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エピソード20

 翌朝。宿「緑の樫亭」の窓から差し込む光に目を覚ました楓は、昨日のネズミ退治の成果を思い出しながら、身支度を整えた。

 ギルドカードに自動的に討伐記録が刻まれる仕組みにはまだ慣れないが、それでも確かに便利だと感じる。これなら証拠の持ち帰りや、いちいち死体を運ぶ必要もない。


 楓は腰の短剣と毒を封じた小瓶を確認し、仮面をしっかりと装着する。街の人々に視線を向けられるのにはもう慣れてきたが、それでも素顔を晒す気にはなれなかった。童顔ゆえに子供扱いされやすい自分を、少しでも大人びて見せたいという意識もあった。


 ギルドの大きな建物に入ると、いつものように冒険者たちの喧騒が耳を打つ。テーブルでは戦利品を広げて笑い合う者、依頼を巡って口論する者、装備の修理について話し込む者。それぞれの生活が渦を巻くように交錯している。


(ーーさて、今日は何を受けるべきか)


 楓は掲示板へと足を運んだ。依頼書の束がぎっしりと並び、どれも冒険者たちの関心を引こうと異なる報酬額や条件を記している。

 そこには討伐依頼、護衛依頼、運搬依頼など様々なものがあったが、楓の目に留まったのはひときわ地味な紙だった。


『薬草採取:街外れの丘に自生する〈癒し草〉の採取。最低十株。報酬は銀貨三枚。怪我を負った場合は自己責任』


 報酬は安い。だが、楓はその依頼を手に取ってしばし考え込む。


(薬草……か。戦闘で、毒を操れることは再確認できた。でも……毒ばかりじゃなく、治癒や薬の知識も知っておくべきかもしれない。自分の毒がどう扱えるのか、それを知る手掛かりになるかも)


 そう思った瞬間、心が決まった。

 楓は依頼書を受付に持っていく。


「すみません、この依頼を受けたいのですが」


 受付嬢はにこやかに応じた。栗色の髪を肩で結び、整った制服を着た彼女は、慣れた手つきで依頼を確認する。


「はい、〈薬草採取〉ですね。丘の周囲は比較的安全ですが、時折小型の魔物や野犬の群れが出ることもあります。お気をつけて」


「分かりました」


 ギルドカードに依頼が記録されると、楓は軽く頭を下げて受付を離れた。

 足取りは軽い。討伐依頼とは違う初めての種類の仕事に、どこか胸が弾んでいるのを自覚する。


(よし……今日は薬草を探しに行こう。どうせなら、自分の“毒”と合わせてどう役立つのか、じっくり調べてみるか)


 街を出るための準備を整えながら、楓はそう心に決めた。


街の門を抜けると、柔らかな朝の風が頬を撫でた。石畳の道が草原へと続き、遠くには緩やかな丘が見える。その頂には薄緑の草が群生しており、依頼にあった〈癒し草〉が自生しているのだろう。


 楓は歩きながら、すれ違う旅人や商人の姿を観察した。馬車を引く行商人、背に大きな荷物を背負う行脚僧、そして腰に剣を差した冒険者風の男たち。街道は思った以上に賑わっており、楓は改めて「ここが人間の国の中心に近い場所なのだ」と実感する。


(ーーやっぱり、人が多い土地は活気があるな)


 そんなことを考えているうちに、丘の麓にたどり着いた。

 近づいてみると、草の中に細長い葉を持つ植物が点々と生えているのが分かる。根元には淡い白色の花が咲いており、陽の光を受けてかすかに揺れている。


「これが……〈癒し草〉か」


 しゃがみ込み、楓は慎重に一株を引き抜いた。葉を指先で擦ると、ほのかに甘い香りが立ちのぼる。


(柔らかい匂い……これが治癒効果の源なのか?毒沼の匂いとは正反対だな)


