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エピソード2

楓は掌を握り締めたまま、膝をついて大きく息を吐いた。


「ーーはぁ……はぁ……やっぱり……キツいな」


胸の奥に残る熱は、じわじわと冷えていく代わりに、全身を重く押し潰すような倦怠感を残した。

まるで熱を出した翌日の体のだるさが、何倍にも濃縮されたような感覚。頭もぼんやりし、視界の端が少し揺れる。


「ーーこれが、魔力を使った反動……なのか……?」


自分の体に起きている変化を、冷静に観察しようとする。


「呼吸が浅い……心臓が速い……頭もぼやける……」


言葉にしながら確かめることで、自分が生きている実感を必死につなぎ止める。


「ーーやばいな、これ。もし調子に乗って使いすぎたら……二度と目が覚めないかもしれん」


岩壁に背を預けながら、楓は苦笑を浮かべた。


「ーーいやぁ……異世界ってのは……もっとこう、ゲームみたいにスキルばんばん使えるもんかと思ってたけどな」


ふらつく頭を振り、小さく声を漏らす。 


「ーー現実は、容赦ないな」


少しでも体を楽にしようと、横になり洞窟の床に仰向けになる。岩肌は冷たく、その冷たさが火照った体に心地よい。


「ーーこうして寝転がってると……なんか……夜勤明けに資材置き場で寝てた時を思い出すな……」


楓はひとりごとのように呟き、薄く笑った。


「ーーあのときも体が鉛みたいに重かった。……でも、これはそれ以上だな。魔力を削るってのは……魂を削るのに近いのかもしれん」


目を閉じると、脳裏に浮かぶのは家族の顔。妻の笑顔、長男と次男の笑い声。


「ーー帰りたい……でも……帰れない以上は……生きなきゃな」


「この力は強い。でも……俺を殺す力でもある。……だから、慎重に、冷静に……だな」


「そうだ。まずは魔力の限界を知ること。それが最初の課題だ」


手を伸ばす。もう毒は出ない。ただ、胸の奥に残る鈍い痛みが、魔力の枯渇を告げていた。 


「ーー魔力が尽きる直前は……こうなるのか。だるさ、頭の鈍さ、心臓の重さ……」


額に手を当て、苦笑した。


「ーーこれ以上やったら、本当に倒れるな。限は……今の半分くらいに抑えた方がいい」


「ーーよし。次に使うときは、必ず食べ物や水を確保してから。倒れたら死ぬ……ここは病院なんかないんだからな」


洞窟に響く声は、どこか寂しげで、それでも確かな決意を帯びていた。


「ーー死にたくはない。だから、試す。だから、考える。……それが、生き残るってことだ」


楓は静かに目を閉じ、しばし休息を取った。倦怠感は重く、体は動かない。だが、心だけは折れていなかった。


楓は薄暗い洞窟の奥に腰を下ろしていた。背もたれにできるような岩壁を見つけて、そこに寄りかかると深い息を吐き出した。


「はぁ……やっぱり、腹が減るな……」


異世界に来て数日が経った。突然の転生。市役所土木課の職員として過ごしていた日々から、気がつけばこの広大な洞窟の中。最初の数日は状況を理解するだけで精一杯だったが、今は一つの現実に直面していた


