14 失われた竜珠、偽りの後継者
昨夜ヴィントが荷物を運ぶのに使っていた袋に、日本から着てきた服を入れると、小脇に挟んで部屋を出た。通路を堂々と歩き、外壁に出てヨランの民の住処へ向かう。
このルートはそれなりに、何か文書を運んだり連絡をしたりする係の人が一日に数回は通る。私も何かしら荷物を持って、当たり前の顔をして行き来していれば、そのうちの一人に見えるはず。
集会所に行くと、案の定そこにいた数人のヨランの人たちに「お疲れ様」と声をかけられた。私は声をちょっと低めに作って、
「セーゴさんに頼まれていたものをお持ちしたんですけど、どちらにいらっしゃいますか?」
と尋ねた。すると、
「今、サス・ゴバの所に行ってるよ。そろそろ戻ると思うけど」
という返事。
そうか、先生とシャーマさんは新しい竜珠の預かり主を決めに大陸へ行ってたんだから、その結果を聞きに行ってるのかも。子竜を育ててるヨランの民に関係あることだもんね。
「そうですか、ありがとうございます」
私は適当に答えて、いったんヨランの住処を出た。ここでセーゴさんを待ってるうちに顔をあまり見られてもね。
…………セーゴさんがシャーマさんに会いに行ってる、その打ち合わせの場には、先生もいるんだろうか。
どんな会話をしてるのかが聞ければ、先生の今の立ち位置とか、わかるのにな。
いったん気になりだすと、止まらない。私は小走りに、昇降機の乗り場へと向かった。
結局、打ち合わせの会話は聞けなかった。
昇降機で『上の発着場』の階まで行き、その上の階(ゴバたちが仕事をしている階ね)に行く階段前でためらっているうちに、人が降りてくる気配がしたのだ。
階段前を急いで通り過ぎ、通路の先まで行ってさりげなく振り返る。
セーゴさんだった。昇降機に乗ろうとしている。もう打ち合わせは終わってしまったらしい。
呼び止めようと足を踏み出しかけたところへ、もう一つ足音が降りてきた。岩の城は、足音が響く。
私はあわてて口をつぐみ、また通路の先へ逆戻り。はたから見るとコントみたいだろうな。
通路の角を曲がりながら、こっそりため息をつく。しょうがない、セーゴさんに会うのはまた後で……。
「セーゴ」
セーゴさんを呼び止める声がした。
先生の、声。
「今、いいか?」
声に、セーゴさんが了承を返した。二人の足音が……こちらに近づいてくる!
この通路の先は、もう食堂しかない。
私はとっさに音が響くサンダルを脱ぎ、裸足で食堂に駆け込むと調理場へ行った。岩をカウンターのように残して彫ってあるその裏側にうずくまる。綺麗に掃除された石窯や流し場、油や炭の匂い。
昼食の片付けが終わった直後の時間なので、調理場にはしばらくは人は来ないはずだ。たぶん。ていうか来ないで!
「次代は元気か?」
先生の声がして、木のベンチがギシッという音がした。セーゴさんの声が答える。
「そっちは変わりない」
食堂は、ドアのない部屋がいくつか連結した作りだ。二人の会話は筒抜けで聞こえてくる。
次代って言うのは、次の竜の王だろう。そっか、順調に育ってはいるんだ。
「それより、扉のことを聞きたいんだろ」
たぶん少し皮肉げに口元をゆがめているのであろう、セーゴさんのしゃべり方。
「実は、次代が少し反応を見せた」
「本当か!?」
先生が驚きを声にのせた。セーゴさんが答える。
「竜珠と呼び合ってるんだと思う。しかし、竜珠が無事だとして、どうやってそれを日本から取り戻すかだ」
え。
竜珠を日本から、取り戻す? 何の話?
「日本との間に、扉を開く時が来たな。……まあ、その方法がわかれば苦労しないが」
先生はため息交じりに言った。セーゴさんが、珍しく真面目な声を出す。
「ヒサナを実験台にしてまで得た細い糸だ、どうにかしてつなぐさ。たとえヨランの禁忌に触れても」
自分の名前が出て、私は思わず肩を縮めた。
な、何よ、実験台って?
先生は黙り込んだ。セーゴさんの笑い含みの声。
「ヒサナの名前が出ると、いつも黙るな。後悔してるのか」
「いや。そうじゃない」
先生が身動きする気配。
「もし、今また尚奈がこっちの世界に来るようなことがあっても、俺はやっぱりあいつを日本に帰そうとするだろう」
私はうつむき、黒ずんだ岩の床の上に置かれた裸足の足を見つめた。
フォーグさんの言った通りだ。「シガーはおそらく、お前がまたここに来たことを歓迎しないと思うぞ」って……。
いや、でもそんなことより。
今の二人の会話だと、何だかまるで……。
「シガ、お前にこれ以上無理させるつもりはない」
セーゴさんの口調が、再び引き締まる。
「いざとなったら、お前を日本に帰してやる」
それを聞いた先生は……ややして、苦笑したようだ。
「気持ちだけもらっとくよ」
立ち上がる物音。食堂から、二人分の足音が出て行く。
私はサッと立ち上がると、裸足のまま足音をしのばせて後に続いた。思った通り、先生はセーゴさんと別れて階段を上って行き、セーゴさんは昇降機の方へ行く。
昇降機の鉄柵を開けるセーゴさん。私は距離を詰め、彼が昇降機に乗りこむ後ろから一緒に乗り込んだ。セーゴさんはこちらをちらりと見ただけで、再び鉄柵を閉めてレバーを下ろした。
昇降機が下り始める。多少、岩壁がこすれる音がするくらいで、意外にも静かだ。
私はセーゴさんと並んで扉の方を向いたまま、はっきりと言ってやった。
「誰を、何の、実験台にしたですって?」
バッ、とセーゴさんが私に向き直った。私は顔を上げて彼をまっすぐ見ると、ニーッコリと笑いかけてやった。
あのセーゴさんが、驚きに目を見開いた。
「……ヒサナか!?」
私はセーゴさんを、有無を言わさず自分の部屋に連れ込んだ。この際、ふしだらとか何とか言ってはいられない。
「セーゴさん、どういうことですか? 三年前、私だけを日本に帰してやるって言ったけど、それは先生も承知の上のことだったの? 実験って何? 日本の竜珠を取り戻すって?」
「わかった。わかったよ、説明してやる。その代わり、だ」
いきり立つ私の鼻先に、セーゴさんは人差指をつきつけた。
「これからしゃべることは誰にも話すな。それから、説明の後でいいから、お前がまたこっちに来た方法を教えろ。詳しくだ。約束するなら、事情を話す」
何よ、隠し事してたくせに何なのこの偉そうな態度! むかつくー!
