サンドイッチデーなので、恋も具だくさんでお願いします
3月13日はサンドイッチデー。
「挟む」って、食べものの話だけじゃなくて。言葉とか、勇気とか、照れとか。二枚のパンの間に入れるものは、案外たくさんあります。
この短編は、恋の始め方が分からない女子高生が、“具だくさん”にしようとして盛大に崩し、でもそこからちゃんと前に進むお話です。
食べやすさも、食べづらさも、どちらも青春。
すきま時間に、軽く笑って、少しだけ胸があたたかくなる一切れをどうぞ。
3月13日。
黒板の隅に、美緒が勝手に書いた「サンドイッチデー!」の文字が、朝の光でやけに元気に見えた。
「ねえ結衣、知ってる? 今日、1が3に挟まれてる日だよ。3/13。ほら、見て。挟まれてる」
「……うん、数字の圧が強いね」
「圧じゃない、愛! 愛を挟め! サンド交換しよ、昼休み!」
美緒が両手をぱん、と叩いた。先生が来る前の教室はざわざわしていて、みんなの声が天井に跳ね返っている。卒業式が終わって、出席日数のための“なんとなく登校”が続くこの時期は、どこか空気が軽い。軽いのに、胸の中だけは落ち着かない。
理由は簡単だ。
結城蓮が、前の席にいるから。
彼は今、机にひじをついて、購買のシンプルなサンドイッチを見下ろしていた。透明の袋の中に、ハムとチーズが行儀よく挟まっているやつ。具が少ないほど、きれいに見えるのはずるいと思う。
(あの人、いつもあれ。ハムだけみたいな顔して、ほんとにハムだけ食べてる)
ハムだけみたいな顔って何、って自分にツッコミを入れたいのに、目が勝手に蓮の横顔に吸い寄せられる。
鼻筋がすっとしていて、目が細い。笑うとちょっとだけ目尻が下がるのに、あまり笑わない。
そのくせ、必要なときだけ、必要な言葉を落とす。落ちた言葉は、拾おうとするとすでに胸の奥に入っている。
「結衣、聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。愛を挟め、でしょ」
「そう! 恋も具だくさんでお願いします、って感じで!」
美緒が親指を立てる。
恋も具だくさんでお願いします。
その言葉が、今日の合言葉みたいに頭の中で鳴った。
(具だくさん……。つまり、工夫。努力。準備)
恋は、準備が九割だと思っている。
テストだって、運動会だって、準備した方が勝つ。恋だけ例外なわけがない。たぶん。
「じゃ、決まりね。結衣は蓮くんと交換。私は……えーと、誰でもいいや」
「軽っ」
「恋は軽快さが命!」
美緒が言い切った瞬間、担任が入ってきて、教室が一斉に座る。
私はノートを開いたふりをしながら、心の中だけで騒いだ。
(蓮と交換!? 無理。いや、無理じゃない。今日がサンドイッチデー。挟まれる日。つまり、私も挟まれに行けばいい?)
挟まれに行くって何。
でも、こういう日は勢いが大事だ。春の手前の風みたいに、ちょっとだけ背中を押してくれる日。
私はそっと、蓮の机に置かれたサンドを見た。
シンプル。食べやすい。清潔感。
私の心臓は、そこに勝手に意味を足す。
(恋も、ああいう感じがいいのかな……。いや、でも、具だくさんって言ったし)
矛盾が胸の中でふくらむ。
私は決めた。今日、私は“具だくさん”で行く。準備で勝つ。
◆
前日の夜から、私の台所は戦場だった。
冷蔵庫を開ける。卵、ツナ缶、レタス、トマト、チーズ、ハム、きゅうり。
それだけじゃ足りない気がして、照り焼きチキン用の鶏肉まで買ってしまった。恋って、食材費がかかるのかもしれない。
(蓮は甘いの苦手っぽい。だから甘くない方。しょっぱめ。あと、野菜も入れて健康に見せる。健康=好印象)
恋の好印象を、栄養バランスで取ろうとする自分が怖い。
でも、やると決めたらやる。
卵をゆでて、つぶして、マヨネーズ。塩こしょう。
ツナもマヨ。
照り焼きチキンは焦がさないように弱火。
レタスは水気を切る。トマトは薄切り。
気づいたら、皿が具材で埋まっていた。
(……これ、全部挟むの? 挟まないと“具だくさん”じゃなくなる?)
