大人になった?魔法少女
「お兄ちゃん起きて! くらえマジカルアイアンウェイト!」
「ぐはぁっ」
日曜の朝、心地良い惰眠を貪っていた俺は、突然巨大な質量に圧し潰された。
体の上に乗った特大の鉄塊をなんとかベッドの脇に落とし、部屋の戸口に立っていた、この暴虐行為の張本人、十歳年の離れた妹を睨みつける。
「何しやがる殺す気か!この暴力魔法少女!」
「おはよー。あたし今日で二十歳になったんだよ。もう少女じゃないんだから!」
咬み合わない会話で挨拶がてら、妹は朗らかに宣言した。壁のカレンダーを確認する。すっかり忘れていたが、確かに今日は、妹の誕生日だ。
妹は、魔法少女だ。もとい、魔法少女だった。
小学生のころ、突然魔法の能力に目覚めた妹は、人々の夢を叶えたりトラブルを解決したりむしろトラブルを巻き起こしたりしながら、明るく元気に成長してきた。
一方の俺は特別な才能もなし。妹が魔法少女としての活躍中にブッ壊してくれたあれやこれやについて、頭を下げて回ったり賠償の交渉をしたり。地味で忙しい裏方人生を送ってきた。おかげで未だに彼女の一人も出来ないでいる。
そうか妹も今日で成人か。未成年とはいえ、そろそろ魔法少女という呼び名もいかがなものかと思っていたが、これで大人の仲間入りか。
その妹は嬉しそうにVサインを作ると
「そう、魔法少女は卒業したのです! 今日からは……えーと、魔法成人女性? 魔法女子? って呼んでよね」
自慢気に、間が抜けた事をのたまわった。
「アホか。単に魔女って呼べばいいだろ」
「ん? ……それもそうか。そう。魔女、晴れてウィッチになったわけです!」
「はいはいおめでとう。後で飴でも買ってきてやんよ。おやすみ」
お祝いを述べて再度布団に潜り込んだ。毎日仕事で遅いんだ。日曜くらいゆっくり寝かせろ。目をつぶって、微睡むまもなく
「寝ないで! くらえマジカルイトカワ!」
「うぼぉっ」
降ってきた巨大な小惑星の下敷きになり、再度ベッドにめり込んだ。そのジャガイモのような岩石を苦労して押しのけてなんとか生還し、その非道の所業に抗議する。
「何がしたいんだお前はっ!」
「何がじゃないでしょー! たった一人の妹が成人迎えたんだから、ちゃんとお祝いしてよ!」
頬をふくらませて、上目遣いに睨んでくる。
長年魔法少女をやってきた妹のこのポーズには、かなり強力な「チャーム」の魔力が込められているらしい。並の男だったら、この子猫のような瞳に、一瞬で魂まで支配されてしまうところだが、あいにく実兄の俺には通用しない。俺にシスコンの気はない。
しかしまあ、妹の言い分にも確かに一理ある。
「……どう祝って欲しいんだよ」
「えっとね、お兄ちゃんと二人で誕生日パーティーがしたい!」
怒っていたポーズから一転、恥ずかしげにもじもじしながら言う。二十歳の女ともなれば、そのあざとい仕草に白けようものだが、元々幼い顔立ちの妹は、こういう子どもっぽい仕草をしても、可愛くさまになる。もっとも、そんなものが俺に通じないことは先程述べたとおり。
実は、俺と妹の誕生日は同じ日である。妹が小さい頃には、確かに家族で一緒になって祝ったものだった。ここ数年は、もう誕生日を喜ぶような年でもないと言って、簡単なプレゼントを交換し会う程度のイベントだったのだが。
「お前なーもうガキじゃないんだから……」
「うん。もう子供じゃないから、パーティーが終わったら、そのまま二人でね……」
「二人で?」
「さ・ば・と。お互いに一番大事な物を、プレゼント交換しよ?」
恥じらいながら、にっこり笑って言った。さばと。脳内でぱらぱらとファンタジー辞書をめくる。
「できるかーっ!!」
町内に響き渡るほどの大声で、全力で拒絶した。
「えーっ」
