駒は婚約発表へと
王は長男からの手紙とエバンズ医師からの報告書に目を通しながら顔を綻ばせる。傍に居る王妃もホクホク顔で、この頃頭の痛い事に煩わされていた彼等にとって一服の清涼剤であった。
ミシェルの病気は完治しリハビリも順調。この前は休みながらだがクリスとピクニックに出掛けたそうだ。
この調子なら近いうちに乗馬も出来るようになると医師から太鼓判も押されており、ニヤケが止まらない。いけないいけない、お披露目するまで秘密にしておかなければならないのにこれでは直ぐにバレてしまうではないか。
「やりましたわね、あなた!」
「あぁ、キャロラインには頭が上がらなくなってしまうな」
彼等にとって間違いなく転機だったのはクロードが持って来てくれた調査報告書であろう。そこには上の息子と全く同じ症状に苦しむ者の存在や現状が事細かく記載されていた。
ミシェルの病気の要因はフォルシカにある。そこに一縷の望みを託した彼等は直ちに使者を派遣して彼の地から医師を呼び寄せた。人望と知識を併せ持ち、何より口の堅い人物を。
そこで選ばれたのがエバンズ医師であり、事情を話せば彼は快く「そこに苦しんでいる人が居るのなら喜んで」と承諾してくれたのだ。
ミシェルからの最初の手紙には「こちらが戸惑うくらいあっさりとレトラジ症と診断された」と書かれていて、やっと判明して嬉しいやら、もっと早く気付いてやれば良かったと悔しいやら。あの時は夫婦揃って泣き笑いしたものである。
文面からでも滲み出るあの頃の快活さが戻ってきた息子の手紙は夫妻を大いに元気付けてくれた。最近は寝る前に彼からの手紙を読み返すのが日課になっていて、目を見張る程回復していく息子の様子を想像しながら床に就くのである。
本当は直ぐにでも元気になった姿をこの目で確かめたいのだが、おいそれと国のトップが王都を離れれば怪しまれてしまう。仕方なく信頼できる者を遣いに出して何とか我慢している毎日だ。
まったくあの子はとんでもない事をやってのけてしまった。自分達は息子の身の安全だけを考えて田舎の領地に送ったのに、まさか病気を治そうとしてしまうなんて。
この分なら計画を最終段階に進めても問題ないだろう。そう判断した国王は翌日、臣下達の前で正式にキャロラインとは婚約解消し、新たにシャーロットと婚約をし直す旨の発表をした。
手ぐすね引いて獲物を待ち構える内心とは裏腹に、淡々と表明する王の姿に裏事情を知らない者達は「そうするしかないだろうな」と受け取った。
公衆の面前での婚約破棄はこの頃には殆どの貴族には知れ渡っている。シャーロットを側室にして別の令嬢を正室にあてがうにしてもキャロラインは勿論、どの家の令嬢も既に側室が居る男との縁談など嫌がるに決まっている。
こうなったら仕方なしにシャーロットを正妃にするしかないだろう。人の婚約者を略奪する碌でもない女だが、本当に上手くやったものだと臣下達は苦々しい気持ちになる。
社交界ではシャーロットを養子に迎えようと安易に目の前の餌に飛びつく者も居れば、碌でなしを身内に迎えるには慎重な者、関わるのも煩わしいと唾棄する者達まで反応は三者三様だった。
既に彼女の友人枠に収まっていたアイリーンはというと、家族と手を取り合ってこの発表を喜んでいた。
精々王子の愛人止まりだと考え、シャーロットの「ジョエルの婚約者」発言を信じていなかった彼女だったが、これは嬉しい誤算だった。
王妃の取り巻きともなれば、しがない男爵令嬢から一気に宮廷婦人への階段を駆け上がれる。王妃の友人が男爵家では周りから侮られると唆せば見栄っ張りな彼女の事だ。きっと父や親戚もより高位の爵位と実入りの良い領地を与えてくれるだろう。
今でも借金の事なんか考えなくて済むと思うだけで凄く楽になれたけど、シャーロットが王妃になればこんな貧乏暮らしから永遠におさらば出来るんだ。
そんな夢のような日々を信じて疑わない彼女達に水を差したのは従姉妹のローズマリーだった。
「ねえ、もう彼女を相手にイカサマ賭博しない方が良いわ。今からでも遅くは無いから手を引いて」
顔ぶりから自分達を案じて言っているのは分かるが、心配性だなぁとアイリーンは肩を竦める。
小さい頃から遊んだ幼馴染だ。体面を保つだけでも借金が増えるような家なのに、堂々とシャーロットからもらった本物の宝石が付いた装飾品や、新品のドレスを身に着けていれば不審がられるのは当然だろう。
特に隠す必要も無かったアイリーンは、この前問い詰められた際に素直にシャーロットと友人になった事と、イカサマ賭博でお金を巻き上げている事を素直に明かした。
『あなた!ギャンブルでイカサマなんて詐欺で訴えられたらどうするのよ!』
『大丈夫よ。怪しまれないように適度に勝たせてあげてるから。それにほら、この耳飾りだってあの女が飽きたからってくれたのよ?』
大振りの装飾が付いた耳飾りが自分に似合わないのは分かっている。でも単純に高価な物を身に着けると凄く気分が良いのだ。
殿下とシャーロットが結婚して「王妃が身に着けていたアクセサリー」と更に付加価値が付けば、今よりももっと高値で売れるようになる。それまでは大切に使わせてもらうつもりだ。
『あの女が王妃になった後になるけど、ローズマリーの家も取り立ててもらえるようにするからね』
それでも彼女の表情は最後まで晴れなかった。
彼女の家だって父親が倹約家だから何とかやっていけてるだけで、苦しいのに変わりないのに。あの女をおだててお金を出してもらえばずっと苦労せずに暮らせるし、いずれ子どもが出来ても縁談には困らないのに。
あれから数日経っても彼女の考えは変わらないようで、今日も真剣な顔をした彼女から説得されている。まったく何をそんなに心配しているんだろう。
「いくら親告罪でもジョエル殿下の婚約者の時点で訴えられるのと、王妃になってから訴えられるのでは全然違うわ。悪い事は言わないからプレゼントを貰うのは兎も角として、もうギャンブルに誘わないしイカサマもしないって約束して」
何故ローズマリーがこんなにも必死に説得を続けているのか。彼女にはある懸念があった。
貴族ならまだしも王妃がギャンブルにはまっているなんていくら合法でも体面が悪い。更にアイリーンはイカサマを使って故意にお金を巻き上げているのだ。
今は婚約者だから周りの目も緩いかもしれないが、王妃となってそれが厳しくなれば私腹を肥やす為に王妃の風紀を乱したと罪に問われる可能性もある。
そうなればアイリーンの家は勿論、自分達だって、ただでは済まない。
決してありえない話ではないからこそ必死に目の前の従姉妹に訴えていたのだが。
「そんなに言うのなら分かったわ」
アイリーンは口に人差し指を添えて返事をした。口を触るのは彼女が嘘を吐く時の癖だ。
結局平行線のままローズマリーは学校へと戻ったが、後に最後通告として少し怖い目に遭う事になる。