食パンを二枚。
マヨを塗って、レタス、卵、チーズ、チキン、トマト、ツナ、きゅうり。
……閉じない。
上のパンが、空中で迷子になっている。
私はパンを押さえ、具材が横から「こんにちは」し始めるのを見て、思わず声が出た。
「無理無理無理、恋、無理!」
そこへ母が台所に入ってきて、冷静に言った。
「恋してるの?」
「してない!」
「してないなら、そんなに焦らなくていいんじゃない」
母の正論が痛い。
私はラップを取り出して、ぐるぐる巻きにした。パンの端から具が出ないように、ラップで封印する。
(恋はラップで固定……いや違う。うん、違うけど、今日はこれで行く)
翌朝、私の鞄の中には、異様に厚いサンドイッチが入っていた。
重い。
恋って重い。
登校してすぐ、美緒に見せたら、彼女は腹を抱えて笑った。
「結衣! それ、恋じゃなくて“食べづらさの告白”!」
「うるさい! 具だくさんって言ったの美緒じゃん!」
「具だくさんは正義だけど、閉まらないのは事件!」
笑いながら、美緒は私のサンドをじっと見て、真顔になった。
「でも、すごい。ちゃんと考えたの、伝わる」
その一言で、胸が少しだけ温かくなった。
美緒はこういうところがずるい。軽快なのに、刺すところは刺す。
「……今日、いけるかな」
「いけるいける。パン(勇気)+具(優しさ)+ラップ(言葉)!」
「またパン理論」
「恋はパン理論!」
美緒が親指を立てる。
私は親指じゃなくて心臓が立ち上がりそうだった。
◆
昼休み。教室は小さなお祭りになった。
「ねえ、交換しよー!」
「え、手作り!? すご!」
「購買のやつでもいい? 私もう作ってない!」
机の上にサンドが並び、みんなが誰かのところへ行ったり来たりしている。
紙袋、ラップ、透明袋。
パンの匂いが教室に広がって、変な安心感がある。人間って、パンがあるとちょっと平和になる。
私は、自分の机の引き出しから“例の”サンドを取り出して、そっと膝の上に置いた。
厚みが、存在感で殴ってくる。
(落としたら終わる。落としたら恋が散らばる)
蓮は、いつも通り静かにしていた。
購買のシンプルサンドを食べている。相変わらずハムだけみたいな顔で。
(今だよね? 今しかないよね?)
立ち上がろうとした瞬間、別の女子が蓮の机に近づいた。
「蓮くん、交換しよ!」
彼女は明るい声で、可愛い紙袋を差し出した。
蓮が顔を上げる。目が少し細くなる。
「……悪い。俺、そういうの」
断ろうとした、と思う。
でも、その瞬間、美緒が背後から私の肩を掴んだ。
「結衣! 今! 行け!」
「えっ、ちょ、今じゃなく」
「今しかない! パン! 勇気!」
押された。
私は勢いで立ち上がり、膝の上のサンドを持って前へ出た。
……出た瞬間、教室の空気が、ほんの一ミリだけ静かになった気がした。
いや、気がしただけ。たぶん。
「え、結衣も蓮くん?」
「おー、きたー」
囃す声が聞こえる。耳が熱い。
私は蓮の机に向かって歩こうとした。歩こうとした、のに。
「結衣、これ落としそう!」
誰かが言った。
その声に反応して視線を下げた瞬間、私の手が滑った。
ラップの角が、するり、と。
(やだ)
サンドが、ふわっと浮く。
次の瞬間、床に落ちた。
……落ちた、というより、崩れた。
ラップがほどけて、レタスが飛び出し、トマトが転がり、卵が少しだけ潰れた。
恋が、具材になって散らばった。
教室が一瞬、しん、とした。
次の瞬間、笑い声ではなく「あっ」という声が重なった。
「大丈夫!?」
「やば、手作り……!」
私は息が止まったまま、しゃがみ込んだ。
拾わなきゃ。拾わなきゃ。
でも指が震えて、うまく掴めない。
(具だくさんにしたから……。増やしたから、崩れた)
涙が出そうになって、必死で飲み込んだ。
泣いたら、余計にみじめだ。泣いたら、具材が塩味になる。
「結衣」
美緒の声がした。
でも私は顔を上げられなかった。
「ごめん……ちょっと、外、行く」
私は拾えるだけ拾って、ぐしゃっとラップでまとめて、逃げるように教室を出た。
◆
廊下の空気は冷たかった。
春の手前の冷たさ。胸の奥まで届く冷たさ。
私は壁にもたれて、ぐしゃぐしゃのサンドを見た。
具材が、もう“きれいな断面”を作れない。
食べづらさの告白どころじゃない。告白の前に自爆だ。
(恋って、具を増やすほど崩れるの?)
