魔法という禁忌
二年の月日がたち__
ライルとの共同生活はそれなりに快適で、あの夫人——クラリッサ・バルクストンにも、温かく見守られていた。
それでも、俺の中にある“それ”が騒ぎ始める。
(そろそろ……再開するか)
創作魔法。俺の中の唯一の力。
村を焼かれ、命を狙われ、あの日、魔物すら倒せなかった。
けれど、もう一度、前を向くために——俺は、また始めようと思った。
使用人の目を避け、屋敷の中庭の一角、人目のない木陰で、俺は手を広げる。
(いける。マナの循環も、少しわかってきた)
想像する。形、色、重さ、意味。
手の中に浮かび上がるのは、丸くて小さな石のようなもの。
——ぽんっ。
手のひらに、それは現れた。
「わああっ!? 何もないところから、ものが出たーっ!!」
驚いた声とともに、後ろから足音が弾けた。
振り返ると、そこには俺の専属メイド、例の**ドジっ子(本名:ミレイ)**が、両手で顔を押さえながら立っていた。
(あー……やっちまった)
「ミ、ミレイ! 今のは、見なかったことに——」
「奥様に報告しなきゃっ!!」
「待て待て待てぇっ!」
叫ぶ俺を振り切り、ミレイは本気ダッシュで屋敷の廊下を走っていった。
—
「……それで? ミレイ?」
「は、はいっ! ノア様がですねっ、な、なにもないところからっ、ぽんって、ぽんって物を出してっ! すごい能力なんですっ! ……嘘とかじゃなくてっ!」
報告を聞いていたクラリッサ夫人とデュラン。
デュランはニコニコと腕を組んでいる。
「ほほう〜、それがほんとなら、すごいじゃないか〜! ハハハ!」
だが、その隣で——
クラリッサ夫人の表情が、凍りついていた。
蒼い瞳が細まり、唇が真一文字に結ばれる。
「——ノアと、二人にさせて」
「えっ、クラリッサ?」
「人払いを」
「……う、うん」
その気迫に、デュランすら素直に従った。
—
誰もいなくなった静かな応接室で、クラリッサは椅子にも座らず、俺の前に立ったまま低く言った。
「……あなた。魔法が使えるのね?」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
嘘はつけなかった。
ゆっくり、でもはっきりと、うなずいた。
クラリッサは、何も言わず、ぎゅっと額を押さえる。
「……なんてこと。まさか、こんな形で……」
彼女が動揺するのを、俺は初めて見た。
完璧で冷静な“貴族の女”が、今、ただの一人の母のように、困惑していた。
「ノア。魔法は——この国では存在自体が国家機密。国民の誰も、“魔法”という言葉すら知らない」
「……でも、俺の両親は……魔法のこと、知ってました」
「……!」
その言葉に、クラリッサの瞳が大きく見開かれる。
「彼らは、何者だったの?」
「……わかりません。普通の農民……だと思っていました」
なぜ父と母は“魔法”を知っていた?
なぜ「人前で使うな」とまで言えた?
(……もしかして……あの二人も……?)
答えの出ないまま、クラリッサが口を開いた。
「明日、王都に行くわ」
「……え?」
「あなたの存在は、もう私一人で抱えられるものではない。王城の中央機関に、報告しなければならない」
(……マジかよ)
事態は、想像以上に大きくなっていた。
クラリッサはしばらく黙っていた。
だがその沈黙は、重く、冷たく、緊張感を帯びていた。
やがて、彼女はポツリと漏らした。
「……私も、知っていたのよ。“魔法”の存在を」
「えっ……」
「王都には、“中央魔導管理院”という組織がある。そこが、国家機密として魔法に関するすべてを統括しているの」
彼女の言葉は、静かだった。
「私の実家は、古くから中央と関係を持つ貴族の家系。……私自身、幼い頃に一度だけ、“魔法”という力に触れたことがある」
その時の彼女の瞳には、ほんのわずかに、怖れのような光が宿っていた。
「だからわかるの。あなたが今置かれている立場が、どれほど危ういものか」
「……危うい?」
「もしも中央に知られれば、あなたは“研究対象”として扱われるわ。保護される保証はない」
(……そういうことか)
俺の体が、少しだけ震えた。
魔法を使えるというだけで、国家に管理される。
それが、この世界の“魔法の現実”だった。
「でも、王都に行くんですよね」
「行くわ。私があなたを“推薦者”として引き取ったという正式な手続きを取る。王都の中央に、あなたの力を“脅威ではなく価値あるもの”として報告するために」
「……ありがとうございます」
それしか言えなかった。
「準備は私が整えるわ。明日、日の出と共に出発する。今日はゆっくり休んで」
俺はうなずいた。
—
夜。
屋敷の中庭にひとり出て、空を見上げた。
星は静かに、夜空の中で瞬いている。
「魔法って、そんなに危ないものなのか……」
呟いた言葉は、風に溶けていった。
気づけば、足音が後ろから近づいてきた。
「なに見てんだ?」
振り返ると、ライルがいた。
「……星。明日、王都に行くらしいからさ。見納め」
「王都!? すげーじゃん!」
「すごいって……お前、魔法が国家機密って知ってた?」
「は? なにそれ、怖。魔法ってなに?」
(……やっぱり、知られてないんだ)
「俺、ちょっと面倒なことになったかも」
「じゃあさ、帰ってきたら俺に教えてくれよ。魔法ってやつ」
「……ああ、約束な」
ライルと拳を軽く合わせたその瞬間だけ、俺の心の不安はほんの少し、軽くなった。
明日、俺は王都へ向かう。
“魔法”という言葉を、胸に秘めながら。
—