――食料。


水は壁から滴る地下水でなんとか賄える。岩肌に染み出している水を掌に受けて飲めば、かすかに鉄の味がするが、喉を潤すには十分だ。しかし、食べ物はそうはいかない。


「このままじゃ、餓死一直線だな……」 


独り言を呟きながら腹を押さえる。


楓は立ち上がり、洞窟の中を探索することにした。幸い、市役所で現場を歩き回っていた経験は無駄にならない。土木職員として地形や環境を観察するのは日常だった。


「この洞窟……湿度が高いし、どこかに生き物がいるはずだ」


足元に注意しながら進むと、岩の隙間に白い菌糸のようなものを見つけた。よく見ると、それは小さなキノコの群生だった。


「おお……やっぱりあったか」


だが、見つけたからといってすぐに口にできるわけではない。この世界では何が安全で、何が危険か分からない。下手に食べれば、命を縮めることになる。


試しに一本摘み取って指先で揉み、鼻に近づける。酸っぱいような、苦いような、複雑な臭いが漂った。


「ーー食えそうな匂いじゃないな」


思い出す。自分には今、毒の力が宿っている。手のひらに意識を集中すれば、じわりと黒い靄のようなものがにじみ出てくる。それは小動物を一瞬で弱らせるほどの毒だが、制御は難しく、魔力を消耗する。 


「この毒……使い道があるかもしれない」


摘んだキノコを地面に置き、毒を少しだけ垂らす。黒い靄が絡みつくと、キノコは瞬く間に腐り、ぐずぐずに崩れ落ちた。


「なるほど……耐性が弱いなら食べ物にはならん。逆に、毒に強いなら残るのか?」


次に別の岩陰から苔のようなものを摘み、同じ実験をした。すると、毒を浴びても形を保ち続けている。


「お? こいつは平気か」


少しだけ千切り、口に含む。苦味が強いが、飲み込めないほどではなかった。しばらく待っても体に異常はない。


「よし、少なくとも非常食にはなるな」


毒を利用して食料を選別する。思いもよらぬ使い道に、楓は小さく笑った。 


「まさか自分の能力で食材を仕分けることになるとはな……。市役所じゃ絶対にやらない作業だ」


それからは洞窟の奥を歩き回り、少しずつ「食べられるものリスト」を作っていった。苔の一種、苦い実をつける低木、そして水辺にいた小さな甲虫のような生き物。虫を食うのは気が引けたが、背に腹は代えられない。毒を浴びせても死ななかった個体だけを捕まえて口にした。


