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竜の玉座 林檎の瞳  作者: 遊森謡子
第一部
1/25

1 異世界の城はコロッケの香り

新しい長編、始めました。よろしくお願いします! あらすじに書いた内容については、活動報告をご覧ください。

 男の人と喧嘩して、置き去りにして去るのは、二回目のことだ。


 駅のホームでドアが開くと、終電も近いせいか結構な数の乗客が電車から降りた。私もそんな人々の後ろから、ゆっくりとホームに降り立つ。真夏の夜の熱気が、むわっ、と全身を包み込んだ。


 大学の近くで一人暮らしをしている私のアパートから、実家の最寄り駅であるここまでは、電車で一時間半程度の距離。でも、三年前のある出来事をきっかけに、大学入学後は足が遠のいていた。今日ここに来たのも、正月以来になる。


 乗客たちは改札を抜けて足早に家路につき、あっという間に駅周辺は閑散となっていく。でも、今の私はその流れに乗ることさえ癪で、商店街をぶらぶらしていた。


 正直、しょーじき、ものすごく虫の居所が悪いんです私。

 付き合い始めて三日で彼女の家に押しかけるのって、普通なのか? がっつく男ってホント嫌なんだけど!

「これから出かけるところだから」って追い返そうとしたのを粘られ、二、三度やり取りしただけでキレてしまった。バッグつかんでアパート飛び出してきちゃったけど、何で私が自分の部屋追い出されなきゃなんないのよ。ああモヤモヤする。


 ……でも、私も悪いんだ。去年も一昨年も、この時期の私は我ながら変だった。急に寂しくなったり、それに……過去に戻りたくなったり。


 いったん足を止め、肩にかけていたトートバッグから携帯を取り出して、実家に電話を入れるか迷う。

 結局、そのままもう一度しまった。


 商店街を進むと、ほとんどの店がすでにシャッターを下ろしていて、街灯ばかりが煌々と明るくプラスチックの笹飾りを照らしている。もう七夕は終わったのに、いつまで飾っておくつもりだろう。

 そのまま視線を先の方へとやった私は、ハッとして顔を上げ、数軒先のビルまで走って足を止めた。


 商店街の端の、古ぼけた四階建てのビル。正月に来た時までは、ここの三階に中堅どころの学習塾が確かにあったのだ。

 しかし今、三階の窓には塾のロゴはなく、『アロマテラピー』の文字が浮かんでいた。

「……塾、潰れちゃったんだ……」

 ――高校生時代、通っていた学習塾だった。少子化の波に煽られたのだろう。


尚奈(ひさな)


 大好きだった先生が、私を呼ぶ声を思い出す。大学生講師だったその人は現代文の担当で、よく小論文を添削してもらった。


 私は、あの時の先生と同い年になった。大学三年生、もうすぐ就職活動を始める時期だ。

 でも、将来を考えようとすると、いつもその人のことが脳裏に浮かんでしまう。大学を卒業したら家を継ぐのだと言っていた、先生。


「先生、私、先生と同じ大学に入ったよ……」

 懐かしさと、苦いものを同時に胸に抱え、私はつぶやいた。


 彼はもう、いない。こちらの世界には。

 

 私は顔を上げ、踵を返すと、足早に歩き出した。


 駅を挟んで商店街とは反対側に出ると、実家までの道の途中に高速道路の下をくぐるトンネルがある。灯りがあってもなお暗いトンネルには壁に大きく落書きがあり、天井から染み出した雨水の滴る音が、ぴちゃん、ぴちゃん、と反響している。


 あの日も、ここから全ては始まったんだ。


 真っ直ぐここへ来た私は、トンネルの途中でいったん足を止めると、バッグの内ポケットからあるものを取り出した。

 手のひら大の、硝子の欠片のように見える。色は桃色、薄くて卵型をしているそれはわずかに傾けると光を反射して、まるで表面を水が流れているかのように美しく揺らめく。


 私は軽く、息を吸い込んだ。この名前を口にするのも久しぶりだ。


「アーグラグテーナ……あなたがまだドラゴンの女王なら、このあなたの鱗に気づいて。あなたの名前を呼ぶ私に、気づいて。あなたの所へ通して下さい」


 私は鱗を手にしたまま、トンネルのつきあたりの階段に足をかけた。

 一段一段、祈りながらゆっくり登って行く。

 夏の熱風が吹きつけてくる。

 階段の登り口に落ちる街灯の明かりが、やや黄味を帯びたものに変化した。

 光を反射して、手の中のものがきらめく。

 足元のコンクリートが、ごつごつした岩に変わった。

 そして懐かしい、潮の香り……。


 ためらいなく登り切り、顔を上げた。あごまでの髪を、風がふわりと舞い上げた。


 そこは住宅街ではなく、岩山の頂上だった。

 岩が牙のように何本もそそり立って、アーチになって私を包んでいる。まるで恐竜の骨の中に立っているみたいだ。そんな岩の林の向こうに、夕焼けのオレンジに染まった空が広がっている。

