エピソード26
朝の光が街を包み込む頃、楓はいつものように冒険者ギルドへと足を運んでいた。石畳の大通りはすでに多くの人で賑わっており、商人が声を張り上げ、荷車を引く農民が行き交い、冒険者らしい装備の男や女が仲間と談笑しながら通り過ぎていく。その光景に混じって歩く自分は、少し場違いに見えるのではないかと楓は思う。もっとも、今ではFランクを飛び越え、Cランクを経てBランク冒険者にまでなった身だ。胸を張ってギルドへ足を運ぶ資格は十分にあるはずだった。
ギルドの建物に入ると、独特の喧騒と活気が身体を包み込む。木製の梁がむき出しになった広いホールには、冒険者たちの笑い声、酒の匂い、そして鉄や革の擦れる音が混じり合っていた。壁際には巨大な依頼掲示板があり、冒険者たちが群がっては依頼書を吟味している。
楓が一歩足を踏み入れると、いくつかの視線がちらりと彼に向けられた。彼がBランクに昇格したことは、すでにギルド内に広まっている。とくにあり討伐の件で噂になったせいで、彼の名前を知らない冒険者は少ないほどだった。
「おい、あれが例の……」
「信じられねぇよな、CからBに上がったって」
「子供みたいな見た目なのに、マジなのか?」
そんな囁きが、耳に届く。楓は表情を変えず、掲示板へと歩みを進めた。こうした視線や噂にはもう慣れている。だが内心では、やはり少し気恥ずかしさを覚える。
掲示板に並んだ依頼の中から、楓は慎重に目を走らせた。Bランク専用の依頼欄には、討伐、護衛、探索、調査など、より実力を求められる案件が並んでいる。
(……いい加減、俺一人だけで動くのも限界だな。Bランクになった以上、合同依頼を受けて人間関係も築いておくべきか)
冒険者としての地位を固めることは、この世界で情報を集めるためにも必要だ。楓はようやく、次の一歩を決めた。
受付嬢のルアが微笑みを浮かべる。
「楓くん、今日は合同依頼をご検討とか?」
「……ああ。Bランクになったし、一度経験しておこうと思ってな」
セリアは満足そうに頷き、依頼書をいくつか差し出す。
「こちらが現在募集中の合同依頼です。山岳地帯の輸送護衛、大型魔獣の討伐調査、そして……蟻型魔物の残党確認などですね」
楓は一枚を取った。
「山岳地帯の輸送護衛、か。……いい、これにします」
資材を山間の街へ運ぶ護衛任務。敵は盗賊や野生の魔物が予想される。地味だが合同依頼としては経験を積むのに最適だ。
その日の夕方、ギルドの二階応接室。合同依頼に集まった冒険者たちの顔合わせが行われた。
先に部屋へ入った楓は、注目の視線を浴びた。銀に近い白髪と紫の瞳――街で噂になった冒険者だと、誰もがすぐに気づいた。
双剣を腰に下げた青年が口笛を吹く。
「へぇ……噂の新人ってのはあんたか。見た目はまだ学生みたいだな」
大盾を背負った大柄の男が口を挟む。
「まあまあ、見た目で判断するな。蟻を倒したって話もあるんだ。実力は確かだろう」
そのやり取りを聞きながら、楓は軽く会釈した。
「楓だ。今回、一緒に護衛任務を受ける。よろしく頼む」
丁寧な言葉に一瞬、場の空気が和らいだ。
(やっぱりこういうときは、余計なことは言わない方がいいな)
依頼主からの説明があり、明日早朝に出発することが決まった。
目的は街から山岳地帯の集落へ、生活物資や武具を届けること。途中の街道は魔物や盗賊の危険が多く、通常よりも護衛が厚めに必要だという。
楓は仲間たちと分担を決め、宿へ戻った。
(ーー久々に大人数と動くな。毒の力は極力使わず、短剣と技術で戦う。派手に目立たないように、だ)
腰の短剣を手に取り、静かに目を閉じる。
