王の逆鱗、王妃の罠
覚悟はしていた筈だが目の前で聞かされる戯言に、王は眩暈を覚えると同時に愚息の間抜け面を張り倒してやりたい衝動に駆られた。
「紹介します父上。アーデン子爵の令嬢、シャーロット・タウンゼンド嬢です」
「シャーロット・タウンゼンドと申します。お会いできて光栄です」
輝くような笑顔でふざけた真似をする息子と、得意げな顔をしてこの場に居る女。
女のカーテシーは態度だけは堂々としているが一連の動きにぎこちなさが垣間見える。知識として頭に入っているだけで身についていない証拠であった。
(恋は盲目、あばたもえくぼとはよく言ったものだ)
その拙さに王はげんなりする。国内にある学校の中でも息子が通っているのは登城を前提としたマナーや礼儀作法を扱っている。
すなわち生徒にも入学時点で一定の教養や所作が求められているのだが、この素人臭さは何だ。まるで貴族の邸宅への出入りを許されたばかりの商人のようではないか。
誤解が無いよう言及しておくが、王には身分の区別はあっても差別はない。彼女がもし平民出身の能力を見出された者であるならば、慣れない中ここまで仕上げて来た器量に大いに感心していただろう。
だが目の前の女は生まれながらの貴族である筈だ。令嬢として生きているうちに自然と身に着くであろう所作すらも見受けられない。元は平民出で最近貴族として迎えられたのなら話は別だが、優秀な影からその線は完全に否定されている。
両親が娘を溺愛するあまり躾をしてこなかった線も脳裏に浮かんだが、それならば入学前面談で弾かれる筈だ。
彼女を実際に目にした事で過る数々の不可解に王は最大限の警戒を向ける。今まで色香で堕としたと考えてきたが、もしや怪しげな薬を使って意のままに事を運んだ可能性もあるかもしれない。
面談の中には茶会の作法を見極めるテストも含まれている。補助監督を金で買収し、試験監督に薬を飲ませたとするならばあり得ない話ではない。彼女の実家は元商家だけあって並みの貴族より裕福だ。薬の手配も難しくはない筈である。
今後飲食物の扱いは特に用心しておかなければ。まずはこの2人の接触を最小限に留めておく必要がある。王はそこまで考えると慎重に言葉を選んだ。
「お前の友人か。仲が良いと噂は聞いているぞ」
「友人ではありません。僕達は互いに愛し合っているのです!」
王族の癖に言外に含まれる嫌味も忠告も伝わらないとは。どうやら息子はいつの間にかこんな簡単なオブラートすらも分からない程愚鈍になってしまったらしい。
結婚前の浮気はスキャンダルだというのに堂々と親の前で恋仲を宣言するとは。女もいかにも純愛ですという顔をしていて何と面の皮の厚い奴だ。
「馬鹿者めが……!」
王の静かな叱責にもキョトンとした顔を向けるジョエルの姿に心底失望する。何故それで祝福してもらえると思ったのか、血を分けた息子だというのに何を考えているのか分からなくなってきた。
故意にしろそうでないにしろ、既に大きな混乱を起こしている彼女が王妃となれば祖父の代から立て直して来た内政が破綻してしまう。それは何としてでも避けねばならない。
「私達の居ぬ間に勝手な事をしおって。お前は王家に泥を塗った愚か者として後世に嘲られるだろうよ」
「しかし父上!キャロラインはシャーロットに様々な嫌がらせをしたのですよ!嫉妬で1人の人間を苦しめるなど、それこそ国母にふさわしくありません!」
「いいえ!いいえ!違うのです!私がいけないのです!私がジョエル様に頼ってしまったから……!」
繰り広げられる茶番に怒りを通り越して呆れてしまう。
だいたい国王と王子の会話に許可無く割って入れるのは同等の身分を持つ者か、緊急を要する場合だけである。それをあろうことかこの女は自分の演出の為だけに横槍を入れたのだ。
この女は異質だ。秩序の無い土地からやって来た野蛮人のようである。そして不敬を窘めもせずに暢気に肩を抱いて慰めている愚息の姿も異様だ。