一瞬カチンと来たけど、すぐに事情を知りたい私はうなずいた。
「……わかりました」
「よし。じゃあ座れ」
テーブルをはさんで、セーゴさんと差し向かいに座る。
「そもそもの発端は、十四年前。アーグラグテーナが今代の女王になり、フォーグ殿が今代のゴバに就任した頃のことだ」
セーゴさんは話しだした。
「その頃、一頭の竜が卵から孵った。次代の王だ。この竜の竜珠を預かるものが、次代のゴバになる。当時十四歳だったシャーマ殿がすでに選出されていて、卵が孵るのを待っていた。そこで早速、シャーマ殿に竜珠を預ける儀式を行うことになった。……その儀式の場で、事件が起こった」
儀式は“トローノ”の山頂で行われた。立ちあうのは、頭領のゲンマさんを含むヨランの民が数人、そしてフォーグさん、シャーマさんと女王のみ、という秘儀だ。
ヨランの民から小さな女の子が選ばれ、子竜から竜珠を受け取ってシャーマさんに渡す役目をすることになった。
生まれたばかりの子竜が持っている竜珠は、せいぜい直径三センチ程度。子竜は眠っていたけれどその場にいて、女の子が竜珠を持っていた。
その時、突然、儀式に関係のない男が現れた。フォーグさんの遠縁にあたる男で、竜に乗って城の警備をする仕事をしていた人物だった。
「竜珠と子竜を奪って、自分の竜で逃亡しようとしたんだな。そのまま数年潜伏すれば、次代の王の力を使えるようになる。もしくは誰かに売り渡そうとしたのかもしれない。それは、今となってはわからないが」
セーゴさんは続けた。
「とにかくそいつは、竜珠と子竜を奪おうとした。上空で見守っていた女王が、すぐそばに降り立って子竜を守ろうとした。すると、そいつは――たぶん、フォーグ殿の血縁者だからって、何か勘違いしたんだろうな。女王に言うことを聞かせようと思ったのか、女王の顔の竜珠に触れようとした。その手が、逸れた」
竜の王や女王は、顔や首に触られるのを嫌う……。いつだったか、セーゴさんが「それが原因で竜が大暴れ」した話をしてくれた。これのこと?
果たして、セーゴさんは続けた。
「女王は我を忘れて怒り、暴れた。その男と、そして女の子を含む数人が、女王にはね飛ばされた」
ならず者は岩礁地帯に落ちて、死んだ。しかし、女の子と竜珠が見つからない。
大規模な捜索が行われた。
やがて、発表がなされた。女の子は行方不明のまま見つからなかったが、次代の竜珠は“トローノ”の斜面で無事発見された、と。
「でも、それは嘘だった」
セーゴさんは続ける。
「本当は、竜珠は見つからなかったんだ。しかし公表するわけにはいかない。なぜかわかるか?」
いきなり質問されて、私は戸惑ったけれど必死で考えた。
「え……あ、探して手に入れようとする人が現れるから?」
「そうだ。それに、どこの誰とも知れない奴が竜珠を持っているかもしれない、と国民が知れば不安になる」
「それじゃあ……シャーマさんが、本当は持っていないのに、持っていることにしたんですか?」
セーゴさんはうなずいた。
シャーマさんは、「偽りのサス・ゴバ」なんだ。
「引き継ぎがうまくいかない」と言った時、少し歯切れが悪いような気がしたのは……そしてシャーマさんが違う竜に乗っているのは、そういうことだったんだ。きっと周囲は単に、シャーマさんは二頭の竜珠の預かり主なんだと思っているんだろう。
シャーマさん……きっとしんどい思いをしているだろうな……。
女の子はもう絶望的だろうと思われた。
一方、竜珠の捜索は事情を知るごく一部の人々によって、密かに続けられた。海に沈んだ可能性、誰かが拾って持ち去った可能性、竜珠が隣国に持ち去られたという、最悪の可能性も含めて。
そのまま、何年もの月日が流れた。竜珠の行方はようとして知れない。
女王は年をとっていき、少しずつ弱り始めた。しかし、交代するべき次代の王は、竜珠がないために成体になれない。
「そんな時に、お前たちが日本から召喚された。おそらく、女王によって」
セーゴさんは私を指さした。