「えーじゃないっ! 自分が何言ってるのか分かってるのかお前はっ」
俺の問いに、妹はぽっと頬を染めて俯いた。
「分かってるけど……妹にそれを言わせるの?」
「絶対言うな言わんでいいっ! どうしてそんな馬鹿なこと思いついたっ」
妹は、俺の質問にあっけらかんと答えた。
「大人になったこの機会に、是非魔力のグレードアップをはかりたいと考えまして」
「考えまして?」
「知ってる? 禁忌を犯すと、魔力のレベルが上がるんだって!」
「はああ?」
そんな素っ頓狂な話は聞いたこともない。おおかた、妙なライトノベルか何かで、そっち方向に話を展開させるためにこじつけられた、にわか設定でも読んだんだろう。
「で、手っ取り早い禁忌と言えば、やっぱりお兄ちゃんとこれかなと……」
顔を赤くしつつ、指で妙な形を作ろうとするのを、がっしと掴んで制止する。
「いい年した女がやめなさいっ」
「お兄ちゃんの手、あったかい……その気になってくれたんだね?」
「なるかぁっ」
慌ててばっと手を離す。しかし今度は妹のほうから手を握ってくる。振りほどこうとするが、妹はしがみついて離れない。
正直これまでに、妹にブラコンの傾向があるのに全く気が付かなかった訳ではない。
それなりに……いや、かなり容姿の整った妹は、小学生で魔法少女を始めたころから、下は幼稚園児から上は大きなお友達まで、大勢の男のファンに囲まれてきた。しかし俺は、妹が特定の男と付き合っているのを見た記憶が無いのだ。
バレンタインデーのチョコレートなど、俺以外の男に渡している様子も無く、その毎年俺に寄越すチョコレートがやたら気合の入った手作りなのを見て、密かに危惧していたのも事実だ。
しかしいきなり『さばと』は無いだろう『さばと』は。
「だいたい、そんなもん嘘に決まってるだろうが!」
「やってみなきゃ分からないでしょ!? ダメもとでやってみようよ!?」
「無茶言うなっ!」
ようやく妹の手を振り払う。妹はきゃっと小さく声を上げて、床に尻餅をついた。思わず大丈夫か、と手を貸して助け起こしてやりたくなるが、ぐっと堪えて距離を取る。人差し指を妹に突き付け、言い放った。
「絶対にお断りだっ! 俺はノーマルだ! そういう趣味はこれっぽっちも、な、い!」
「何よー! 彼女いない歴イコール年齢のくせに!」
「ぐっ! そそそそれとこれとは関係ないだろうがっ!」
妹の言葉が俺の急所にぐさっと突き刺さる。
確かに……確かにそれは事実だが、俺がモテないんじゃない。たまたま出会いがなかっただけだ! 俺は遊びで恋愛はしない主義なのだ! あれ、おかしいな。心の中で目から汗が……。
「まあ今日という日に備えて、お兄ちゃんに変な虫がつかないように、私がずっと虫除け魔法かけてたんだけどね」
さりげなく衝撃の告白をしてくれる妹。
「お、お前いまなんて言ったーっ!?」
これまでの人生、全て片思いと玉砕に終わった寂しい恋愛遍歴が脳裏を去来する。それもこれも、全てはこいつの身勝手な虫除けのせいだったと言うのか! 俺の青春を返せ! 魂の叫びを吐露しようとした俺の機先を制し、妹はすっくと立ち上がり、腰に手を当てて言った。
「もしお兄ちゃんがどうしても嫌だって言うなら、他の男の人と『さばと』しちゃうよ? それでもいいの?」
何を言い出すんだこの大ぼけ魔女。どこの馬の骨とも知らない男とさばとだと!? いいわけあるか! だいたい他所の男とじゃ禁忌にならんだろうが! と返そうとしたところで、それを口に出せば妹の思う壺であることに気付いて踏みとどまる。
「かかか、勝手にやれっ!まだ大学生なんだから対策はしとけよ!」
「えーっ! えーっ!? そこは止めてよ! わたし傷ついた!」
「さばとさばと連呼するビッチが傷つくとかねーわ!」
