頼もしい教育係
「母の代わりとしてやって参りました、ジェニファー・ファンドリックと申します。夫はグラフトン伯爵の称号を頂いておりますので周囲からは『グラフトン夫人』と呼ばれております」
王妃の前で恭しくお辞儀をする30に差し掛かった女性は記憶にある彼女の母と同じ凛々しさを漂わせていた。
王妃がシャーロットの教育係に相応しいとして真っ先に頭に浮かんだのが、彼女が少女時代に家庭教師をしてくれたジェニファーの母だった。
教育係と銘打ってはいるが実質シャーロットの監視人と時間的拘束の請負人である為、信頼のおける人物を起用しなくてはならない。聡明で口が堅く、目端の利く彼女ならば適任だと招集の手紙を出したのである。
そしてやって来たのが彼女の娘のジェニファーだった。生憎本人は喘息を患ってしまい、たびたび発作が起きるとの事で代わりに内面や思考が1番似ているジェニファーが選ばれたという訳である。
「突然夫や子ども達と離してすみません、グラフトン夫人」
「とんでもない事でございます。このような一大事のお役に立てるのは至極の喜び。それに子ども達も私と離れたくらいで弱音を吐くような軟な育て方はしておりません」
ジェニファーは声色こそ優し気だが中々肝が据わっているようで好感が持てる。聞けば彼女の夫は軍の高官らしい。
「実際彼女と対面しましたが学校の復習程度でも充分拘束出来るでしょう。彼女の言動の報告業務や、場合によっては貴女にも動いてもらう必要もありますがよろしいですね?」
「このようなやり甲斐がある仕事など他にございますでしょうか。謹んで拝命します」
王妃は満足げに頷くとメイドを呼びつけ彼女を部屋へと案内させる。
不本意だが、自分達の顔に泥を塗った人間など王宮に一歩も踏み込ませたくないのが本音だが、シャーロットには教育の為に毎日の登城を義務付けている。
義務付けの目的は2つ、王宮とアパルトメントの往復による時間の消費と、彼女が外出している間に部屋を捜索しやすくする為である。
特に彼女の部屋については手紙や薬の在り処など早めに探索しておきたい箇所が山ほどある。その間は彼女には外に出てもらった方が都合が良いのだ。
その上で疲れで余計な事を考えられないよう、ダンスなど身体を動かす授業を多めにする予定ではある。既に一度出し抜かれている身としては打てる手は何でも打っておかなければ。
あの娘は聞けば自分達に取り入ろうと再度面会を希望しているらしい。誤解をしているだの話せば分かってくれるだの、あれだけ拒絶したというのにまだ懲りていないようだ。
信用も将来もメチャクチャにしておいて何が誤解だ。それに世の中話し合っても分かり合えない人間は多々おり、女もそのうちの1人だと王も王妃も知っている。
いつか恨みを晴らせた時にでも言おうか。微笑みかけながら「こういう結果になったけど話せば分かる」と。
香りの良い紅茶と腕の良いパティシエお手製の茶菓子、麗らかな日差しとそれを受けて綺麗に咲き誇る庭師が丹精込めて育てた花々。絶好の茶会日和だというのに至って平素なキャロラインとは対照的に、同じテーブルに着く3人の少女の顔は悲壮感を極めていた。
「皆そんな顔をしないで。折角こうして集まったのに」
宥めようと声を掛けるが逆に泣きそうな顔で詰め寄られてしまう。友達思いなのは嬉しいがもう少し落ち着いて欲しい。
「だってキャロライン様は何も悪くないのに!」
「しかも中傷を避ける為とはいえ田舎に行ってしまうなんて!」
「あんまりですぅ……っ!」
おいおいと嘆く友人達の様子に周りに恵まれているなぁと感じながら、これは早々に種明かしをした方が良いと肩を竦めた。
「最後まで聞いて。実際に田舎に行くのは影武者、本当の私はこの家に居続けるわ」
その言葉に友人達は泣くのも忘れてキョトンとした顔を向ける。
余りの呆気の取られ様につい吹き出しそうになってしまう。3人とも公の場ではしっかり者なのにプライベートではこうも表情豊かで慌て者なのだから。
キャロラインは笑いを堪えながら表向きは田舎の領地に引っ込むが、実際は名を変えて親戚としてこの家に住み続ける事。この茶会の真の目的も引っ越し前の挨拶の体をした口裏合わせの場だと説明する。
最後まで話を聞いた友人達は安心したように肩の力を抜いた。頬を赤らめて早とちりを恥じる彼女達だが、取り巻きとか関係なく自分の身を心から案じてくれる友情が何よりも嬉しかった。
「それで私達はさり気なく周りに引っ越し前の挨拶をしたと言えば良いんですね」
「ええお願い。変装した時の姿はまた後日見せるわ」
変装の仕方は今ネヴィル家お抱えの影の中でも1番の変装の達人に練ってもらっている。
外側だけでは勘の良い者には直ぐに悟られるので、ある程度話し方や所作などの演技が板に付いたら親戚として人前に出る予定だ。別人の演技なんてした事がないので今から演技指導が少し不安ではあるのだが。
「キャロライン様変装なさるんですね。何だかドキドキしてしまいます」
「まるでお話の中の諜報員や怪盗のようですわぁ」
栗毛と柔らかな青い瞳が特徴のアンは両手を組んで浮き立ち、燃えるような赤毛を持つジェーンはキャロラインのどんな姿を想像しているのか瞳をキラキラと輝かせている。ジェーンはおっとりしているのだが小説の好みは見かけによらずアクション性のあるものなのだ。
「貴方達妄想が飛躍してるわよ。キャロライン様の変装はあくまでシャーロット嬢の動向と王都の情報を手に入れやすくする為。そんな奇抜な事はなさらないわよ」
脱線しそうなところを華やかなウェーブの髪が目を引くイザベラが注意して引き戻す。彼女は長子なので場をまとめるのが上手いのだ。
改めて観察してみると3人のバランスはとても纏まっている。信頼以外にも彼女達と居ると自分自身が落ち着くから一緒に居るのだなとしみじみ感じる。
人との縁は大事とはよく言ったものだ。特に金や権力を持っていると余計にその有難みが分かる。
(ありがとう。前世を思い出す前から私の味方でいてくれて)
キャロラインは心の中で友人達に感謝をすると「プロの監修だから楽しみにしていて」と悪戯っぽく微笑んだ。