この時点で王は今後ジョエルを表舞台に二度と出さない事を決めた。例え一連の愚行や今の異様な行動が薬の作用によるものでも、ここまでなってしまったなら立派な中毒だ。もう元には戻らないと考えた方が良い。
万が一薬を盛られていなかったとしても女で国を傾ける王など不要だ。どちらにせよ女には王族を意のままに操って王妃の座を狙った大罪人として歴史に名を刻んでもらおう。これ以上は顔を合わせる必要もない。
時間は有限だ。目の前の2人に構っている間にも時間は刻々と過ぎていく。王は茶番には取り合わず最低限の用件だけを済ませる事にした。
「良いか。ネヴィル家への慰謝料はお前の資産で払うのだ。国からは1リルも出さん」
「ですから父上!それはキャロラインが……!」
「それとこれとは話が別だ!お前は両家の許可も無しに婚約破棄の宣言をした!充分支払う理由に値するわ!私の顔に泥を塗りおって!!」
王の本気の怒りを直に浴びたジョエルが固まり、泣いていた筈のシャーロットも涙が引っ込む。その隙に「お前には謹慎を命じる。許しが出るまで自室から出て来るな」と言い捨てると足早に退出した。
まったく人生でこんなに疲れたのは初めてだ。
「あなた、声が廊下にも響いていましたよ。そんなに良くないのかしら?」
全身を襲う疲労感を耐えていると、廊下に控えていた王妃の労わるような声にささくれ立った心が少しだけ和らぐ。
「あぁ……。実際に目にすると想像以上だ。アレには薬を使われた可能性もある。以前のような会話は出来ないと思った方が良い」
「そうですか……」
王妃の顔は暗い。腹を痛めて産んだ子が人が変わったようになってしまえばショックを受けるのは当然だ。だがそれでもやるべき事はある。
王妃は少しでも冷静でいられるようにと数回深呼吸をしてから彼等が待つ部屋の扉を潜った。
「陛下、何か少しでもお召し上がりになりませんと」
従者の言葉にそう言えばと懐中時計を取り出すと、針はとうに午後の政務に勤しんでいる時間を指していた。
朝は簡単な物しか食べていなかったので漸く空腹を自覚した胃が何か食べたいと頻りに訴えて来る。
暫くはサンドイッチなどの片手で食べられる食事の毎日になるだろうなと思いながら取り急ぎ指示を飛ばす。
(普段の仕事に加えてアレに付ける影の選定、飲食物を取り扱う際の徹底注意、ジョエルにも監視が必要だな。……まったく馬鹿息子の所為でやる事が増えてしまった)
軽食なら王妃が用事を済ませて帰って来るまでに運ばれて来る筈だ。脳内で計算した王はその間1分でも1秒でも有効活用しようと仕事をしながら妻を待っていた。
王妃は自分が入って来た途端に目を輝かせる息子の姿に心の中で嘆息した。
(この子は本当に変わってしまったのね。何故私なら分かってくれると思っているのかしら……?)
覚悟はしていたが実際にこの目で見るとショックは大きい。諸悪の根源には後でたっぷりお礼をするとしてまずは一発、勝手な期待をしている息子に盛大な平手打ちを放つ。
女の細腕だが渾身の力を込めた一撃はジョエルの身体にたたらを踏ませるには充分な威力であった。
「母上……?」
「よくものこのこと顔を見せられたわね!周りは今頃国王不在の隙を狙って勝手な行動をした愚か者の噂でもちきりでしょうね!」
呆然と叩かれた方の頬に手を添え、何を言われたのか分からないとでも言いたげな顔が腹立たしい。本当に何を学んでいたのか。
貴族の婚約が何たるかを正しく理解している人間ならば、例え婚約者との間にトラブルが起きようとも公の場で婚約破棄など到底出来る訳がない。
縁談とは家同士の結びつきを強める為の当主間での約束だ。約束を無かった事にしたいのであれば相応の理由で当主達を説得し、白紙に戻してもらうのが主な方法である。過去にも複数の事例があるのだからやれない事は無い。
ところがジョエルは勝手に約束を反故にした挙句、碌な証拠も無いままキャロラインにショー紛いの断罪をしたのである。この常識知らずの行動に既に複数の家から抗議の手紙が届いているそうだ。