「うえ……やっぱりまずい」


思わず顔をしかめる。だが、栄養源としては貴重だ。


そんな生活を数日続けたある晩、楓は奇妙な音に気づいた。


「ー何だ?」


遠くの闇の向こうから、**ズリズリ……カサッ……カサッ……**と這いずるような音がする。手に持った石を握りしめ、息を殺す。音は近づいてくる。


暗闇の中から現れたのは、異形の怪物だった。

――体長は犬ほど。だが、全身が黒い甲殻に覆われ、節足動物のように多足で這い回っている。


「な、なんだあれは……!」


思わず声が漏れる。背筋が凍りつき、体が固まった。だが次の瞬間、怪物の赤い複眼がギラリと光り、楓に向かって突進してきた。


「うわっ、やばいっ!」


とっさに手をかざし、毒を解き放つ。黒い靄が噴き出し、怪物にまとわりついた。怪物は悲鳴のような音を立ててのたうち回り、やがて動かなくなる。


楓は肩で息をしながら、その死骸を見下ろした。


「ーーマジかよ。ほんとに倒せた……」


そのとき、脳内に何かが響いた。

――『魂を吸収しました』

――『一定量に達するとレベルが上がります』


「ーーえ? レベル……? 魂を……吸収?」


混乱したまま膝をつくと、怪物の死骸から淡い光が立ち上り、自分の胸に吸い込まれていった。体の奥が熱くなるような感覚が走る。


「ーーこれが、この世界の仕組みってやつか」


恐怖と同時に、理解できない高揚感もあった。だが何より、怪物が現れるという事実に心が震えた。


「俺、ここで生き残れるのか……?」


洞窟の闇は静かに楓を包み込み、彼の独白だけが響いていた。


洞窟の奥深く、楓はかすかな火を囲んで座っていた。

火といっても、石を叩いて火花を散らし、乾いた苔や虫の殻を燃やして辛うじて灯した小さな炎だ。それでも闇に慣れた目には、橙色


毒を使った食材の選別、苔や虫を中心とした粗末な食事。それでも数日間、命をつなぐことはできた。胃袋はまだ物足りなさを訴えていたが、完全に飢餓に陥ってはいない。


火を眺めながら、楓は思考を巡らせた。


「この洞窟……どれだけ広いんだろうな」


初日に比べれば、だいぶ歩き回ったつもりだ。水場や植物の群生地、小型の虫の多い岩棚など、少しずつ「地図」を頭の中に描き始めている。

だが同時に――あの黒い怪物の存在が心に重くのしかかっていた。


「また出てくるんだろうな……」


毒で仕留めたのは幸運だった。もしあの時、体がすくんで動けなかったら――。想像しただけで冷や汗が滲

翌朝。


洞窟の奥からまた、あの音が響いた。

「ーー来たか」


耳を澄ますと、複数の足音がする。前回の一匹ではない。

楓は喉を鳴らし、手のひらに毒を集めた。黒い靄がじわじわと形を成す。


暗闇から現れたのは――あの黒い甲殻の怪物。しかも二体。


「嘘だろ……二匹かよ……!」


背筋が凍りつく。恐怖が押し寄せる。だが逃げ場はない。


「やるしか……ない!」


一体目が突進してきた瞬間、毒の靄を浴びせかける。怪物は痙攣し、のたうち回る。だが、もう一体が横から飛びかかってきた。


「っ、うわっ!」


必死に身をひねり、肩をかすめられる。鋭い脚が服を裂き、皮膚を浅く切り裂いた。血が滲む。


「クソ……ッ!」


痛みに歯を食いしばりながら毒を集中させる。だが魔力の消耗も激しい。制御を誤れば、自分まで巻き込んでしまう。


怪物が再び襲いかかる。楓は石を掴み、力任せに投げつけた。石は甲殻に当たり、鈍い音を立てる。怯んだ隙に毒の靄を叩き込む。


「これで……終われぇぇ!」


黒い霧が怪物の全身を覆い、苦悶の叫びと共に動きを止めた。

二体とも、ついに絶命する。


楓は肩で大きく息をつき、膝をついた。


「ーーっはぁ、はぁ……死ぬかと思った……」


そのとき。

――『魂を吸収しました』

――『一定量に達しました。レベルが上がります』


脳内に響く声。怪物の死骸から立ち昇る光が、矢継ぎ早に楓の体へ吸い込まれる。

胸の奥が熱くなり、血流が加速するような感覚。筋肉がわずかに張り、視界が澄み渡る。


「これが……レベルアップ……」


驚愕と共に呟いたその瞬間、さらに別の声が響いた。

――『新スキルを獲得しました:毒耐性・小』


「ーーは?」


全身にじんわりとした変化が走る。切り傷から滲む血に、先ほどの怪物の体液が触れている。それでも、強い痛みも痺れも襲ってこなかった。


「ーー耐えてる……? まさかこれが……毒耐性……」


実感と共に、思わず笑みがこぼれる。


「やっと……やっと少しは強くなれたか」


恐怖に震えていた数日前の自分とは違う。今は確かに、一歩を踏み出した。


