一夜の脱出計画(後編)
「それで先生、どんな脱出通路を用意してくれたんですか?」
ノアの声には、希望の光がにじんでいた。
だが——
「ん? ああ、ないけど?」
小林の返答は、あまりにもあっさりしていた。
「……え? 助けに来てくれたんじゃないの?」
「この俺に、そんな高等技術ができるわけないだろ?」
にやりと笑う小林。だが、ノアは笑えなかった。
「そんなことできるなら、フィーネさんあたりがとっくに実行してるって」
「……」
—
ノアの中の希望が、音を立てて崩れていく。
「はは……なんだよ、それ……」
そのまま、壁際にへたり込みそうになる。
(やっぱり……だめか……)
拳を握る。涙がこぼれそうだった。
—
だが小林は、その手をポケットから出して、何かを差し出した。
「泣くなって。手ぶらで来たわけじゃないからさ」
ノアの前に差し出されたのは、小さなガラス瓶。
「……これは?」
「“マナポーション”だってさ」
「マナ……ポーション……? そんなもん、この“魔法が衰退した世界”にあるわけないじゃないですか」
ノアが信じられないという顔で言うと、小林は肩をすくめた。
「俺もそう思った。けどな、部屋に戻ったら、これと一緒にメモがあったんだよ」
「“これを彼に渡して”って」
ノアは瓶をじっと見つめた。
「……誰が?」
「わからん。でも、俺からはもう何もしてやれないと思ってたからさ。
それでも……藁にも縋る気持ちで、これを持ってきた」
—
ノアはポーションを手に取り、握りしめた。
だが、吐き捨てるように言った。
「今さら……魔法が使えるようになったとして、何になるんですか」
「お前、本当に頭回ってないんだな」
小林の声が、どこか呆れたように、でも優しく響いた。
「“テレポート”で逃げれば、万事解決だろ?」
—
ノアの心に、再び小さな火が灯る。
(……そうか。逃げ道は……まだある)
—
再び、希望が息を吹き返した。
ノアはポーションを握りしめたまま、小林に言った。
「……先生、本当に、ありがとうございました」
「礼を言うのはまだ早いぞ。そもそも成功するかもわかんねぇし」
「でも……何か、変えられそうな気がします。俺の中で、何かが繋がった」
「そっかよ。じゃあ見せてみろよ、そっからの続き」
小林は腕を組み、どこか兄貴分のような目でノアを見ていた。
「先生は……後ろに立っててください。巻き込んだら、危ないんで」
「おう、どーんと来い。爆発だけはカンベンな」
ノアは一歩前へ出た。手のひらに魔力を集中させる。
(“創る”って、定義し直す。魔法って、俺にとってなんだ?)
思考が研ぎ澄まされていく。術式が、頭の中で形になっていく。
(これは逃げるためじゃない。……繋ぐための一歩だ)
そして——
「転移術式《創作・指定地点跳躍》!」
声と共に光が爆ぜた。
—
次の瞬間、ノアの姿はその場から消えた。
ノアは、マナポーションを飲み干すと、両手を胸の前で組み、意識を集中させた。
「創作指定地点跳躍!」
強烈な閃光とともに、ノアの体が空間から弾かれるようにして、音もなく消えた。
—
「すげー! 本当に消えた……!」
小林はしばらくその場で呆然と立ち尽くしていた。
「……あれ、あいつ一人で行っちまった……」
その声は想像以上に響いていたらしく、すぐに足音と鎧の音が近づいてきた。
「そこだ! ノア・セランの逃亡に関与した者を発見!」
「待て待て、誤解だって!俺はただの見学者……!」
小林の声は虚しく、彼はそのまま拘束されることとなった。
—
一方そのころ——
ノアは、乾いた風に包まれていた。
「ここは……?」
灰が舞い、焦げた木々の匂いが鼻をつく。
周囲を見渡した瞬間、ノアの胸が締め付けられた。
「……うそ……」
そこは、かつて彼が家族と暮らしていた——
“あの村”の、焼け落ちた残骸だった。
—
黒く炭化した土。砕けた家の柱。
風に揺れる残された木の枝が、かすかに音を立てていた。
ノアの手が、拳となって震えた。
「俺が……守れなかった場所」
そして、ここからまた始まる——
ノアの、新たな“創作”の旅が。