そもそもキャロラインとの婚約は王家から打診したものである。自分達から持ち掛けた話を勝手に破るなど、王家の信頼性が失われる一大事だ。
ましてや国のトップたる国王と王妃の許可も得ずに独断したジョエルの行動は、国家に対する反逆だと取られかねない。
更に王妃にとって許し難いのは、彼女の母と自分が少女時代からの友人と知っていて彼女を晒し者にした事であった。
スザンナと王妃は所謂親友で、夫との婚約時代何度も精神的に助けられた思い出がある。謂わばスザンナは王妃の恩人でもあり、その娘の名誉をジョエルはあろう事か傷付けたのだ。
親が友人同士なら安心だとスザンナとクロードから託されたのに、スザンナとの友情に亀裂が入ってもおかしくない。
そんな事すら考えられなかったのかと王妃は奥歯を噛み締める。
「ジョエル様!大丈夫ですか!?」
今まで王妃の剣幕に硬直していたシャーロットが慌てて未だに呆然としているジョエルの怪我の具合を診ようとする。愛らしさもあって何も知らない人間の目から見れば健気な女性に映るだろう。こちらからしたら滑稽でしかないが。
「私の事が気に入らないのは分かります!でもジョエル様に当たるのは間違ってます!」
「これはそういう問題ではありません。それに私は貴女に発言の許可を与えていませんよ」
王妃はピシャリと的外れな意見を跳ねのける。そもそも一介の令嬢でしかないシャーロットは口を開く事さえ慎まなければならないのだ。
常識も無い、ジョエルが叱責を受けた理由も考えない、ただ己の外面を良く見せる事だけしか頭にない女なんかを王家に迎え入れたら末代までの恥である。この諸々の恨みは後で倍にして返してやろう。
息子を物理的に黙らせたお陰か多少は頭が冷えてきた王妃は2人を罠に掛ける事にした。罠と言っても愚か者でなければ回避出来る簡単な罠だ。
「こうなった以上今更撤回など出来ません。シャーロットさんは王妃教育を受けてらっしゃらないし、爵位の低い家の娘を王妃にするのは前代未聞です。貴女もそれは分かっているのでしょう?」
「はい、覚悟は出来ています」
(愚か者だったって事ね……)
王妃は心の中でほくそ笑む。
彼女は今の言葉を「王妃になる為の苦難を乗り越える覚悟はあるか」と受け取っただろうが、本当の意味は「王妃教育も受けておらず爵位も低い家の娘を王妃にするなど、前例の無い事は出来ないが承知しているのか」である。
どのようにも受け取れる言葉を使って言質を取ったり、話の方向を有利に持って行くのは交渉の常套手段だ。
学校でもこの交渉法は習うのだがあっさりと引っかかってくれて非常に助かった。謀略渦巻く王宮でいたずらに主人を不利にさせる人間など宮廷侍女としても要らない。
「まずシャーロットさんは王族の妻としての教育を受けてもらいます。休学の旨はこちらから学校に伝えておきますので、家庭教師がこちらに到着次第始めますよ」
勿論王妃教育など贅沢なものではなくままごとのような内容のものだ。彼女が余計な事をしないよう時間を奪えるものであれば何でも良い。
意外そうに目を見張る2人の視線をあえて無視し、その後の対応については部下の言う通りにとだけ言い残し自分も部屋を出る。案の定暢気に喜び合う2人の歓声が廊下に届いた。
「良かった!僕達結婚出来るんだ!」
「ジョエル様、私頑張ります!頑張って未来の王太子妃に……、いいえ王妃に相応しい女になってみせます!」
「ああ!君ならきっとなれるさ!」
2人揃って痴れ者だ。クリストファーが就けたシャーロットの世話係という名の監視役に後を任せ夫の元へと向かった。
王宮に着いてから報告を受けたのだが、息子の暴走はアパルトメントの件だけに留まらず、仮の住まいとして最上級の客室を彼女に宛てがおうとしたらしい。
それをクリストファーは国王代理として退け、妥当なグレードの客室の使用許可を出したのだ。その上監視まで手配してくれて本当に彼には頭が上がらない。
ともかく彼のお陰で最悪の事態は免れた。今は精々浮かれているが良い。有頂天になった瞬間に現実を見せてやる。それが自分達のシャーロットへの復讐だ。