これが...殺意...?
この学校では修了式と始業式の間の休暇期間はホリデーと呼ばれ、遠方の生徒も帰省が許されている。寮生活を送る生徒にとってのリフレッシュになっている。
王都にタウンハウスを構えている家の生徒は週末の帰省も許可されているが、どうしてもバタバタしがちになる。
キャロラインも休暇を指折り数えて待っていた生徒の1人で、お忍びで街に出かけたり趣味に没頭したり、妹のダイアナと過ごしたりなど色々予定を立てていたのだが、それどころではなくなってしまった。
(あんっ……のクッソアマァアアアアアア!!ちょっと優しくしてたら良い気になりやがって!ヒロインだからって何でもかんでも許されるとちゃうんだぞ!)
思わず汚い言葉を使ってしまう。いっけなーい⭐︎殺意殺意なんて可愛らしいものじゃない。殺意!!!!!!!!ってくらい彼女の腸は煮えたぎっている。
誰かが言ってた、馬鹿に優しくしてもつけ上がるだけだって。それは先程のでもう充分に理解した。前世含めて人生の中でこういう類の馬鹿と関わらずに済んだ自分の運に乾杯。
あ、でもシャーロットとかいう地雷とかち合っちゃったか。アレがヒロインで自分は悪役令嬢だから。
そりゃジョエルとは進級してからギクシャクしてたよ?周囲の噂になるくらい2人の距離が近くてやきもきしたこともあったよ?でも私自身彼女に手は出してないし、取り巻きにもあの2人に関わらないよう言い含めておいた。その結果がこれか!
こっちも嫌がらせしてたなら少しは分かる……かもしれない。それにしたって衆目での婚約破棄はやり過ぎだけどね。でも私、ゲームのキャロラインと違って、何にもしてない!しかもギクシャクの理由もゲームを思い出したら自分全然悪くないし!
あの時ちょっとは味方になってくれるかなー?って思ってた私の期待を返せ!あんたは十数年過ごした幼馴染より、ポッと出の女の方を信じるのか。何もかんも全て!
あーあ、なんだか虚しくなっちゃったなぁ。関係修復しようと頑張って、シャーロットの事も我慢して理性的に対処しようとしてたのに。結局シナリオの方が優先されるんだぁ。
もうホリデー明けに学校に行っても嫌な注目の的になるんでしょ?だったら休学するしかないじゃん。これからは毎日がホリデーじゃん。
だから私は決めました、あの2人には今後一切の容赦も手心も加えないと。こっちだって生きるか死ぬかの瀬戸際なんだから、 全力で2人の将来を潰させていただきますとも。
ジョエルに婚約破棄を宣言される数分前に前世の記憶を思い出していた彼女は完全に殺意の波動に目覚めていた。無論物理的ではなく社会的にの方だが。
この世界は前世で好きな実況者がプレイをしていた乙女ゲームの世界であり、キャロラインは本来ヒロインであるシャーロットの邪魔をするライバル令嬢の1人となる筈だった。
しかしこの世界のキャロラインはシャーロットに嫌がらせするどころか余り接触しようとはしなかった。この時点でシナリオは既に崩壊していた。
それにも関わらず婚約破棄イベントが起きたという事は考えられるのはただ1つ。シャーロットも転生者でありシナリオ通りに事が進むよう、原作の知識を悪用してやってもいない罪を捏造したのだ。
不幸中の幸いだったのはクライマックス直前とは言え、完全に前世の記憶を思い出せた事である。もし前世の記憶が無く、17年の知識と経験しか無かったら婚約者に信じてもらえなかったショックであの場で心が折れてしまっていただろう。
そして全く違う人生を歩んでいた魂がこの身体に備わっていたからか、この世界のキャロラインは考え方が原作とは異なっていた。
原作のキャロラインは常に未来の王太子妃に相応しくなるよう立ち振る舞いも勉強も努力を惜しまなかった。
その反面不安があっても周囲に悟られないよう隠そうとする悪い癖が彼女にはあった。問題が起きた時に誰かに頼るのは悪であり、己の力で解決出来る人間こそ立派なのだと思い込んでいた。その結果嫌がらせにまで発展してしまい婚約破棄されてしまうのだ。