火を灯し、怪物の残骸を観察する。甲殻は固いが、内部には白い肉のような部分がある。


「ーー食えるのか? いや……毒耐性があるなら……試す価値はある」


小さく切り取った肉片を火で炙り、口に含む。

――苦い。だが、意外にも噛み応えがあり、腹を満たす感覚が広がった。


「まずいけど……食える。これで、少しは生き延びられる……!」


洞窟の闇はまだ深く、出口は見つからない。だが楓は確かに成長していた。


「どんな世界でも生き延びてやる……!」


火の揺らめきに誓いを託し、楓は再び闇の中へと目を凝らした。


火の揺らめきに照らされながら、楓は深く息を吐いた。

怪物との戦いで得た「レベルアップ」と「毒耐性・小」。それは単なる気休めではなく、確かな変化として体に刻まれている。

あの時、怪物の体液が傷口に入り込んだのに何の異常も出なかったこと――それがすべての証拠だった。


「……なら、これからは逃げるだけじゃない。狩って、強くなってやる」


彼の中に生まれたのは、恐怖に押しつぶされるだけの弱者の思考ではなく、積極的に生き延びるための決意だった。



楓はまず、生活の拠点を整えることにした。

洞窟の奥、比較的空気が澄んでおり、壁が高く天井の落石の心配が少なそうな場所を選んだ。そこに小さな火床を作り、乾いた苔や枝を積み重ねる。火打石代わりの石を叩き合わせ、火花を散らしては息を吹き込み、やっとの思いで炎を灯す。


「……よし。これで夜は凍えずに済む」


その周囲に石を積み上げ、簡易的な「囲い」を作った。炎が広がらないための工夫であり、同時に精神的な「家」の境界でもあった。


寝床も改善した。冷たい岩の上では眠りも浅い。そこで苔や乾いた草を集め、層を重ねるように敷き詰めた。粗末ではあるが、体温を奪われにくくなるだけで大きな違いだった。


「だいぶマシになったな……。キャンプってやつか」


苦笑しながら横たわると、妙に子供の頃のキャンプを思い出した。息子たちと約束していたキャンプ旅行――まだ果たしていなかったな、と胸が締めつけられる


拠点が整うと、楓は「狩り」に出た。

怪物は洞窟の奥から現れる。完全に姿を消すことはなく、一定の間隔で湧き出すように現れるらしい。


「つまり……奴らは“資源”だ」


恐怖を克服するために、自分にそう言い聞かせる。実際、魂を吸収すればレベルが上がり、力になる。肉も食料になる。


楓は待ち伏せのため、通路に石を積んで狭い「隙間」を作り、その手前に鋭く削った骨を仕込んだ。罠まではいかないが、怪物の動きを制限する足止めにはなるはずだった。


数時間後、黒い影が現れた。 


「来たな……!」


怪物が通路に差し掛かる。ガリッ、と音を立てて脚が骨に引っかかった。怪物が動きを止めた瞬間、楓は毒の靄を浴びせる。


「喰らえッ!」


前回のような恐怖ではなく、冷静な狩りの一撃だった。

怪物は痙攣し、倒れる。その体から淡い光が立ち上り、楓の体に吸い込まれていく。


――『魂を吸収しました』


「……よし、順調だ」


さらに二体目、三体目。毒と石、罠を組み合わせ、楓は少しずつ「狩りの要領」を掴んでいった。

何度も繰り返すうちに、脳内にまたあの声が響く。


――『一定量に達しました。レベルが上がります』


「っ……おお……!」


全身を駆け巡る熱。息を吸うだけで肺が広がるのを感じ、手を握れば力が増しているとわかる。


「これなら……これなら、もっと生き延びられる……!」


体液の滴る怪物の肉を炙り、口に含む。前よりも苦味が和らぎ、胃が受け付けやすくなっていた。


「レベルが上がったからか……? これで、もっと食える」


食料が確保できれば、恐怖心も薄れる。

楓は少しずつ、「生き延びる」から「暮らす」へと意識を変えていった。


ただ、完全に恐怖が消えたわけではなかった。


ある日、拠点の近くで休んでいた楓の耳に――ズズ……ッという異様な音が響いた。


「ーーな、なんだ……?」



現れたのは、これまでより二回りも大きな黒い怪物。鋭い脚が岩を抉り、赤黒い複眼がぎらつく。


「なっ……! でかすぎる……!」


全身に冷たい汗が噴き出した。

脚一本で自分を貫けそうな巨体。恐怖が胸を圧迫する。


「ーーくそっ、まだ……怖い……!」


だが次の瞬間、楓は震える手を無理やり握りしめた。


「でも逃げられない! やるしかないんだ!」


叫びと共に毒の靄を叩きつけ、再び命を賭けた戦いが始まる――。

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