小学3年
多分、ノンフィクションではありません。きっとそう。
始業式。
初めてクラスを持つ、新しい新任の先生が担任になりました。
ホコリ一つついていない真っ黒いスーツに身を包み、ワックスでガチガチに固められたオールバックの髪の毛。それなのに、それには見合わないおしゃれな丸い眼鏡と、オドオドとした弱気な口調。そして、ゴミを見るような虚ろで、冷たい目つき。
第一印象から、僕は直感で“ヤバイ人だ“と思いました。
なぜなら、その先生の表情が黒に塗りつぶされた“物体”に見えたからです。
幼稚園の事件から3年を経て、小さいながらに僕は、人の喋り方や口調、表情からなんとなく何を思っているか、どんな性格かを感じ取り、色や言葉で表現するようになっていました。正直、今でも人を相手にすると、性格を感じ取ってしまい、人によって態度を変えてしまうこの、”能力のようなもの“は必要無いと思いますし、捨て去りたいという気持ちでいっぱいです。
しかし、この時ばかりはそれに感謝しました。
クラスの中でも相談がしやすいということで、友達相談や恋愛相談、喧嘩相談など、たくさんの話を聞いていた僕のあだ名は“僕ちゃん相談窓口”でした。きっと、信頼されていたのだと思います。それ故なのか、3年生の生活が開始してからたったの1ヶ月で、第一の答え合わせすることになりました。
相談は以下の通りでした。
ねえ~先生に意味わかんないことで怒られた……。
この前私が一緒に帰ろうって話してたじゃん?
あのーほら、“僕ちゃん”が病院に行くから早く帰らなきゃいけないって言ってた日!
あの日にね、先生が教卓で話を聞いてたっぽくてさ。僕ちゃんを無理やり一緒に遊ばせてるんじゃないか~とか、無理やり付き合わせてるんじゃないか~とか、いっぱい質問されてさ。
まぁ、それだけなら良いんだけど、この前筆箱忘れて鉛筆借りたのを、借りパクしてるんじゃないかってさ。意味わかんなくない?その日のうちに返したじゃんね。そんなことで僕ちゃんが嫌って思ってたら、ズボラな私にちゃんと言ってくれるもんね~!私たちの仲良しを知らない新しい先生が何言ってるのって感じだよ……。
一番仲の良かった友達、Aちゃん(仮)が突然、そんな相談をしてきました。相談というよりは愚痴に近いものですが。
最初その話を聞いた時、“THE新しい先生”の考えで、「いじめ撲滅」を掲げようとしているのかな。過敏なのかなと考えました。しかし、日常会話を盗み聞きして、それを両方の話を聞かず、当人片方を呼び出して注意。という行動は、逆にいじめを作りかねません。
Aちゃんが素直過ぎただけで、
“もしかして僕ちゃんがコッソリ相談したのかな”とか、“本当は私と一緒に居たくないのかな”という考えに行き着いてもおかしくない。
この時点で、先生に対しての不信感が一気に高まりました。
次の日、立て続けに僕にクラス委員長から相談をしたいと言われ、休み時間、Aちゃんと一緒に話を聞くことにしました。
相談は以下の通りでした。
私吹奏楽部で、先生が顧問なんだけど、体育の授業でキャッチボールの練習してるときに指骨折しちゃってさ、先生に楽器弾けないので部活休みますって、言いに行ったの。
そしたら先生なんて言ったと思う?
「指なんて1本折れたところで9本残ってるんだから部活には参加できるだろ。そんなこと言ってるなら次のコンクール出場させないから」
だって~。骨折してるの右中指なのに、弾けるわけ無くない?担当、オルガンだから一番指使うし、一番嫌なのは私なのにさ~。
しかも、明日の体育の授業とかも普通に参加しろって言うの!確か次バスケでしょ?絶対無理じゃんね~。だから一緒に休む理由考えて!お願い!
