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エピソード1

楓が手のひらに違和感を覚えたのは、洞窟の薄暗い奥で岩壁を観察していたときだった。

指先がじんわりと熱を帯び、微かに痺れるような感覚が走る。最初はただの疲労かと思ったが、手を握り、開くたびに掌から淡い紫色の光が滲み出ることに気づく。岩に触れると、わずかに表面が変化するのだ。


「ーーえ?」 


思わず手を見つめる。掌の中央から、黒い液体がじわりと滲み出ていたのだ。


「な、なんだ……これは……」 


黒い粘液は一滴、岩に落ちるとじゅっと音を立て、白い煙を上げて岩肌を侵食していく。匂いは鋭く、鼻を刺す。


「毒……だよな、これ」


信じたくはなかったが、他に説明はつかない。


楓は手を振り、毒の拡散を止めようとする。だが体内の熱は止まらず、胸の奥に重苦しさと痛みが残った。 

「間違いない。体を削る代償があるな……」


彼は冷静に考え、独り言を繰り返す。 


「少量ならどうだ? 一滴だけなら体への負担は……」 


試すように手のひらに力を込め、熱を少しだけ流し込む。黒い液体は再び滲むが、量はごくわずか。


「ーーいまのは……俺が出したのか?」

恐怖と興奮で胸が早鐘を打つ。


だが同時に、体の奥から力が抜けていくような感覚に襲われた。

自分の中の何かが削り取られる――いや、使われている。


さっきの毒は、ただの体質じゃない。意志と共に溢れ出し、代償として体内の「力」を吸い上げていった。


「ーー魔力、か」


「うん、出た。やっぱり魔力を使っているのか。胸の奥の圧迫感……体が確実に削られてる」


掌の液体を石に落とすと、数秒で岩の表面が黒ずむ。


「危険だ……この力は、使えば使うほど自分が痛む」


息を吐きながら、楓は立ち上がり、洞窟を見渡す。光源はなく、湿った壁と床だけ。 


「使い方を間違えれば死ぬ。だが制御すれば、生き延びる手段になるかもしれない」


胸の熱を再び感じ取り、掌に意識を集中する。黒い液体は出たり止まったりする。 


「制御できる……意志次第で出したり止めたり……ふむ、なるほど」


楓は呟きながら、自分の体と毒の関係を観察する。

少し掌を握ると熱が消え、毒の生成も止まる。量を増やすと、胸の痛みと吐き気が増し、腕の痺れまで伴った。  


「限界……か。だがこれなら調整できる」


再び液体を少量出してみる。岩に落ちると、じゅっと音を立てて表面を焦がす。匂いが鼻を刺激し、喉が軽く痛む。


「強力だな。岩を溶かす速度……ただの酸じゃない。生物に触れたら致死レベルだろう」


掌の黒い液体を凝視し、胸の圧迫感と戦いながら、楓はさらに独り言を重ねる。


「無茶はできないな……少しずつ理解するしかない。量、発生時間、体への負担、全部確認するか」


やがて、頭の奥に冷たい衝撃が走った。

耳鳴りのような感覚の後、脳裏に無機質な声が流れ込む。


《スキル【毒生成】を獲得しました》


楓は一瞬息を止め、次に低くつぶやいた。


「ーースキル? まさか、こんな形で能力が固定されるのか」


胸の痛みはまだ残るが、冷静さを取り戻し、掌を握り直した。


