第八章 休息の時
パールが産気づいたのはトリーニの物見処の北に位置するニケの森の中である。一平は使役魚で連絡を入れ、物見処から騎イルカを呼んでパールと赤ん坊を一旦物見処に運び入れた後、トリリトンに移送した。
前回と同じくガラリアは追いかけてはこない。
怒り心頭に発している一平としてはとんぼ返りで支度を整え、ガラティスを討ち取りたいところだが、やはり同じくオスカーからの許可は下りなかった。
オスカーとてガラリアをこのままにしておくつもりはさらさらないが、戦になれば多くの人命を失う。慎重に事を運ぶ必要があった。そして事を公にすればパールにも傷がつく。傷物にされた王女という烙印を終生背負わされることになる。ガラティスは音に聞こえた好色王。相手が悪かった。
レレスクのロトー王も同様であったが、こちらはまだ手順を踏んでいる。癒しの力を正式に求め、断られた上での思い余っての凶行ということもでき、声明も発表されている。
が、ガラティスはレレスクが最低限行ったこれらのことをひとつも実施していない。非合法な手段で度々パールを攫い、破廉恥な振る舞いに及んでいるくせに、こちらの正式な追求には知らぬ存ぜぬである。
攫われた当人が帰還しているので起こそうと思えば訴訟を起こせるのだ。しかも前回は一平という証人までいた。事が事だけに公にはできまいと、高を括ってこちらを侮っているのだ。
そして打つ手をじっくりと練っているのだった。
だがその期間は一平らにとっては休息の時であった。
何と言っても待望の我が子が生まれたのである。
母親であるパールが元来病弱であったにも拘らず、生まれた男児は健康であった。取り上げたのが何の経験もない一平だったのに、パールの指示が適切だったのか問題となることは何一つとしてなかった。毎日元気な泣き声を響かせて、侍女たちを右往左往させ、これまで以上に右宮を賑やかで活気あるものにしてくれていた。
パールの産後の肥立ちもまあまあで、乳の出もよかった。
全体的に小柄で華奢、胸も扁平と言えるほどに小さかったが、乳の出には何の関係もないようだった。むしろ巨乳の女性の方が脂肪の蓄えが多く見掛け倒しの傾向があると言えた。
自分の赤ん坊がうくんうくんと音にならない音を立てて乳を飲む様は、パールには堪えられないひとときだった。己の胸の貧弱さを密かに気に病んでいたパールは、これで本当にお乳が出るのか、本当のところものすごく心配していたのだ。出産が間近になった頃には信じられないくらい乳も膨らんできてはいたが、それでも他の女性たちから比べれば大きいとは言えないほど大したことはなかったので。
誰より喜んでほしい一平には面と向かっては何も言われない。そういう下世話な話は苦手なのだ。心の中では大きくなったなと思っていても、恥ずかしいのと却ってパールを傷つけるのでは、との懸念から、口には出せないのだった。
赤ん坊が妻の乳を口に含んでいるのを見て、微笑ましいと思う反面、恋人を盗られたような気持ちにもなり、心中複雑だったが、これもまた口には上せられなかった。
パールが何かにつけて『一平ちゃんの赤ちゃん』と言うので、その度こそばゆく、また自分では痛い思いをして生んだわけではない男の一平には不思議な感じがして仕方がないのだった。だが、アスランの容貌は紛れもなく自分とパールの両方の特徴を併せ持つもので、何より烏のような黒い髪が、一平の子であることを物語っていた。
目は青で、これはパールの因子をそのまま受け継いだらしい。海の青とも空の青とも違う、深くて明るくて、吸い込まれそうな不可思議な色合いをしていて、このために一平にはアスランがパールの生まれ変わりのようにそっくりに見えるのだった。
パールはパールで一平の子を産んだと言う事がよほど嬉しいのか、アスランは一平の方にこそそっくりだと公言して譲らない。
自分の弱い因子が出ないよう、食べ物にも気を遣い、まずは丈夫で元気な子に育つよう、パールは努力を惜しまなかった。
だからと言って赤ん坊にかまけて夫を蔑ろにするわけではなく、最愛の我が子が生まれて尚、パールにとっての一番は一平であるようだった。アスランの世話をする時には可能な限り一平を引き摺り込み、眠っている間は一平に安らぎを求め続けた。
産後一ヶ月を過ぎてからは徐々にお医師としての仕事も入るようになり、体力的にも、妊娠前に比べてもかなり丈夫になっていた。
パール曰く、アスランの世話もお医師の仕事も『楽しくて仕方ない』のだそうだ。
「大丈夫か?」
一平は度々パールに尋ねる。特に施術のあった日は心配だ。パールの体力の消耗が。
「うん。ありがとう。ちょっとお乳が張っちゃってるけど、あとは平気」
「そ…そうか…」
「アスランにお乳あげてくるね」
そう言って別室に向かうパールを見るともなしに眺め、母親なんだなあ、と実感する。
パールは成人する前から言っていた。早く大人になって赤ちゃんをいっぱい生みたいと。流石にそれがどれだけ大変な仕事なのか当時はわかっていなかったにしても、後日聞いたところによると、想定されていた赤ちゃんの父親は当時から一平ひとりに限られていたらしい。
