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エピソード18

 楓は、昼下がりの陽光に照らされた街の石畳を、ゆっくりと歩いていた。

昨日まで泊まっていた「緑の樫亭」の宿を出て、腹ごしらえを済ませた後のことだ。街の人々は皆、活気に満ちており、商人たちは声を張り上げ、子供たちが駆け抜けていく。だが楓の目的はもう決まっていた。――冒険者ギルドに向かうこと。


「さて、冒険者ってやつになれば、この世界のことももっと見えてくるか」

小さく呟き、歩を進める。


噂に聞いた冒険者ギルドは、この街でも特に大きな建物のひとつだと聞いていた。実際に近づくにつれて、周囲の人波が変わっていくのがわかった。鎧をまとった戦士、魔道士のローブを羽織った者、軽装に短剣を腰に下げた盗賊風の人物――どれもただの町人とは違う雰囲気をまとっている。


 そして視線の先、堂々とそびえる建物があった。


 二階建ての大きな木造建築に、白い石造りの柱が正面を支えている。まるで酒場と役所を合わせたような不思議な佇まい。入り口には獅子の紋章を刻んだ巨大な看板が掲げられており、そこに「冒険者ギルド アルディナ支部」と刻まれている。


扉の前にはすでに何人もの冒険者たちが集まり、依頼の話をしたり、笑いながら武器を磨いていたりする。中からは人々の喧騒と、酒場のような賑やかな声が漏れ聞こえてきた。


楓は一歩立ち止まり、その様子を見上げた。

「ーーこれが冒険者ギルド、か」


 異世界に来てから、強大なモンスターを倒し、力を得て、村を救い、遺跡を踏破してきた楓にとって、こうした「人の営み」を強く感じさせる場所は新鮮だった。


 扉を押し開けると、空気が一気に変わった。


 中は広いホールになっており、正面には依頼掲示板が壁一面を覆っている。紙がびっしりと貼られ、依頼内容が書き込まれているらしい。右手には酒場兼休憩スペースが広がり、テーブル席には多くの冒険者たちが食事をしたり、酒を飲み交わしたりしていた。左手の奥には受付カウンターが並び、数人の受付嬢が応対している姿が見える。


楓は思わず周囲を見回し、心の中でつぶやいた。

(ーーなんていうか、ゲームの中に入り込んだみたいだな)


だがすぐに、自分に注がれる視線に気づく。


「おい、見ろよ。あんなガキがギルドに来てやがる」

「はは、子供は家に帰って母ちゃんの手伝いでもしてろってんだ」

「いや、待てよ……あの仮面、妙に不気味じゃねぇか?」


ざわつきが広がる。


 仮面で顔を隠した小柄な楓の姿は、明らかに場違いだった。街中ではそれほど注目されなかったが、ここは冒険者の溜まり場。力や経験を誇る者が集う場所である。そんな中に、身長も低く華奢な体つきの少年のような存在が現れれば、笑いの種になるのは当然だった。


(ーーあー、やっぱりこうなるのか)

楓は肩を竦め、小さくため息をついた。


だがその一方で、内心は不思議と穏やかだった。

――日本にいた頃から自分は童顔だとよく言われていたし、背も高い方ではなかった。しかもこの世界の人間やルミアたちは平均的に背が高い。だから余計に「子供」に見えるのだろう。


「仕方ないか……」

仮面の下で小さく苦笑を浮かべながら、楓はホールの奥へと歩を進めた。


周囲からはまだ笑いやひそひそ声が飛んでくる。だが、彼の歩みは揺るがない。

受付カウンターの前に立ち、順番を待つ。


――やがて、楓の番が回ってくる。


そこで待っていたのは、栗色の髪を後ろでまとめた女性の受付嬢だった。制服のような白いシャツとベストに、落ち着いた微笑みを浮かべている。だが楓の姿を見た瞬間、目を瞬かせた。


「えっと……ご利用ですか?」


楓は軽くうなずき、短く答えた。

「冒険者登録をしたいのですが」


楓の丁寧な言葉と容姿に受付嬢はわずかに目を見開き、すぐに笑みを浮かべ直した。

「ーーかしこまりました。それでは、こちらへどうぞ」


しかしその声色の奥には、やはり驚きが隠しきれないようだった。

  

 受付嬢に案内され、楓は木製のカウンターの前に立った。近くには他の冒険者たちが依頼の手続きをしており、受付嬢たちと談笑する姿も見える。だが楓の周囲だけは少し違っていた。ちらちらと送られてくる視線、忍び笑い――それらが背中に突き刺さる。


