女神の宗教と奇跡の力
「……そうだ。女神の宗教って、あるのかな?」
ある日、ふと思い立った俺は、王城内に併設された図書館へ足を運んだ。
(あの女神……名前、なんだったっけ?)
顔はちょっと可愛くないけど、妙に印象に残っている女神。
名前すら思い出せないのは、ちょっと申し訳ない気がする。
だが——
「……あった!」
案外すぐに見つかった。
この世界で“女神”として信仰されている存在は、たった一柱。
名前は——**「セリア・レイル」**。
どこか上品な響きだが、あの人の印象を知っていると、ギャップがすごい。
文献にはこう記されていた。
“かつて世界に魔法を授け、文明を導いた女神。だが、数百年前を境に、信仰は急速に衰退していった。”
(やっぱ……なんか廃れてる?)
祭壇の記述や祈りの方法もあったが、どれも今では見かけないものばかり。
当時は大きな教団を抱えていたらしいが、いまや信者は“ほぼゼロ”。
(これ……この女神の宗教、もはやマニアックなのでは?)
—
その後、俺とフィーネは書庫で“宗教変遷史”を追っていた。
「……ここ。セリア・レイル信仰が衰退し始めたあたりで、別の宗教が勢力を伸ばしてきてる」
「“アルセイア・正教”……?」
そこに記されていたのは、**隣国ルヴァレスト帝国**を中心に広まった“奇跡”の力を信奉する宗教だった。
「この国の司祭たちは、神の力で“奇跡”を引き起こす……だって」
(いや、それ……魔法やん)
「フィーネさん、これどう見ても魔法じゃ……」
「ダメよ。魔法と奇跡は、**絶対に一緒にしちゃいけない**」
フィーネが珍しく、鋭い口調で遮った。
そのとき——
「やれやれ、また論争のタネを掘り起こしちゃって」
いつか図書塔で出会った管理官、**ディセルさん**が現れた。
—
ディセルの語る“奇跡の力”は、魔法とは似て非なる体系だった。
「奇跡とは、“外部意思”に由来する力だ。信仰心によって神意と接続し、限定的に力を引き出す」
「対して、魔法は“個人の内在する意志とマナ”によって構築される現象。根本が違う」
「だが、見た目の効果は似ている。治癒、浄化、果ては物質創造まで……」
「それなら余計に混同されません?」
「混同されるのを、彼らは**意図的に否定してきた**。信仰の正当性と、権力の正統性を保つためにね」
「……じゃあ、魔法が衰退していったのも……」
ディセルは静かに頷いた。
「アルセイア教が勢力を伸ばすにつれて、“魔法は危険な異端”とされていった。
結果、多くの魔法使いは追放され、研究は地下へ潜った」
ノアは、拳を握った。
(この宗教が……魔法を衰退させた? 自分たちに“奇跡”という権力を集めるために?)
「なあ、今いるこの国って、何の宗教信じてるの?」
図書館から戻ってから、ノアはぽつりと小林に尋ねた。
「んー……正確には“これ”っていうのは無いんだよな。いろんな宗教が混ざってて、どれか一つを掲げてるわけじゃない」
「中立って感じ?」
「そうそう。でも実際は……隣国ルヴァレストの“アルセイア正教”の影響がでかすぎて、形だけの自由ってやつだな」
「ってことは、セリアの信仰は……」
「異端扱いだ。表立って信じるやつは少ないし、儀式なんてやったら“やべぇ奴”って目で見られる」
ノアはその言葉に少し間を置いてから、言った。
「……ちょっとやってみようかな」
「は?」
—
夜、王城の客間。
ノアは古書から拾い集めたセリア教の簡易儀式を、机の上に並べた。
小さな灯火、清水の入った杯、そして数行の祈りの詩。
(こんな簡単なもんでいいのか……?)
独特な静寂が部屋に流れる。
「……セリア・レイルよ。もし、もし聞こえているなら、少しだけでいい、姿を見せてください」
声を出した瞬間、世界が“ねじれる”感覚がした。
空気が震え、視界が揺らぐ。
(な、なにこれ……)
—
気がつくと、ノアは真っ白な空間にいた。
それはかつて、あの女神と出会った、あの“転生の間”に似ていた。
足元は光の粒子。空気は澄み、音のない空間。
そして、そこに——
「……また、お会いしましたね」
あの声。
振り返れば、そこには変わらず立つ女神——**セリア・レイル**がいた。
姿も声も、あのときとまったく同じ。
しかし、どこか少しだけ——疲れているようにも見えた。
「……うわ、本当に来た」
「ええ、貴方が“呼んだから”です。ちゃんと、正しい形で」
セリアの言葉は、どこか静かで優しかった。