 根を折らないように土を払いつつ、布袋にしまい込む。

 だが、安心しきるのは早かった。


 丘の奥から、ざわ……ざわ……と草むらをかき分ける音がした。楓が顔を上げると、灰色の毛をした野犬の群れが姿を現す。牙をむき出し、低い唸り声を漏らしている。数は五匹。


「ーーやっぱり来たか」


楓はすぐさま後退し、腰の小瓶を取り出した。瓶の中で濃紫色の液体が揺れる。蓋を外し、指先に塗りつけると、空気がひやりと冷たく張り詰めた。

(このやり方なら、誰かに見られても体から毒を出してるように見られないだろ)


「これでどうだ」


 小声で呟くと、指先から透明な糸が伸び、草むらの間に張り巡らされる。

 最初の一匹が飛び掛かった瞬間、その足が糸に絡まり、バランスを崩して転倒した。


 だが、残りの四匹は止まらない。楓は次の一手を打つ。


「毒玉」


 小さな球を数個、草むらへと投げ込む。弾けた瞬間、淡い紫煙が広がり、犬たちが咳き込むように鼻を鳴らした。動きが鈍った隙を突き、楓は短剣を抜いて一匹の喉を突き刺す。


(ーーやっぱり毒は効くな。だが、やりすぎないようにしないと)


 残りは煙にむせび、逃げるように散っていった。楓は深呼吸をして短剣を拭い、再び薬草採取に取り掛かる。


 午前中いっぱいをかけて、楓は〈癒し草〉を二十株ほど集めた。必要数の倍はある。

 布袋を閉じると、どこか満足感が胸に広がった。


「ーー悪くない。採取だけでこれだけ成果が出るなら、討伐と組み合わせて生活していけそうだ」


 そう独り言を漏らした時だった。背後から声が飛んできた。


「おや、君も薬草を摘みに来たのか?」


 振り返ると、茶色の外套をまとった中年の男が立っていた。背には大きな籠を背負い、手には鎌を握っている。農夫か、薬師の類だろう。


「はい、依頼で」楓は仮面越しに答える。


「依頼か。なら、これを覚えておくといいぞ」


 男は一株の〈癒し草〉を摘み取り、茎を折って見せた。すると透明な液体がじわりと滲み出る。


「この液を直接塗ると止血効果がある。乾燥させて煎じれば、軽い解熱剤になるんだ。覚えておくと便利だぞ」


「ーーありがとうございます」


 楓は思わず頭を下げた。薬草の知識は乏しい。こうして教えてもらえるのはありがたいことだった。


(なるほど……薬草の加工で効果が変わるのか。毒草も同じように扱えるなら……自分の毒も、応用できるかもしれない)