「よし、わかった。これは武器であると同時に、自分を削る刃だ。制御を覚えれば、俺の命を守る道になる」


洞窟の静寂の中で、楓は自分の新しい力と向き合った。


楓は掌をじっと見つめながら、もう一度胸の熱を意識した。


「出せる量を少しずつ確認するか」


息を整え、掌に熱を流し込む。今度は、先ほどより少しだけ多めに、体に負担がかからない範囲で制御しながら。


黒い液体が掌を覆い、指の間からわずかに垂れ落ちる。岩に落ちた瞬間、じゅっと音を立てて白い煙を上げる。匂いが鼻を刺し、喉にわずかな違和感を残した。


「やっぱり強烈だ。ほんの少量でも、岩を変化させる力がある」


胸の奥の圧迫感は増してきた。息が少し荒くなり、肩で呼吸する。右腕が痺れ、掌に力を込めるのも難しくなった。


「くっ、これ以上は危険か」


毒を出すという行為が、自分の体を確実に蝕んでいる。吐き気もわずかに差し込む。


しかし、楓は恐怖だけに囚われないよう、冷静さを保ちながら、次の観察を始める。


「出す速度で負担が変わるかもしれない。急に流すと胸の痛みが強い。ゆっくり出せば負荷は少し軽減できるか」


試すように、掌の熱の流れを緩やかにする。すると、黒い液体は少量ずつ滲み出て、岩に落ちるたびに「ジュッ」と小さな音を立てる。胸の圧迫感もわずかに和らいだ。


「なるほど……速度調整は有効か」


体に痛みが残るが、制御可能である手応えがあった。


さらに、液体の色や粘度、匂いも観察する。


「濃い黒、粘度は高い。匂いは鋭く、焦げたような臭い……呼吸しすぎると頭痛が出るかもしれないな」


意識を整理しながら体の反応を把握する。


掌に出す量を少し増やしてみる。すると胸の奥の圧迫感が強まり、腕の痺れも増してきた。息を整え、吐き気をこらえる。


「やはり代償は大きい。体が削られる感覚だ」


黒い液体を岩に落とすと、煙が立ち、表面がわずかに溶ける。楓はじっとその様子を観察する。 


「これ、もし生物に触れたらどうなるか……想像したくもない」


さらに、楓は毒の発生を止めて、掌を握りながら息を整えた。胸の熱は徐々に引き、右腕の痺れも少しずつ回復する。


「うん、制御できる。ただし無理は禁物だな」


胸の奥の痛みはまだ残るが、恐怖に押し潰されるほどではない。掌の黒い液体をじっと観察しながら、呟いた。 


「理解するしかない。量、発生速度、体への負担……全部把握すれば、生き延びる手段になる」


彼は掌を握り直し、洞窟の静寂に耳を澄ます。自分の体と毒の関係を確認する。


「これが俺の新しい現実か。だが、冷静に、慎重に。……それしか道はない」


洞窟の壁に響く自分の声だけが、彼の孤独な観察を包み込み、楓は毒と体の関係をじっくりと学んでいった。


楓は深く息を吸い込み、洞窟の冷えた空気を胸いっぱいに満たした。 


「よし、次はもう少しだけ増やしてみるか」


掌に意識を集中すると、胸の奥で再びあの熱が生まれる。熱は血管を通って右腕へと伝わり、指先に集まっていく。

にじみ出る黒い液体。さっきよりも明らかに多い。掌から零れ落ちた滴が、岩の上でじゅっと音を立て、煙を上げる。


「くっ」


