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第七章 出産

 その頃一平は白の剣の聖廟からトリーニの物見処近辺の森に移動していた。

 ケルプの隙間からは時々ガラリア城が垣間見える。目指すパールの元まであとほんの僅かだ。ここまで近くに出られるとは思わなかった。

(パール…。今行く。…待っていてくれ…)

 着の身着のまま…とはいえ背中には大剣、腰には青の剣を提げている。

 一平は地を蹴った。

 方策などない。策を弄している時間などないのだ。一刻も早く城に着いて面と向かって乗り込んでゆくつもりだった。パールの元へ辿り着くまでにどんなに人死にが出ようと、自分がどんなに傷だらけになろうと、まずはパールを確保する。その意気込みだけが一平を突き動かしている。

 見え隠れするガラリア城を見据え、速度を上げた途端、一平の目の前で何かが光った。


 おや、と見る間に光はどんどん大きくなり、眩しくなり、そして人形(ひとがた)となって一平に突進してきた。

「え?…」

 避けようとして、一瞬躊躇った。人形に見覚えがあったからだ。

 そう思った時、光は唐突に消えた。一平の手元に降ってきたのはパールだった。

「パール⁈」

 パールは意識もなくぐったりしているのではなかった。自分の意志を持って一平を一平として認識して飛び込んできたのだ。その証拠にパールの両腕は一平の首にしっかりと回されている。

「…一平ちゃん…。一平ちゃん…一平ちゃん…」


 何度も何度も一平の名を呼ぶ。ぎゅっとしがみつかれて、条件反射のように一平はパールの身体を抱き締めた。

(パール…)

 なぜ、ここに?一体どうやって?これはガラティスの元から自力で逃げてきたと言ってよいのだろうか。

「…一平ちゃんだよね?本当に、本当の、一平ちゃん?」

 パールが尋ねる。

「それはこっちの台詞だ。本当にパールなのか⁈一平どうやってここへ?」

「わかんない…。パール、一平ちゃんの所に帰りたいって思っただけ。うんと強く。でもそれでガラティスさまの所から出られたのなら、ピピア女神さまのお力だとしか思えない」


 ピピア女神の力だとパールは言うが、一平にはそうは思えない。

 これはパールの力だ。パールの身の裡に培われている力だ。

 一平は知っている。何度もこういうことはあったではないか。

 あの二人きりの旅の途中、幾度も、幾度も…。

 もうだめだと思った時、一平を救ってくれたのはパールだった。非力で庇ってもらうしかないように見えるのに、いざとなると思ってもみない力が彼女に宿る。

 でも、それをパールは制御できない。自由自在には使えない。パールは万能ではない。



 パールの意見を心の内では否定しながら一平は言う。

「そうだな。きっとピピア女神がおまえの強い願いに応えてくれたんだ」

「うん」

 賛同してもらえたパールは心からの笑みを浮かべた。

 が、急に真顔になる。何かおかしい、という表情だ。

「どうした?」

「ん…」

「え?」

 どう見ても苦しそうな顔だった。

「あ……」

 眉を顰め、何かを堪えている。

 ―痛み?―

 嫌な予感が頭を掠める。

「痛いのか?どこか痛いのか、パール?」

 だとしたら大変だ。今のパールは妊婦だ。しかも既に臨月。

「お腹が…」

 冗談じゃない。ここは王宮でも診療所でもない。ただの森の中だ。そしてガラリアに近すぎる。一平の使用してきた点繋道は発見されたばかりでまだ不安定。一方通行しかできないのでトリリトンには帰れない。


 動揺する一平に追い討ちをかけるようなことをパールは言う。

「‥生まれそう…」

(なんだってぇっ⁈)

 顎が外れそうなほど驚いた。

 なんだってこんな時に…。こんな所で…。

 どうしたらいいのかわからなくて頭が真っ白になった。さっきまで気炎を上げていた人物と同じ人間とは思えない。

 こればっかりは専門外だ。出産する妊婦と二人きりで、お医師でも経産婦でもない、赤ん坊の世話すらしたことがない一平に、一体どうしろと言うのか。



(あんまりだ…)

 愛する妻が自分の子を産むと言うのだ。嬉しくないはずがない。だがこの場合、嬉しいなどと言う感情は小指の先ほども湧き上がってはこなかった。

「ど…どう……」

 どもった挙句に言葉を失った。

 苦しい中から一平の狼狽を見てとったパールは痛みの波が収まると言った。

「一平ちゃん…。ごめんね、そんなに困らなくていいよ。パール、大丈夫だから。…ちゃんと、婆さまに手順も注意することも教わってるから…。それに何度も出産の手伝いしたことあるし。大体わかるから…。ひとりでも産めるよ」