 胸の内に新たな疑問と興味が芽生えた。

 それは、単なる薬草採取以上に大きな意味を持つ気がした。


 楓は大通りを歩き、薬草や香草の匂いが漂う通りへと足を向けた。

 木製の看板には「薬舗ミルダ」と刻まれている。扉を押すと、カラン……と澄んだ音が鳴り、薬草を刻む香ばしい匂いが鼻をかすめた。


 棚には乾燥させた薬草の束や、色とりどりの瓶詰めが並んでいる。

 奥のカウンターでは、白髪交じりの薬師が丸眼鏡をかけて作業をしていた。


「いらっしゃい。……おや、珍しい格好の若者だね」


 薬師は楓の仮面を見て眉を上げたが、すぐに柔らかい笑みに変えた。


「薬草を買いに来たのかい?」


「いえ、今日ギルドの依頼で〈癒し草〉を採取しました。その使い方を知りたくて」


「ほう、真面目だね。見込みがあるよ」


 薬師は手を止め、棚から数本の瓶を取り出した。

 一つは乾燥させた葉を粉末にしたもの。もう一つは液状に煮詰めたもの。そして最後は丸薬に加工されたものだ。


「同じ草でも、形を変えれば効果も違う。粉なら止血、液体は解熱、丸薬は体力回復だ。だが、使い方を誤れば毒にもなる」


「毒……にも、ですか」


「そうだ。世の中の薬と毒は紙一重なんだよ。分量を間違えれば命を奪うし、正しく扱えば人を救う」


 その言葉に、楓の心臓がわずかに跳ねた。

 自分の体から生み出す毒。それも、使い方次第で薬に変えられるのかもしれない。


 少しの沈黙のあと、楓は口を開いた。


「ーー毒薬についても、聞いてもいいですか?」


 薬師は目を細め、楓をじっと見つめた。仮面の奥の表情は見えないはずなのに、心を見透かされたような感覚に陥る。


「毒薬か。珍しい質問だね。普通は避けたがるのに」


「ーー興味があるだけです」


「ふむ……まあいい。毒薬は狩人や冒険者も使う。矢じりに塗れば獣を弱らせられるし、刃に塗れば敵を倒しやすくなる。ただし扱いを誤れば自分が死ぬ。だから売買は厳しく制限されているよ」


 薬師は奥の棚から小瓶を取り出し、見せてくれた。液体は緑がかった黒色をしている。


「これは〈麻痺毒〉だ。獣に塗れば動きを鈍らせられる。だが、人に使えば数分で呼吸が止まる」


 ぞくり、と背筋を冷たいものが走った。

 だが同時に、胸の奥で奇妙な興奮が芽生える。


(やっぱり……俺の毒も、売れるかもしれない。いや、それ以上に役立つ可能性がある)


 薬師の説明を聞きながら、楓は静かに拳を握った。


 薬師ミルダの店内は、外の喧騒とは打って変わって落ち着いた空気に包まれていた。

 楓は棚に並ぶ瓶を見渡しながら、言葉を選んで口を開いた。


「ーーもし、自分で作った毒を売りたいって思ったら……どうすればいいんですか?」


 ミルダは、刻んでいた薬草を止め、じろりと楓を見た。

 その眼差しは、軽い冗談を言った若者を咎めるものではなく、本気で問いかけてきたのを感じ取った者の目だった。


「ーーお前さん、ただ者じゃないね。仮面に隠れているけど、普通の冒険者にはそんな発想は出てこない」


 楓は一瞬言葉に詰まったが、すぐに苦笑を浮かべた。


「まあ、ちょっと変わってるのは自覚しています」


「変わってるどころか……危ういぞ。それは。だが、答えは簡単だ。毒を売るのは規制が厳しい。薬師ギルドに認可された者しか扱えん。勝手に売れば罪人行きだ」


「ーーそうですか」


 楓は内心で「やっぱり簡単にはいかないか」と呟いた。

 だが、ミルダは続ける。


「ただし――使い方によっては合法になる」


「使い方?」


「ああ。例えば害獣駆除用の毒薬。畑を荒らす巨大鼠や、害虫退治に使うなら認められている。あとは冒険者が持つ矢に塗るものも、一部は許可されているな。ただし、認可された店を通して販売する必要がある」


「ーーつまり、卸す先を見つければいいってことですね」


「勘がいいね、そういうことだ」


 ミルダは鼻で笑い、楓に指を突きつけた。


「だが、もう一度言うよ。毒は危険だ。扱う者の信用がなければ、誰も取引してくれん。仮面をかぶった怪しい小僧が毒を売りたいなんて言い出したら、即刻追い出されるだろうよ」


「ーー確かに」


 楓は思わず頭をかいた。それはもっともだ。

 だが同時に、妙な実感が胸に広がっていた。


(俺の毒なら……間違いなく普通の毒薬より強力だ。もし売り方を工夫すれば、相当な金になる。だが、そのためには信用が必要か……)


