表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜の玉座 林檎の瞳  作者: 遊森謡子
第一部
11/25

11 竜の伝承、想い人の帰還

『“トローノ”のはじまり


 千年の昔。

 岩山そびえる海辺の島に、いつの頃からか、一頭の巨大な生き物が住みついていました。その生き物は巨大な蛇のように見えましたが、空を飛ぶ不思議な生き物でした。

 海辺の領地の領主はたいへん珍しがり、その生き物を捕えてイルデルアの王に献上しようと思いました。ところが大蛇は、口から大きな炎を吐いて、人々を寄せ付けませんでした。


 何年もたって、大蛇は病気になりました。空をうまく飛ぶこともできず、炎を吐くこともできません。ただ、近づこうとすると大暴れするので、やはり捕えることも治療することもできませんでした。


 そんなある夜、人々は、岩山の頂上が眩しく光り輝くのを見ました。何事だろうと思っていると、その数日後、なんと大蛇に乗って一組の男女が、海辺の村にやってきたのです。大蛇はすっかり元気になっていました。

 まっ黒な髪、まっ黒な瞳をしたその男女は、大蛇のことを『竜』と呼びました。竜は二人の言うことをよく聞き、他の人々を攻撃したり暴れたりしなかったので、人々は驚き二人の来訪を大そう喜びました。

 また、女性の方は片目が不自由だったこともあり、イルデルアの王はこの国の片目の神様になぞらえ、敬意を払いました。


 ところがしばらくたったある日、隣国の王が竜の噂を聞きつけたのです。隣国の王は竜に言うことを聞かせるため、まず男女を捕えようとしました。

 竜が隣国の王の言うことを聞けば、イルデルアは滅ぼされてしまいます。イルデルアの人々は男女を守ろうとしましたが、そのために何人もの人が死にました。


 そこで男女は、数人のお供を連れ、岩山のある島に身をひそめることにしました。一行が船で島に到着すると、竜も空を飛んで後をついていき、岩山の頂上に降り立ちました。


 にわかに空がかき曇り、島の周囲の海が湧きたち幾本もの岩が海中から突き出しました。隣国の船はあまりの荒れ様に島に近づけず、とうとう諦めて帰って行きました。


 男女は時々竜に乗って海辺を訪れるほかは、岩山で暮らすようになりました。やがて男女には子どもが生まれ、竜にも卵が産まれました。

 何年も経つうちに、男女の血筋とイルデルアの王の血筋とが混じり合い、やがて王の子孫は竜に認められて、岩山に住むようになりました。


 こうして人々は岩山を『竜の玉座“トローノ”』と呼び、竜とそこに住む人々をおそれ敬うようになったのです。』



 私は広げた巻物をテーブルに置き、軽くため息をついた。

 自分から“トローノ”を訪れた、翌朝のこと。書庫の中には、私以外誰もいない。

 こちらの文字は苦労なく読める――本当に自然に、まるで昔から知っていたかのように読めるので、私は伝承に関する巻物をひも解いていた。これも大陸側に行ったら読めなくなっちゃうんだろうけど。


 この黒髪の男女が、ヨランの民の祖先にあたるわけだよね。竜が弱っていた時に、ある日突然この世界にやって来た……たぶん、日本から。そして竜は元気になった。これが、『竜は自分の危機に異世界への扉を開く』っていう伝承のゆえんなんだ。


 うーん……でも、女王が弱っている時に同じようにやって来た私と先生は、何もやってないんですけど? 私が三年前にここを離れた時も、女王は弱ってるままだったし。


 立ち上がり、白く塗られた岩壁に近寄ると、小さく穿たれた丸い窓から外を見た。

 今日の空はどんよりと曇っていて、灰色の雲が風にゆっくりと流されている。その合間を鮮やかな赤い竜が、身体を緩やかに波打たせながら泳いでいた。

「元気……だよねぇ」

 何で女王は、元気になったんだろう。


 その時、廊下の方で人の話し声がした。カタカタと木桶か何かの鳴る音が近づいてくる。

 私はあわてて辺りを見回すと、入口から死角になる壁に身体を寄せた。本当は棚の陰にでも隠れられたらよかったんだけど、旧書物庫と違ってここの棚は壁に直接彫り込まれてて、隠れられないのよ!

