まず彼女は快適を求めた
「やあルナヴァール女伯爵、息災にしていたか?」
「御無沙汰しております殿下。私はこの通り、殿下もお元気でしたか?」
あれから3カ月と少し経ち、領地経営に勤しんでいたキャロラインの元にお忍びでミシェルが訪問した。細かった身体も随分と逞しくなり、元気そうな様子に安堵しつつ客間へと案内する。
「領地の様子も見て来たが上手くいっているようだな。民達の顔が明るい」
「そう言っていただけると嬉しいです。まだまだですが優秀な補佐のお陰で何かと助けられております」
メイドが淹れてくれた紅茶で喉を潤し、焼き菓子を摘まみながら互いの近況を語り合う。それが済めば王都での流行、近辺の地域の動きなどの情報交換から他愛ない話まで話題は尽きない。
「ところで結婚は考えているのか?その様子だと縁談の手紙が引っ切り無しなんだろう?」
「あら、殿下こそお見合いの肖像画が沢山手元に来ているのでは?」
小一時間程経った頃に唐突に今後の縁談について聞かれたキャロラインは、一瞬動きを止めるが直ぐに反撃に出る。
片や安定した収入を得られる土地の美しき女領主、片や立太子予定のハンサムな王子。どちらも性格も素行も問題無く、縁談相手としては引っ張りだこな存在なのだが。
「いやぁ、立太子する為の勉強とやりたい事で忙しくてなぁ」
「私も領地経営が忙しくて今のところ考える余裕がございません」
お互い多忙を言い訳にして後回しにしていると暗に告げる。そこまで手が回らないのは本当の事だが単に面倒臭いのだ。
尚議会ではミシェルとキャロラインが結婚する案も挙げられたが、これ以上王家の都合で振り回すのは不憫だと国王夫妻が渋り、父親のクロードが娘に時間を与えたいと反対した為無しとなった。
不毛の気配を察した2人は一頻り笑った後、紅茶を一口飲んで少し落ち着く。これ以上はやめよう、折角口煩い人間が居ないんだからこんな時くらいは。
「そうだ、近日開かれる俺主催のキツネ狩りに参加しないか?」
話題転換として丁度良いのを思いついたミシェルが彼女に振る。
キツネ狩りは貴族の一般的な娯楽の1つで、森の中で猟犬や馬を使ってキツネを追い回すのだ。元は近辺の畑や養鶏場を荒らされない為の対策として打ち出されたのを起源としており、軍事訓練と同時に自然と家に篭りがちな冬の間の数少ない運動の機会でもある。
女性も乗馬が出来るなら参加可能なので、気晴らしの外出や出会いを求めるには持って来いのイベントだ。
「仕事の引継ぎもそろそろ落ち着く頃だし、領主としても問題なくやれているとアピールする良い機会だろう?」
彼女は考えを巡らせる。王子主催ならば規模は本格的なものだろうし、沢山の人が参加する筈だ。有益な貴族とは出来るだけ早く交流を持ちたいし、温めていた計画を実行する良いタイミングかもしれない。
「それは良いかもしれませんね、やりたい事もありますし」
ここ暫く缶詰だったから気分転換にも丁度良いし、こんなに早く機会がやって来るとは。皆の反応をあれこれ想像して今から緊張してしまう。
「ん?やりたい事って何だ?」
何か企んでいる気配を感じたミシェルが面白そうに片眉を上げるが、彼女は人差し指を唇に当てるだけで答える。
「それは当日までのお楽しみです」
キツネ狩り当日、集合場所にて冬の装いで愛馬を従えた貴族達が友人同士で固まりながら時間まで談笑していた。久しぶりの大掛かりな娯楽だけでなく、王子から招待される事自体が一種のステータスであるから皆の表情は楽しげで明るい。
「あ、キャロライン様よ」
その内の1人が遠目からやって来る彼女に気付き、釣られて他の者も彼女の居る方向へと注目する。元第二王子からの婚約破棄という憂き目に遭っても挫けずに、第一王子の病の治療に貢献するという素晴らしい功績を上げた彼女と交流を持ちたい人間は多いのだ。
しかし挨拶を交わそうと思った者達は何より先に彼女の恰好に各々驚嘆の声を上げた。普通貴族の女性は乗馬する際、横乗りの姿勢になるのだが彼女は何故か背に跨っていた。
よく見るとスカートだと思っていた物が二股に分かれている。これを見た夫人や令嬢達は雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
女が馬に跨るのははしたない。これは女が脚を出したり脚の形が分かる恰好をするのははしたないとされているからだ。
ところが彼女が着ているドレスのスカート部分は、ズボンの機能性を持ちつつも、直線的な筒状ではなく裾に向かって広がる構造のお陰で、スカートのような優雅さと足の形を隠す意味合いを兼ね備えていた。
また綺麗な模様の幅広のリボンをウエストの高い位置で巻いて結ぶ事で、コルセットを着ける必要を無くしている。