要は、“怪我は甘え”と言いたいのだということは理解ができました。ただ、そうだったとしても、許されることかと言われたら、そういうことでもありません。委員長は、身体が弱く、前担任も、先生に伝えてくれると話していたと記憶しています。僕は、前担任が忘れているという可能性も考えて、確認するようにと委員長に伝えました。
昼休み、結局誘われたので一緒に話を聞きに行くと、しっかりと先生に対しての説明をし、前に渡した診断書等も引き継いだと教えてくれました。流石の僕も、そこまでしていてこの現状なのはいかがなものかと思い、前担任に現状を伝え、もう一度話をしていただけるようにお願いしました。
数日後、委員長が呼び出され、前担任からの話を受けて、吹奏楽部は休んでも良いと言われたそうです。しかし、それと同時に、帰りの会では担任から「今後クラス全体で保健室に行くのは禁止だ」という話をされました。到底理解をすることのできないお話でした。
その日は、反論する勇気も出なかったので、グッと言葉を堪えて、それ以上その件に関しての話はしませんでした。
委員長の話があった間に、僕が一時期精神的に体調を崩し、保健室登校になってしまった時がありました。人と会話をすることも難しいということと、医師からの診断書付きだったので、先生にではなく前担任に話をして、その上で保健室登校という形を取らせてもらいました。
しかし、そんな時でも「保健室禁止」を掲げた先生は、毎時間納得がいかないと、保健室にやってきては僕を連れ出そうとしました。僕は会話をすることもできなければ、先生のことについて考えられるような体調でもなかったので、ずっと布団で眠ったフリを貫き通しました。
僕の体調が落ち着いた頃、新たに問題が起きました。
「ねえ、私の机に置いてあったノート知らない?」
「俺の教科書が無いんだけど、お前盗っただろ!」
「誰!私の教科書に変な落書きしたの!!」
毎日、そんな言葉が一回以上は聞こえるようになりました。僕も例外ではありません。
鉛筆5本と消しゴム1個の盗難、教科書への落書き、他にも色々されたことがあります。しかし、必ず1週間後になると、盗まれたものは戻ってきました。
それが2ヶ月程続き、事件は有耶無耶のまま夏休みへ突入。
ダラダラしていると突然、僕の家のチャイムが鳴りました。出てみると、隣のクラスであるCくん(仮)が涙を流しながら立っていました。
お話の内容は以下の通りでした。
僕ちゃん、ごめん。今日、クラスの子の家全部自転車で回って謝ってきた。僕ちゃんが一番最後だよ。夏休み前に、ノートを嫌がらせしたのも、筆箱から沢山物を盗んだのも全部俺なんだ。最初は先生に、「休み時間だけじゃ遊び足りなくない?先生が一緒に遊び相手してあげるから、先生のお手伝いだと思って、〇〇ちゃんのノートを取ってきてよ」って言われたんだ。俺は単純に、提出用のノートを取ってきてっていう話なんだと思って、机の上に置いてあったノートを先生に渡した。そしたら、次は筆箱を取ってきて、次は教科書を取ってきてって、どんどん話が大きくなっていって、気づいたらみんなが喧嘩し始めててさ。俺、先生にこれは立派ないじめだからやめたいって話をしたんだ。でも、「これはいじめじゃない。先生の手伝いだ。教科書を取ってきたら成績を上げる。今度一緒にサッカーもしよう」って。俺、成績もほとんど三角だしさ、やるしかないんだって思っちゃって。盗んだものは、わかりやすい場所に置いて隙を見て先生に黙って返してた。でも、夏休みに入ってもそれが頭の中でぐるぐる回って、やっぱり謝ろうって考え直したんだ。だからみんなの家回って、ひとりひとり、こんなには長くは説明してないけど謝ってきた。僕ちゃんを最後にしたのは、みんなに俺よりもちゃんと説明できると思ったから。僕ちゃん相談窓口ならみんなからの信頼もあるしさ!
それと、同じようなことで、他にも相談があるんだよね。
俺、ノートと筆箱、教科書は盗んだ。でも、落書きはしてないし、教科書を破ってない。もしかしたら、多分俺以外。他にも同じようなことを言われて、やらされてる人がいるかも知れない。正直、これを本当に楽しんでやってる馬鹿かもしれないし、その真意は分からない。だけど、俺と同じように「成績のため」の落書きとかなんだとしたら絶対に止めてあげないといけないと思うんだ。
だから、一緒に探してくれない?僕ちゃん相談窓口ならその犯人が相談しに来るかもしれないし、手がかりがあるかもしれない。頼めるのは僕ちゃんだけなんだ。
世界一胸糞の悪い話だと思いました。
僕はそもそも性格上、成績というものを気にしたことがありません。なんとなく生きていければそれでいいと思っていました。しかし、他の子たちは結構、中学受験をするとか、将来こういう場所で働きたいとか、ちゃんと人生の高い目標があって、将来を考えてるんだと、気付かされました。
僕はCくんの頼みを了承し、早速クラスのメッセージグループに質問を書き込みました。
“突然なんだけど先生から、何かしたら成績を上げるから的なこと、言われた人いる?”
