表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/35

終わりと、始まりと、終わりの始まり

 シャーロットは質の良い柔らかなベッドにうつ伏せに身を沈め、無事に婚約破棄イベントをやり遂げた達成感に浸っていた。

 彼女もまた前世の記憶を有しているがキャロラインとシャーロットでは大きく異なる点が2つあった。

 1つ目は彼女が前世を思い出したタイミングが入学式前日だった事。2つ目は前世の記憶や自我と地続きのような関係のキャロラインに対し、シャーロットの場合は本来の自我が前世の思考と人格に押し潰されてしまった事であった。


 話は入学式前日に遡る。シャーロットは荷解きが終わった寮の自室で、これからの学校生活に落ち着かない気持ちを抱えていた。

 家族の元を離れるのはとても寂しいが此処を卒業すれば宮廷侍女の道が開ける。宮廷に出入りを許される身分になれれば箔が付いて良い縁談が舞い込むようになる。

 それに何より大きな家に嫁げば両親もたかが新興貴族だと侮られなくなるかもしれないのだ。

 

 シャーロットは個々の能力ではなく権威という物差しで測る貴族の価値観に前から疑問を持っていた。

 父は良い領主だ。領民にも慕われている。けれども貴族達は爵位をお金で買った新興貴族の物差しだけで父を見る。

 だから頼んでこの学校に入れてもらったのだ。これで侮辱を払拭出来るのなら自分は頑張れる。それにもしかしたら素敵な人との出会いもあるかもしれないし。

 

 この家は商売で得た金銭と引き換えに古い血筋の貴族の女性と結婚を繰り返してきた家だ。母も実家は由緒正しいけれども経済面が苦しくて、それで父と政略結婚をして自分達は産まれた。

 

 お金の為の結婚だったけれど仲は良くて父は貴族にしては珍しく側室を持っていない。以前母に父のどこが良いのか気になって聞いてみたら意外にも「普通なところ」と返って来たのを覚えている。

 普通が何故良いのか分からず首を傾げていると「あなたもいつか分かるわ」と微笑まれた。

 

 まだ分からないけど自分も色んな人と接していくにつれて分かるようになるのだろうか。

 その為にも沢山勉強して沢山の人と話をして色んな感性を磨いていこう。そして欲を言えば自分で選んだ人と結婚したい。両親ならきっと身分と家柄が釣り合いさえすれば自分の意思を尊重してくれるだろうから。


「やだ、もうこんな時間」


 気付けば寝る時間は迫っていて、明日慌てないようクローゼットから着替えを取り出して分かりやすい場所に置いておく。


「やっぱり可愛い……」


 ハンガーに掛けられた真新しい制服を身体に当てて鏡に映る自分を眺める。

 ドレスと違うけれどこの学校の指定の服はデザインが本当に可愛い。これから毎日この服を着られるのかと思うと少しドキドキする。


 そう思っていると何故か不意に大きな既視感に襲われた。


 ガン!と強烈な頭痛と共に見た事も無い風景が頭に流れて来る。

 途轍もなく高いけれど飾り気の無い酷く無骨な直方体の建物、恐ろしい速さで走る馬の無い馬車、夜なのに昼間のように明るい街、あくせくと歩く同じ服装をした大人達。そのどれもが初めて見る筈なのに自然に受け入れられる程馴染み深いのだ。

 

 やめてと思っても風景は止まってはくれない。そのうち得体の知れない知識も入り込み、痛みでとうとうへたり込んでしまう。

 どうしよう、今部屋は自分1人だけ。何とか廊下に出ようとしたけど酷い眩暈と頭痛で上手く動かせず、うつ伏せに倒れてしまった。

 

 ならばと今度は大声を出して助けを求めようとしたが、喉からはヒュウヒュウとか細い息が漏れるだけで、叫ぶどころかまともな声さえ出なかった。

 遂に視界さえ霞み始め焦りと恐怖が募る。


(お願い……誰か気付いて……)


