国王夫妻との話し合い
その後キャロラインは仮眠もそこそこに家を後にし、父親と共に豪華な宿泊施設の一室に足を踏み入れていた。王室御用達なだけあって室内の調度品の数々は高価でありながら品の良さを醸し出しており、支配人のセンスが窺い知れる代物であった。
まずは落ち着けるようにと気遣ってくれた国王夫妻に礼をしつつ、テーブルに置かれた紅茶に口を付ける。仄かな柑橘系の香りに馬車移動で固まっていた身体が解れていくような心地を覚えた。
(それにしても下の階層も予約したなんて陛下達は本気なんだなぁ……)
キャロラインはカップを傾けながら気取られないようテーブルを挟んだ向こう側に視線を向ける。国王夫妻も傍で直立不動の状態で侍る側近の伯爵も皆固く口を引き結んでおり、重苦しい雰囲気が漂っていた。
その覇気の所為かキャロラインは思わず腰が引けてしまう。本当の為政者のオーラとはかくもあるものなのだと。
このホテルの上層階は1フロア丸ごとスイートルームの方式を取っている。壁越しに盗み聞きをされる心配が無い為、秘密のお話が多い上流階級に持って来いなのだ。
さらに国王は念には念を入れて1つ下の階も予約し誰にも立ち入れさせないようにした。それだけ今する話は誰にも聞かれてはならないのだ。あの2人の耳に入れば一巻の終わりなのだから。
「クリストファーからの手紙にも同じ事が書かれていた。まずはこの度の息子のした事を謝らせてほしい。誠に申し訳なかった」
「私からも謝ります。貴女にはとんだ恥をかかせてしまいました。私共の教育不足ですわ」
「お2人とも頭を上げてください。お2人に非はございませんから」
クリストファーとは宰相の名前だ。その名前が出て来るとはどうやらジョエルはあの後彼女を城に連れ帰ったようだ。王宮もさぞてんやわんやであっただろうに。
キャロラインは両手を上げて夫妻の謝罪を止める。シナリオがある以上シャーロットに目を付けられれば洗脳状態は免れない。誰が言い聞かせても止めるのは無理だっただろう。
そこでキャロラインははたと思い立った。ゲームではまるで何事も無く幸せな結婚式を迎えていた2人だが、裏では彼の両親がこうして必死に尻拭いの為に駆けずり回っていたかもしれないと。
原作では怪我をさせたキャロラインも確かに悪かった部分はあるが、全ての元凶は浮気をしたジョエルである。
結婚後は側室を持てる代わりに結婚前の浮気は言語道断。それがこの国の社交界のマナーだ。発覚すれば相手の家から婚約の破棄を突き付けられ、周囲から白い目で見られる程の愚行である。仮に肉体関係を持っていなかったとしても今後良い縁談が来ないのは覚悟しなければならない。
つまり責任割合が圧倒的に違うのだ。多めに見積もってもキャロラインは3割が精々であろう。それなのに彼は己に非は無いとでも言うかのように彼女を断罪したのだ。まるで裁判官のように。
普通の神経を持つ親なら息子をタコ殴りにした上で首根っこ掴んで相手に謝罪する案件だ。今後王家はネヴィル家に頭が上がらなくなるのは確かである。
ゲームのキャロラインも案外心が折れたように見えて愛想が尽きてしまっただけなのかもしれない。スキャンダルで他の縁談は来なくなるだろうが、賠償金のお陰で暮らしていく分には困らないだろう。
(本当に陛下と王后陛下は何も悪くないのに……)
キャロラインは益々義憤に駆られる。シャーロットに恋をしたのは仕方がない事だ。理屈じゃないのが恋なのだから。
でもジョエルは婚約解消の交渉もせずに散々浮気した挙句、自分の行いを棚に上げて今こうして国王夫妻に迷惑をかけている。
キャロラインは国王夫妻を慕っていた。母親同士が友人というのもあるが、娘が出来たみたいで嬉しいとダイアナと一緒に可愛がってくれていた。キャロライン自身も国王夫妻が義理の両親ならきっと大丈夫だと、国母としての責任も背負っていけると安心していた。
その夫妻が頭を下げているのだ、一臣下である自分達に。それをさせたのは彼等の息子と息子を誑かしたヒロインだ。
今後一介の令嬢の言葉だけを証拠に婚約破棄を告げたジョエルは勿論、夫妻にも厳しい目が向けられるだろう。
(ジョエル、あんたは王になる教育を受けて来たんじゃないの!自分の行動がどれだけ周りに影響を与えるか分かってんの!?)