 しばし考え込む楓を見て、ミルダはやれやれと肩をすくめた。


「まあ、毒を作れるってだけで生き残れるのは確かだ。金が欲しいなら、まずは薬草の取引で信用を積むんだね。それができれば、道は開けるかもしれん」


「信用、ですか……」


 楓は呟きながら、銀貨数枚を取り出して机に置いた。


「そのために、薬草の扱い方をもっと教えてくれませんか? 毒になる草とか、役立つ草とか」


 ミルダの口元に僅かな笑みが浮かんだ。


「ふん……いい度胸だ。金を払うなら教えてやろう。だが、覚悟しな。薬と毒は表裏一体。間違えれば命を落とすよ」


「わかりました」


 そうして楓は、薬師ミルダから薬草学と毒薬の初歩を学び始めた。



 数時間後。

 店の奥で帳簿を広げながら、ミルダは商売の仕組みを語ってくれた。


「商売ってのは、三つの要素で成り立つ。仕入れ、加工、販売だ。薬草を採ってきて売るだけなら儲けは薄い。加工して価値を高め、信頼できる相手に卸す。これが基本だ」


「卸す相手って、やっぱり薬師ギルドですか?」


「そうだね。あるいは冒険者ギルドを通して依頼を受ける形もある。薬や毒は需要が高いが、危険も高い。だから仲介が必要なんだ」


「なるほど……」


(つまり、俺が毒を扱うなら、まずは薬草で信用を得て……その後、少しずつ毒の取引に広げていく。そういう流れか)


 楓は心の中で整理しながら、革袋の中を思い出す。

 盗賊から奪った分も合わせれば、当面の生活には困らない。だが、長期的に見れば収入源が必要だ。


(毒を商売にできれば、資金には困らない……だが焦るな。信用を積み重ねる。それが先だ)



 冒険者ギルドの掲示板には、いつも色とりどりの依頼書が並んでいる。

 その中で、楓が目をつけるのは決まって「薬草採取」の依頼だった。


 討伐依頼に比べると報酬は控えめだ。だが、安定して需要があり、なにより今の楓にとっては学びの場でもある。


「ーーまた薬草か、って顔してますよ?」


 受付嬢ルアは楓の差し出した依頼書を受け取りながら、にやりと笑った。


「図星ですね。地道にやる冒険者は、後で伸びるんですよ」


 楓は軽く肩をすくめる。


「戦いは戦いでやるつもりですが、今は基盤を固めたいんです」


「ふふ、いい心がけですね。気をつけてくださいね」


 そうして楓は街を出て、草木が生い茂る丘陵地へと向かった。



 薬草といっても種類は多い。

 回復に用いられるもの、解毒に使われるもの、保存用のもの……そして、扱いを誤れば毒にもなるもの。


 楓はミルダから聞いた知識を反芻しながら、葉の形や匂いを確かめていく。


「これが《ヒールリーフ》。茎を折ると甘い匂いがする……間違えると《ビターリーフ》で、こっちは下剤になる……」


 指先で薬草を摘み取り、革袋に詰めながら呟く。

 時折、毒を纏わせた指で軽く触れてみて、草がどう反応するかを観察した。


 ある草はしおれ、ある草は毒を吸って黒ずんだ。

 それを見ながら楓は思った。


(毒に耐性のある草は、逆に解毒剤に使える……。なるほど、こうやって薬と毒が繋がってるのか)


 ただ採取するだけではなく、観察を重ねていくことで知識が増えていく。


 街に戻った楓は、採取した薬草をギルドで提出する。

 カウンターの奥で薬師が品質を確かめると、満足げに頷いた。


「ふむ、なかなか丁寧に採ってありますね。根を傷つけずに残してあるのも良い。これなら来年も生えますね」


 ルアが笑顔を見せる。


「楓君、合格だね。依頼主からもきっと喜ばれるよ」

(なんかフレンドリーだな、信頼されてるってことで、まあいいか)


 ギルドカードには「薬草採取・納品済み」と記録が刻まれる。

 この自動記録は、冒険者が不正をするのを防ぐためのものだ。


(これなら俺の成果が確実に積み重なっていく。信用の証になるわけだな)