出会って随分経ってから自分の気持ちを自覚したとは言え、出会ってすぐ『かわいい』と思い、守ってやらねばと奔走し、パールを失うことを何より恐れた一平とは、会いしなから相思相愛であったのだ。六年近くも一緒にいて、結ばれたのは僅かに七ヶ月前のことであり、子宝を得てやっと家族らしくなってきた自分たちを感慨深げに振り返った。
ふと、母もこうして育ててくれたのだろうか、と思う。
アスランのように母乳を飲んでいたのか、或いは人工のミルクを与えられていたのか、記憶として持っている人はまずいまいが、あのように母の胸に抱かれていたのならいいな、とほんのり思う。
それにしても、地上の日本という国の住人であるさよ子は、素性もわからぬ漂流者の父をどういう思いで見ていたのだろう。
きっとはじめのうちは記憶をなくした異邦人への同情だったろう。自分の名も故国も言葉もわからず途方に暮れる父に優しく接してくれたのが母だったのだ、きっと。
六歳の時に死に別れた一平には母の記憶はあまりないが、時折父や伯母のさえ子が語る言葉の中に、心根の優しい女性でありながら、自分の信ずるところには突拍子もないことでも貫く意志の強さを持っていたのだと匂わせる節があった。
おや、と一平は思った。
パールに似てはいないか、と。
純粋無垢と言えるまでに穢れのない魂から発されるパールの優しい慈愛に満ちた心は今や誰もが認めるところだ。ちょっと力を加えれば折れてしまいそうなか弱さを表出しているくせに、芯はとても強いところがある。こうと決めたら梃子でも動かない一種わがままとも言える強情さは、身内の人間にしか実感できないかと思いきや、施術の現場ではごく普通に目にし、耳にすることができるのだという。善人悪人を問わず、人の身体と心が傷付くのを見過ごせない性分ゆえに、パールはその意思を通そうとするのだ。
図らずもパールに母との共通点を見つけて、人の縁の妙を感ずる一平であった。
一方、自分はどうなのだろう?父に似ているところはあるだろうか。あの、崇拝してやまない父に…。
父を知るオスカーやミカエラには勿論外見の相似を指摘されてはいる。だがその中身は自分では判断できる代物ではないようだ。子どもだった一平からは父は大きく逞しく偉大に見え、守人となった今現在であっても自分を過大評価できない一平には、遠く足元にも及ばない気がする。年齢とて、日本育ちの一平にしてみれば自分はまだ未成年の域を出ないのだ。
漁師仲間の奥さん連中には、見目もよいのでよくからかわれて肴にされていたので、女性のあしらいの下手なのだけは似ているかな、と思う一平である。双方共にもてるからなのだが、自分が女性に人気があるということにはいつになっても思い及ばない無自覚な朴念仁なのだ。
記憶に残る父は漁師仲間と船に乗り、生き生きとして男らしい海の男であり、陸にいる時は一平とよく遊んでくれ、それでいて生活に関しては厳しかった。二人で家事を分担するのは勿論、姿勢が良いというのか曲がったことが嫌いというのか、自分の犯した過ちであれば、我が子に対しても平身低頭して謝ったりもできるのだ。そんな父が一平は大好きだった。
そして父親となった今、アスランに何をしてやれるだろうかと考える。
今はまだ、母親をこそ一番に必要とする時期だろう。海人ではオムツを替える必要もないし、当然授乳も不可能だ。泣くのをあやすぐらいしかできることはなかった。もう少し大きくなって動き始めたら精一杯一緒に遊んでやろうと一平は思った。父が幼い自分にしてくれたように。
アスランの誕生を心から喜んだのはパールと一平だけではない。オスカーとシルヴィアにとっては初孫であるので、勿論我がことのように喜んだが、キンタにとってもかわいい甥っ子である。身内は当然としても、国外からも喜びの声が届けられ、これにも一平は驚いていた。
アスランが生まれて一ヶ月半ほど過ぎた頃、トリリトンの右宮を客人が訪れたのだ。
思いがけぬ人の来訪を告げられて右宮の謁見室に足を踏み入れたパールは開口一番叫んだ。
「エメロードさま!」
訪問者はテトラーダの皇女エメロード姫であった。ピピアナリアムで引き離されて以来の再会だ。パールは喜色を満面に浮かべ、エメロードに泳ぎ寄った。
「よくおいでくださいました。遠い所を私たちのために…。本当に嬉しいですわ」
右宮の謁見室も公共の場である。親友とも言える相手にもパールは表向きの言葉遣いで接したが、エメロードはすぐに態度を崩してきた。公式と言っても、この場には二人の他には一平とブルッフぐらいしかいなかったからだ。
「他でもないパール、あなたのことですもの。何を置いても一番先にに伺いたいと思っていたの」
「そんな…エメロードさまもお忙しいのに…。巫女修行に入られたとお聞きしましたわ。大変なのではなくて?あんなに嫌がっていらしたのにどうして…」
傍らで黙って聞いていた一平は、はっと真顔になった。パールの口にした一言に引っ掛かるものを感じたのだ。
(嫌がっていた?巫女になることをか?)