今頃本人はお花畑の頭でシャーロットと睦み合っているのだろう。両親がこうして謝罪しているのも、この先混乱を収める為に寝る間も惜しんで動く事も考えずに。
婚約不成立による政治的な損害、ネヴィル家に支払われる莫大な賠償金、各貴族からの抗議の対応、信用の回復、ジョエルの勝手の所為でこれだけの問題が生まれたのだ。
無意識に彼女の手の平に爪が食い込む。いたずらに混乱を起こしておきながら気付きもしないで幸せに微笑む2人が心底許せなかった。
(本当にシャーロットが好きなら筋を通しなさいよ!なにシナリオの操り人形になってんのよ!陛下と王后陛下を悲しませておいて笑ってんじゃないわよ!)
あの2人の顔を思い浮かべただけで怒りが爆発しそうだ。必死に考えないようにしているキャロラインの横でクロードが助け舟を出す。
「私からもお願いいたします。この度の騒動は、お2人にとっては全くの遺憾だと重々承知しております。私が送らせて頂いた手紙にも早急に対応して頂きありがとうございます」
「貴殿達の寛大な心に感謝する……」
漸く頭を上げてくれたが、その顔は心なしか老け込んで見えた。普段の鷹揚な姿を知っているだけに痛ましい。
「しかしあちらに先を越された以上、今となっては何を言っても言い訳にしかならん。せめてもの償いに支援は惜しまない」
実は国王とクロードによってあの2人を穏便に引き剥がす計画は立てられていたのだ。「穏便に」の部分にはあまり事を荒立てて王家とキャロライン双方に変な噂が立てられないようにの配慮が含まれている。
予定では彼女には家の事情で転校という体で物理的に距離を置いてもらい、ジョエルの恋の炎を落ち着かせる計画だった。
婚約解消にしなかったのは何だかんだ情があったキャロラインからの最後のチャンスである。いつか目が覚めた時に恋に浮かれていたとはいえ余りに軽率だったと謝罪さえしてくれればそれで良かった。
まあ計画を実行に移す直前に出し抜かれて気遣いも計画も全て無駄になってしまったが。やはりシナリオの修正力というものは恐ろしい。
しかしあの時点で計画を発動しなかったのは正解だったかもしれない。結局シナリオの修正力によって学校に戻って来る可能性が高いし、何より王家と手を組んでいるなんて向こうに知れたら非常に厄介だったからだ。
不意にドアから特徴的なリズムのノックの音が聞こえてきた。
「心配しなくて良い。私の影だ」
一体誰だろうとドアへ視線を向けるキャロラインに王が安心させるよう言う。伯爵が無駄のない動きでドアに歩み寄ると、影と何か一言二言会話を交わし再び戻って来た。
話す時間こそ短かったがその代わりなのか、彼の手にはメモのような物が収まっている。
伯爵からメモを受け取った王は無言で広げると、ただでさえ眉間に寄っていた皺が更に深くなる。王妃も夫から渡されたメモを見るや否や口に手を当てて「まぁ!」と叫んだ。
この時点でとても嫌な予感がしてきた。
「お聞きしても?」
「あの馬鹿がシャーロット嬢に、私の大伯母が生前住んでいた屋敷を与える約束をしたそうだ。クリストファーが宰相の権限を使って無効にしたがな」
早速ジョエルの暴走が始まったようだ。短くない時を過ごしてきたが彼はこんな人だっただろうかとさえ思えてくる。
王の大伯母、サラ殿下は長年連れ添った夫を亡くした後は王宮近くの土地に小さな屋敷を建て、晩年をそこで過ごしたとある。その王族所有の屋敷を与えると彼は約束したのだ。
サラ殿下が逝去した現在あの屋敷に住んでいる者は居ない。シャーロットを手元に置いておくのに丁度良いとでも彼は考えたのだろう。婚約者にでさえした事がないのに。
だいたい王からの正式な発表が無い以上、ジョエルとキャロラインの婚約関係はいまだに続いている状態なのだ。どうせ近いうちに正式に婚約が結び直されるから、現時点で相応の待遇を与えても問題は無いとでも思っているのだろう。
気が早いどころの話ではない。果たして彼はこんなに見通しがきかない人間だっただろうか。それとも彼自身が元々持っていた要素が今になって表面化しただけなのだろうか。彼女にはサッパリ分からない。
それよりもとキャロラインは目の前の王と王妃をチラリと見る。
(ジョエルもシャーロットも終わったわね……)
2人のこめかみには青筋が浮かんでおり目に見えて分るほど激怒していた。その所為か部屋の温度が数度下がった感覚がする。