 楓は、報酬の銀貨とともに、少しずつだが「信頼」という無形の財産を手に入れていった。


 数日後。楓は再びミルダの店を訪れた。

 袋いっぱいの薬草を渡すと、ミルダは感心したように眉を上げる。


「ほう、もう見分けがつくようになったか。大したもんだ」


「ミルダのおかげです」


「ふん、口がうまいね。だが、信用を積むってのはこういうことだ。お前さんはちゃんとやっている」


 ミルダは、棚からひとつ小瓶を取り出した。

 中には、濃い紫色の液体が入っている。


「これは《スパイダーポイズン》。洞窟に巣くう毒蜘蛛から採ったものだ。強烈だが、薄めて矢に塗れば対人でも対獣でも効果抜群。……だが、これを勝手に売ったら即刻捕まる」


「ーーつまり、売るならミルダのような認可された薬師に卸すしかないってことですね」


「そうだよ。お前がもし毒を作れるのなら、私に卸してみろ。品質が確かなら、私の名前で冒険者ギルドや商人に流せる」


 楓の心臓が高鳴った。


(ーーやっぱり俺の毒は売れる。問題はどうやって商品にするか、だな)


 宿の部屋。机の上に並ぶのは、小さなガラス瓶。

 楓は指先を瓶の口にかざし、ごくわずかに魔力を流し込んだ。


 次の瞬間、透明な液体がじわりと広がり、紫がかった光を帯びる。

 それは見慣れた「毒」だったが、楓はあえて弱めに抑えている。


「ーーこれなら、ただの強力な毒薬くらいに見えるだろう」


 体から出したなどとは口が裂けても言えない。

 ここでは“自分なりに調合した毒薬”ということにしておく。


 昼下がりの街は人の往来で賑わっていた。

 獣人の商人が果物を売り、人間の鍛冶屋が金属を打ち、エルフの行商が香草を並べる。


 楓はその喧騒を抜け、路地の奥にある「薬師ミルダの店」へと入った。

 カウンターの奥で、薬師は薬草を刻んで粉にしているところだった。


「おう、坊や。今日は薬草の持ち込みか?」


「いや……これを見てもらいたくて」


 楓は革袋から小瓶を取り出し、カウンターに置いた。


 ミルダは片眉を上げ、瓶を手に取る。

 光にかざし、慎重に蓋を開けた瞬間、わずかな毒気が空気に漂った。


「ーーっ!」


 薬師の表情が一変する。

 慌てて蓋を閉じ、額の汗をぬぐった。


「おい……これは、一体どこで手に入れたんだい?」


「ーーちょっと、独自の方法で作ってみました。詳しいことは秘密です」


「秘密って……こんなもの、並の毒じゃないぞ」


 ミルダは瓶を睨みつけるように見つめ、低く唸った。


「一滴で大の男を倒せる。しかもただの猛毒じゃないねぇ……魔力の波長が混じってるよ。普通の毒師が作れる代物じゃないわね」


 楓は心の中で冷や汗をかいたが、表情は崩さなかった。


「そんなにやばいもの?」


「やばいどころじないよ! これを素人が扱えば、自分ごと吹っ飛ぶ」


 ミルダは瓶を机に置き、しばらく考え込む。

 やがて、息を吐いて言った。


「……だが、使い道がないわけじゃない」


「使い道?」


「ああ。適切に薄め、他の素材と合わせれば“解毒薬の試薬”にもなるし、“強力な麻酔”として加工することもできる。もちろん、兵器として求める奴らも山ほどいるだろうが……それは論外だ」


「ーーつまり、合法的に扱う道もあるってこと?」


「そうだ。だが、取り扱いは慎重にしろよ。お前がどこでこんなもんを手に入れたかは知らんが……商売に使うなら、必ず私を通せ。勝手に流したらすぐ摘発されるよ」


 楓は小さく頷いた。


(よかった……「体から出した」なんて正直に言わなくて)