 まあ、ヴィントが用意してくれた服を着て三角巾をつけているし、バッグに入れてた化粧道具でちょっと化粧もしてるから、もし見られても『サーナ』だとは気づかれないと思うけど……。


 賑やかな女性の声が二つ、井戸端会議を始めた。どうやら向かいの部屋の掃除をしながら、おしゃべりしているらしい。


「サス・ゴバは、まだお戻りじゃないの?」

「今日お戻りだよ。今回はずいぶん長かったね」

「新しい竜珠の預かり主を決めるのと、ゴバの在位十五周年の準備と……なんだかんだ忙しそうだからねぇ」


 私は耳を済ませた。サス・ゴバ――シャーマさんが今日、大陸側から戻って来る話だ。そっか、きっと子竜が新しく生まれて、その竜珠を誰に預けるかを決めに行ってたんだ。あと、フォーグさんの在位十五周年のお祝いの準備、と。


 ――先生は、何で一緒に行ったのかな。今はそういうのに関わる仕事をしてるのかも。


「ついに十五周年か。最長記録更新ね」

「そうだね。前ゴバが十一年、その前も長かったけど十三年だったっけ。ゴバの奥さんも竜珠を持ってりゃ、ここで暮らせたのにねぇ」


 え! フォーグさんって奥さんいるの? 全然知らなかった。


 そっかー、奥さん大陸側にいたんだ。でも竜珠を持ってないから、城に来られない。竜は血縁者なら乗せてくれるみたいだけど、血縁者もきっといないんだろうな。

 結婚して何年なのかは知らないけど、フォーグさんこの城に単身赴任してるようなものだね。次のゴバに位を譲ることができれば、大陸側で夫婦一緒に暮らせるんだろうに。

 ていうか、自分がゴバと結婚するってわかってれば、奥さんも早めに竜珠を預かって、自分の竜に乗ってこっちに来れたのにね。急な結婚だったのかな?


「それにしても、サス・ゴバはなかなか結婚しないねぇ」

 話題がシャーマさんの結婚話になって、私は思わず広げた巻物の陰でクスッと笑ってしまった。こういう話題が盛り上がるのは、どこも一緒だね。

 こちらの人は、だいたい二十歳になったら結婚するのが普通らしい。シャーマさんは、三年前にアイレに聞いたところによると、二十五歳。今は二十八か。


 すると、一人の声がこう言った。

「まあ、次代ゴバともなれば、相手も引いちゃうんじゃないの?」


 え?

 私はびっくりして顔を上げた。

 シャーマさんが、フォーグさんの次のゴバ?


 そういえば、シャーマさんは自己紹介の時こう言った。サス・ゴバは「ゴバの補佐のようなものです」って。

「ようなもの」……あいまいだと思ったら、つまり単なる補佐じゃなくて、ゴバの仕事をフォーグさんの横で学んでいたってこと? そして、シャーマさんは次代の竜の王(もしくは女王)の竜珠を持ってるってこと?


 何で、教えてくれなかったんだろう。


 話し声は続く。

「でもほら、今はあの若いのがそばにいるじゃないか」

「ああ、シガーね」


 ドクン、と胸が大きく鳴って、私は思わず服の上から胸を抑えた。


「確かに、サス・ゴバとシガーが一緒にいる所はよく見るね。でも、あたしの勘だと、あれは違うね」

「あんたの勘が当たったことなんてあったっけ?」

 笑い声。

「よし、こっちは終わったよ」

「こっちもいいよ。次に行こう」


 賑やかな気配が遠ざかって行く。

 私は長いため息をつくと、その場に座り込んだ。


 先生とシャーマさんが、うわさになってる話を聞いちゃうなんて。


 三年前、シャーマさんはとても親切にしてくれたけど、先生は始めのうちシャーマさんに心を許していない節があった。

 でも、人の心は変わるものだ。


 先生と部屋を別にしてからしばらく経ったある日、私は城の中をしょんぼりと歩いていて、執務室の近くまでやってきた。確かその時、フォーグさんが大陸側に出かけていて留守だったから、ここなら一人で考え事ができると思ったんだっけ。