 三年前にも、私はここに来た。


 背後から、ふーっ……という大きな呼吸音。背中を撫でられているかのように感じる、圧倒的な存在感。


 ゆっくりと振り向くと、背後の大きな岩に、巨大な蛇のような生き物が巻きついていた。

 

 その生き物は、まるでとろりとした臙脂色の液体が流れているかのような光沢のある身体をしている。頭から背中にかけて、角ともたてがみともつかない金色の珊瑚礁のようなものが連なって生えていた。

 (おもて)は細く、瞳は金色。私でもどうにかまたがれそうな太さの身体を辿って視線を下ろすと前脚は二本、そしてずっと後ろの方にまた脚が二本。鋭いかぎ爪がついている。身体の色は下半身に行くほど薄くなっていて、尻尾の先は薄桃色の尾びれのようになっていた。


 私の手にしている硝子のようなものは、アーグラグテーナ――この美しい竜の女王の鱗なのだ。


「お、お久しぶりです、アーグラグテーナ。呼び寄せてくれて、ありがとう」

 ぺこりと頭を下げると、女王はぐうっと首を伸ばして私に近づけた。山頂の熱い風に比べて、むしろひんやりしている鼻息が私の髪を揺らす。

 ひと抱えくらいある頭の鼻づらのあたりに、黒く光る宝石のようなものが半ば埋まるようにしてついている。大きさは林檎くらいのそれは、『竜珠』と呼ばれるものだ。

 恐る恐る手を伸ばして指先で触れると、表面に渦が巻いて、霞がかった像が映った。長い黒髪を二つに結んだ、吊り眼の女の子が見える。……三年前の私だ。

「そう。尚奈です」

 私は微笑んだ。髪を切ってカラーリングしちゃったし、軽く化粧もしてるけど、女王にはすぐに私だとわかったらしい。


 女王は縦長の瞳孔の目を細め、もう一度ふうっと鼻息を吐くと、いきなり浮かび上がった。

 ゆるく砂塵が舞ったけれど、それだけで、その美しい身体は真っ直ぐに空へと登り、やがて進路を変えて夕陽の方へ滑るように移動して行った。一筋の桃色の雲のようだ。


 何度見ても不思議……翼もないのにどうやって飛んでるんだろ。空気の中を泳ぐのか、風に乗って滑るのか……ファンタジーだ。


 私は女王を見送ると、岩の林の端まで歩いた。視界が開ける。

 目の前には大海原が広がり、正面のはるか向こうには水平線。見渡すと、左右には陸地の影が見えている。振り向いて足元を見ると、そこにはもう登って来たはずの階段はなかった。

 岩肌に沿って見下ろすと、下は波の砕け散る岩礁地帯。海水が激しく渦を巻いて白く沸き立っている。怖っ、目がくらみそう。

 でも、この頂上は女王の住処。人間がいつまでも居座っているわけにはいかない。

「ここを降りるのも……三年ぶりだわ……っ」

 私は慎重に慎重に、岩山を降り始めた。夕陽が照りつけて、自分の影が邪魔で足場が見えにくい。

 しかもサンダル履いてきちゃったし……まあ、ウェッジソールだからまだマシだと思うことにしよう。

 吹きつけてくる熱風は潮の香りをはらんで、キャミソールチュニックとその上に着たカーディガンをはためかせる。ちなみに下はカプリパンツだ……スカートじゃなくて良かった。

 斜め二十メートルほど下に、大きな岩棚があった。その岩棚は平らでつやつやしていて、人工的に整えられた場所であることがわかる。もしも「H」って書いてあったらヘリポートみたいだ。

 私はそこを目指して降りているんだけど、その岩棚から海面までは、さらに五十メートル以上の高さがある。もし落ちたら……考えたくもない。


 その時、鼻が、香ばしくて食欲をそそる匂いをとらえた。――コロッケみたいな、芋系の揚げものの匂いだ。

 下の方から、細く煙が上がっている。岩山にはあちらこちらに穴があいていて、いくつかの穴は中から灯りがもれていた。煙もそのうちの一つから上がっている。

 岩肌には、這うようにして細い階段がついている所もあるし、手すりのあるバルコニーのような足場がついている所もある。風に乗って、ヤギか何かの動物の鳴き声や金属音などがかすかに聞こえてきた。


 ここは、岩山を掘って作られた城なのだ。私は今、その外壁を降りていることになる。


 こうして私は三年ぶりに、異世界の小国イルデルアの、とある島にある岩城――通称『トローノ』に、足を踏み入れた。


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