 それを知られれば、利用価値どころか危険人物扱いされかねない。

 だが“独自調合の毒薬”ということにしておけば、商売としても成り立つ。


「ーーわかった。俺は詳しい調合法は秘密にしておきます。その代わり、商品化できるなら全部任せたいです」


「その方がいい。お前は作るだけで十分危ない。加工と流通は私がやるよ」


 ミルダは苦笑しながら、瓶を布に包んだ。



 楓は小さく息を吐いた。


(俺の毒が、商売になる……それも、人を害するだけじゃなく、薬の材料にもなる)


 戦うためだけではなく、生きていくための基盤として使える。

 それはこの街で定着する大きな武器になる。


「ーーよろしく頼みます、ミルダ」


「ああ。お前さん次第だが……大きな商売になるかもしれんぞ」


 薬師の言葉に、楓は心の奥で小さく笑った。


(よし、これで少しは安心できる。この街で生きていくための足場ができる……!)



 楓が小瓶を差し出した翌日。

 薬師ミルダは、早朝から店の奥で毒の成分を分析し、加工の可能性を探っていた。


 夕方、再び訪れた楓に対し、ミルダは疲れた顔ながらも妙に上機嫌で迎え入れた。


「来たか、坊や。……いや、楓様と呼んだほうがいいかもしれないねぇ」


「……様はやめてください。普通でいいです」


 楓は肩をすくめたが、薬師はにやりと笑った。


「わかったよ。それでだ、例の毒薬だが――恐ろしい効能を確認した。だがそのままじゃ危険すぎる。そこで私が薬草と混ぜ、毒気を薄めたら……なんと“痛み止め”にもなるんだ」


「ーー毒なのに痛み止め?」


「不思議だろ? だが、あの毒には神経を麻痺させる成分がある。ごくごく少量なら、外傷の治療や手術に使える。俺は何本か試しに加工してみた。……そして、だ」


 ミルダは机の引き出しを開け、革袋を取り出した。

 じゃらり、と小さな銀貨の束が机の上に転がった。


「これが売れた分の取り分だ。昨日の夜、衛兵隊の医務室に持ち込んだら即座に買い上げられた。負傷者が多いからな。すぐに需要が出た」



 楓は目を瞬いた。

 革袋を手に取り、重さを確かめる。


「ーー結構ありますね」


「銀貨二十枚。依頼で薬草を山ほど集めても、これだけ稼ぐのは数日がかりだろう」


 ミルダは腕を組み、真顔になった。


「いいか。これは序の口だ。今後安定して供給できれば、冒険者をやめて商人に転職できるくらいの収入になる。……もっとも、お前が作れる限り、って前提だがな」


 楓は小さく笑った。


(俺が作れる限り、か……。それなら心配ないな)


 体から出したことは、もちろん言えない。

 だが“自分だけの調合法”という建前なら、いくらでも説明はつけられる。


「ミルダ。もし本格的に商売にするなら、どうすればいいですか?」


「ふむ……まずはギルドを通すことだね。冒険者ギルドじゃだめだよ、“商業ギルド”だ。あそこに登録すれば、商品として正式に取引できるようになる。だが登録料や管理費がかかるし、何より“仕入れ先”を明かさなきゃならないね」


「仕入れ先……」


「ああ。どこから素材を得てるのか、必ず書類にする必要がある。薬草なら採取地を、鉱石なら鉱山を、そして毒薬なら……製法や由来を。これを出せなきゃ登録はできない」


「なるほど……」


 楓は心の中で眉をひそめた。

(やっぱり“体から出しました”なんて言えるわけないな)