「冒険者登録をご希望とのことですが……」

受付嬢は確認するように言葉を選ぶ。その目はやや戸惑いを含んでいた。


「はい」

楓は短く答える。


「ーーご年齢をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「三十四です」

「え……」


受付嬢は小さく息を呑んだ。

仮面を外していないとはいえ、小柄で華奢な体つき、声もどこか幼さを含んでいる楓が「三十四」と答えるのは意外だったのだろう。


(ーーやっぱり、子供に見られてるよな)

楓は心中で苦笑する。


「問題はありません。ただし、未成年の場合、後見人が――」

「俺、大人です」

きっぱりと言い切った。


受付嬢は一瞬、言葉を失ったように目を瞬かせ、やがて苦笑を浮かべた。

「ーーなるほど。少々失礼しました。では改めてご説明しますね」


彼女はカウンターの下から一冊の冊子を取り出す。それは「冒険者規約」と表紙に記された分厚い本だった。


「冒険者登録には、氏名、生年月日、それから血液での本人確認が必要になります」

「血液?」

「はい。この世界では、冒険者カードに魔力と血の情報を刻印し、本人証明とする仕組みになっています。これによって、他人が偽って使用することができないようになっているんです」


楓は小さくうなずいた。

(ーーなるほど、免許証みたいなものか。いや、もっと厳重か)


説明を受けていると、横から大きな声が飛んできた。


「おいおい! 本気で子供を登録させる気かよ!」


 振り返ると、筋骨隆々とした大男が立っていた。肩には斧を担ぎ、酒臭い息を吐きながらこちらを睨んでいる。その背後には数人の仲間もいて、面白そうに笑っていた。


「見ろよ、そのチビ。仮面なんてつけて……怖くて顔も出せねぇんだろ?」

「ハハ、ギルドカード作る前に紙オムツでも用意してやれ!」


周囲の冒険者たちから笑い声が広がる。


(ーーまたか)

楓は心の中でため息をついた。


受付嬢は困った顔をして、慌てて楓の前に立ちはだかった。

「やめてください! ギルド規約では、年齢と身元が確認できれば登録に問題はありません!」


 だが、男たちは一向に聞き入れる気配がない。むしろ楽しんでいるようだった。


楓は静かに仮面に手をかけた。


――カチャリ、と音を立てて外した瞬間。


周囲が一瞬、凍りついた。


 現れた顔は、驚くほど整った顔立ちだった。だがそれ以上に目を引いたのは、透き通るような白銀の髪と、鮮やかな紫色の瞳。その組み合わせはこの世界でも極めて珍しく、まるで絵本に出てくる幻想の存在のように見える。


そして同時に、その幼さだ。

滑らかな肌、あどけなさを残した輪郭――誰がどう見ても十代前半、下手をすれば十二、三歳にしか見えない。


「なっ……!」

「やっぱり子供じゃねぇか……!」


 先ほどまで笑っていた冒険者たちが、口を噤んだ。


 受付嬢も思わず息を呑み、小さく囁いた。

「ーーまるで、人形のよう……」


楓は淡々とした表情で言った。

「これで納得したか? 俺はこう見えても大人だ。……子供にしか見えないのは分かってるけどな」


「いや、やっぱり子供じゃねーか、登録して未成年だったら、ここから叩き出してやるからな!」


心の奥で自嘲めいた苦笑を浮かべる。

(ーー俺って、やっぱり相当子供っぽく見えるんだな。しょうがないか)


場に再びざわめきが広がる。だが今度は、嘲笑ではなく、困惑や戸惑いの色が濃かった。


受付嬢は小さく咳払いをし、話を続けた。

「ーーそれでは、登録手続きを進めさせていただきますね」


 ギルドの広間に響くざわめきが、まだ完全には収まっていなかった。

仮面を外した楓の姿――小柄で華奢な体つきに、童顔とも言える若い顔立ち。それでいて、その髪は銀色に輝き、瞳は宝石のように紫を宿している。その異質さに、周囲の視線は否応なく引き寄せられていた。


「ーーほんとに、子供にしか見えねぇ……」

「でも、あの髪と目……俺は今まで見たことねぇぞ……」

「貴族の子供か? いや、でも身なりは冒険者志望の……」


冒険者たちの囁きが、渦のように広がっていく。


楓は周囲の視線に動じることなく、淡々と受付嬢の正面に視線を戻した。

(ーーこうなると思った。やっぱり俺は、この世界の人間から見ても浮いてるらしい)