 彼女は廊下に繋がるドアを見詰める。しかし必死の祈りも虚しくドアは開かれる事無く彼女の意識はプツリと途切れた。それと同時に強張っていた身体から糸が切れたように力が抜ける。

 こうして僅か16歳の少女の人生は終わりを告げたのである。


 

 彼女が倒れていた時間は数分にも満たなかった。しかしその短い間に中身は全くの別人に変わってしまっていた。

 

 仮に成り代わった人間の事はこの場ではAと呼ぼう。Aも始めこそは見知らぬ部屋で倒れていた自分の状況に混乱していた。なんせ直前まで顔をフードとマスクで隠した男が、自分を地面に押し倒してナイフを振り上げていたからだ。

 

 ここで何かしら叫んだりしたら不信感を持たれていたであろう。だが彼女は悪運が強かった。混乱し過ぎて叫ぶ事を忘れていたのだ。

 そして徐々に状況を理解してくると今度は浮かれに浮かれまくった。


(え!?これって「夢むこ」の冒頭じゃん!今そうなってるって事は私ヒロインって事?やったぁ!主人公だよ!今流行りの転生系ってやつ?)


 シャーロットにとっての最大の不幸は、住み慣れた土地や仲の良い友人と離れた所為で、学校では誰1人として本来の彼女を知らないという点だった。

 こうして成り代わられても誰も人が変わったようだと疑問を持ってくれない。彼女を面接した担当官が居てくれたなら状況は違っていたかもしれないが、所詮仮定の話である。

 

 こうしてAはヒロインとしてイケメン達とのストーリーを存分に楽しんだ。

 店は充実してるしお小遣い制でも実家が裕福な設定だからか高価な物も値段を気にせず買える。ジョエルとの校外デートでは毎回違う服を着てきたくらいだ。

 

 本当はハーレムエンドを迎えたかったが悔しい事にこのゲームにハーレムエンドは存在しない。そこで唯一の王族であるジョエルとのルートを選んだ。

 

 悪役令嬢のキャロラインを蹴落として結ばれれば晴れて自分は王妃、つまり国で一番偉い女になれる。この肩書きは自己顕示欲の強いAにとって強烈な魅力だった。


 その為なら私物を壊されようが陰口を叩かれようが屁でもなかった。教科書やノートをうっかり机に置いたままを何度か装っていれば簡単に誘われてくれたし、モブ程度の陰口なんか単なる雑音でしかない。

 

 あとはジョエルと会い次第悲し気に俯いてキャロライン様が……なんて言えば完璧だ。

 ジョエルとの未来の為に頑張って嫌がらせをしてくれてありがとう、なんて思いながら順調にルートを進めていた。

 

 しかしここで思わぬ誤算が起きた。1番重要な私物を壊してくれないのだ。

 誕生日プレゼントとして両親から贈られた髪飾りはヒロインに1番似合うようオーダーメイドで作られた逸品だ。

 勿論そんな高い物を壊されるのは勿体ないので、あらかじめ店で模造品を作ってもらってそちらを壊してもらう予定にしていた。


 しかし数日過ぎても触れた気配すらない。このままじゃシナリオが止まってしまう危機に陥った。

 

 今まで壊された私物は買い直せる物だからこそヒロインも悲し気な顔をするだけで済んだ。しかし髪飾りは世界に1つしかない。

 ヒロインはこの悲しみには流石に耐えきれず涙を流す。それを見たジョエルをヒロインを絶対守ると誓うのだ。


 あのイベントでジョエルはキャロラインとの完全決別を決めたからあれがないと婚約破棄までが伸びてしまう。

 つまらない授業なんて受けずにさっさと贅沢な生活を送りたかったAはある手段に出た。模造品を自分で壊してイベントを強制的に起こしたのだ。

 

 自作自演は案外上手くいって予定通りの日にキャロラインは婚約者から転落して自分が後釜に収まった。ここまで頑張った甲斐があった。

 