「バレてしまったのですもの。仕方がないわ。でも今のところまんざらでもなくてよ」
(バレてしまった?いや、あの時は確か…)
エメロードは自らラムス陛下にオーラが見えることを明かしたはずだ。何かおかしい。この話ぶりは、エメロードが巫女修行を厭っていた節を窺わせる。
「政治の裏側のことも教えてもらえるし…結構楽しんでやっているわ」
「でも…」
「それよりも、早く見せて。お二人の赤さまを。私、とても楽しみにしてきたのよ」
―話を逸らした―
一平はそう感じた。何か訳があるのだ。今追求するのは適切ではない。
一平の思いをよそに、パールは顔を輝かせて応える。
「ええ、勿論。きっとアスランも喜ぶわ」
「アスラン、というのね。お名前は。男の子と伺っているけれど」
「ええ。一平ちゃんにそっくりなのよ」
それが一番の自慢だ、とばかりにパールは満面に笑みを浮かべる。
エメロードを案内し、自室の隣にある子ども部屋へと招じ入れた。
アスランは小さなアコヤガイ―と言っても大人用の寝台に比べれば、だが―に横になり、すやすやと寝息を立てていた。
「まあ、かわいい」とか「黒髪はお父様譲りなのね」とか「私も抱っこしてみたいわ」とか、ひとしきり赤ん坊の品定めにはしゃいでいると、騒々しいと感じたのか、アスランは眉間に皺を寄せてぐずり泣きを始めた。
「あらあら、泣いてしまったわ。お腹がすいたのね」
母親は泣き方一つで我が子の心がわかるのか、と一平はいつも感心する。それともこれは他種族の言葉を解するパール故の能力なのか。
「ちょっと…いいかしら。お乳をやってきても」.
授乳のためにパールは席を外した。隣接する小部屋へと、アスランを伴って姿を消した。
パールの姿が見えなくなると、一平は改めてエメロードに向き直り、声を発した。
「エメロード姫。お訊きしてもよろしいだろうか」
「え?」振り返って応えたエメロードは静かな笑顔で訊き返した。「何ですの?」
少々躊躇い、それでも一平は切り出した。
「巫女修行のことだが…姫は巫女になるのはお嫌だったのか?」
そう訊かれることを予期していたかのように、エメロードは驚いた様子を見せなかった。数秒瞑目し、彼女は答えた。
「パールの言った通り。パールに話した通りよ」
「では…先日姫が申し出てくださったあれは…姫の本意ではないと?我々のために信念を抂げて下されたのだろうか?」
「そうではないわ」
重ねられた一平の問いにエメロードはきっぱりと告げた。「私がそうしたかったのよ。パールのために何かしたかった。できるだけのことを。それだけよ。一平さまが気に病むことではないわ」
エメロードは何も気にすることはないと言う。
何も気づくことができなかった一平は申し訳なさに頭を下げた。
「忝い…。どのように礼を言ったらよいか…。姫の犠牲とご好意に対し、我々はどう報いたらよいのだろうか?」
「犠牲ではないと申し上げているわ。あなたは私の望み通り、パールを無事救い出してくれた。しかもあのようにかわいい赤さまを見せてくださった。それで十分なのよ」
「姫…」
思いやりのこもったエメロードの言葉が一平の胸を打つ。申し訳なさと有り難さに胸が塞がれる思いがした。
「そんな顔はやめて。パールに気づかれてしまうわ。…勿論、黙っていてくれるのでしょう?だからパールが座を外している間に確かめた‥」
そう。負い目を感じるのは自分一人で十分だ。パールには何も告げるつもりはなかった。
「あなたには頭が上がらなくなってしまったな。テトラーダに対してもだが」
「うふ」眉尻を下げて恐縮する一平を面白そうに眺め、エメロードは言った。「なら、大いに利用させてもらわなくてはね。覚悟しておいてちょうだい」
一平はどこか懐かしい気分になり、穏やかに微笑んだ。
「それはそうと、トリトニアはいかが?このところ地震が多発しているでしょう?レレスクでも西部の方ではかなり揺れたそうよ」
エメロードの切り出した話は一平も気になっていたことだ。 最近地震が頻発しているのだ。
