タイトル未定2025/11/22 23:35
若菜は、携帯の画面をながめていた。
画面には、流花とやり取りした文章が書かれている。
その内容は、「一緒に、バレンタインのチョコを作ろう」と、流花を誘った文章だが、流花は用事があって行けないとのことだった。
「つまんないな~」
若菜は思わず声に出して、つぶやいた。
広い台所では、若菜独りきりだった。
父親も母親も不在だった。
高校生活もあとわずか。
学校に行くのも、数えるほどだ。
後は、卒業を待つばかり。
……シロちゃんがいたら、チョコ作りも楽しいのにな……。
そう思いながら、若菜はチョコ作りを始めた。
広い台所で、若菜が独りでバレンタインのチョコ作りをしていた頃、流花は指定された繁華街の大手デパートの前に立っていた。
昼間なのに、頬をなでる風は冷たくて、思わず流花は首をすぼめた。
「白田さん!」
自分を呼ぶ声に、流花は顔を上げた。
ニット帽をかぶり、マフラーで顔を半分覆っていたマスターと、七海の横には小柄な婦人がいた。
流花の側に行ったマスターは、婦人を流花に紹介した。
「店で料理を作っている、たきさんです」
「初めまして」
流花は頭を下げた。顔を上げると、笑顔のたきこがいた。
その笑顔は、とても六十代には見えなかった。
「白田……」
流花が自分の名前を、名乗ろうとした時だった。たきこは、素早く言った。
「流花さんね」
「はい」
「ツインテールの可愛い子……」
「スイ?」
「そうそう、スイちゃんと一緒にいた。白田さん、大人っぽいわね。とても、高校生に見えないわ」
たきこの言葉に、流花は照れ笑いをした。
「流花ちゃんって、呼んでも良いかしら?」
「もちろんです!」
「私のことは、たきさんって、呼んでね」
「はい」
「さぁさぁ、顔合わせはそのくらいにして。早く中に、入りませんか?」
ダウンのポケットに手を突っ込んで、足踏みをしているマスターが言った。
「すみません」
笑いながらたきこが言うと、マスターはデパートの中に入って行き、その後を追うように、流花とたきこは歩き出した。
流花がbar「ジェシカ」でバイトをするため、マスターはバイトをする時の服を買いに、流花とたきこの三人で、デパートに来たのだった。
たきこをつきあわせたのは、これから一緒に仕事をする仲間だったから……と言うのは建前で、実際のところ、女性服のことはよくわからないので、たきこを買い物に誘ったのだった。
スーツが売られている店舗に着くと、たきこは早速服を選び始めた。
どんな服装にするか、事前にマスターと話し合っていたので、服の方はあっさりと決まった。
後は、流花が着せ替え人形のように、試着室に行って服に着替えた。
試着室の前でマスターとたきこが立っていると、流花が試着室のカーテンを少しだけ開けて顔をのぞかせた。
「マスター」
流花の声に、マスターとたきこは振り返った。
流花は、カーテンを開けた。
そこには白い襟のついた長袖のブラウスに、黒いベストと黒いパンツを履いた流花がいた。
たきこは思わず、ため息をもらした。
「モデルさんみたい!凄く似合っているわ」
流花は、恥ずかしそうにうつむいた。
「たきさん、これで良いですか?」
マスターの言葉に、たきこは太鼓判を押した。
「これなら、すぐにでも仕事ができそうだわ」
マスターはベスト二枚と、ブラウス二枚、パンツ二枚を購入した。
レジに行くと、マスターはカードで精算していた。
カードで支払いするマスターに、流花は疑問を感じた。
週末にしか営業をしないbarに、そんなに儲けがあるとは思えない。
しかしマスターは、カードで支払いをしている。
いったいこれは、どう言うことなのか。
洋服の買い物が済むと、次は靴屋に行って、黒のローファーを購入した。
ちょうど、卒業入学シーズンだった為、ローファーはたくさん並べられていて、あっさりと購入することができた。
ローファーを購入する時、マスターはカードではなく、現金で購入していた。
靴屋を出た頃には、既にお昼近かった。
用事があると言うことで、たきこはいなくなった。
マスターと流花の二人きりになり、ふたりの間に沈黙が流れた。
その沈黙を、マスターが破った。
「白田さん」
「はい」
「この後、何か予定はありますか?」
「いえ、別に」
「良かったら、ボクのマンションに来ませんか?」
「マスターの?」