 しかし、方法はある。


「ーーだったら、全部ミルダに任せてもいいですか?」


「私に?」


「はい。表向きは“薬師ミルダが独自に加工した特製薬”。俺はただの納品者ってことにしてほしいです」


 ミルダは目を細め、少しの間黙った。

 だが、やがて口角を上げた。


「ーー面白いねぇ。それなら、私が表に立ってやる。お前は裏方で素材を供給する。利益は折半でどうだい?」


「それでいいです。」


 楓は即答した。



 交渉が成立した瞬間、ミルダは心底楽しそうに笑った。


「よし、決まりだ! いやぁ、こりゃとんでもない儲け話になるぞ。坊や、いや楓……お前は掘り出し物を見つけたみたいなもんだ」


 楓は革袋を握りしめながら、ふと心の中で思った。


(俺の毒が、こんな風に役立つなんて……。ただの“武器”じゃなく、生活を支えるものにもなる。これなら、この世界で生きていく道が広がるな)


 仮面の下で、小さく口元が緩む。



 薬師の店を出ると、街の夕暮れは黄金色に染まっていた。

 往来を行き交う人々の声、荷車の軋む音、子供の笑い声。


 楓は銀貨の入った革袋を握りしめながら、足を止めて空を仰いだ。


「ーーよし。これで生活の基盤は少しずつ整ってきた。ギルドの依頼と、この商売……両方やっていけば十分食っていける」


 初めて得た“自分の毒での収入”は、確かな実感となって胸に残った。

 そして、次の一歩を踏み出すための自信となった。




 数日後。

 街の広場に面した薬師ミルダの店の前は、朝から妙に人の出入りが多かった。

 近所の主婦や兵士たちが口々に「新しい薬が出たらしい」と噂している。


「なあ、本当に効くのか?」

「昨日、衛兵隊のガルドが足を怪我してたろ? あの薬を塗ったら痛みがすぐに引いたってよ」

「へぇ、そんなに……」


 楓は人混みの少し離れたところで耳を澄まし、内心で小さく息を吐いた。


(思ったより広まるのが早いな。ミルダの商売の腕は大したもんだ)



 楓が裏口から店に入ると、ミルダは大忙しだった。

 机の上には調合器具がずらりと並び、弟子らしい若者がせっせと瓶詰めをしている。


「おう、楓! ちょうどいいところに来た」

「ずいぶん繁盛していますね」

「当然だろう。お前の毒のおかげだ。もう“特製鎮痛薬”として評判になってきてる。これがまた……兵士たちに売れる売れる」


 ミルダは汗を拭いながら、にやりと笑った。


「今日だけで銀貨五十枚は売り上げがあったぞ」

「……そんなに?」

「ああ。これからは安定供給できるかどうかが肝心だ。だから――」


 ミルダは声を潜め、楓に顔を近づけた。


「次の納品分を頼む。できれば多めに、だ」


 楓は短く頷いた。


(供給するのは俺の体からだが……まだ余裕はある。ただ、目立ちすぎると困るな)


 ギルドでの依頼と両立しながら、どこまで供給できるか考える必要がある。


「わかりました。ただし、一気に広げすぎないでください」

「心得てるさ。私も商売人だ。急に値を釣り上げたりすれば、怪しまれるからね」


 そう言いながらも、ミルダの目は野心に輝いていた。



 楓が店を後にすると、街の露店や宿屋でも“特製鎮痛薬”の話題が耳に入ってきた。


「今度の薬は効き目が段違いだってよ」

「子供が熱を出したときにも使えるらしい」

「値は張るけど、それだけの価値はあるさ」


 楓は表情を変えずに聞き流したが、胸の奥では複雑な感情が渦巻いていた。


(……俺の毒が、こんな形で人々の役に立ってる。けど同時に、危うさもある。俺がいなければ、この薬は作れない)


 その事実が、妙な優越感と同時に、不安も呼び起こしていた。



 宿の部屋に戻り、楓は机に革袋を並べた。

 依頼の報酬、そして毒の納品で得た銀貨。

 合計すれば、すでに数十枚に達している。


「ーーこれだけあれば、当分は生活に困らないな」


 ベッドに腰掛け、楓は小さく笑った。


(冒険者として活動しながら、裏では商売。二つの柱があれば、この街でしっかり基盤を築ける……)


