第二章 カミーラの徴
一平は再び謁見室に引き出されていた。
「オレに何の用がある?」
無愛想に尋ねた。対するガラティスは普通にしていてもにやけた顔だ。
「なに、奥方をお返ししようと言うだけのこと」
「何?」
訝しげに一平が眉を顰める。返す素振りなど少しも見せなかったくせに、一体どういうつもりなのだろう。
「そちらの姫どのはわしではお気に召さぬようだからな」
(当たり前だ!)
一平は心の中で嘯いた。
「あらゆる手段を用いたが、どうしても最後の一線を超えさせてはくれなかった」
(なんだと?)
一平の柳眉が立つ。
「魔法でもかけてあるのか?いかにしても開かなかったぞ」
「…貴様…」
一平はガラティスを睨め付ける。そういう話は聞きたくない。既に聞かされてはいたが、だからといって繰り返されるのも胸が疼く。
「徴が見たいと思うてな。あれの時に現れると言う徴をな」
あれ、の一語を強調しつつ、ガラティスは続けた。
「徴だと?」
やはりそういうことか。予想が当たったことに合点する一方、素知らぬ態であちらの本心を探り当てる方がよいと頭が回る。
「そう、カミーラの徴。そちらの姫の額に出現するそうではないか」
「なぜそんなことを?」
『何故そんなことを知っている?』とは一平は聞かない。徴の存在を認めることになるからだ。
「わがガラリアがどういう国か、何が主要産業なのか忘れたのかね?」
やはり魔術を使って覗き見をしたのだ。一平は自分の全身から怒りの炎が発されるのを自覚した。
(どいつもこいつも…どうしてそうオレの秘め事を暴きたがる⁉︎)
「知らぬと言うなら教えて差し上げよう」
ガラティスは構わず続ける。
「『無垢なる瞳持てし珊瑚姫
その魂以て我らに勇者遣わしめ
海人の守りとならしめり
勇者によりて至福へと導かれし時
徴生まれ出で
秘宝によりて人々を遍く癒さんとす』
『珊瑚姫』これはそちらの姫のことだ。そして『勇者』はおぬし。おぬしに抱かれてエクスタシーを感じた時に、姫の身体に『秘宝』を導く『徴』が現れる、という意味の伝説じゃ。そう言えば、わかってもらえるかな」
少し前、ザザ婆が言ったのと同じことをガラティスは言った。
「だから何だ?」
「おや。思いの外、頭の巡りは悪いとみえる。身体はでかいがウドの大木ではないと感心しておったのに」
「オレは別にできた人間というわけではないぞ。このような未熟者をよくぞトリトン神は守人の座に据えてくれたものだと、いまだに信じられないくらいなのだからな。のらりくらりと言い逃れ、引き延ばされれば短慮を起こさぬとも限らない。単刀直入に言うがいい」
虜囚の分際で一平は脅しをかけている。身の程知らずなことこの上ない。ガラティスの言いたいことは凡そ見当がついたが、こちらから言ってやる気は毛頭なかった。
「わがガラリアは北方の国。この度実感してもらえたと思うが、気候は厳しい。資源にも乏しい。いろいろなことを魔術を応用して食い繋いでいるのだ。トリトニアのように恵まれてはおらぬ。その上トリトニアには今癒しの姫がいる。万病を癒すと言う姫が国民の命を繋ぎ、国を栄えさせている。秘宝のひとつやふたつ手放してガラリアに恵んでくれてもばちは当たるまい」
発現して間もないパールの癒しの力は確かに注目されてはいるが、具体的に大きな力となり、国力のひとつと準えるには至っていない。ガラティスの言は少々大袈裟であった。
「伝説にある秘宝が欲しいのか。ただそれだけか?」
これまた単刀直入に一平も答える。
「海人の秘宝だ。トリトニアの秘宝とは誰も言っていない。見つけたもののものだ。違うかね?」
少々こじつけに思えるが、頓着せずに一平は尋ねた。
「秘宝とは何か知っているのか?」
「想像することはできるが、それを言っても始まるまい」
「トリトニアには隠し財宝などないぞ」
「あると公言する隠し財宝などあるわけがなかろう。どちらにしろ秘宝の在処を知る権利は誰にでもあるわけだ。その場所を記したものが『カミーラの徴』、トリトニアの姫の額に浮かぶ紋様なのだ。それをわしにも見せて欲しい。それだけだよ。協力してもらえんかな」
「オレに貴様の前でパールを抱けと抜かすか」
「できれば」
頷くガラティスの顔には、明らかに口にした以上に強引な意思が浮かんでいた。
「嫌だと言ったら?」
「考えが変わるまで滞在してもらうだけのこと」
再びあの部屋―もしくは別の、もっと陰惨な部屋―に押し込めて幽閉すると言うのだ。
「では逗留させていただこう」
一平はあくまで否と拒絶を通した。そんな事は彼にとっては問題外だ。考えるまでもない。
断られることは予想していたのだろう。ガラティスは動揺もなく、こう言った。
「ならば仕方がない。お望み通りにしよう。…なに、気が変わったらいつでも言うがいい。それまで、こちらも手の尽くしようもある」
