。昔々、日本には本当に、竜がいたんだ! この世界に日本人男女が来るより前にやって来た竜、その竜こそが、初代トリッパーだったんだ!
いや、興奮してる場合じゃない。大事なことを聞かないと。
「セーゴさんは、先生がどうして眼帯をつけているのか知ってるんですか? わ、私がやったんじゃないですからね、あれ」
念のために付け加える。
すると、セーゴさんは女王の鱗を見つめたまま、口をつぐんだ。
しばらく沈黙してから、口を開く。
「それは、シガに直接聞け。あいつが三年前、お前に言わなかったことを、俺から言うわけにはいかない」
私はうつむいた。
「……シガに会わないで、日本に帰るつもりだったのか?」
問われてためらいながらうなずくと、セーゴさんは軽くため息をついて、
「まあ、それもお前が自分で決めること、か」
と椅子を鳴らして立ち上がった。
「俺はこの後、用がある。日本への扉が今どうなってるのか見たいなら、明日来い」
セーゴさんはドアの方へ向かい、ふと振り向いた。
「……お前、いつこっちに来たんだ」
「昨日の夜、ですけど」
「ヒサナだとバレないようにしてるんだろ。風呂、どうするんだ」
聞かれて、私は詰まった。
ここのお風呂、つまり蒸し風呂は共同浴場で、使う時間帯も決まっている。さすがにそこに入っていったら化粧も落ちるだろうし、肌の色や身体のアレコレから日本人だとバレてしまう気がする。
上の方に住む人たちは、上にある蒸し風呂に時間を決めて交代で入ってるみたいだけど、空いてる時間なんかわからないし……お風呂は諦めるしかないかな……。
「いいことを教えてやる」
セーゴさんはドアの取っ手に手をかけたまま、言った。
「三年前に女王が壊した古書庫な。今は、壊れた天井から雨水を溜めてろ過する部屋になってるんだ。さっき雨が降り出したから、だいぶ溜まるだろう。そこの水使って身体拭けばいい。上の階だから、夜なら人も来ない。じゃあ明日」
彼はさっさと出て行ってしまった。急いでるみたい。いきなり呼び止めちゃったもんな……。
目をどうしたのかは、先生に直接聞け、か。
私は小さな丸い窓の向こう、灰色の空を眺めた。朝から曇ってたけど、ついに降り出したんだ。ここにいるとよくわからないな……。
『もし、今また尚奈がこっちの世界に来るようなことがあっても、俺はやっぱりあいつを日本に帰そうとするだろう』
先生の言葉がよみがえる。
ダメ……やっぱり会えない。
帰れ、って直接言われると思うと、苦しい。
私はため息をついた。