対するこの世界のキャロラインは社会生活で信頼出来る人間に相談する大切さをよく理解していた。だからこそ2人に距離が近いと数回注意して、いずれも全く取り合ってくれなかった際に自分の身に余ると判断して親と王に相談したし、その事を取り巻き達にも共有していた。
また感情に動かされず行動出来たのはジョエルに親愛の情は持っていても恋慕していなかったのも大きい。
いくら親しくしても肝心な時に味方になってくれるかどうか分からない。そんな予感が時折過ぎってどうしても恋を抱く事は出来なかったが、きっと過去の記憶がそうさせたのだろう。
それはそうとあの2人への仕返しは考えなければならない。某銀行マンだってよく言ってたじゃないか、やられたら倍返しだと。
前世の自分に随分助けられたお陰で今の自分には2人の知らないアドバンテージがある。彼の浮気を早期に報告した事であの2人には王家からの影が付いていたのだ。
つまり彼女の行動は王家は既に把握済みなのである。夜会の事だって私物の破損だって罵倒だってこちらの潔白は王家が証明してくれるのだ。
それにクライマックスも終わってヒロイン気取りのあの女は1番油断している頃だろう。今だからこそ動き出すのに丁度良いタイミングだ。
キャロラインはまず報復にあたってこの世界についての仮説を立てた。それは「自分達キャラクターにも自由意志がある」と「シナリオに用意されている出来事は必ず起こる」の2点である。
自由意志の証拠はこの世界のキャロラインが既に証明している。意思が無かったら前世の魂が入っていたとしても原作通りにジョエルに恋をし、シャーロットを排除しようと画策していただろう。
原作のキャロラインが躍起になっていた理由は嫉妬も含まれているが、ハニートラップの可能性を危惧したからだ。
自分も取り巻き達も原作とは違う行動をした時点で紛れもなくNPCにも自由意志があるという事だ。
しかし単に自由意志のままに原作とは違う行動をしても結果は変わらなかった。という事はプレイヤーたるシャーロットが選んだルートの修正力がこの世界には働いているのだろう。
それならば納得はいく。シャーロットは訳の分からなさである意味有名だったのだ。ジョエルの友人達兼攻略対象キャラも最初は彼女に好感を持っていたようだが、次第に余所余所しくなり、ある時期から「君の方から殿下に彼女とあまり関わらないよう伝えてくれないかい?……そうか君でもダメなのか」と耳打ちするようになっていた。
今思えばその頃にジョエルルートに確定して他の攻略対象はシナリオの強制力から解放されたのだろう。
以前シャーロットの訳の分からなさを知らなかったのかと聞いたら、不思議とある時期まで変な噂を一切聞かなかったし彼女に対し違和感を覚えなかったと、そんな事ある?と言いたい答えが返って来た事があったから。
そう考えるとジョエルもシナリオの強制力の犠牲者とも言えなくもない。
しかしそれはそれ、これはこれ。謂れのない罪を被せられた屈辱は絶対に返さねばならない。
つまりシャーロットを出し抜くにはいかにシナリオの強制力に抵触しないかがカギとなる。難しいが突ける穴はある。
原作のキャロラインがどうなったかは婚約破棄後に表舞台から消えた旨の一文が表示されるのみで、詳細は何も描写されていない。実況者曰く公式からの回答も無いようだ。
そしてシャーロットの方はと言えば場面は一気に飛んでジョエルとの結婚式のシーンに移り、歓喜に沸く国民へバルコニーから手を振る2人の幸せそうな顔を最後にお終いとなる。
存外呆気ない終わり方に前世自分は勿論、他の視聴者もこれで終わり?と困惑した記憶がある。しかもこれでハッピーエンドルートなのだ。実況者は全てのルートのエンディングに到達したら解説すると言っていたが、その前に自分が無理が祟って倒れて分からず仕舞いになってしまった。
少し脱線したが要するにこれからやるのは至極単純、シナリオ展開を守りつつ出し抜けば良いのだ。
確かにキャロラインは表舞台から姿を消した。だけどそれはどれくらいの間?1年?10年?生涯?