トリトニアの北部には火山郡がある。ガラリアとの国境線がちょうどその火山に相当する。急峻な山並みがポセイドニアの海底深くその威容を聳え立たせている。
その中でも一番踏破しやすいと言われるグレイ山の麓にトリーニはある。ガラリアへ向かう隊商も使節団も皆このグレイ山を通過して入国するのだ。旅人にとっては物資を補給する最終地点になるため、辺境とはいえそれなりに栄えている。
ペニーノが建設の指揮を執った物見処は特にグレイ山に近く、表向きの気候観測所の役目の中でも火山活動の監視を最重要事項としている。その物見処から、近辺の山々の火山活動が活発化しているという報告が届けられていた。
それを裏付けるように、度々大小の地震が起こっており、人々の不安を煽っていた。
海の中では物が落ちてきたり建物が倒壊したり火事になったりという心配はさほどないが、噴火が起これば溶岩は流れ出るわ灼熱の瓦礫は流れてくるわで、地形が変わったり、珊瑚で組み上げた建物が崩れたりするので、命を落とす危険が発生する。何万度という熱をも生じるため、水温差で異常な海流が湧き起こり、渦巻きとなって人々を巻き上げ翻弄することもある。
地震はその前兆でもあるので軽視できないのだ。
ガラリアの隣国のレレスクでも結構揺れたとなると、火山のお膝元のガラリアではさぞかし大変だったことだろう。
あの後何の手も打ってこないのは、その辺の事情も関係しているのだろうと思われた。
「トリリトンはそうでもないのだが…やはり北部のトリーニなどではかなり頻繁で困っているようです。だがこればかりは自然の災害なのでどうしようもない。各自備えを見直し、気を配って注意するよう喚起するのが関の山だ」
「そうでしょうね…」
一平のぼやきにエメロードも処し方なしと頷いた。
「何かいい方策はないだろうか?テトラーダも東部に山脈を抱え持っていると聞いているが。地震や噴火を止めることはできないにしても、予知して避難するシステムとか…」
一平の頭の中には日本の地震予知システムがあった。
計測による変化で、大きな地震の起こる可能性が高くなるとテレビ等で緊急に情報が発信されるあれだ。
だがトリトニアにはテレビなどない。計測に必要な機器など基本的にはない世界だ。どうにかして国民皆に危険を知らせる方法がないだろうかと一平は考えあぐねている。
「力のある者ならば予知も可能ですけれどね。他でもない巫女はそういうことのためにいるのですから」
「なるほど…」
「でも皆に等し並に伝えるというのは難しいですわね。それも緊急を要することなのなら特に…。トリトニアにはそういう方はいらっしゃらないの?」
「それは…」
いないことはない、と一平は思う。他でもない、パールがそうど。彼女の中には確かにそういう力が存在する。だが、発揮されるのは稀で、しかも不確かだ。裏付けが取れたことはない。一平がそうではないかと思っているだけだ。
王宮専任の占者はいるが、予知とは程遠い気がする。
「トリトニアの神官はトリトン神の声を聞くと言われていますが、曖昧な表現が多く、読み解くのが難しいのです。噴火が起きることを少しでも早く察知したいのですがなかなか…。テトラーダは恵まれていますね。あなたのような方がいて」
「あら。私なんかまだまだよ。予知で公的に貢献したことなんかありませんもの」
謙遜しながらエメロードは以前とんでもない光景を事前に見ていたことを思い出していた。
あれはおそらく予知だった。でも、確かめることはできない。 当のパールにも、一平にも、詳しく話して真偽を問うことのできる内容ではなかった。
これから起こることを察していながら何も役立てることができなかった。
それでは何のための予知だろう。何のための力なのか。
これで本当に国のために役に立てるのだろうか。
自分が巫女になった意味はあるのだろうか。
そしてもうひとつのビジョン―。
あまりにも哀しく美しく、そして不吉な…。
そのこともエメロードは誰にも告げられない。
一平には話した方がいいだろうか?
