エピソード13
朝の薄明かりが森の木々の隙間から差し込む。楓は、昨夜の焚き火の名残の煙がかすかに漂う中、村の外れに立ち、遠くの村の景色を見渡した。子どもたちはまだ寝静まり、大人たちも起きて準備をしている。
「ーーいろいろお世話になったし、しっかり守らなきゃな」
楓は小さく呟く。自分が村を救ったことで、村人たちは楓様と呼び、深く敬意を示してくれている。しかし、彼の中ではそれ以上の責任感が芽生えていた。
楓は腰の装備を確認し、掌に紫色の光を集中させる。
「よし……毒を使って、村の防衛を作るか」
ーー毒沼の生成
楓は力を内にこめる。毒操術の制御はまだ完璧ではないが、毒無効を手に入れてからは、自身が毒の影響を受ける心配はなくなった。これにより、全力で毒を扱うことができる。
地面に手を触れ、意識を集中させると、紫色の霧が足元から立ち上がる。霧は地面に吸い込まれるように広がり、次第に土壌が変質していく。
「ーーよしっと、流れを安定させるために……ここまでか」
楓は吐息をつきながら、周囲にゆっくりと毒を浸透させる。霧はゆらめき、地面に定着して沼状に変化していく。長く置いても枯れない、継続する毒沼が完成するまでに、数分以上の集中が必要だった。
楓は地面を踏みしめ、毒の流れを手で押さえながら、沼の深さや広さを調整する。
「これで、村の周囲に侵入してきたやつは、簡単には入れなくなるだろう」
沼の表面からは、紫の霧がかすかに立ち上り、風に乗って匂いも漂う。人間やルミアには無害だが、侵入してくるモンスターには強力な毒となる。
楓はさらに手を動かし、毒生命創造で小型の竜を創造する。体長は一メートルほどで、翼も小さいが、体からは毒の瘴気が漂う。
「よし、お前は村を守る番だ」
創り出した竜は、地面に降り立ち、羽を広げる。紫色の鱗が光を反射し、体内の毒の流れが見える。
楓は竜の頭に手を触れ、意識を繋ぐ。
「これからここに留まって、村を守れよ。侵入者を見つけたら、毒を浴びせろ」
竜は小さく咆哮し、楓の命令を理解している様子を見せる。
楓は手を振り、毒沼の縁を整える。竜は沼の中に立ち、周囲を監視する。毒と竜の連携により、村への接近は困難になる。
「ーーこれで、ある程度は守れるだろう」
楓は立ち上がり、村を振り返る。遠くで村人たちが家の中から覗いており、楓様と呼ぶ声が聞こえる。
村の安全を確保したことに一瞬安堵し、楓は深く息を吐いた。だが、すぐに視線を前に向ける。
「俺はこれから、人間の国に向かわなきゃ……」
楓は村人たちに向かって声をかける。
「村の周りは、ある程度守れたと思うよ。」
村長のセリオは深く頭を下げる。
「楓様、本当に……ありがとうございます。お守りくださって……」
ミレナも近くで礼をする。
「楓様……どうか、お気をつけて」
楓は軽く手を振り、笑みを見せた。
「分かった。行ってくるよ、いろいろありがとーみんなも元気でな」
楓は荷物を整え、装備を確認する。紫の目が光を反射し、銀色の髪が朝日に揺れる。毒の力は背中の小型竜に引き継がれ、毒沼の維持も任せられる。
「さあ、行くか……」
楓は村の出口へと歩を進める。振り返れば、毒沼と小型竜が村の安全を守る。村人たちは深く頭を下げ、感謝と敬意を示す。
森の中を進みながら、楓は人間の国への道を思い描く。力の制御、毒の応用、そして異世界での目的……すべてを胸に刻みつつ、一歩一歩踏みしめていく。
村を出てから、どれほど歩いただろう。
村を後にした楓は、深い森の小径を歩いていた。昼間だというのに木々の枝葉が空を覆い、道は昼なお薄暗い。
村を守るために置いてきた小竜と毒沼のことが頭に浮かぶが、もう振り返らないと決めた。次に目指すのは、人間の国――情報を求めて。
そんな時だった。
木陰から、ガサリと音がした。すぐに楓は立ち止まる。毒の気配を指先に集め、必要なら放つつもりで。
「ーーおい、あんた。そこで止まれ」
低く、鋭い声。
前方の茂みから姿を現したのは、一人の女だった。上半身は人間に近いが、腰から下は艶やかな鱗に覆われた大蛇の尾――ラミアだ。手には弓を持ち、矢を番えてこちらを狙っている。
「なんだ、いきなり弓向けてきて。通りすがりだっての」
「……通りすがり、ね。怪しい格好してる奴を信じろって方が無理だろ」
女の目は鋭く、獲物を射抜く狩人のそれだ。
楓は肩をすくめて、仮面を軽く上げる。紫の瞳が露わになると、女はわずかに眉をひそめた。