(この刃と、学んだ動きだけで十分やれるはずだ)
まだ夜が白むころ、街の正門前に荷馬車が並べられていた。積まれているのは食料の樽や干し肉の袋、武具を収めた木箱、薬草を乾燥させた束など。これらは山岳地帯の集落にとって欠かせない物資だ。
楓は小柄な体に軽装のマントを羽織り、短剣を腰に差して列に加わった。
「お、来たな」
声を掛けてきたのは、双剣の青年・ラド。快活な顔立ちで、やや軽口が目立つ。
「ちっちゃいけど遅刻はしないのな」
「任務だからな」
楓は淡々と返す。その落ち着いた声音に、逆にラドは肩を竦めるしかなかった。
盾を背負った大柄な男・バルドが笑う。
「ラド、からかうな。楓はもうBランクだぞ。俺たちと同格だ」
それを聞いたラドは鼻を鳴らす。
「わかってるさ。……ま、見せてもらおうじゃねぇか、Bランクの力ってやつをな」
(……やっぱり気にしてるか)
楓は心の中で小さく息をついた。
一行は出発し、街道を進んだ。街を離れるとすぐに、背の高い草と岩が入り混じる荒野に変わっていく。
楓は荷馬車の脇を歩き、時折周囲を見回した。森の奥からは鳥の鳴き声や、獣の遠吠えが微かに聞こえる。
仲間たちもそれぞれ役割を果たしていた。
ラドは先頭で軽快に進み、時折地面にしゃがみ込んで足跡を確認する。斥候役に向いている。
バルドは荷馬車の横で盾を背に、常に防御の構えを崩さない。いかにも頼もしい壁役だ。
弓を携えた女性冒険者・リーナは、後方から鋭い目で周囲を監視している。
楓は彼らを観察しながら、ふと自分の歩幅に気づいた。
(俺、他の連中より歩幅が狭いな……平均身長が高いから余計に目立つか)
改めて自分が子供に見られる理由を、こんな場面で思い知るのだった。
昼を少し過ぎたころ、事件は起きた。
草むらがガサリと揺れ、灰色の影が飛び出す。狼だ。二回りは大きく、牙も鋭い。
「来たぞ、警戒!」
ラドが双剣を抜き、バルドが盾を構えた。リーナの矢が弦を鳴らして放たれる。
矢は狼の肩に深々と突き刺さったが、それでも突進は止まらない。
「うおおおっ!」
バルドが前に出て、盾で受け止める。衝撃に地面が揺れたが、巨体は微動だにしない。
ラドがその隙に飛び込み、双剣で狼の脇腹を斬り裂いた。血飛沫が舞い、狼は呻き声をあげて崩れ落ちる。
見事な連携だった。
「どうだ、俺たちだってやれるだろ?」
ラドが振り向いて笑う。
「ーーああ、十分強い」
楓は素直に認めた。
(スキルや毒を使わなくても、彼らの戦い方は参考になる。俺は……まだまだ知らないことばかりだ)
だが、狼の群れは一匹では終わらなかった。二匹目、三匹目が姿を現す。
「数が多い! リーナ、後方警戒!」
「了解!」
仲間がそれぞれ動く中、楓も短剣を抜いた。
狼の一頭が楓に飛び掛かってくる。牙が目の前に迫る――だが、その瞬間。
楓の姿がふっと掻き消えたように見えた。次の瞬間には狼の首筋に短剣が突き立っている。
振り向きざまに、二匹目の狼の脚を斬り払う。動きは淀みなく、余計な力がまるでない。
短剣を抜き払ったときには、すでに二頭が地に伏していた。
静寂。
「なっ……」
ラドの口が半開きになる。
「ーー早すぎるだろ、今の」
リーナも弓を下ろし、驚愕を隠せない。
「全然見えなかった……」
楓は血を払って短剣を収めた。
「ーー俺は派手な戦いはできないが、必要なときは動くさ」
それ以上は言わず、荷馬車の横へ戻った。
(余計な注目を浴びたくないが……まぁ、多少は仕方ないか)
その後も小規模な襲撃は何度かあったが、冒険者たちは互いの実力を知ったことで次第に息が合ってきた。楓は必要最低限だけ動き、目立ちすぎないように立ち回る。