一平は思わず眉を顰めた。
「そうだ。おぬし似た感じの男に試させてもよいな。…おい、モリスを呼べ」
「待て!」
見逃すわけにはいかなかった。それだけは。これ以上の暴行を許すわけには。
切迫した声を上げた一平を、ガラティスはニヤリと見る。
「何か?」
「……」
止めに入ったはいいが押し黙る。
「もう、気が変わったかね?」優越感に浸った口調でガラティスは得々と続けた。「わしとて、できればこんな真似はしたくない。あのように幼い姫をいろいろな男に試させるようなことはの。だが仕方があるまい。わしでは開かせることすらできなかったのだから」
解せないのはガラティスの方ばかりではなかった。憤りながらも、一平の方も疑問を抱えていた。ガラティスがどうしても開かなかったと言う扉は、一平の前ではいとも容易く開かれるのだ。その鍵を手に入れるまで何年もの時を費やしてはいたが。
力ずくでできないことではないはずだ。相手が武の達人ならともかく、パールはあまりにもか弱く儚い。だが、それは不可能だったとガラティスは言うのだ。
(なぜだ?なぜ、そんなことが…)
古今東西を問わず、意に染まぬ暴行を受けた女性はたくさんいる。意思の力でどうこうできるものならば、そうした不幸は世の女性の上には訪れなくて済んだはずなのだ。パールがどんなに嫌だと思っても、この男に陵辱され尽くしていたとしても不思議じゃない。
パールが自分の意思の力ではないにしても、この淫乱親父を拒絶したと言うことには満足感を覚えるが、やはりこの男のしたことは許せなかった。
怒りの炎を燃え上がらせる一平にガラティスは言った。
「わしは考えた。わしでは開かぬものもおぬしなら開かせることができる。…珊瑚姫は身籠っていると伝え聞く。おぬしが孕ませたのだろう?」
(下衆な言い方をするな、馬鹿野郎!)
一平は毒づいた。誰が返事などしてやるものか。
「今一度聞こう。二人きりにしてやる。熱い契りを交わしてはどうだ?悪い話ではあるまい?いつもおぬしたちがしていることだ」
(抜かせ!)
「貴様と一緒にするな!」
どすの効いた声で、一平は言い放った。だが怯んだ様子も見せず、ガラティスは言った。
「では、腹の子がどうなってもよいのだな」
「なに?」
「珊瑚姫はこちらの手の内だ。ちょっとショックを与えれば、子どもは簡単に流れるぞ」
パールを死なせてしまっては、徴は永遠に失われてしまう。その代わりにガラティスはお腹の子を人質にとったのだ。
「貴様…」
一平の拳がブルブルと震えた。おこりが来ると言うのはこういうことを言うのだろう。
「まだ姫はぐったりしておるからな。時間はある。先程の案を実行に移すにしてもな」
ガラティスは嬉しそうに頷いている。はったりではなく、この男はそうするだろう。ガラティスにおもちゃにされただけでも腸が煮え繰り返りそうなのに、この上まだオレのパールを苦しめようと言うのか。少なくとも、オレがうんと言えば、その非道な仕打ちは回避されるのか。
だが、そんなことのためにガラティスの前でパールを抱く気にはなれなかった。二人きりにしてやるなど、大嘘なのはわかり切っている。
パールはぐったりしていると言う。意識があるのかないのか、眠っているのかいないのか。身体に傷を受けているのかそうでないのか…。想像するしかない一平は不安でたまらない。一刻も早くパールの無事な姿を確認したい。弱り切っているのなら労ってやりたい。抱き締めて、もう大丈夫だと言ってやりたい。
だが、この男の言いなりになるのはあまりにも口惜しい。
一平が黙って耐え、考えを巡らせているのを面白そうに眺め、ガラティスはだめ押しをする。
「…モリスがだめだったら…そうだな、ドリアンはどうだろう。おい、やはり二人を呼び出しておけ」
隣にいた魔術省長官に言いつけた。
「待てと言っただろう!」
一平の声がびりりと響いた。
「オレがやる…。パールの所へ案内しろ」
これ以上の暴行を見逃すことはできない。まずは阻止することだ。後の事はそれから考えよう。一平は決断し、ガラティスに告げた。
「だが、その前に…」
「殴る‼︎」
言うと同時に一平はガラティスの顔面を殴打した。
ガラティスはどうと倒れた。鼻と顎が歪に歪んでいる。
一平は倒れたガラティスを踏みつけて、ガラティスの腰の長剣を引き抜いた。鼻を押さえて呻くガラティスの喉元に切っ先を当てた。ガラティスの手指の間を見すますように、まっすぐに捉えた。
王に刃を向けられては、側近たちも迂闊に手が出せない。一平の武勇伝が彼らの脳裏を掠めていった。
「うが…が…」
こんなことをしてただで済むと思うなよ、と言いたいが、ガラティスの口は思うように動かない。
鋭い光を放つ目で睨みつけ、一平は言った。