そんなわけない。
分かってる。分かってるのに、胸が痛い。
「……結衣」
背後から声がした。
聞き間違えるはずがない声。
振り向くと、蓮が立っていた。
廊下の窓から入る光で、彼の輪郭が少しだけ柔らかく見えた。
「……なんで」
「美緒に言われた。『結衣がパンの海で溺れてる』って」
「なにそれ……」
私は笑いそうになって、笑えなかった。
蓮は、私の手の中のラップを見た。
「……それ」
「見ないで。最悪だから」
「最悪じゃない」
蓮が言い切った。
その言い切り方が、いつもみたいに短くて、でも妙に強かった。
「え、だって、崩れてるし……」
「崩れてても、作ったのは分かる」
私は言葉が出なかった。
蓮は一歩近づいて、私の手元を覗き込む。近い。近い。近い。
「食べたい」
「え?」
「俺、あれ、食べたい」
私は目を見開いた。
冗談? からかい? 同情?
どれも違う、みたいな顔を蓮がしている。
「でも……これ、ぐちゃぐちゃで」
「いい」
蓮はそう言って、私の手からラップをそっと取った。
そして、廊下の窓際のスペースに移動して、私が落とした具材の“残骸”を見ながら、器用に手を動かした。
レタスを戻す。
トマトを挟み直す。
飛び出した卵を、パンの間に押し戻す。
乱れたものを、乱れたまま扱わない手つき。
丁寧なのに、潔い。
「……すご」
「崩れたのを、なかったことにしないだけ」
蓮が言った。
それが、なんだか私の心にも当てはまって、息が少しだけ楽になった。
「具だくさんにしたかったんだろ」
「……うん」
「なら、いい」
「え、いいの?」
「いい」
蓮の「いい」は、いつも短い。
短いのに、勝手に胸の中で広がる。
私はようやく、少し笑えた。
「……食べづらいよ」
「食べづらいの、嫌いじゃない。ちゃんと向き合わないと食べられないから」
「なにそれ」
「今思いついた」
蓮が、少しだけ目尻を下げた。
笑った。
その笑いが、春の匂いみたいに軽かった。
◆
蓮はラップを持ったまま、私に言った。
「交換、する?」
交換。
それが急に現実味を帯びて、心臓がまた騒ぎ出す。
「……私のこれ、もう交換って言っていいのかな」
「言っていい」
蓮は自分の購買サンドを取り出して、私に差し出した。
透明袋の中の、シンプルな断面。
「俺のは具、少ないけど」
「……うん。食べやすそう」
「だろ」
蓮が少しだけ得意そうに言った。
私はそれを受け取り、袋の上からそっと押した。パンが柔らかい。
「じゃあ、これが“食べやすい恋”?」
「恋って言うな」
「言ったの蓮でしょ」
「言ってない」
「顔が言ってた」
私が言うと、蓮は目を逸らした。
その逸らし方が、さっきまでと違う。ほんの少し、照れている。
「……じゃあさ」
蓮が、ラップの上から私のサンドを持ち上げる。
「俺の足りない分、次また作って」
私は固まった。
次。
また。
それって、今日だけじゃないってこと。
今日が終わっても続くってこと。
「……次って、いつ」
「近いうち」
「曖昧」
「じゃあ、明日」
「明日!?」
私は声が裏返った。廊下に響いて、慌てて口を押さえる。
蓮が、少し笑った。
「無理なら、いつでもいい」
その言い方が、ずるい。
無理って言えないような優しさで、でも逃がさない。
「……明日、作る」
私が小さく言うと、蓮は「うん」とだけ返した。
短い。
でも、その短さが、嬉しかった。
その瞬間、廊下の向こうから美緒が顔を出した。
「おっ、結衣! 生きてる! そして挟まれてる!」
「挟まれてない!」
