なんでまだ生きてるんだろうな
何度か、人に「一緒に死のう」と言われたことがある。
不思議なことに、そのどれもが冗談ではなかった。
夜の帰り道だったり、自分の部屋だったり、
あるいはコンビニの駐車場だったり。
場所はばらばらなのに、言葉だけはいつも同じだった。
「一緒に死のう」
その言葉を聞いたとき、怖いとは思わなかった。
むしろ、少し安心した気さえした。
ああ、やっと自分の役割が来たのかもしれない、と思った。
誰かの最後を一緒に背負うこと。
それが自分の役割なのかもしれない、と。
だから、毎回こう答えた。
「いいよ」
言葉にすると、いつも相手は少しだけ驚いた顔をした。
もっと止められると思っていたのかもしれない。
もっと狼狽えると思っていたのかもしれない。
でも、止める理由が見つからなかった。
生きる理由が見つからない人に、生きろと言うのは残酷だ。
自分もそう思っていたから。
だから、受け入れた。
もしも人が本当に終わりたいなら、
その最後くらいは一人じゃない方がいい。
そんなふうに思っていた。
何度か、本当にその瞬間の近くまで行ったことがある。
夜の海だったこともある。
人気のない山道だったこともある。
冷たい風が吹く橋の上だったこともある。
そのたびに、空気は妙に静かだった。
世界はいつも通り動いているのに、
そこだけが切り離されたみたいだった。
そして、決まって同じことが起きた。
相手が、踏みとどまる。
「やっぱりやめよう」
最初にそれを聞いたとき、正直なところ少しだけ驚いた。
でも、怒りはなかった。
失望もなかった。
ただ、少しだけ不思議だった。
あれほど苦しそうにしていたのに。
あれほど終わりたがっていたのに。
どうして最後の一歩だけ残っているんだろう。
二回目も、三回目も、同じだった。
誰かが「死のう」と言う。
自分は「いいよ」と言う。
そして本当にその場所まで行く。
でも最後には、相手が踏みとどまる。
「やっぱり怖い」
「まだ無理だ」
「もう少しだけ生きてみる」
そう言って、世界に戻っていく。
そのたびに、自分は置いていかれる。
置いていかれる、というのは変かもしれない。
だって自分も生きているのだから。
でも、感覚としては確かにそれだった。
彼らは世界に戻る。
自分は最初から世界に戻るつもりで来ていない。
だから、毎回少しだけ宙ぶらりんになる。
帰り道を歩きながら、いつも同じことを考える。
どうして自分は、まだ生きているんだろう。
あれほど「いいよ」と言ってきたのに。
あれほど終わりに近い場所まで行ったのに。
なぜか、自分だけが残っている。
もしかしたら。
本当に追い詰められていたのは、
相手じゃなかったのかもしれない。
彼らは、最後の一歩の手前で踏みとどまれる。
怖いと言える。
やめようと言える。
でも自分は、たぶんそれを言わない。
もし相手が踏み出していたら、自分も踏み出していた。
止めなかったと思う。
むしろ、背中を押していたかもしれない。
それでも、なぜか世界は毎回自分を生かす。
相手が最後に怖くなることで。
相手が最後に思いとどまることで。
まるで、自分をこちら側に縫い付けるみたいに。
だから、ときどき思う。
自分は死にたい人間なのか。
それとも、死ねない人間なのか。
あるいは。
誰かの「最後の一歩の手前」に立つためだけに、
なぜかずっと生かされている人間なのかもしれない。
もしまた誰かが言うだろう。
「一緒に死のう」
そのとき自分は、きっとまた同じことを言う。
「いいよ」
そしてきっと、また最後の瞬間に相手が踏みとどまる。
その帰り道で、自分はまた考える。
どうして自分は、まだ生きているんだろう。
世界はその答えを、まだ教えてくれない。