「……人間、か? いや……違うな。何者だ」
「名前は楓。人間の見習い冒険者さ。で、お前は?」
「……ミリア。森で狩りをして生きてる」
そう言って彼女は弓を下ろしたが、警戒は解いていない。
楓はわざと大きくため息をついた。
「別にケンカ売りたいわけじゃないって。道を通りたいだけだ」
「……ふん、なら勝手にしろ。ただし、この辺りは物騒だ。妙な連中が徘徊してる」
「妙な連中?」
「盗賊だよ。獣よりたちが悪い」
その言葉に、楓はわずかに口角を上げた。
盗賊。もし遭遇したらどうなるか――試すのも悪くない。
森をさらに進んでいくと、すぐにその「妙な連中」は現れた。
五人ほどの猪の牙のような歯が生えたラミアの男たち。剣や棍棒を持ち、道を塞ぐように広がる。
「おいおい、こいつ人間か? こんな森を一人で歩くなんて、命知らずだな」
「荷物置いてけよ。命までは取らねえからさあ」
典型的な盗賊の口上。だが楓は表情ひとつ変えず、逆に鼻で笑った。
「ーー急になんなんだ。盗むってことは盗まれる覚悟あるってことだよな?こっちが盗んでやるって言ったら、どうする?」
「こいつ、なに変なこと言ってんだっ?やっちまおうぜ」
盗賊たちが向かってくると、楓はそこへ手をかざす。
(こいう連中には隠さなくていいよな)
淡い紫の靄が指先から滲み出し、男たちの足元に広がった。草がしおれ、土が黒く染まる。
「ひ、ひぃっ……!」
「な、なんだこの紫のは、、毒なのか……!」
たちまち盗賊の顔色が変わった。武器を握る手が震え、後ずさる。
楓は一歩踏み出し、声を低める。
「なぁ、どうせ他にも仲間がいるんだろ、そこに案内しろよ。……それとも、この場で溶けて死ぬか?」
「わ、わかった! 案内する! だから殺さないでくれ……!」
盗賊の一人を先頭に、森の奥へ。
岩山の麓に掘られた粗末な洞窟――そこがアジトだった。中には数人の盗賊がいたが、紫の毒を見せつけられるとすぐに腰を抜かした。
「よ、ようこそ……俺たちの巣へ……」
「ようこそ、じゃないだろ。今まで盗んだものを全部だしてみようか」
楓は無造作に手を振ると、毒の靄が洞窟内に漂った。盗賊たちは慌てて袋や箱を差し出す。
金貨、銀貨、宝飾品――それなりに稼いでいたらしい。
楓は一つひとつを確認しながら、くつくつと笑った。
「おぉすごいな、思ったより持ってるな。……これだと俺が盗賊ってわけだな」
「ひ、ひどい……!」
「お前らが言うなよ」
あっけなく主従が逆転していた。
盗賊たちは涙目で土下座し、楓の機嫌をうかがうしかなかった。
洞窟の奥には松明が焚かれ、粗末な机と椅子、それに積まれた箱がいくつも並んでいた。
盗賊たちは震える手で箱を開け、次々と宝を差し出していく。
金貨の詰まった袋。
銀細工の首飾りや指輪。
獣の毛皮を加工した高級品。
中には明らかに高価な物や商人から奪ったとわかる品々もあった。
「へぇ……すごいな、こんなに抱えてて、よく今まで捕まらなかったな」
「そ、それは……森の奥に隠れてたからで……!」
「でも、こうして俺に見つかってるし。運が悪かったな」
楓は大きく膨らんだ皮の袋を手に取り、軽く振った。じゃらじゃらと音が響く。
盗賊たちはその音に目を奪われながらも、毒の靄に怯えている。靄は洞窟の天井に漂い、まるで逃げ場を塞ぐ網のように広がっていた。
「おい、まだ奥にあるんだろ。全部持ってこい」
「ひぃっ……! す、すぐに!」
(試しに言ってみただけなのにほんとにあるのかよ)
二人の盗賊が慌てて奥の棚をひっくり返すように探し、黒い布に包まれたものを持ってきた。
布をほどくと、中から奇妙な短剣が現れた。刃は黒ずみ、まるで毒が染みついているかのように禍々しい光沢を放っている。
「ーーなんだ、これ」
「し、知らねえ! 襲った商人が運んでた荷のひとつで……呪われてるとか噂が……!」
楓はしばらく短剣を眺めた後、鼻を鳴らした。
確かに普通の武具とは違う。刃から漂う気配が、楓の纏う毒とどこか似ているように感じられた。
「まぁ..…今のところ害もないしもらっとくか」
短剣を腰に差すと、盗賊たちは絶望した顔をした。
楓は椅子に腰を下ろし、足を組んだ。毒の靄は相変わらず洞窟を包み込み、盗賊たちは膝をついたまま動けない。
「なぁ、お前ら。ここまでやっておいて、まだ俺に逆らう気ある?」
「な、ない! 絶対にないです!」
「これからは二度と村や旅人を襲わねぇ! 誓う!違います!」