隣の父もいつもの顔をしているようで目が全く笑っていない。流石華やかな裏で欲望渦巻く宮廷に身を投じているだけあって殺気の質が違う。
絶対に敵に回してはいけない人達を回して本当に上手くいくと思ったのだろうか。殺気に当てられたお陰かどうか、少し頭が冷えてきた気がする。
「今すぐあいつの首を絞められないのが口惜しいな……」
(うーん、殺意が高い)
王がボソリと吐き捨てるように呟いた言葉に、彼女は昨日の自分を棚に上げて率直な感想を頭に浮かべる。きっと本当に絞め殺そうとした時は周りが止めてくれるだろう。
早く夫妻を帰して1人でジョエルの暴走を止めている宰相を安心させてあげねば。キャロラインは昨日家族に話したのと同じ計画を伝え、クロードが随時補足していく。
ミシェルの治療に関しては、家族の助言で田舎への移り住むのはあくまで政争に巻き込まれない為の対策として。治療はそのついでにしておいた。
キャロラインとしても今ここでミシェルの病気は寄生虫が原因だとか、周囲からすれば突拍子もない事を言う気は無い。それに政争が勃発する可能性だって無くは無いのだ。
昨日の事については学校が箝口令を敷いていても、人の口に戸は立てられないものだ。これを機に成り上がろうとする輩はいくらでも出て来る。ミシェルがこのまま王都に居続けたらそんな人達に担ぎ上げられるかもしれない。
「校長と掛け合ってあの2人には無期限の休学措置を取らせる。今後は徹底的に監視と接触防止をせねば」
「ありがとうございます。私も暫く田舎で過ごそうと思っておりますのでこれで安心です」
「あら、貴女も田舎に行くつもりなの?」
隣のクロードがそんな話聞いていないとばかりに動揺する。それはそうだ、今話したのだから。
シャーロットに表舞台から遠ざかったと思わせておくには物理的に離れるのが1番だと思ったのだ。
侯爵家の中でも財力も権力もあるネヴィル家の人間はそこに居るだけで色々と目立つ。家から出て来ないだけでは社交界や学校などで、色々と噂の的にされて本当に表舞台から消えたかと言われると微妙だろう。
真に消えたというのは周囲から忘れられる事だと考えている。だからこそすっぱりと田舎に引っ込んでシャーロットの油断を誘うつもりだ。幸い傷心を理由にしても疑われる可能性は低い。
「それは寂しいわぁ、ねぇあなた」
「そなたまでそうしなくても良くないか?」
理由を聞いて尚引き留めるようとする夫妻の気持ちは嬉しいが、一見はシナリオ通りに進んでいると見せかけねばならない。言い訳を考えあぐねていると横から思わぬ追撃を受けた。
「田舎に移ったと思わせておきたいのだろう?なら影武者を向かわせれば良いではないか」
「え?」
完全に虚を衝かれたキャロラインが思わず振り向けば至極真面目な顔をした父と目が合う。
「その上でお前は変装して遠縁の娘として家にいれば彼等の目を誤魔化せるのではないか?」
「あら、それは良いわね」
完全に予想外の提案をされて焦るのはキャロラインだけで、王妃は勿論王も乗り気だ。
確かに田舎に住む貴族が淑女の勉強の為に娘を王都に居を構える親戚に預けるのはよくある話だ。だがそう上手くいくだろうか。
「大丈夫よ。影に頼んで化粧も演技指導もしてあげるわ」
「この時期だと3か月後の入学の為に早く教育させようとする家は王都入りするだろうしな」
王も満足げに頷き、伯爵は自分は何も知らないとばかりに目を瞑るだけで誰も止めてくれる者が居ない。
気が付けば逃げ道は全て塞がれて遠縁の娘として過ごすのが決定してしまった。
(あれ?もしかしたらこれオモチャにされるフラグ?)
宇宙を背負う彼女がハッと気づくももう遅い。王妃は息子しか居ないのもあって、度々自分とダイアナを着せ替え人形にしては母と一緒にキャアキャアはしゃぐのを趣味にしている。こんな美味しい機会を逃す筈がないのだ。
しかし父や夫妻の提案に助けられたのも確かだ。通信手段が発達していないこの世界での情報のやり取りは主に手紙である。運搬によるタイムラグを極力無くすには情報源に近い場所に居るのが1番だ。
あの2人の動きを知るメリットも付くのなら着せ替え人形は寧ろ安いのかもしれない。きっと専用の経歴も作ってくれるだろうし。
何だかんだで家族と離れずに済んだ安堵で不安が解消されたキャロラインは忘れていた。ドレスの着せ替えは兎に角体力を使う事を、王妃と母が自分の変装にかなり張り切る事を。
結局その時になって若干後悔する事を。