 でも、執務室には先生とシャーマさんがいて、私は扉の外で話を立ち聞いてしまった。


「ヨランの祖先は男女一組で、そこから子孫が繁栄したわけですよね。竜はなぜか日本人の血筋の者に懐くみたいだから、子孫繁栄はこの国にとって意味のあることだった。でも俺たちはなぜ、男女一組でこちらに呼ばれたんだろう」

「同じ理由ではないかしら。竜が、新しいニッポン人の血が欲しかったんじゃ? あなたたちから生まれる、新たな子孫が」


 ――な、なんていう話をしてるんだろう。

 動揺した私は廊下に立ちつくしたまま、戻ろうかどうしようか迷った。


 二人の口調には、妙に緊張感があった。単に伝承に関する話をしてるだけじゃなくて、まるで先生がシャーマさんを問い詰め、シャーマさんがそれに応戦している、というような……。


「でもそれで、老齢で弱っている女王の危機が救えますか?」

 先生の声が指摘する。そして続けた。

「一応言っておきますが、尚奈は俺の単なる教え子で、恋人でも何でもない。俺に対する切り札として尚奈を使うのは弱い。逆も同じだ」


 ――単なる教え子……。

 うん。確かに、恋人同士じゃない。単なる教え子、その通り。


 でも、私は先生のその言葉に、心を切りつけられた。


 その一方で、何で唐突にそんな話になるんだろう、と思った。

 先生がああ言うってことは、何? こちらに二人いっぺんに召喚されたのは、子どもを作るためじゃなく、片方を片方に対する人質にするためかもしれない……って、先生は思ったんだろうか。


「それじゃ、あなたは何のためになら、心を動かされるの?」

 シャーマさんが静かに聞くと、先生はちょっと呆れたような口調で答えた。

「あなたが俺を誘惑してくれる方が、まだ納得がいく。金も権力もあって美人なんだから、それを利用すればいい」

 

 私が耐えられたのはそこまでで、気がついたら城の階段を駆け下りていたっけ……。



 思い出にふけりながら、私はのろのろと紙を巻きなおし、紐で縛って棚に戻した。

 小さな窓から入って来るぼんやりした陽だまりが、この部屋に入った時の位置からずいぶん動いている。

 そろそろ、先生が帰って来る時間じゃないかな……上の発着場に行こう。

 

 そこで、シャーマさんと一緒に戻って来る先生を目撃した私は、何を思うんだろう。



 『上の発着場』に行く階段の上り口には、他の階段にはない扉がある。そっと開き、細いねじれた階段を上りきると、そこはあのヘリコプターの発着場みたいな広い岩棚だった。

 岩肌を少しだけよじ登り、大きな岩の陰にもぐり込んで座った。ここなら、空からも発着場からも見えにくい。

 ただ、時間が過ぎるのを待った。

 強めの海風が吹きつけている。潮の匂い……肌が少しべたつく。頬に張りつく髪を、何回かきあげただろう。

 その空気の流れが、ふっ、と変わった。

 竜が来たんだ。

 緊張で気持ちが張り詰め、途切れることなく聞こえていた波の音が聞こえなくなった。


 かつん、かっ、と鉤爪が床に当たる音。竜の尻尾が、ひゅん、と振られるのが岩陰から見える。

 私は心の中で五まで数え、竜に乗っている人間が岩棚に降り立つのを待ってから、そっと顔を出した。


 ビリジアングリーンの鱗をした、大きな竜がいる。これがシャーマさんの竜、つまり次の王様だろうか。女王に比べると、あまり「それっぽく」ないけど……。

 そのすぐそばに、最初は一人だけが立っていると思った。赤茶のロングヘア――あれはシャーマさん。何か荷物を持って先に発着場を出るべく、歩き出す。


 彼女がどいたその場所に、黒髪が見えた。屈みこんで、竜から鞍を外していたらしい。


 髪型は少し変わって、何だか無造作な感じになっているけれど、後ろ姿は変わらない。細身だけどしっかりした腕、竜に乗るためか皮の丈夫な服に包まれた背中。きびきびとした動作。


 先生……元気そう。良かった。


 胸が苦しくなって、目頭が熱くなる。でも、私は目をしっかり開いて先生を見つめていた。


 頭が動いた。

 左の横顔が見えた。綺麗な鼻梁、少し開いた唇。

 見つかる、と頭を引っ込めかけた私は、そのまま動けなくなった。


 先生が、左目に眼帯をしているのに気づいたから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