胸が締め付けられるように痛い。思わず息が乱れる。


「胸が……苦しい……腕も……重い……」


右腕はじんわりと痺れ、指先が思うように動かない。さらに胃の奥がひっくり返るような吐き気が込み上げてくる。


「ーーまずいな。出しすぎは確実に危険だ……」


それでも、楓は冷静さを失わない。仕事で常にリスクを想定してきた習慣が染み付いている。  


「ーー出した量と体の反応を、しっかり記録しておくか。そうしないと次に同じ失敗をする」


彼は掌に出した黒い液体を見つめ、匂いを嗅ぎ取る。鼻に刺す刺激臭、喉に残る違和感。


「少し吸い込んだだけで気分が悪くなる。こいつは扱いを間違えたら自分が先に倒れるな」


岩の表面を見ると、黒い液体が染み込んだ部分が溶け、ざらついた跡が残っていた。


「毒性は強力だ。だが、出せば出すほど俺の体にダメージが返ってくる……」


右腕を揉みながら、楓は苦笑いを浮かべる。


「ーーなんて厄介な力を拾っちまったんだろうな」


数分かけて呼吸を整え、胸の痛みと吐き気が少し和らぐのを待つ。


「ーーふぅ。回復には時間がかかる。つまり、この力は連続使用には向いてない……か」


楓は岩壁に背を預け、目を閉じて考え込む。頭の中に浮かぶのは、自分が今見た光景、感じた体の変化、そして脳裏に流れ込んだスキル名。


《スキル【毒生成】》


「ーースキルってやつは、ただの便利な力じゃないんだな。使えば体が削られる。魔力を消耗し、肉体にも負担をかける……」


「ーーとなると、魔力の総量と体の耐久力が鍵になる。少なくとも、今の俺じゃ長くは持たないな」


楓は額を押さえ、ふっと苦笑を漏らす。


「ーー帰りたいとか言ってる場合じゃないな。まずは、この力とどう付き合うか。それを学ばなきゃいけない」


再び掌を開く。黒い液体はもう出ていない。ただ、じんわりと胸の奥に残る熱だけが彼に力の存在を思い知らせていた。


「魔力を使うと胸が熱くなる。逆に言えば、この熱が魔力の証拠なんだろう。だとしたら、魔力が尽きたらどうなる?」


楓は考え込み、吐息を漏らす。


「ーー最悪、死ぬかもしれない。いや、昏倒か。どっちにしても危険だ」


彼は腕を振り、拳を握り締めた。 


「ーーよし、次は限界を探る。どの程度までなら俺の体が耐えられるか……それを確かめるしかない」


そう呟くと、再び掌に黒い液体を呼び出した。今度は意識して、出す速度を緩やかにし、少量ずつ流す。胸の痛みはさっきよりも軽い。


「ーーやっぱり、急に出すと負担が大きい。小出しなら多少はマシか」


実験を繰り返しながら、楓は冷静に結論を整理していった。

「──毒は強力だ。だが、同時に俺の体を蝕む。魔力と体力、両方を削られる」

「──少量なら耐えられる。だが、大量に出すと命に関わる」

「──出す速度を調整すれば負担を軽減できる」


要点をまとめる。

「これが今の結論だな。次は、この毒をどう扱うか……考えないといけないな」


 魔力の消費量を測りながら、楓は実験に移る。指先で毒を振ると霧状に変化した。紫の靄が洞窟の空間に漂い、わずかに甘い匂いが鼻をつく。吸い込むと喉に刺激が走り、魔力の消費もさらに増える。