「ボクの実家で、昔から住み込みで働いている家政婦が、昼ご飯を作って待っています。今日のことを話したら、是非白田さんに会ってみたいと言いだして」
「家政婦さんが、いるんですか?」
「ボクが生まれる前から働いている方で、まちこさんです。おまちさんって、呼んでいます」
「でも、私が行って、良いのかな?」
「是非、来てください!でないと、ボクがおまちさんに叱られます」
流花は思わず、吹きだしてしまった。
そんな流花を見たマスターは、ムキになって言った。
「本当ですよ!本当に、叱られるんですから!」
「……わかりました」
笑いながら言う流花に、マスターはホッと胸を撫で下ろしたのだった。
マンションに入り、エレベーターに乗ってマスターの部屋に行く。
流花は、マンションに行くまでの道中、マスターから聞いた言葉を思い出していた。
まちこはマスターの家で、マスターが生まれる前から、住み込みの家政婦として働いていた。
現在まちこは、マスターの父親の世話をしながら、実家を出て大門と二人で暮らすマスターの世話もしている。
流花は、もっとマスターのことを聞きたかったが、マスターはそれ以上のことは教えてくれなかった。
「白田さん、着きましたよ」
その声で、流花は我に返った。
マスターの後に続き部屋に入ると、目の前には長い廊下があった。
奥のリビング兼キッチンから、年長児の男の子大門が走ってやってきた。
「七海、お帰り~」
マスターのことを、呼び捨てにする大門に、流花は驚き顔になった。
しかしマスターは当たり前のように「ただいま」と言った。
リビングの中にあるキッチンから、美味しそうな香りが漂っている。
「お姉ちゃん、こんにちは!」
既にマスターから流花のことを聞いていたのか、大門は元気よく挨拶をしてきた。
流花はしゃがみこんで、大門の目線に合わせた。
「初めまして、白田流花です。よろしくね大門君」
「るか……流花お姉ちゃん!!」
大門は嬉しそうに、流花の名前を呼んだ。 立ち上がった流花は、マスターの方を向いた。
「流花お姉ちゃんだなんて、照れるな」
「白田さんが来るのを、大門は楽しみにしていたんですよ。なぁ、大門」
「うん!」
大門は、大きく頷いた。
その時、キッチンから痩せ細った婦人が出てきた。
「お待ちしていました。白田さん」
流花は、婦人の方を向いた。
「家政婦の、おまちさんです」
マスターがまちのことを紹介すると、流花は自分のことを名乗った。
「お噂は、坊ちゃんとたきちゃんから聞いていました。今日は、会えるのを楽しみにしていたのよ」
「たきさんと、お知り合いなんですか?」
「知り合いも何も、たきちゃんは女学校時代の後輩なのよ」
マスターは、後をつぐように言った。
「おまちさんに、たきさんを紹介してもらい。店の料理を、作ってもらっているんだ」
「そうだったんですか」
「たきちゃんは、料理が得意で。定年まで、イタリアレストランで働いていたのよ。坊ちゃんの監視も兼ねて、たきちゃんを紹介したのよ」
まちこの言葉に、マスターは苦笑するのだった。
「さぁさ、お話の続きは、食事をしながらしましょう」
まちこがそう言って、大門をテーブル席に座らせた。
マスターは、テーブルを挟んだ大門の向かいに座った。
キッチンに入って行くまちこに、流花は言った。
「あの、何か手伝うことありますか?」
少し目を見開いたまま、まちこは流花をみつめた。
「……そうねぇ。じゃあ、流しの上にグラスを四つ用意したから、それをテーブルに運んでね。冷蔵庫にビールとオレンジジュースがあるから、坊ちゃんにはビールを、白田さんと大門君と私にはオレンジジュースをグラスに注いでくださいな」
そう言ったまちこはキッチンに入り、大きな手袋をはめた。
マスターが慌てて、声をあげた。
「ちょっと、おまちさん!!」
「マスターいいの!」
流花は慌ててマスターをさえぎり、急ぎ足でキッチンの中に入って行った。
キッチンの中に入って行くと、まちこに言われた通りグラスをテーブルに運び、冷蔵庫からビールとオレンジジュースを出すと、それぞれのグラスに注いだ。
「白田さんすみません」
恐縮するマスターに、流花は黙ったまま笑顔で首を横に振った。
空になったオレンジジュースの瓶を、キッチンに持って行った流花は、マスターの隣に座った。
それと同時に、まちこが焼きあがったピザを運んできた。