「そ…そうなのか?…」

 お医師としての力量なら癒しの姫のパールの右に出る者などいない。経験も、年齢の割には積んでいる。こっちがおたおたするほどのことでもないのかもしれない、と一平は少しだけ安堵する。


「うん。でも…ひとりではできないこともあるの。手伝ってもらわなくちゃ大変なことも…」

「あ…ああ…」

 それではやはり、あっちで待ってる、というわけにはいかないのだ。

「何を…すればいいんだ?オレにできることか?」

「赤ちゃんが‥出てきたらとりあげて。頭から出てくるから、受け止めて抱いてあげて」

「あ…ああ…。わかった…」

 そのくらいならできそうだ。

「それで…繋がってる臍帯を切ってほしいの」

「臍帯…臍の緒か…。青の剣と大剣しかないが…」

「何でもいいよ。大丈夫。…それから…」

 まだあるのか、とびびる一平にパールは乞うような眼差しを向ける。

「…手を…握ってて…。パールの…そばにいて…」

 言われて一平は目を瞠いた。そして優しく細める。

「もちろんだ…お安い御用さ…」



 とは言え…。手を握っているだけ、と言うのもなかなか精神力のいるものだった。頑張れと励ますだけで、何の助けにもなっていないような罪悪感に駆られる。自分の引き起こしたことの結果なのがわかっているから余計だ。何より大事なパールを苦しめることになるなんて…。

(これじゃあ、同じだ…あの…大変態の時と…)

 迷い込んだリリの森で、一生一度の大変態を迎えることになってしまったあの時、その場に居合わせたのに一平は何もしてやれなかった。痛みを和らげることも、王宮に連れ帰ることも…。


 パールの陣痛は時を経るに従って間隔が短く、そして収縮そのものの時間は長くなっていった。声を出さなければ堪えきれないほどに出産時の陣痛は激しく苦しいものだとは聞いていたが、間近に初めてそれを見る一平にとっては非常に衝撃的であった。

 それは永遠に続くかと思われたがやがて終わりの時はやってきた。

 一際高く大きな呻き声と共に現れた赤ん坊の身体を、一平は敬虔な気持ちで見つめていた。出てきたら取り上げて、と言われたことを忘れるほどに。


 不思議で、一種異様で、それでいて厳かだった。

 臍帯の先に揺らぐ赤ん坊は糸に繋がれた風船のように頼りなかった。一平はそっと両手で掬い上げるとまだ目も開かぬその顔を見下ろした。視線を下に転じると、そこには男女の別を判別するものがついていた。

「…一平…ちゃん…」

(…そうだった…)

 パールに促されて、ぼーっと見ていた一平は慌てて動いた。

 もうパールはそれほどの大声も、力のこもった呻き声もあげなかった。何度かいきむと全てが出た。大きな長い息を吐いてパールは脱力した。


「ご苦労様。…よく頑張った。…女の人は偉いな…。ありがとう、パール…」

 一平の労いの言葉にパールは目を開けた。

「…どっち?一平ちゃん…」

 男なのか女なのかをパールは知りたいらしい。

「男の子だよ。髪の毛も生えてる。…黒…みたいだな」

「そうなの…。ね、臍帯を切ったらパールにも見せて」

 言われて一平は忘れていたことを思い出した。そうだったそうだった、と赤ん坊を一旦置き、背中の大剣を引き抜いた。

 パールに場所の指示を受けながら切り離すと、再び剣を収めて赤ん坊を抱き上げる。

 パールに見えるようにしたら泣き声を上げた。第一声だ。元気な産声だった。

「あーあ、泣いちゃった。パールより泣き虫ね、アスランは」

「当たり前だろ。…ん?アスラン?」

 パールはもう赤ん坊を名前で呼んでいる。


「そう、アスラン。もう決めてあるって言ったでしょ⁈」

 結婚する前の話だ、それは。もう名前決めてあるの、と一方的に言われてかなり面食らったことを一平は懐かしく思い出した。

「明日の希望、っていう、意味だよ。ステキでしょ?」

 日本育ちの一平に否やのあろうはずもない。ああ、と頷いた。

「いい名をもらったな。アスラン」

 一平は赤ん坊に向かって呼び掛けた。

 後産で体力を使い果たしたのか、パールは深い眠りに入った。アスランもひとしきり泣いたら疲れたらしく、一平の腕の中ですやすやと寝息を立て始めた。

「…アスランか…オレの子なんだな。本当に…」

 じわじわと染み出してくる幸せに、一平はしばしの間酔っていた。


 

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