表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜の玉座 林檎の瞳  作者: 遊森謡子
第一部
12/25

12 脱皮とともに障壁ははがれ落ちる

 先生は、シャーマさんの竜(たぶん)の首のあたりをポンポンと叩いた。

「お疲れさん」


 ああ、先生の声だ。

 もっと何か言って。声を聞きたい。


 頭の片隅で思うのと同時に、今すぐ飛び出して行って「その目の眼帯はどうしたの」と直接尋ねたくなる。心の中にいくつもの想いが詰め込まれていて、破裂しそうに苦しい。


 もう一回、振り向いて。私に気づかなくてもいいから、ちゃんと、顔を見たい。


 先生はそのまま振り返ることなく、私の居る場所に背を向けた。そして、むしろ急ぎ足で、階段の降り口から姿を消した。

 

 私はそっと岩陰に腰を下ろした。膝を抱えようとして自分の手が震えていることに気づき、深く深呼吸して緊張を解く。

 三年ぶりに先生を目撃したことに動揺しつつも、大きな疑問が頭の中を占めていた。もちろん、先生のあの目だ。

 サークレットみたいな金属の輪を額に嵌め、そこから灰色っぽい覆い――やっぱり金属?――が左目の上に降りている、そんな感じの眼帯だった。


 普通に考えて、先生は目を怪我したか、目の病気なのか、どちらかだろう。ハッ、まさか海賊ファッションとかじゃないでしょうね! だったら指さして笑ってやるわ。でも先生はそんなことするタイプじゃない。

 発着場の狭い降り口を、さっと降りて行ったあの足取り……もし眼帯をつけたばかりだったら、あんな風に動ける? あの状態に慣れているってことじゃないだろうか。

 じゃあ、だいぶ前から……? でもフォーグさんもヴィントもアイレも、そんなこと教えてくれなかった。何で?


 そうだ、アイレが待ってるんだ。このこと聞かなきゃ。


 ふーっ、とひんやりした風がうなじをかすめた。何気なく振り向いて、私はギョッとなった。

 私の居る岩陰に、ビリジアングリーンの竜が鼻づらを突っ込んでいたのだ。金色の瞳が微動だにせずに私を見ていた。

 今の風は鼻息か! 近い近い近い、竜の鼻面に半分埋まった黒の竜珠に、私の顔が映るくらい近い!


「ご、ごめんなさい、いつまでもここにいちゃ、ダメだよね」

 反射的に小さくホールドアップすると、竜はさらに首を伸ばし、私の手に竜珠を押しつけるようにした。すると、竜珠に人の姿が映る。ポニーテイルのアイレだ。

「う、うん、下にいるアイレに会いに行く所。もう行きます、すぐ行きます」

 私は及び腰になりながら立ち上がり、竜と反対側から岩陰を出て降り始めた。すると、竜も岩陰から顔を戻し――私が降り立とうとした、その場所にうずくまった。

「え」

 思わず、足を引っ込める。竜を避け、よじよじと横移動してから降りようとすると、そこに竜も移動してきてまたうずくまった。


 これは……まさか……乗れ、と?


 おそるおそる竜の横に降り、そーっと背中に手を置いてみる。鱗のひんやりした感触。竜は首をもたげ、私をじっと見つめたまま動かない。

 巻きスカートを少したくしあげてみて、思い直し、スカートを戻して竜の背中に横座りに座った。鱗に素足をつけることに、なんとなく抵抗があったので。

 頭頂部から首の付け根あたりまで並んで生えている、固いたてがみとも柔らかい珊瑚ともつかない薄茶のものをつかむ。


 ふうっ、と竜の身体が浮いた。

 全く重さを感じさせないその動きに見とれたのもつかの間、竜の身体がすうーっと横移動して海の上に出て、高さに目がくらんだ。ジェットコースター並みの動きを想像して、必死でたてがみに捕まる。

 でも、そんなことにはならなかった。お尻の下の竜の身体が大きく一回、二回とうねって――何と言うか、夏に海でゴムボートに乗って、大きめの波にぐうっと持ち上げられてボートがわずかに変形しながらまた沈む、あの感じがあったと思ったら、もう私は洞窟をくぐって下の発着場についていた。


 やっぱり、竜にとって、空は海のようなものなんだなぁ、と肌で感じた。彼らは空を泳いでるんだ……。


 竜は着地せず、ほんの少し発着場の床から浮いている。少し呆然としたまま横座りの姿勢から手を離して、すとん、と両足で降り立つ。

 振り向くと、金の瞳が私をじっと見ていた。

「ありがとう」

 急に竜が愛おしく思えて、私は竜珠に触れながらお礼を言うと、そのまま顔とか首とかあちこちナデナデしてしまった。

 すると竜は満足したのか、また音もなくスーッと洞窟から出て行き、空の高みへと昇って行った。

 