「挟まれてるよ! 3と3に挟まれてる1みたいに!」
「例えが数字だけ!」
美緒が笑いながら去っていく。
蓮が、私に視線を戻す。
「……あいつ、すごいな」
「美緒は、パン理論で世界を救うタイプ」
「パン理論って何だよ」
「私にも分からない」
二人で小さく笑った。
笑いが同じタイミングで出たのが、嬉しかった。
◆
教室に戻ると、みんながまだサンド交換を続けていた。
私が入った瞬間、何人かが「おかえり!」と声をかけてくれた。冷やかしの声もあるけど、不思議と嫌じゃない。
私は席に戻り、蓮は自分の席へ戻る。
蓮は私の“ぐちゃぐちゃサンド”を普通に食べ始めた。
……普通に。
それが衝撃だった。
(ほんとに食べてる……。え、恥ずかしい。いや、嬉しい。恥ずかしい。嬉しい)
心の中が具だくさんで閉まらない。
私は受け取った購買サンドを見つめた。透明な袋の向こうの、シンプルな断面。
(食べやすいって、優しいんだ)
派手じゃなくて、安心できる。
無理しないで、ちゃんと食べられる。
私は袋を開けて、一口食べた。
ハムとチーズが、ちゃんとそこにある。
少ないのに、足りる。
目の前で蓮が、私のサンドの一口目を食べて、少しだけ眉を寄せた。
「……具、多い」
「言ったじゃん!」
「でも」
蓮が、もぐもぐしながら、続けた。
「嫌じゃない」
私は一瞬、呼吸を忘れた。
言葉が短いのに、胸の中にずっと残る。
放課後。
机を片付けながら、美緒が私の机に肘をついた。
「どうだった? 具だくさんの恋」
「……崩れた」
「崩れたね」
「でも、拾ってくれた」
「でしょ。具が多いほどいいんじゃないの。具を“分けられる相手”がいると強いの」
美緒がさらっと言って、机の上のゴミをまとめる。
言ってることが、急に大人みたいで、私は少しだけ目が熱くなった。
「美緒、たまに刺すよね」
「私、基本優しいから」
「基本はうるさい」
「うるさいのも優しさ!」
美緒が笑って、私の肩を軽く叩いた。
そのとき、スマホが震えた。
画面を見る。蓮からのメッセージ。
『次は甘くないやつで。あと、名前で呼んで』
私は固まった。
名前で呼んで。
それって、距離が変わるってことだ。
(結城蓮、って呼ぶの? 蓮、って呼ぶの? 無理。いや、無理じゃない。明日だし)
胸の中がまた騒ぎ出す。
私はスマホを抱えるみたいにして、息を吐いた。
廊下の窓から、春の手前の風が吹き込んで、髪が少し揺れた。
結び直そうとして、やめた。今日は、直さない。
(恋は具だくさん。……でも、閉じるのは二人でいい)
私は小さく笑って、返信を打った。
『了解。明日、作る。……蓮』
送信。
たった二文字で、心臓が一段跳ねた。
3月13日。
数字に挟まれた一日が、私の中では、ちゃんと春の形をして残った。
崩れた断面でも、気持ちは残る。
それを知っただけで、今日は十分、具だくさんだった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
「具だくさん」は、足せば足すほど正解になる魔法みたいに見えます。
でも実際は、足した分だけ崩れやすくて、持ち方も難しくて、食べ方にもコツがいる。恋もきっと同じで、頑張りの量だけうまくいくわけじゃない。けれど“崩れたあと”にどうするかで、ちゃんと前に進める。
落としてしまったサンドを「食べたい」と言ってくれる人がいる。
その一言は、派手な告白よりずっと強い時があります。
あなたの春にも、食べやすさと、ちょっと食べづらい可笑しさが、ちょうどよく挟まっていますように。