「こいつをだめにされなかっただけ感謝しろ」
剣を戻し、ガラティスの男根にピタッと当てた。
「が⁉︎」ガラティスが血相を変えた。「が…がっでぐ…」
待ってくれ、と言いたいらしいが、一平には何をする気もなかった。触れるのも穢らわしい。
一平は長剣をガラティスに向けたまま、ドメス長官に目を向けた。
「オレの剣を返してもらおうか」
先ほど取り上げられた大剣はまだこの部屋にあった。招き入れられた時にそれは確認している。
王を抑えられては言う通りにするしかない。ドメス長官はのそりと動き、玉座の奥に据えられていた大剣を重そうに持ち上げた。長官が一平の方へ辿り着く直前、一平は長剣を翻し、長官の手から大剣を弾き飛ばした。左の手で受け止めると長剣を投げ捨て、命令した。
「案内しろ!」
「ひっ‼︎」
「二度とは言わん。案内しろ‼︎」
猛り狂った一平の怒声に抵抗できるものはこの場にはいなかった。
「どういうことだ?これは」
その部屋に白い球体を認めて、一平は眉を釣り上げた。
「聞きたいのはこちらの方だ。まずはこれを解除してほしい」
ドメスが皮肉げに呟く。
「貴様らがしたことだろうが!」
一平は怒気を強めた。これはトリトンの壁ではないか。なぜ、こんなものがここにある⁉︎
ガラティスは一言も言わなかった。パールが瀕死の状態にあるなどとは。
そう、これは瀕死の状態だ。トリトンの壁は海人の生命維持機能。こうしなければ、心身が危うい状態にあると言うことなのだ。他でもない、ガラティスがこのようにしたのだ。
手荒に扱ってはいない、犯すことは叶わなかった、だが、ぐったりはしている、と。そう言ってはいたが、それらの言とこの状態とはあまりにかけ離れている。一平は、パールが疲れ果て、横になって休んでいるものと思い込んでいた。
(何と言うことだ…)
―最悪だ―と一平は思った。
彼は以前にもパールのこういう状態を見たことがある。
まだ幼魚だった頃、悲しみの海からパールを連れ出した。父に倣って。
だが、今のパールは成人だ。成人した者は普通トリトンの壁を発生させることはできない。発生したとしたら、それはおそらく相当に深刻なことなのだろう。一平はそれを思う。パールにとってガラティスの仕打ちは己の命を脅かすほどのものだったのだ。ガラティスにとってどんなに些細なことでも、パールにとっては生死の境を彷徨うほどの衝撃だったのに違いない。
前回トリトンの壁を発生させた時、パールはすぐに一平の呼びかけに答えてくれた。だが、今回はそれよりももっと重症に思える。おそらくあの時のようにすんなりとは、この壁は解けまい。
(オレに呼び戻せるだろうか?)
そう考えた時、背後から声がした。
「気がついたらこのような状態になっていた。多分呼び戻せるのはおぬしだけだ。できるか?」
できるできないの問題ではない。やらねばならない。ガラリアの人間に言われるまでもない。一平にはできるはずだ。自分のせいで翼が死んだと思い込んで悲しむパールを、その壁の中から連れ出した、その実績が彼にはある。
今目の前にある球体はその時よりもほんのりと赤みを帯びていた。腰の下まで伸びて長くなったパールの髪が解けて漂っているために。その身体にも、髪と同じく何の飾りも纏うものもない。ガラティスに痛めつけられ、汚されたとは言え、一平の見たところは以前と何の変わりもない美がそこにあった。
胎児のように丸くなっているために顔がほとんど隠されていたが、それはやはりパールだった。他人の空似ではない。紛れもなく、彼の慈しみ、愛してきた唯一の女性だった。
表情はよく見えない。だが、安らかな眠りではない。パールのようにオーラが見えるわけではないが、それははっきりと感じ取れる。心を閉ざしているのだと言うことも。
「…出て行け…」
一平は唐突にそう言っていた。
「何?」
話が違う、と言うニュアンスを含ませ、ドメスが聞き返す。
「どうせどこにいてもこちらの様子はお見通しなのだろう?だったら少しは気を利かせてくれてもいいんじゃないか?」
最前閉じ込められた部屋と同様のからくりが施してあるはずだ。そちらの言う通りにするから、せめて座を外して遠慮しろと言うのはあながち無理な申し出ではあるまい。
「気が散る。…この状態なら事はそう簡単ではない」
もっともだった。
なおも何か言いたそうなガラティスをやんわりと押し留め、ドメスは頷いた。
「よかろう。おかしな気を起こすなよ。この部屋は監視されていると言うことを、肝に命じておけ」
「……」
言わずもがななことを敢えて言うドメスの無神経さに腹が立ち、一平はだんまりを通した。元よりすべて言いなりになる気はない。常に隙は窺うつもりだった。
背後で重い金属性の扉の閉まる音がした。
(鉄の扉とは珍しい…)
間違いな感想を、一平は漏らした。