そんなのどこにも回答が無いし、シャーロットと結婚したジョエルがその後立太子したとも明記されていない。
要するに「キャロラインが1度でも表舞台から遠のく」のと「あの2人が結婚」の2つさえ満たしておけば他は動きたい放題という訳だ。
生憎自分は婚約破棄された身なので傷心を理由に田舎に引っ込んでも誰も不思議がらない。その間にシャーロットの証言の矛盾をまとめてジョエルの後釜に座る人物を用意する。
そして2人の結婚式が終わった後に颯爽と登場して一転攻勢にかかるのだ。もうその頃には彼女を助けていたシナリオも終了しているのだから。
となれば家族や王家との連携は不可欠だ。きっと家族も国王夫妻も確実な証拠も無いのに勝手な事をしたジョエルに憤慨してくれるだろう。
考えが纏まったタイミングで馬車もある建物の前で停車する。目の前に建つ歴史と風格を兼ね備えた屋敷はネヴィル家のタウンハウスだ。前世と今生で生きてきた環境は全く異なるが、家族が居る所が温かな場所というのは変わらない。
ドアが開くと折り目正しく出迎える使用人と、奥から驚いたような顔をした今の母が貴婦人らしさを乱さない程度に足早にやって来る。
「キャロライン、こんな早くに帰って来るなんて。パーティはどうしたの?まだ解散する時間ではないでしょう?」
母であるスザンヌの言う事はもっともで、キャロラインは直前の休みでは修了式後のパーティーが楽しみだと言っていたのだ。遅い時間の帰宅を心配はしても日の高いうちに帰って来るなんて全くの想定外だった。
スザンヌは最初友人と喧嘩でもしたのかと思っていたが、それにしては様子がおかしいと母の勘が告げる。
「予定が変わってしまったの。お父様とお兄様はまだお仕事中?」
「今日は2人共仕事を早く切り上げてリビングに居るけれども……」
ネヴィル家ではホリデーの初日は当主も仕事を調整して早く家族の団欒に加わるようにしている。これは数代前の当主が「民は見守るもの、家族は寄り添うもの」と提唱してからの伝統であり、父のクロードも忙しいのに毎回時間を作ってくれているのだ。
きっと大層驚かせてしまうが事態を好転させるにはスピードが命だ。今すぐに話さないと何も始まらない。
「お父様達に大事な話があるの。お時間をもらえないかしら?」
「直ぐに2人をリビングへ呼んで頂戴。ダイアナも」
何かあったと直感したスザンナは使用人達にキビキビと指示を飛ばすとキャロラインの背に手を添えて着替えを促す。
(初めてだわ。この子がこんな怒っているなんて……)
穏やかな性格の娘の見た事も無い顔に益々不安が募るスザンナ。それも当然で、家族が揃ったリビングにて公衆の面前で婚約破棄されたと聞いた時は、一瞬理解出来なかったし、理解した瞬間激昂した。
家族全員スザンナと同じような状態で一見冷静なのはキャロラインのみである。
「はい。なんでも私は殿下のご友人であるシャーロット様に嫌がらせをしたようで。それで殿下は私との婚約を破棄してシャーロット様と新たに婚約を結ぶそうですよ」
「あの小娘……!やってくれたわね!!」
「お姉様はそれで良いんですか!?」
「父上!今すぐ抗議をしましょう!」
のんびりとカップを傾けるキャロラインに当事者なのだから怒っても良いのだとスザンナを始め四方八方から声が上がる。
「抗議をしたところで今更撤回は難しいでしょう。なにせ全校生徒の前で宣言してしまいましたので」
王族だからといってこのような暴挙は許される筈がない。しかし状況が余りに悪かった。
彼女の言う通り王族が多くの人間の前で宣言した事を後になってやっぱり無しでとは言えないのだ。信用問題になってしまう。あの2人は敢えてこの方法を選んだに違いない。
「すまない……。慎重に動いていたのがかえって仇になってしまったようだ。お前には何と言って良いのか……」
「陛下と王后陛下は現在視察で王都から離れております。もしやこのタイミングを狙っていたのかもしれません」
「あなた……。私悔しいわ……」
クロードとライオネルがキャロラインに頭を下げ、スザンヌはさめざめと夫の胸で涙を流す。
娘からあの2人について報告を受けたクロードはこれまで国王夫妻と共に対策を協議し続けていた。
ところが相手に先にしてやられてしまった上に濡れ衣まで着せられたのだ。折角娘が自分達を頼ってくれたというのに面目無い。
「お父様、皆も頭を上げて下さい。私がお話ししたいのはこれからの事だもの」
全く悲壮感の無い声に釣られて見ればキャロラインの瞳は全く諦めていなかった。寧ろ「この屈辱は絶対に晴らす」と言いたげに怒りと覇気に満ちていた。