 受付嬢は少し緊張した表情を見せながらも、仕事に戻ろうとするかのように背筋を伸ばした。

「ーーそれでは、楓様。冒険者登録の手続きを続けてもよろしいでしょうか」


「はい、お願いします」

楓は短く返事をした。


 受付嬢は机の引き出しから、木製の小箱を取り出す。

「こちらが登録用の魔導具です。中に契約用のカードが一枚入っています。これに血を一滴落としていただき、魔力を流し込んでいただければ――」


 楓は眉をひそめた。

「魔力を流す……?」


「ええ。魔力の有無は問いません。ほんの少し、体内の流れを意識していただければ大丈夫です。……初めてでしたら、こちらで誘導もできますので」


楓は心の中で頷いた。

(……魔力。毒を扱ったときに流れるあの力と同じものだろうな。俺にとっては呼吸みたいに自然な感覚だ)


 受付嬢がカードを差し出す。光沢のある銀色の板で、片面は何も刻まれていないが、表面に魔法陣のような模様が薄く浮かんでいた。


「では、こちらに指先を軽く傷つけていただき、血を一滴お願いします」


楓は短剣を受け取り、左手の人差し指をわずかに切った。血が一滴、カードの中心に落ちた瞬間――


――ぼう、と淡い緑色の光が広がった。


周囲が一斉に息を呑む。


「おい、見たか……?」

「普通は赤か青に光るんだろ……? 緑なんて聞いたことがねぇ……!」


ざわつきが再び強まる。受付嬢も、驚きのあまり言葉を詰まらせた。


(ーー普通じゃないのか?)


 だが次の瞬間、光はすっと収まり、カードに文字が刻まれていった。


 受付嬢の白い指先が光る水晶球から離れると、机の上に置かれていた一枚の金属板が淡く光を帯び、刻印が浮かび上がっていく。


やがて光は収まり、カードは静かな輝きを残した。


【冒険者登録カード】

氏名:楓

年齢:17

所属:冒険者ギルド

ランク:F


受付嬢は恭しくカードを両手で差し出した。

「こちらが、楓様の冒険者カードになります。年齢は少し?違っていましたが、成人されているので問題ありません。以後は依頼の受注や宿泊の身分証明などにお使いいただけます」


楓はカードを受け取り、手の中でそっと眺める。

薄い金属板の表面は冷たく硬質で、確かな存在感を放っていた。


「え……俺、17歳……?」


楓はつい、半信半疑で端末の係員を見た。すると係員は落ち着いた声で告げる。


「血液情報を元に登録しています。間違いありません、貴方の身体年齢は17歳です」

(存在進化の影響か……年齢まで変わるのか

まぁ今は気にしてた仕方ない)


楓は思わず手を止め、額に汗をにじませる。


「それに……ランク、F?」


受付嬢は頷き、穏やかに説明を始める。

「冒険者には活動実績に応じてランクがございます。下からF、E、D、C、B、A、そして最高位のSと分かれております。楓様のように初めて登録される方は、すべてFからの開始となります」


彼女は机の引き出しから羊皮紙を取り出し、指で順に示していった。

「Fランクは主に街の雑用や小規模の依頼を任される段階です。例えば荷物運びや草むしり、害獣の駆除など、危険度の低い依頼が中心となります。

実績を積み、信頼を得ることで少しずつランクは上がっていきます。E以上になると街の外での討伐依頼、C以上からは遠方の護衛や大規模な魔物退治が可能となります。

そしてB以上の冒険者は国からも注目され、AやSともなれば国家の戦力と見なされるほどです」


楓はカードを指先で弾き、小さく息を吐いた。

「なるほど……つまり最初はお使い仕事と言うことですね」


受付嬢は申し訳なさそうに微笑む。

「はい。しかし、それは誰しもが通る道です。大切なのは、冒険者としての実績を積み重ねていくことにございます」


その説明を聞きながら、楓は心の中で小さく呟いた。

(ふむ……まあ、地道にやるしかないか。いきなり本気を出すわけにはいかないしな)