 しいて言うならパーティ会場での彼女の最後の姿。ゲーム通りにみっともなく取り縋っていれば良いのに、強がって澄まして王様からの沙汰を待つなんて言ったのだ。

 無様に破滅するのが悪役令嬢の役割なのに最後の最後でモヤモヤさせてくれる。その所為で勝利の陶酔感を得られず物足りなさが残ってしまった。

 

 でもどうせ今頃は枕を濡らしてビィビィ泣いているに違いない。所詮悪役令嬢はその姿がお似合いだ。結婚式には招待してあげようかな。私とジョエルの幸せな様を見せてあげる為に。

 

 優越感からか、Aはニタリといやらしく顔を歪める。ヒロインがするにはあまりにも醜悪で邪気に満ちた笑みだった。


(あーあ、それにしても泊まりたかったなぁ。最上級の客室……)


 この部屋でも結構豪華だから最上級ならもっと豪華で広かったに違いない。本当ならそこに泊まれる筈だったのにあのケチな宰相がグレードダウンしやがったのだ。

 未来の王太子、いや王妃になる人間に失礼過ぎやしないだろうか。自分は彼から直々に選ばれた新しい婚約者だというのに。

 あの宰相、王妃になった暁には首にしてやろうかしらと、Aは頭の中のメモに書き留めておく。

 

 その時コンコンと部屋のドアを叩く音が聞こえ、急いで簡単に乱れた髪と服を整える。


(ジョエルが会いに来てくれたのかな♪)


 「はぁい」


 無事婚約出来たから早速初夜とかしちゃうのかな?やだ、ジョエルったら大胆。

 めくるめく妄想を脳内で繰り広げながら猫なで声で返事をすると、期待に反して入って来たのは20代後半くらいのメイドだった。


「宰相様の命によりお世話をいたします。アリスと申します」

「あ、そう」

 

 ジョエルじゃなかったと分かるや否や、Aは被っていた猫脱ぎ捨ててつっけんどんになる。いかにも仕事が出来そうな雰囲気で嫌な感じだった。

 メイドに手伝ってもらいながらパーティ用のドレスからネグリジェに着替える。王宮の備え付けだけあって肌触りが凄く良かった。

 寮生活の最中は自分で着替えていたからこうして人に手伝ってもらうとまるでお姫様になったような気分だ。いやお姫様じゃなくて王妃様になるのか自分は。


「そう言えば王様は?」

「陛下並びに王后陛下は視察で王宮を離れております。近日中に戻る予定です」

「ふうん」


 王を見かけなかったから聞いてみたが道理で宰相なんかが出しゃばる訳だ。きっと王と王妃だったら喜んで自分を迎えてくれただろうに。

 王様達が帰って来たら宰相の仕打ちを告げ口してやろう。性悪なキャロラインと違って自分は可愛いしきっと気に入ってくれる筈だ。

 

 メイドが退出し、1人きりになった部屋でフンフンと鼻歌を歌い始める。


「あーあ、早く帰って来ないかなぁ」


 Aは帰って来た王様達に「可愛いわぁ」「こんな子が娘になってくれるなんて嬉しいぞ」なんて手放しで褒めてもらえる自分を想像する。

 意地悪な宰相は叱ってもらって毎日ジョエルと愛を育んで、周りから「王太子妃様」なんて呼ばれて。

 そして結婚式の日にはみすぼらしくなったキャロラインを城に招いて罪を許してあげよう。きっとジョエルは君はなんて優しいんだって益々メロメロになるに違いない。

 

 妄想甚だしい未来予想図を夢想するAは知らなかった。アリスが世話役という名の監視役である事を。メイドに対する態度まできっちり宰相に報告される事を。

 何より肝心の王と王妃が勝手に婚約破棄したジョエルと元凶のAに怒り狂っている事実を。


 ヒロインだからという理由だけで自分の行動の全てが許され、ゲーム内で名前の存在しない人物は全て背景だと思い込んでいる彼女は、自身の足元が揺らぎ始めた事も目に入らなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