「白田さん、ありがとう。お待たせしました。たきちゃん直伝のピザよ!」
ピザは二つあり、サラミと玉ねぎとチーズのシンプルなピザだった。
もうひとつのピザは、同じ具材に生ハムが乗っていた。
ふたつのピザは、食べやすいように既に切り分けられていた。
早速、ピザを食べ始めた。
「白田さん、ピザでよかったかしら?」
心配そうに、まちこが流花に聞いてきた。
「ピザ、大好きです。とっても、美味しいです!」
「そう、良かった!遠慮しないで、たくさん食べてね」
「ありがとうございます……あの」
「なあに?」
「白田さんじゃなくて、名前で呼んで下さい」
「良いの?」
「はい。他人行儀みたいで、落ち着かなくて」
「じゃあ、流花ちゃんって、呼ぶわね。私のことは、おまちさんで良いからね」
「はい、おまちさん」
「ありがとう、流花ちゃん」
流花とおまちは、昔からの知り合いのように笑い合った。
「大門君、汚れちゃったね」
流花はテーブルの上に置いてあったティッシュを何枚か掴むと、手を伸ばして大門の口元を拭った。
「流花お姉ちゃん、ありがとう!」
大門は嬉しそうに言った。
ピザを食べ終え、しばらく大門の相手をした流花は、マスターと一緒にマンションを後にした。
リビングでは、大門が落書き帳に絵を描いていた。
落書き帳をのぞき込んだまちこは、大門に聞いた。
「大門君、何を描いているの?」
「流花お姉ちゃん!」
「そう……大門君は、流花お姉ちゃん好き?」
「うん、大好き!!流花お姉ちゃん、また来ないかなぁ」
「そうね。また、皆でご飯を食べたいね」
ふと、絵を描いていた大門の手が止まった。
「どうしたの?」
「七海は、お姉ちゃんのこと好きかなぁ?」
「う~ん、どうかな?坊ちゃんが、流花ちゃんのこと好きだと、大門君は嬉しい?」
「うん!嬉しい!」
大門は、また絵を描き始めた。
流花と一緒にマンションを出て、バス停まで流花を見送るマスターは、手伝わせたことを謝った。
「白田さん、手伝わせて、すみませんでした」
「ううん、良いんです。それに、もうじきマスターの店でバイトをするんだから、ちょっとした予行練習になったかな?」
「そのことに関して、ボクは全く不安を感じていません」
バス停に着き、時刻表を見ると、バスが来るまで三十分あった。
「バスが来るまで、一緒に待っていますよ」
「でも、大門君が……」
「おまちさんがいるから、大丈夫です」
そう言ったマスターは、バス停のベンチに腰を下ろした。
流花も七海と同じように、ベンチに腰を下ろした。
「おまちさんが作ったピザ、美味しかったです」
「おまちさんに、伝えておきます。きっと、喜びます」
「マスター」
「ん?」
「私、ずっと考えていたんです」
「何をですか?」
「マスターと大門君の間柄を」
「それで、どんな間柄ですか?」
「大門君は、遠い親戚の子で、何か事情があってマスターが引き取った」
「大門は、親戚の子ではありません」
「はずれ?」
「ですね」
「マスターはバツイチで、大門君をマスターが引き取った」
「ボクは、バツイチではありません。一度も結婚をしていません」
「またまた、はずれ?」
「ですね」
「マスターが住んでいる部屋の前に、大門君が捨てられていて、それでマスターが大門君を育てている」
流花の言葉に、マスターは大きな声で笑った。
「凄い想像力ですね!!」
「けっこう、真剣に考えたんだけどな。これも、はずれ?」
「ですね」
「ふたつの指輪の意味もわからないし、マスターは謎の人です」
「降参ですか?」
「マスター、楽しんでいませんか?」
「楽しいですよ。白田さんは、楽しくないですか?」
「大門君との間柄を、教えてください」
流花がそう言った時、流花が乗るバスが見えてきた。
マスターは、黙ったままバスをみつめていた。
流花はつぶやくように言った。
「私のこと、名前で呼んでほしいです」
「白田さんのことを、名前で?」
「はい」
マスターは流花を、じっとみつめた。
バスがすぐそこまでやって来て、流花は反射的に立ち上がった。
バスはウインカーを点滅させ、ゆっくりスピードを下げ、バス停に寄って来た。
「……流花って、呼んでも良いですか?」
突然のマスターの言葉に、流花は目を見開いてマスターをみつめた。
「はい!」
笑顔で返事をした流花に、マスターはやさしく微笑んだ。