そんな変わったドレスを着たキャロラインが男性と同じように馬に跨って、颯爽と駆け寄ってみせた。女性達はもう彼女に釘付けであった。有体に言えばとてもカッコ良く見えたのである。
他にも横乗りをする場合は専用のサドルがあるのだが、正面を向く為には腰を無理にひねらなければならない。不自然な体勢で乗り続ける事になるので、乗馬好きな女性達の間では右膝に慢性的な痛みを抱える者も少なくなかった。
それでも貴婦人らしく優雅に乗りこなすには仕方ないとされていたが、このデザインのドレスなら確かに跨ってもスカートが捲れないし脚を隠せる。
しかもコルセットが無いのに何故だかスタイルが良く見えるのだ。
何て動きやすそうなんだろう、何て快適そうなんだろう。それは多くの女性達が苦しみつつも仕方ないと諦めていたコルセットや乗馬の横乗りと別れを告げる方法を知った瞬間でもあった。
キャロラインが話すやりたい事とはファッションの快適性の追究であった。お腹を締めるコルセットと運動をする時でも履く足首までのスカート。前世を思い出すまではあまり気にも留めていなかったが、思い出してしまった以上もう耐えられなかった。
だって前世でのあんな動きやすくて苦しくない快適な洋服、知ってしまったら後には戻れない。これから数十年窮屈なコルセットで体を締め続ける生活は考えただけで恐ろしかった。
だから今のうちにファッションの意識改革を進めようとずっと計画を練っていたのだ。そこへ折良くキツネ狩りに誘われた。
いきなりゆったりとした服を普及するのは難しいが、スポーツウェアとしてなら心理的ハードルも低いかもしれない。更に馬の背に跨げるようスカート部分を袴と同じ形状にすれば、もう右膝の痛みに悩まされる事も無くなる。窮屈と痛みからの解放だ。
そこでコルセットの無い袴のような形状のドレスを職人に作らせ、今日この場に挑んだのである。
依頼をした時にはデザイン案を何度も見返されたが、こうして特に女性達の反応を見ていると掴みは上々のようだ。
「失礼、貴女のドレスとても素敵ですわ……。差し支えなければどなたがデザインしたのか教えて頂きたいのですが……」
大の乗馬好きとして知られる夫人がいてもたってもいられないという風にキャロラインに尋ねる。横目で周囲の様子を窺うと他の女性達も聞き逃さないよう耳をそばだてていた。
「ありがとうございます。実は自分でデザインしたのです」
「まぁ!貴女が!?」
それを聞いた女性達は興奮気味に友人同士で囁き合う。あんな画期的なドレスを思い付くなんてデザイナーとしての才能もあるのではないか。自分も是非真似してみたい。
そんな昂りが女性達の間にさざ波のように広がる。
「貴女のドレス、是非うちでも真似してみたいのだけど駄目かしら……?」
「構いませんわ。動きやすくて快適ですよ」
了承の旨を聞いた女性達は心の中で歓声を上げた。乗馬は勿論、あのウエストを高くしたデザイン、外だと眉を顰められても家の中なら自由に着られるかもしれない。そうなれば普段の生活が随分楽になる。
すっかりキャロラインを中心に女性の輪が出来上がっていると快活な声が掛けられる。
「やってくれたなぁ!主催者より目立つなんて!見ろ、周りが度肝を抜かれているぞ!俺も仰天したがな」
主催者であるミシェルの登場に皆が頭を下げる。因みに言葉ではああ言っているが怒ってはいない。彼は面白い事が好きだから。
「見ないデザインだが斬新で面白いな。似合っているぞ」
「お褒めの言葉を頂き光栄ですわ」
他ならぬ王子がデザインを褒めた事で、彼女の考案したドレスは頭の固い連中が気に入らないと苦い顔をしても、大っぴらには非難出来ない庇護を得た。この瞬間コルセットを着けないドレスは流行の資格を約束されたのだ。
「早速だがそのドレスの機能性を検証してみようじゃないか!ルナヴァール伯爵!俺の馬について来れるかな!?」
「その挑戦、受けて立ちます!」
ミシェルが先頭を切るとキャロラインも負けじと愛馬を駆る。二股のスカートをひらめかせ、馬を操る彼女の姿は女性達の憧れの象徴となった。
その後彼女が考案したドレスは年嵩の貴族には眉を顰められるも、若い女性達の心をガッチリと掴み運動着や室内着として流行の最先端となる。
前例の無いデザインだが楽には代えられないのか、見慣れてきたのか。時と共に世代を問わず広がっていき、やがて宮廷服として採用されるようになる。
そして彼女のドレスにインスピレーションを受けたデザイナー達が次々と機能性や解放性に優れた衣服を発表。ファッションはコルセットを付けて生み出す「作られた美」から「自然な美」へと変化していく。
後にこの流れの火付け役である本人が語った「私はただ、我慢から解放されたかっただけよ」という言葉は、この世界のファッションの歴史を飾る名言として確かな存在感を残していくのである。