「ビッチじゃないもんウィッチだもん! いくらお兄ちゃんでもそんなこと言うなんて! もー絶対に許せない!」
売り言葉に買い言葉。つい口をついて出てしまった失言を取り消す暇もなかった。
妹は普段は極めて穏やかな性格なのだが、激昂すると自分を見失い、後先考えずに大暴れしてしまう性癖がある。頭から湯気を出しつつ、胸の前で両手で印を結び、呪文を唱え始めた。
「くらえ! マジカルバインドベルトっ!」
「ぐわっ!」
妹が放った魔力の拘束具に、俺はあえなくベッドに縛り付けられ、全身の自由を奪われてしまった。いくらもがいても、その戒めはびくともしない。
妹はそんな俺の様子をベッドの脇から満足そうに見下ろしていたかと思うと、おもむろにベッドに上がり、俺に馬乗りになってきた。俺の耳に触れそうになるまで唇を近づけて、囁く。
「もう逃さないんだから。おにーちゃん、二人で大人の階段登ろうね」
顔にかかる吐息が熱い。その目は完全に逝ってしまっている。はぁはぁと鼻息も荒く、妹は俺の服をむしり始めた。
「おいやめろ馬鹿! 親が悲しむぞ!?」
「大丈夫だよお兄ちゃん! 成人したら、親の同意なしに結婚できるんだよっ?」
「そういう問題じゃねえっ!」
そんなやり取りをするうちにも、むしりむしり。俺の社会的生命に危機が迫る。
走馬灯のように、これまでの妹との半生が脳裏を過ぎる。病院で、まだしわくちゃな赤ん坊だったのを腕に抱かせてもらった時のこと。幼稚園のとき、迷子になって泣いていたのを探し出し、おぶってあやしながら家に帰ったこと。小学生になって魔法少女としてデビュー、国民的な人気者となったが、家ではわがままで生意気で喧嘩ばかりしていたこと。俺は就職し、妹は中学、高校、大学と進学して行ったが、いつもずっと一緒だった。妹≦妹にして妹≧妹、∴妹=妹。
『さばと』とか、死んでもありえない。
残す所トランクス一枚になったところで、俺の頭の中で真っ白な光が爆発した。
「させるかあっ!」
「きゃああっ!」
ぶちぶちぶちっとゴムのちぎれるような音と共に、妹の拘束魔法を一息に引き裂き、そのまま体の上に載っていた妹を跳ね飛ばす。妹はごろごろと床に転がり、壁にぶつかって止まった。その場で顔だけ起こし、俺の方を見て呆然と呟く。
「な、なんで? 魔法の使えないお兄ちゃんが、私の拘束魔法を破れるはずが……」
戒めを解いた俺は、ゆっくりと立ち上がった。
ふうううう……
深呼吸する。俺の全身を光り輝くオーラが纏い、しゅうしゅうと音を立て揺らめく。自分でも体中に魔力が満ち溢れているのが分かる。
今日は俺と妹の誕生日。妹は二十歳になった。俺と妹は十歳違い。俺は彼女いない歴イコール年齢。
昔の人は言った。男子齢三十にして、魔法使いとして立つ。
妹の目にも、理解の色が走った。
「そっか、私が悪い虫を寄せ付けなかったせいで……」
俺がモテなかったんじゃない。出会いが無かっただけだ。遊びで恋愛はしない主義だし。おい妹、その憐れむような目付きはやめろ。つーかお前のせいじゃねーか! 再度心の内で血の涙を滂沱として流しつつ、妹に向きあう。
「……そういうことだ。もう無駄な悪あがきはよせ」
三十年間貯めこんできた魔力は半端なものではない。軽く妹のそれを凌駕している。俺が身にまとうオーラで、妹にもそれは容易に伝わったはずだ。
しかし、妹は目をキラキラ、もといギラギラさせながら
「お兄ちゃん……すごい! すごいよ! わたし、ますますお兄ちゃんが欲しくなっちゃった!」
とんでもないことを口走った。
「『さばと』して、私がお兄ちゃんの魔力を分けてもらって……あれ? そうするとお兄ちゃんは魔法使えなくなっちゃうのかな? ええい、ままよっ! もう一回マジカルバインドベルト!」
空気を裂いて迫り来る魔力の束。それを、軽く片手を振ってかき消す。この程度、魔力を溜めるまでもない。