夕方、山岳の集落へとたどり着き、物資を無事に届け終えた。依頼は成功だ。
宿舎での打ち上げの席、バルドが大きなジョッキを掲げて言った。
「楓、やっぱりお前は噂以上だったな!」
ラドも唇を噛みつつ、渋々笑った。
「ーーああ、認めるよ。俺には見えなかった」
楓は苦笑して答える。
「いや、俺こそ学ぶことが多かった。仲間との連携は大事だな」
その言葉に、リーナが柔らかく笑った。
「強いのに、謙虚なんだね。……ますます不思議な人だわ」
楓は視線を逸らした。
(俺は……ただ目立たず、日本に帰る方法を探したいだけだ)
だがこの日、彼の中にほんの少し、仲間と戦うことの温かさが芽生えたのだった。
護衛隊が無事に街へ戻ったのは、夕暮れが赤く染めるころだった。荷馬車の御者たちは安堵のため息をつき、冒険者たちは互いに笑い合う。山岳地帯の往復は決して楽なものではない。それでも損害はなく、物資もすべて届け終えた。依頼主にとっては大成功だ。
「いやぁ、助かったよ! 本当にありがとう!」
御者の老人が涙ぐむように言い、楓たち一行に頭を下げた。
ラドが胸を張って笑う。
「当然だろ! 俺たちはBランク冒険者だからな!」
その言葉に、老人は深々と頭を下げる。
「頼もしい限りだ……。この街はまだまだ魔物の脅威に晒されている。どうか、これからも力を貸しておくれ」
楓は静かに頷いた。
「ーーできる範囲で、な」
冒険者ギルドの扉を押し開けると、ざわめきが一瞬止まった。街の人々が依頼帰りの冒険者たちに視線を向ける。
「戻ってきたぞ!」
「おお、全員無事だ!」
誰かが叫ぶと、場の空気が一気に明るくなった。拍手まで起こり、依頼の成功を祝福するような雰囲気になる。
カウンターで受付嬢が笑顔で迎えた。
「お帰りなさい! ……依頼は、問題なく?」
バルドがどっしりとした声で答える。
「当然だ。全物資を届け、襲撃も退けた。依頼達成だ」
「確認いたしました。それでは、こちらが報酬になります」
大きな袋が卓上に置かれる。金属の音がずっしりと響き、思わず周囲の冒険者たちも目を細める。
ラドがひょいと金額を覗き込み、口笛を吹いた。
「おお……Bランクの護衛はやっぱり稼げるな」
リーナも安堵の息をつきながら微笑む。
「でも、稼げただけじゃない。……今回は、いい経験になった」
視線が自然と楓へ集まる。
「そういや、途中で狼の群れが出ただろ?」
ラドが声を潜めつつも興奮気味に話す。
「楓、あれを一瞬で仕留めたんだ。俺ですら目で追えなかった」
周囲で耳をそばだてていた冒険者たちの表情が変わる。ざわめきが広がり、あっという間に噂が飛び火した。
「Bランクに上がったばかりなのに、もうそんな実力を?」
「小柄だからって侮ってたけど……あれは本物か」
「変な仮面をつけてるちっこい奴だろ? やっぱり噂は本当なんだな」
楓は心の中で苦笑する。
(……あまり目立ちたくないんだけどな。)
酒場の片隅で、報酬の分配を終えたあと。楓は小さなグラスに水を注ぎながら、自分の胸の内を整理した。
(ーー正直、Bランクの依頼はもっと厳しいと思っていた。けれど、俺にとっては十分余裕がある。毒の力を使わなくても、体が応えてくれる。短剣の技も、戦いを重ねるほどに馴染んできている)
狼を斬り伏せた感覚が、まだ掌に残っている。動きに無駄がなく、力加減も思うまま。
(……俺はもう、前みたいにスキルに頼るだけの存在じゃない。技と力を磨いて、十分に通用する)
楓は小さく息を吐き、グラスを空けた。
(Bランクでも余裕だな。……なら、この先をどう動くか考える時かもしれない)