だがその瞬間、背後から小さなざわめきが広がった。


「見たか? 今、登録の時……」

「ああ、光が……妙な色だった」

「普通は赤や青の輝きだろ? あんな……緑がかった光なんて初めて見たぞ」


 冒険者たちがひそひそと声を交わし、視線を楓に注ぐ。

 疑いと好奇心、そして侮蔑が入り混じった眼差しだった。


「ちっちゃいガキじゃねぇか」

「ランクもFだろ? どうせすぐ辞めるさ」


楓は無言のままカードを懐にしまった。


(ーーまあ、こういう目で見られるのは慣れてる。俺が本気を出したら驚くくせに)


視線を逸らし、静かに歩き出す。


だが、その時――。


「おい、待てよ坊主!」


広間の一角から大柄な男が立ち上がった。背には大剣、胸には古傷。見るからに歴戦の冒険者だった。


楓は振り返り、仮面の奥で目を細める。


「ーーなんだ?」


男は口角を吊り上げた。

「そのカード、本物か? 怪しいもんだな。妙な光を放った上に、そんなガキが冒険者だとよ」


周囲がざわつく。誰も止めようとしない。


その空気を切り裂いたのは――受付嬢の鋭い声だった。


「そこまでです!」


机を叩いた音が、広間に響き渡る。


「楓様の登録は正規の手続きによるものです! 不正や細工は一切ございません。ギルドが発行したカードを疑うことは、すなわちギルド全体を侮辱する行為です!」


 冒険者たちは押し黙り、男も渋々舌打ちをして座り込む。


 楓は受付嬢を一瞥し、短く言った。

「助かりました」


受付嬢は微笑んで首を振る。

「いえ。ギルドが保証した以上、楓様は立派な冒険者です。どうぞ胸を張って活動なさってください」


楓は静かに頷き、広間を後にした。


(ーーふぅ。ここで本気を出す必要はなかったな。冒険者ランクはFでも、今の俺には関係ない。問題は……これからどう動くか、だ)


 楓は手にしたばかりの冒険者カードを小さく眺め、胸の奥にほんのりとした実感を抱いていた。

薄い金属に刻まれた自分の名前、そして「ランクF」という文字。そこには特別な力も称号も書かれてはいない。けれど、今この街で「冒険者」としての第一歩を踏み出した証だった。


(ーーとりあえず、これで正式に依頼を受けられるようになったわけか)


心中で呟きながら、楓はふと顔を上げる。視線の先には、広間の奥に設置された大きな掲示板があった。厚い木板に並んで打ち付けられた数えきれないほどの紙片。近くまで行かずとも、冒険者たちの活気ある声がそこから響いてくる。


「おい、こっちはもう誰か受けちまってるぞ!」

「なんだよ、またゴブリン退治か……。小銭にしかならねぇな」

「街道沿いの護衛依頼、報酬は良いけど日数かかるな」


 掲示板の前には、鎧や武具を身に着けた男女が群がっていた。長剣を腰に提げた屈強な戦士、軽装に小回りの効きそうな盗賊風、杖を携えた魔術師らしき人物。彼らは紙を引き抜いたり、声を掛け合って仲間を集めたりと忙しなく動いている。


楓はゆっくりと掲示板に歩み寄った。


その途中、ちらほらと視線を感じる。

背の高い冒険者たちが、仮面をつけた小柄な人影に気づき、訝しげに目をやっていたのだ。だが、誰も声をかけてくるわけではない。せいぜい「新人か」「あの仮面はなんだ」とひそひそ交わす程度。


(まあ……初めて見る奴がいれば、気にするのも当然か。俺だって逆の立場ならそう思うだろう)


 楓は視線を気にする素振りも見せず、淡々と足を進めた。


 掲示板のすぐ近くに立つと、その迫力に思わず息をのむ。

 羊皮紙や厚紙に書かれた依頼文は、文字の形や文体もまちまちで、読み手にすぐ内容が伝わるよう工夫されていた。


――「近郊の森にて狼の群れ出没、討伐依頼」

――「薬草採取、指定された種類を一定数」

――「行方不明の家畜の捜索」

――「護衛募集:北方の村まで三日の行程」


文字だけでなく、簡単な絵が添えられているものも多い。牙を剥いた魔物の絵、薬草の葉のスケッチ、街道を示す地図の一部。


 掲示板を前に立ち尽くしていると、隣にいた屈強な斧使いの男が、ちらりと楓に視線をよこした。


「おう、新顔か。依頼見るのは自由だが、Fランクじゃ選べる仕事は限られてるぜ」


 言葉に棘はなく、ただの忠告だった。楓は軽く会釈を返す。


「助言ありがとうございます」


 仮面越しの礼に、男は「ああ」とだけ応じて、自分の仲間の元へ戻っていった。


 楓は改めて掲示板に目を走らせる。

 受付嬢の話では、Fランクが受けられる依頼は主に雑用や初歩的な討伐。だがその中にも、楓にとって都合の良い仕事があるかもしれない。


(資金は盗賊から奪った分でしばらく困らない。だけど、冒険者として活動する以上、正規の依頼をこなして実績を積んでいく必要があるな)