 その瞬間、脳裏に声が響いた。


《スキル【毒霧】を獲得しました》


 楓は息を呑む。スキルが自身の体に馴染み、意識が能力の構造を理解した証拠だ。魔力の消費量、作用範囲、形状の変化の法則が、言葉とともに体感として伝わってくる。


 次に、毒を針状に成形して岩に突き刺す。腐食はじわじわと広がるが、持続時間と範囲を自在に調整できた。魔力の消費も測定し、無駄を省く感覚を得る。


 再び頭に声が響く。


《スキル【毒針】を獲得しました》


 これで霧状と針状の毒を制御できる。液体の状態、霧、針――形状ごとの消費量と効果範囲も体で理解できた。魔力の残量に応じて使い分ける判断も直感的に可能になった。


 液体、霧、針。すでに三つの形態を確認した。ならば、もっと“細長い形”はどうだろうか。

 彼は掌に毒をにじませ、強く引き延ばすように意識した。

 じゅるり、と紫の粘液が細く伸びる。

 試しに両手を広げてみると、ねっとりとした線がつながり、ほのかに光る糸のようになった。

「ーー糸?」

 見た目は蜘蛛の糸を思わせるが、表面は微かに煙を立てており、触れればただでは済まない。

 恐る恐る近くの苔を撫でると、糸が触れた部分はじゅくりと黒く溶けて崩れた。


「腐食性あり……強度はどうだ?」


 彼は糸を巻き取るようにして何本も伸ばし、洞窟の天井にかけて引っ張ってみる。

 意外なほどに強靭で、自分の体重をかけても切れない。まるで鋼線のような抵抗感がある。


「これは……使える」


 蜘蛛の巣のように張れば、侵入者を絡め取れる罠になる。

 束ねればロープ代わりになり、崖の昇降や資材の固定に役立つだろう。

 土木現場で何度も見たワイヤーや繊維ロープを思い出し、楓は自然と用途をイメージしていった。


 さらに試しに、糸を手の中でねじり合わせる。すると一本の“毒縄”になり、腐食作用はやや弱まる代わりに弾力と耐久性が増した。


「濃度を調整すれば、殺傷力か強度かを選べる……まるで資材の選定みたいだな」


《スキル【毒糸】を獲得しました》


 毒スキルはどれも強力で、生存に役立つ可能性を秘めている。


 だが一つ、大きな問題があった。


「ーー揮発が早すぎる」


 岩に垂らした毒は数分もすれば黒い染みだけを残して消えてしまう。

 糸も、張って一刻もしないうちに脆くなり、指で弾けば簡単に砕けてしまう。


 作った毒を「その場で使い切る」なら問題ない。だが、常に即席では応用が効かない。

 罠を仕掛けても時間が経てば無効化され、戦闘中にしか役立たない。


 楓は腕を組んで思案した。


「ーー保存できなきゃ、資材としての価値がない。水も食料も、蓄えてこそ生存の基盤になるんだ」


 土木職員としての習慣が顔を出す。資材や燃料、工具は常に保管・管理を徹底しなければならない。

 毒も同じだ。安定して保存できれば、罠も道具も事前に準備できる。


 楓は再び毒を掌ににじませ、意識を変えてみた。

 “攻撃する”でも“形を変える”でもなく――“留める”。

 毒が空気に触れて散らぬよう、殻をかぶせるように。


 すると、不思議な感触があった。

 紫の液体がふっと落ち着き、粘度を保ったまま掌に留まり続けている。

 まるで見えない瓶に収められたかのように、揮発せず、腐食も起こさない。


「ーーできた?」


 恐る恐る岩に置いてみる。

 先ほどまでなら、すぐにじゅうっと煙を上げて溶かしたはずだ。だが今は、表面にただ丸く乗っているだけ。


 指で弾くと、ぷるりと弾力を返した。

 濃縮された毒液の塊が、安定して保存されている。


「ーー保存状態で保持できる……!」


 心臓が高鳴る。

 これなら毒を携行できるし、使いたいときに投げる、流す、仕掛けることが可能になる。

 まさに“資材化”。戦いにおいても、生存においても飛躍的に選択肢が広がる。


《スキル【毒保存】を獲得しました》


 毒を体外に出したあとでも、散逸せずに“凍結した時間”のように留める術。


 楓は保存状態の毒を手に取り、改めて呟いた。


「ーーこれでようやく、“使い捨て”じゃなくなる」


 土木現場の経験が、異世界での武器を形に変える。


 保存できるようになった毒を手のひらに転がしながら、楓は考え込んでいた。

 液体のまま持ち歩けるのは大きな進歩だが――使うたびに掌からすくい取るのでは手間がかかる。もっと即応性のある形が必要だった。


「……なら、形を決めて保存すればいい」


 楓は毒を意識的に丸く固めてみた。

 紫の液体はぐにゃりと形を変え、やがて透明な殻に包まれたように、掌で転がる“球”となった。

 ビー玉よりやや大きく、内部でとろりと光る毒液が揺れている。


「ーー玉だな」


 試しに、岩に向かって軽く投げつける。

 ぱしゅん、と玉が弾け、飛沫となった毒液が岩肌を濡らす。

 瞬間、じゅうっと煙が立ち、直径一尺ほどの範囲が黒く腐食して崩れ落ちた。


「ーーこれは使える」


 携行できる小型爆薬のようなものだ。

 即座に投げられる兵器であり、罠の“地雷”としても仕掛けられる。

 強度を調整すれば、すぐには割れない“運搬用”と、衝撃ですぐ弾ける“即応用”を作り分けられることにも気づく。


 楓は思わず口元を引き結んだ。


「――毒保存を、投擲兵器化……毒玉。そう呼ぶか」


 さらに板状に加工して保存し、腐食や浄化作用を維持したまま再使用できることも確認する。拡張性は高く、戦略的に応用可能だ。


 毒の性質、作用範囲、形状変化、持続時間、魔力消費、保存、拡張――すべてが頭にとして流れ、楓の体と脳に染み込んだ。

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