エピソード33
昼下がり。
楓はリリスを連れて街外れの小さな工房へと向かっていた。
屋根は苔むし、壁には乾燥した薬草の束がいくつも吊るされている。扉を開ければ、すぐに薬草を煮出す独特の香りが鼻をくすぐる。
「ーーここは?」
リリスが楓の隣で首を傾げる。
普段の冷たい美貌を湛えた表情に、興味と警戒の色が交じっていた。
「俺の……大切な取引先だな。俺が作った毒を渡して、ここで薬にしてもらってるんだ」
「ふふん……つまり、楓様に寄生して儲けてる輩、ということですね」
「ーーいや、そんな言い方をするなよ……」
楓は苦笑しながら、ドSな物言いを抑えようとするリリスに視線を向けた。
どうも彼女は、自分以外の人間に対して攻撃的な態度を隠すつもりがないらしい。
楓が戸を叩くと、中からかすれた声が返ってくる。
「開いてるよ、勝手に入りな」
扉を開けて中に入ると、老婆――ミルダが乳鉢で薬草をすり潰していた。
小さな工房の中には瓶や壺が所狭しと並び、乾いた薬草の香りと独特の薬液の匂いが入り混じっている。
「久しぶりに来ました、ミルダ」
楓は頭を下げる。
「今日は、そろそろ必要かと思って素材を持ってきました」
「おや、坊やじゃないか。ん? ……珍しい、美人を連れてるね」
ミルダは乳鉢を止め、じろりとリリスを見やった。
老婆らしい遠慮のなさで、上から下まで観察する。
その視線に、リリスの口角がゆっくりと吊り上がった。
「ーー下品な視線ですね。目を潰されたいのか?」
「ーーッ!」
思わず楓が息を呑む。
紹介の第一声からこれでは、と思った瞬間――
だが、ミルダはまるで怯むことなく、むしろ鼻で笑った。
「ほぉ……口の悪い女だ。いいねぇ、最近の若い子は素直に愛想を振りまくだけで面白くないと思ってたんだよ」
「ーーなに? 老婆のくせに、怖がらないのか」
「怖がる必要があるのかい? あたしゃ薬屋だよ。あんたみたいな尖った子は山ほど見てきた。どうせ心根は単純なんだろ」
リリスの眉がぴくりと跳ねた。
楓は慌てて二人の間に入る。
「ーーミルダ。彼女は……新しく俺の仲間になったリリスです。前の依頼で助けられて……彼女の力を借りることにしました」
「ふーん、そうかい。仲間、ねぇ」
ミルダはじろりとリリスを見て、再び鼻を鳴らした。
「仲間というより……主従関係です。私は楓様に絶対の忠誠を誓っています」
リリスはさらりと言い切り、艶やかに楓の腕へと自分の腕を絡めた。
その顔は恍惚とし、対照的に楓は額を押さえて深い溜息を吐く。
「ーーですから、私以外が楓様に触れることは、許しません」
「ふん、嫉妬深いねぇ。なるほど、ただの独占欲か」
「――っ……! 黙れ、この老婆!」
リリスが鋭い目を光らせる。
が、ミルダは一歩も引かず、むしろおかしそうに笑った。
「はっは、いいねぇ。面白い子を連れてきたもんだよ、楓」
「ーーすみません、ミルダ。彼女の口が悪いのは……」
「いや、いいんだよ。むしろ本音を隠して取り繕う奴よりは、百倍信用できる」
楓が戸惑う横で、ミルダは乳鉢を棚に置き、机の上を指差した。
「で? 今日は例の素材を持ってきたんだろう。出しな」
「はい」
楓はリリスに持たせた革袋を開き、中から毒の入った瓶取り出し机に並べていく。
「……ふむ、良質だね。状態もいい。おかげで薬の効き目も抜群さ」
「ありがとうございます。……その、販売の方は」
「売れ行き? 絶好調さ。あんたの素材がなきゃ、うちの特製薬は成立しないくらいだよ。冒険者連中にも評判だ」
ミルダは目を細め、ゆっくりと頷いた。
「楓、あんたは私にとって大切な仕入れ先だよ。だからこそ、忠告するけど――」
その視線がリリスへと向けられる。
「その女、本当に信用していいのかい?」
「当然です。私の命も心も、楓様に捧げています」
リリスは即答する。だがその瞳には、冷たい棘のような光があった。
「ーーあらゆる者を蹴散らしてでも、私は楓様を守ります。あなたとて例外ではありません」
「ほぉ……脅してるつもりかい? 年寄りを殺すなんざ、手間の割に何の得もないだろ」
「黙れ!」
リリスは一歩踏み出した。杖を握るミルダと睨み合う。
「やめろ、リリス」
楓の声が鋭く響いた。
その一言でリリスはぴたりと動きを止め、しおらしく楓に振り返る。
「ーー楓様がおっしゃるなら」
楓は深い溜息を吐き、ミルダに頭を下げた。
「申し訳ありません。……彼女のことは俺が責任を持ちます」
「ふん……そうだねぇ。あんたがそこまで言うなら、口出しはしないさ」
ミルダは肩をすくめ、机の上の素材を片付け始める。
「ただし、楓。仲間を抱えるってのは薬作りと同じだよ。ひとつの素材が毒にも薬にもなる。扱い方を間違えれば、致命傷だ」
「ーー肝に銘じます」
楓の返答に、ミルダは口角を上げて笑った。
「ま、あんたなら大丈夫だろう。けどその女は……あんたにとっちゃ、劇薬だね」
リリスはその言葉を聞いて、妖艶に微笑んだ。
「ええ。私は毒です。でも、ご主人様には最高の甘露となりましょう」
楓は頭を抱え、再び深いため息をついたのだった。