 ふと、大きな竜に初めて触った時のことを思い出した。


 三年前、先生とシャーマさんの会話を立ち聞いてしまってその場を逃げ出した後のことだ。私は昇降機を使わずにそのまま城の階段を駆け下り、外壁に出て、ヨランの民の住処に行った。

 息を弾ませながらすり鉢の形の部屋に入ると、珍しくそこには誰もいなかった。子竜に会って落ちつきたかったけど、勝手に見に行くわけにもいかない。そもそも、子竜のいる部屋には鍵がかかっているし……。


 階段を降りて視線をあちこちさまよわせていると、すり鉢の切れ目がもう一つあることに気づいた。


 その通路の先は、再び細い洞窟になっていた。サーッ、という水音が聞こえていて、足元にも水がちょろちょろと流れている。一体何が光源なのか、照明がないのにぼんやりと明るい。

 曲がり角を曲がってみると、そこは白糸のような細い滝の裏側だった。滝の向こうには空間があるらしい。

 私は滝の横から顔を出してみた。


「おい」

 抑えた声と同時に、目の前に吊り眼の顔が突き出てきて、私は小さく悲鳴を上げた。

 セーゴさんだった。


「静かにしてろよ」

 彼はそれだけ言って、すぐそばの岩にもたれて腕を組んだ。

 彼の視線を追うと、滝の外は濡れた岩壁の洞窟になっていて、そこに黒っぽい塊が横たわっていた。


 竜だ。


 翼があるからまだ大人ではないんだろうけど(大人は翼がない)、かなり大きい。びく、びくっ、と不規則に身体をうごめかせている。

「え……あの竜、病気、ですか?」

「違う」

 セーゴさんがそれしか言わないので、仕方なく黙って彼の隣で竜を見ていると――竜が一声「クォウ!」と鳴いて、一気に身体を起こした。


 ぼろっ、と片方の翼がもげた。


「あっ、あっ!? セーゴさん翼が!」

 あわてふためいて彼の作務衣の裾を引っ張ると、セーゴさんはまた一言、

「脱皮」

と言った。


 だっぴ? 脱皮!


 口を開けて見ていると、竜は尻尾を波打たせて、まるで犬や猫が身体についた水分を振り切る時のように身体を震わせた。すると、もう片方の翼もボロッともげた。

 もげたところから前脚が出現して、ズン、と下について身体を支える。前脚は身体の下というより横についていて、地面につくと足を開く感じになるので『仁王立ち』といった雰囲気だ。


 ぱりっ、ぱりっ……と音がして、身体から黒いものがどんどん剥がれ落ちた。そして剥がれた場所からは、ブルーグリーンの鱗が見え始める。


「こ、こうやって、大人になるんですか」

 ささやき声で聞くと、セーゴさんも抑えた声で答えた。

「脱皮しただけじゃ成体とは言えない。竜珠を返さないと」


 そうなんだ……と思っていると、セーゴさんは竜の様子を観察しながら言った。

「日本に帰る気になったのか」


 私はいったん黙り込んだ。それから、勇気を振り絞って聞いた。

「あの……何で私に、そういうこと言うんですか? 私が、日本に帰るかどうかなんて、な、何かセーゴさんに関係あるんですか?」

「あるに決まってるだろ。じゃなきゃ、お前にだけ声かけたりしない」

 しれっ、とセーゴさん。

 だからぁ! その理由を聞きたいんだよっ!

 心の中ではそう叫んだけど、とにかく獰猛そうなセーゴさんにそんなことスパッと言えない。口ごもっていると、こう言われた。

「言えるのは、お前かシガのどちらか片方だけを日本に帰すことが、俺たちにとって利益になるってことだ。お前が帰りたいんなら利害が一致するわけだから、理由なんかどうだっていいだろ」


「俺たち(・・)、って……わ、私が日本に帰ることが、ヨランの民の得になるんですか? なんっぶは!」

 いきなり、脱皮したばかりの竜が私の頬に鼻づらをすりつけてきた。


 ちょっ……空気読め!


「身体を覆ってたものがごっそり剥けて、不安になってるんだ。つきあってやれよ」

 セーゴさんはそう言いながら、竜の首のあたりを上から下へ何度も撫でている。あ、そうか、逆から撫でると鱗が引っ掛かるのね……。

 私もビクビクしながら、真似して反対側の首筋をなでてやる。竜は少し顎(?)を上げるようにして、じっとしている。


 両側から竜を撫でている、私とセーゴさん。


 やっと少し、彼に対する恐怖が薄れてきた……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