さっきの地震の話ではないが、注意を喚起させるために。
この、大柄で逞しく、且つ心の広く細やかなパールの夫に覚悟を決めさせるために。
そう考えるエメロードは少々上の空になっていたが、同じくパールの予知のことに思い及んでいた一平にはエメロードの様子の変化に気づくことができなかった。
一平はパールの力のことをエメロードに相談すべきかどうか迷っていたのだ。
「エメロード姫…」
意を決したように顔を上げ、一平は問うた。
「姫のお考えを聞かせてはもらえまいか。巫女のあなたに窺うのが一番よいようにオレには思える」
「この後噴火が起きるかどうかを?」
或いはその時期を予測して欲しいのかとエメロードは受け取った。
「いや…。パールのことだ。オレは…あいつには未来を予知する力があると思うのだ」
どう話したものかと少し間を置き、一平は続けた。
「トリトニアを目指して旅をしている途上にこういうことがあった。パールはまだ幼魚だったが、恐ろしい噴火の夢を見て目を覚ましたのだ。その時、パールはこう言っていた。海の山が火を噴く、と。海の水が変なふうに揺れて多くの人が泣き叫んでいて…。慰めるために歌を歌いたかったができなかった、と。オレがそばにいないから歌えなかった、と…」
最後のくだりを言うのは照れ臭かったので歯切れが悪かったが言ってのけた。
「まあ…」
「これは…予知ではないのだろうか?その後まもなく、オレたちの進路上だったはずの場所の海底火山が噴火したのだ」
身体中がゾッとしたその時のことはありありと思い出せる。一平はしばし押し黙った。
「それは…お二人が二人きりで旅していた時の話なのね?」
「ああ」
疑問の点を確認するとエメロードは小首を傾げ、語り始めた。
「それでは少し…辻褄の合わないところがあるわね。…多くの人が泣き叫んで、ということは事実としてはなかったでしょう?それに、一平さまはいつもパールのそばにいたのではなくて?だとしたら一平さまがいないから歌えない、というのも変よね」
「そうだな…」
「私は…むしろ、それはこれからのことではないかと思うわ。こんなご時世でもおるし…」
「では姫は…姫もやはり…パールの見る夢はただの夢ではないとお思いか?」
「そうね…少し前ならばいざ知らず、今となっては…」
「…?…」
エメロードが何をを言いたいのかわからず、一平は首を捻った。
「私はね…本当の本当にパールが大好きなの。一平さまとパールの馴れ初めを耳にして、是非にもとお祝いのお使者に立たせてもらったけれど、彼女に会ってみて私は確信したわ。私はパールと縁を結ぶためにトリリトンに呼ばれたのだと」
「……」
「つまり、運命なのだと思ったわけよ。私とパールの邂逅は。同じような生まれ、同じような波長。同じような力を持つ者同士が相引き合ったのだと」
「……」
「だからパールがそういう力を持っていたとしても、私はちっとも驚かないわ」
「姫…」
「勿論、ただの直感。私がそう感じるというだけのことよ。でも、それでよろしいのでしょう?一平さまのお望みの答えは?」
『エメロードの考え』を聞かせてくれと一平は言ったのだ。
「勿論だ。目から鱗が落ちるようだ。本当にオレは…地上生まれのせいか皆と受け止め方がずれていて困るのだ。おかげでしっくりきた。感謝申し上げる」
「ま…」
いつも立派な立ち居振る舞いの一平が呆気にとられ、次いで悩みを抱えているような様子を見せたことにおかしみを感じ、エメロードは微笑んだ。
「何にしろ、お役に立ったのなら嬉しいわ」
「本当に、姫には助けられてばかりだ。パールのことも‥末永く仲良くしてやってほしい。あいつには…あれだけの人徳がありながら心を割って話せる友というものが極端に少ないのだ」
幼い頃は病弱ゆえ、友達が恋しい時期には故郷を遠く離れ、帰国してからはその身分と異能ゆえに。
その中でも親友と呼べた『影』のニーナは既に亡い。翼とは死に別れ、学とも生き別れだ。近づいてくるのは欲得づくのシェリトリや嫉妬も見苦しいエスメラルダ等、ろくな奴ではない。つくづく友達運のない娘だ、と一平は嘆いていた。
「でもその分、こんなに大切に思ってくれる旦那様を得たのですもの。パールはポセイドニア一の幸せ者ですわ。羨ましい」
エメロードの賛辞は一平の心を温め、雲の上をふわふわ歩いているような浮かれた気分を引き起こした。
「本当にそうなら…いいのだが…」
幾分頬を赤らめながら、一平は答えていた。