「何度やっても無駄! 小娘の魔法など俺には通じぬ!」
「お兄ちゃんすごいっ! もう絶対に私のモノにするからねっ! そして二人で世界を征服しよっ!」
「なんでそーなるっ!」
諦めることなく、次から次へと様々な拘束呪文を投射してくる妹。俺はそれを全て跳ね除けつつ、こちらも妹の自由を奪うべく魔力を放つ。魔力では俺のほうが妹を圧倒しているのだが、流石に長年魔法少女をやっていただけあって、戦い慣れた妹は俺の攻撃をことごとく受け流す。
「たまにはわたしの言うこと聞いてくれてもいいでしょっ!」
「ふざけんなお前の尻拭いはもうまっぴらなんだよこの小便垂れっ!」
「なーんーでーすってええええ!!!」
魔法の応酬はいつしか激化し、単なる兄妹喧嘩と化していた。
荒れ狂う俺たちの魔法に、俺の部屋の中はさながら台風の暴風域。椅子が、机が、ベッドが、つむじを巻いて飛び交い、壁に天井に激突する。柱がギシギシと音を立て、家屋が悲鳴をあげる。
ひとしきり魔法の応酬が続いたところで、吹き荒れる嵐の中、距離を置いて互いに睨み合う。妹は魔道具であるステッキを正眼に構え、長い詠唱に入った。魔法少女として、モンスターに止めを刺す時に使う究極の退魔呪文だ。俺もそれを迎え撃つべく、腰を落とすと、体の脇で魔力を集中させる。こっちは詠唱とかは知らないしそもそも不要。魔力の塊をぶつけるだけだ。
「最終奥義! 究極マジカルパイルバンカーッ!」
「破ああああっ!」
俺と妹の全身全霊を込めた魔法が、俺の部屋の中心で激突、すさまじい爆発を引き起こした。目も眩む閃光。耳をつんざく大音響。崩れる壁、倒れる柱、吹き飛ぶ屋根。
数秒後、我に帰った俺と妹は、基礎を残して跡形もなくった我が家の敷地で向かい合い、呆然と立ち尽くしていた。
*
俺と妹の戦いは、買い物から帰ってきたおふくろのエレキトリックサンダーフィスト(いなずまげんこつ)二発によりあっけなく幕を閉じた。
いい年して二人並んで正座させられ、道行く人にじろじろと見られつつ、いつまでたっても子供なんだから、とお説教を受けること小一時間。その後はおふくろと三人で、町内のお宅にお騒がせしたお詫び行脚をして回った。
それも終わり、妹と二人、倒壊した我が家を魔法で元通りにする作業を続けながら、ぽつりぽつり会話を交わす。
「大人になるってなんなんだろーね」
「なんなんだろうな」
自分の言葉と行動に責任が持てること? 他の人の価値観を受け入れることができること? 常識を守り、社会と協調していけること? 考えれば考えるほど、もう十年も成人をやっている自分の姿が、それとはかけ離れているような気がしてくる。とても、妹にどうこう言える立場じゃない。俺は俺、日々心新たに、社会人として相応しい自分を模索していくしかないか……。
「はああ……」
「はー……」
思わずついた溜息が、妹のそれと重なる。妹も同じようなことを考えていたのだろうか。先ほどまでのやりとりはまるで無かったことのように、いつもの妹に戻っている。
願わくば、あの到底受け入れられない思いつきを蒸し返してくることのありませんように、と考えたところで、先手を打っておく事にした。
「とりあえず、だな」
「とりあえず?」
「これ終わったら、ビールで誕生祝いな」
「おお! やったあ! 大人だあ」
腕を振り上げガッツポーズを取ると、少なくとも法律上は大人になった魔法少女は、晴れやかな笑い声を上げた。
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お話を書くのは初めてという方も大歓迎。匿名ならではの辛口な指摘からまったり雑談まで何でもあり。ぜひぜひ、お気軽にご来場ください。