数名Cくんが家を知らなかった謝罪のできていないクラスの子たちから“何か”が何なのか質問をされたため、そのときにCくんのお話も共有しました。しかし、結局クラスの中からは、同じようなことを言われた人は見つかりませんでした。
ただ、Cくんが隣のクラスということもあり、委員長からは“別クラスもしくは、別学年の可能性”を指摘され、僕は頭を抱えました。
その時思い出したのが、委員長が所属する吹奏楽部です。委員長にお願いをし、吹奏楽部のメッセージグループでも同じ質問をしてもらうことにしました。
正直、質問をしても、見つからないのが最前ですし、被害者が他にいなければそれでいいと願っていました。
結局、奇しくもその願いは届かず、委員長から送られてきたのは、“見つけた”の4文字だけでした。
もう一人の被害者は吹奏楽部の副部長でした。
Cくん同様、「コンクールに出場したかったらこれに何か書け。これは破棄する教科書だからページを破れ」という脅し文句だったそうです。副部長は6年生。中学の推薦入試を控えている、頭はあまり良くないけれど、真面目な男の子でした。
この事があり、僕は流石に前担任に相談しようと考えるようになりました。
今考えると、こうなるまでの判断が遅すぎたと思います。
夏休み中に学校へ電話し、前担任に学校で話がしたいと言いました。
前担任には、真摯に話を聞いてくれ、先生に対しては注意するし、現状何を思ってそうしているのか、しっかりと会議を行うと断言してもらいました。
夏休み中の全校登校日、何があったか、Cくんと副部長の噂が高学年の間で広がっていました。子供の連携力とは怖いものだと、この時初めて思いました。
しかし、そうなってくると“子供なりの正義感”が様々なところで力と組織力を発揮します。そして、その組織力は全てを崩壊させる、第一歩になりました。
夏休み明け、最初の登校から学校内は混沌としていました。
流石に低学年には教育が悪いと高学年の間で話し合い、察されないように行動しました。
学級崩壊?
学年崩壊?
学校崩壊?
この空気を何も知らない先生は、いつも通り授業を始めました。
しかし生徒たちは授業を何一つ聞かず、友達と話をしたり、それを他の先生に注意されたら、別教室に皆で集まって自主学習したり、授業が始まる前から教室に鍵を閉め、そもそも先生が教室に入れないようにしたり。
クラスでは、先生とできるだけ関わらないような行動を取りました。
本領を発揮するのはここから。
一日の最後、掃除の時間になると、全学年で班を作って掃除をします。
先生が廊下を歩くと、噂話を聞こえるように話したり、突然後ろから雑巾を投げたり、バケツの水をかけたり。
思いつく限りの嫌がらせを沢山するようになりました。
その光景を見た時、僕はそれが“世も末”というものだと思いました。その中でも特に、僕の中で覚えている瞬間があります。
「授業中、僕の顔真横を、キャップのないハサミや、芯の出たボールペンが飛んでいく」
「女の子が、手を引かれる光景」と同じくらい、今でもフラッシュバックする瞬間です。
これが、大体2週間くらい続きました。正直、他の先生が動くまで、遅すぎたと今でも思います。
長い期間の話し合いの結果、先生は、新任1年以内で学校から居なくなりました。公務員のルールみたいなものはあまり分からないのですが、多分クビになったのだと思います。
それからは、前担任がクラスの担任になることになりました。
前担任から聞いた話によると、
「子供は嫌いだが、父も母も教員だから仕方なく教員になった。子供たちに殺し合ってもらえたら、面白いものが見れると思い、興味本位で行動を起こした」
と言っていたそうです。
教員も、子供へ対する感情は人それぞれなのだと、小さいながらに知ることができました。
多分、フィクションではありません。きっとそう。