 仮面越しに天井を見上げ、楓は小さく息を吐いた。


「ーーでも、あんまり注目されるのは避けたいな」


 それは心からの本音だった。

 



 夕刻。楓は再び薬師ミルダの工房を訪れていた。

 軋む扉を開けると、乾いた薬草の匂いと、煮込まれた液体の刺激臭が鼻をつく。


 ミルダは机の上に並べられた小瓶を睨みつけるように見つめていた。

 その横顔は険しく、いつもの穏やかな薬師の顔ではなかった。


「来たか、楓」

「ああ。……どうかしましたか?」


 楓が問いかけると、ミルダは深いため息を吐いた。


「薬のことだ。ここ数日、やたらと詮索してくる連中が増えた。衛兵、冒険者、そして商人。皆そろって、どうやって作っているのか、材料は何なのかとしつこく聞いてくる」


 その声には苛立ちがこもっている。



「ーー薬を作るのは私の仕事だ。依頼人や患者に届けるために、工夫し努力して形にしている。それを“秘密を明かせ”だの“分け前をよこせ”だの……私は道具じゃない」


 机を叩く音が響く。小瓶が一つ、かたんと揺れた。


「私は医を学ぶ者だ。必要な人に薬を届けたいだけだ。だが、これ以上しつこく探られるなら――薬の販売自体をやめる」


 その言葉には決意が宿っていた。



 翌日。冒険者ギルドの広間はざわついていた。

 「ミルダが薬を売るのをやめると言っている」という噂が一気に広がったのだ。


「ふざけるな! あの薬のおかげでどれだけ助かったと思ってる!」

「ケガをしても回復が早いし、毒消しにも効くんだぞ! なくなったら困る!」


 冒険者たちが口々に叫び、ギルドの中は半ば怒号の渦と化していた。


 やがて、カウンターの奥からギルドマスターが姿を現した。

 大柄で白髪混じりの男は、杖をつきながら前に出ると、全員を鋭い目で見渡した。


「静まれ!」


 重い声が響き渡り、ざわめきが徐々に収まっていく。


「ミルダ殿は冒険者のために薬を作り、街のために尽くしてきた。その彼女が“探るな”と言っている以上、それが最優先だ。不要な詮索は即刻やめよ」


「だ、だが……!」

「だがもへったくれもあるか!」


 杖で床を叩く音が鳴り響く。


「欲しければ正規の対価を払って買え。知りたければ彼女が許す範囲で学べ。それができぬなら薬を口にする資格などない!」


 ギルドマスターの一喝に、冒険者たちは押し黙った。


 その後、ギルドは正式に「薬の出所を詮索する行為は禁止」と掲げることになった。

 違反した場合は冒険者資格停止、もしくは依頼の停止という厳しい処分が待っている。


 楓はその場に居合わせながら、静かに事の成り行きを見守っていた。


(ーー強気に出たな。だがそれでいい。これで当面は余計な詮索も減るだろう)


 仮面の下で口元がわずかに緩む。



 ギルドを出て夜の街を歩く。

 石畳に灯る魔導ランプの光が揺れ、露店からは焼き肉の匂いが漂ってくる。


 楓はふと足を止め、空を仰いだ。


(俺の毒が薬として広まり、街の人間を救っている……皮肉だな。毒の力を“救い”に変えるなんて、前の世界じゃ考えもしなかった)


 だが同時に、自分の正体が露見すれば全てが崩れる危うさも理解していた。


(目立ちすぎるのは危険だ。けど……資金も情報も、今は必要だ。この街を拠点に、もっと深く潜り込んでいくか)


 静かな決意を胸に、楓は「緑の樫亭」へと戻っていった。

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