涙声で叫ぶ盗賊の姿は、もはや山賊の威勢など微塵も残っていない。
楓は笑いもせず、冷たい目を向けた。
「誓う? 言葉だけで信用できると思うのか?」
「ひ、ひぃ……!」
その瞬間、毒の靄がひときわ濃くなり、盗賊達の腕に刻印を刻んだ。
男は悲鳴をあげる。
「――あ、ああああっ!」
「これは毒の刻印だ。俺の言ったことを守らなければ毒が体中に流れ込む。試したくなけりゃ、本気で変われ」
その言葉に、盗賊たちは一斉に地面に頭をこすりつけた。
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、必死に命乞いをする姿は滑稽ですらあった。
その時だった。
洞窟の入り口から、かすかな気配がした。
楓はすぐに気づき、毒を操って入り口を塞ぐように広げる。
「ーー誰だ」
松明の光の中に現れたのは、昼間出会ったラミアの狩人――ミリアだった。
弓を手にしながらも、楓を見つけてすぐに矢を下ろす。
「やっぱりここにいたか。盗賊を見つけたと思ったら、あんたが先に片付けてたとはね」
「ーーつけてきてたのか」
「森で毒の気配を感じた。普通の人間が出せるもんじゃない。気になってな」
ミリアの視線は、泣き崩れる盗賊たちと、楓に従順に差し出された宝へと向いた。
そして小さくため息をつく。
「ーーあんた、ただの冒険者じゃないな」
「いやただの見習い冒険者さ」
「へぇ……だだの見習い、ね」
ミリアの金色の瞳が、暗闇の中でじっと楓を射抜く。
敵意ではなく、興味――いや、試すような色が宿っていた。
楓と、ミリアの鋭い視線がぶつかり合う。
盗賊たちは息を潜め、二人の間にただならぬ空気が流れた。
「……毒?なんなのこれ、お前が出してるのか」
「俺自身もよくわからないが俺の力だ。こいつらを倒して、試してる最中ってとこかな」
楓の言葉に、ミリアはしばらく黙った。
その尾が床を擦り、鱗のきしむ音が微かに響く。
「なるほど。人間にしては妙に落ち着いていると思ったが……ただの人間じゃないわけだ」
「お前は? ただの狩人にしちゃ、ずいぶんと勘が鋭いな」
「ラミアの狩人は、獲物の匂いと気配で生きてる。毒の匂いなんて、普通なら結構先からでも気づく」
楓は笑みを浮かべた。
なるほど、彼女は生き物を追うことに長けている――だから、森で出会った時から視線が鋭かったのだ。毒をもっと抑えれるようにならなきゃな。
「で? 俺を追ってきて、どうする気だったんだ」
「決めてない。ただ……確かめたかった。あんたが森を汚す怪物か、それとも……」
ミリアの声にはためらいがあった。
彼女にとって毒を纏う存在は「脅威」でもあり「好奇心の対象」でもあるらしい。
楓は机に出されていた羊皮紙を手に取り、皺だらけの表面を広げた。描かれているのは簡素な地図と、古代文字で記された注釈。
「ーーなんだこれは」
「古代遺跡の地図だな」ミリアがすぐに言った。
その声は確信に満ちていた。狩人として長く森を歩き、様々な噂や伝承を耳にしてきたからだろう。
「古代遺跡?」
「ああ。森や山の奥に、時々現れる。崩れかけた神殿や塔だ。大抵は何も残ってないが……稀に珍しい武具や、不思議な道具が見つかるって話だ」
楓は胸が高鳴るのを抑えられなかった。
珍しい道具。未知の知識。もし、その中に――
(日本に戻るための手がかりがあるかもしれない……)
この世界に来てから、楓はずっと元の世界に戻る方法を模索していた。力を得て、戦う術を覚え、少しずつ歩みを進めてきたが、それはただの生存のために過ぎない。
だが、この遺跡なら――希望がある。
「ーー行って見るしかないな」楓は呟いた。
「そう来ると思った」ミリアの目が鋭く光る。「私も行く。遺跡で手に入る物は高値で売れる。狩人の勘だが、今回はただの噂じゃ終わらない気がする」
楓は短く頷いた。
「いいだろう。ただし、俺の邪魔はするなよ」
「ふふ、安心しな。私は仲間を裏切る趣味はない」
そのやり取りの横で、盗賊たちは土下座を続けていた。
楓は彼らを一瞥し、毒で刻んだ烙印がまだ肌に浮かんでいるのを確かめる。
「ーーお前らは好きにしろ。ただし、二度と悪事を働けば俺の毒が目を覚ます」
「は、はいぃっ!」盗賊たちは震えながら頭を下げ続けた。
こうして楓とミリアは、偶然手にした古代遺跡の地図を頼りに、新たな旅路へと踏み出すのだった。
楓にとっては――帰還の可能性を求める、最初の道標だった。