そんなことを考えながら、一枚一枚、依頼票に目を通していった――。


 楓は掲示板の前でしばし立ち止まり、数えきれない依頼票に視線を滑らせた。

短剣を扱う盗賊風の冒険者が紙を引き抜き、仲間と相談する横で、楓は仮面の奥から紙片の一つひとつを吟味する。


(ーー討伐依頼、採取依頼、護衛、捜索……やっぱりFランクだと手軽なものが多いな)


一つ一つに目を通す中で、楓はふと目を留めた。


――「地下排水路の魔物退治」


 文字は太く、墨で強調されている。詳細を読むと、街の地下に広がる排水路に巨大化したネズミや不快な虫型魔物が住み着き、衛生や安全に問題を引き起こしているらしい。依頼者は街の自治組合、報酬はそれなりに良い金額が提示されていた。


(ーーなるほど、排水路の害獣駆除か。毒が効きやすい相手だろうし、俺に向いているな)


 内心で小さくうなずく。

 楓にとって「毒」はただの武器ではない。彼の存在と切り離せぬ力であり、扱い方を誤れば一瞬で周囲を滅ぼしかねない。だが、こうした場で使えば疑問を抱かれることなく役立てることができる。


掲示板の紙をじっと見つめていると、隣から声がした。


「ーーお前、あの依頼に興味あるのか?」


 振り返ると、革鎧に身を包んだ若い冒険者がこちらを覗き込んでいた。髭もまだ薄く、年齢は楓と大して変わらないように見える。だが、彼の視線には「経験者が初心者に助言する」ような余裕があった。


「地下排水路の退治、あれは人気ねぇんだよ。臭ぇし暗ぇし、魔物は気持ち悪ぃしな。ほとんどがネズミか羽虫だが、たまに変異種も出るって話だ。腕に覚えがあるやつじゃないと、病気をもらって終わりだぜ」


楓は静かに相手の話を聞き、やや間をおいて答えた。


「なるほど……ですが、俺にはやりやすそうです」


「へえ?」若い冒険者は目を丸くした。「まあ、好きにすればいいけどな」


 軽く肩をすくめて離れていったその背中を見送り、楓は再び紙に視線を戻す。


(病気や毒を恐れる依頼……普通なら嫌がられるのも当然だ。でも、俺にとっては逆に有利な条件だな。害獣退治なら全力を隠したままでも十分やれるはずだ)


楓は依頼票を掲示板から引き抜き、しっかりと手に握りしめた。


受付に戻ると、先ほどの女性職員がすぐに顔を上げた。

「依頼が決まりましたか?」


楓は静かに紙を差し出す。


「はい。これを受けます」


彼女は紙を受け取り、さらりと目を通すと、思わず苦笑を漏らした。

「ーーまた、この依頼ですか。挑戦する新人さんは多いんですが、途中で放り出して戻ってくる方も少なくなくて」


 その声音に、どこか心配の色が混じる。だが楓は淡々と応じた。


「大丈夫です。引き受けます」


短く答えるその口調には、奇妙な確信がにじんでいた。


 受付嬢は小さくため息をつき、依頼票に印を押してから楓に返した。

「ーーわかりました。ではこちらが正式な依頼書です。場所は西側の下水路入口、案内の看板が出ています。終了の報告はこのカウンターまでお願いします。……どうかお気をつけて」


楓は軽く会釈をし、依頼書を懐に収めた。

その一連のやり取りを、少し離れた席から数人の冒険者が面白そうに眺めているのが視界に入った。


「おい、あの仮面の奴、下水掃除を受けやがったぞ」

「はは、三日も持たねぇな。すぐに逃げ帰ってくるさ」


そんな囁きが耳に届いたが、楓は気にも留めず、足を出口へと向ける。


(地下排水路……まずは、どんな魔物が出るのか確かめないとな)


扉を押し開けると、外の街路に光が溢れ込んだ。

こうして楓の、最初の正式な依頼が始まろうとしていた。


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