築かれる包囲網
数日後、キャロラインが侍女だけを連れて馬車で何処かへと行った噂が流れ出し、ある者達は嘆き、ある者は喜び、またある者達は悲しむフリをした。悲しむフリをしている者達は勿論キャロラインの頼もしい協力者である。
直前に王妃に別れの挨拶をし、背格好の近い影武者のメイドには悲嘆に暮れる顔を見せたくないとばかりに帽子を深く被せたので信憑性もバッチリだ。
シナリオ通りに田舎に引っ込んだ悪役令嬢に喜ぶシャーロットは王妃教育初日、アイツの代わりに自分が王宮に行くんだと意気揚々と馬車に乗り、胸を躍らせて宮殿へと向かう。
有頂天になっているシャーロットだが、彼女付きの使用人は侍女やメイドを含めて全て王家が派遣した影の者なのだ。
シャーロットが乗る馬車が角を曲がったのを確認した瞬間、メイド達は散会し各々の本来の仕事に取り掛かる。怪しまれぬよう掃除と並行して、彼女がそれまでに行った手紙のやり取りや隠している物が無いかなどの捜索。
来る裁判に向けて完膚なきまで黙らせる為に証拠はいくらでもあった方が良い。
それに意外な事にジョエルの友人達からも協力を得られたのは大きかった。
てっきりあの2人の味方かと思いきや、キャロラインが取り巻き達を抑えようと行動していたのをちゃんと見ており、今回のジョエルの公衆の面前での婚約破棄も余りに酷いと憤っていたのだ。
現にキャロラインの元にはジョエルを止めきれなかった謝罪の手紙が届いており、その言葉に嘘は無い模様である。
自分達に出来る事があれば何でも言ってほしいという厚意に甘え、キャロラインは家族と話し合ってシャーロットが接触して来た際にどんな言動をしていたか報告する事と、今後影が聞き込みに来たら協力して欲しい旨の約束を取り付けた。
一方、着々と失脚させる包囲網を築かれていると知らないシャーロットは授業が始まって早々王妃教育に飽きていた。
「違います。この場合のマナーはこうです」
ちゃんとやっているのにさっきからずっと教育係からの間違いの指摘が止まらない。まさか意地悪しているのではないだろうか。
そもそも王妃教育の内容が思っていたものと全然違っていた。妻として夫となるジョエルの癒し方やダンスを教わるものだと思っていたのに今更マナーだなんて。
自分が国で2番目に偉くなるんだから相手が合わせれば良いだけの話なのに何でわざわざ学ぶ必要があるのか。それに指導している女もたかが教育係の癖に偉そうで腹が立つ。
本当は今直ぐクビにしてやりたいところだけど、王や王妃からあまり良い目で見られていない今無闇にワガママを通すのは危険だ。ここはグッと耐えるしかない。
(見てなさいよ、そうやっていられるのも今の内だから。いつかきっとクビにしてやるんだから!)
睨みつけるシャーロットの視線を受けながら、とんでもない問題児を相手する事になったものだとジェニファーは心の中で眉を顰める。
まず彼女のレベルがどれくらいなのか、復習を兼ねて学校で習った範囲内のマナーの問題を出せば、意外にも要領は良いのか基礎は全て答えられていた。
しかし応用に切り替わると直ぐにボロを出す。真面目に授業を受けていればちゃんと答えられる内容なのにサボっているのがよく見て取れた。
そして実践がこれまた酷い。カーテシー1つでさえ宮廷侍女の及第点にも達していない。
指先の形や姿勢に全然気を配っていないのだ。これでは単にやり方を知識として知っているだけである。
宮廷侍女は主人の客人を持て成す仕事も含まれている分、相応のマナーや教養が求められる。これでは予定通り学校を卒業して宮廷侍女になったとしても直ぐにお払い箱にされるだろう。
なんせ宮廷侍女になれば、箔が付いて待っているだけで条件の良い縁談が舞い込んで来るのだ。その為金持ちの家の娘は勿論、貴族の娘だってなりたがる人間はごまんといる。
最低限の勉強すらしてこなかったのは恐らく最初から在学中に大物を釣り上げる計画だったと見て取れる。それが個人の野望なのか実家の差金かで大分異なるが、ジェニファーは前者だと直感した。
何故なら目の前の彼女はハッキリ言って猫被りが全然出来ていない。今もこちらが気付いていないとでも思っているのか、目を吊り上げていて本性の隠し方が兎に角杜撰だからだ。
これが実家からの指示を受けているのであればもっと上手くやろうとする筈である。自分や実家の今後がかかっている以上失敗は許されない。その為必死になって演技をする。
それはターゲット以外の人間が相手でも変わらない。怪しまれないよう常に殊勝な性格を演じて周囲からの好感度を上げようとするのが定石で、間違っても睨みつけたりなんかしない。
周囲の人間に取り繕う気が無い時点で己の欲望の為に王子を堕としたのだろう。
今は我慢しているみたいだがこの様子だと早々に音を上げそうだ。そうなった時の為に余計な事をさせないよう何か策を練らなければならない。
男を堕とす才能はあるかもしれないが、それ以外は中途半端なシャーロットに見れば見る程自然とジョエルに対し残念な気持ちが湧き上がる。
(ジョエル殿下はもう少し賢い方だとお見受けしていたのに……)
ミシェルと比べれば確かに能力は見劣りしてしまうが、周囲から聞こえていた彼の評価自体は悪くはなかったのだ。誰しも得手不得手はあるし苦手な分野については得意な者に任せれば良い、その為に部下は居るのだから。
王だからといって全てが秀でている必要は無い。ミシェル王子が健在であればと惜しむ声は無いとは言えないが、国や民の為に努力している姿を評価している人間もちゃんと居たという事だ。
なのに勝手な婚約破棄をして今まで積み上げた信用を壊してまでこのような女と一緒になりたかったのか。キャロライン様も夫を支えられるよう多くの時間を王妃教育に費やしてきたというのに可哀想な話である。
もし新しい縁談が上手くいかなければ自分も微力ながら手助けをしよう。そう思いながらジェニファーは王妃からの直々の依頼でなければとうに匙を投げていた授業に向き直った。
シャーロットが受けている授業はあくまでままごとの延長である。その理由からキャロラインが受けていたものよりも大分緩く短い授業だったが、それでも終わる頃にはありありと不満の顔を浮かべていた。
「お疲れ様でございます。初めての授業はいかがでしたか?」
「いかがも何も無いわよ!なんでこんな地味な事をしなくちゃいけないのよ!」
出迎えた侍女に早速シャーロットは八つ当たりのように愚痴を並べる。
やれ教育係が終始偉そうでムカつくだの、お辞儀の仕方やマナーなんかじゃなくてもっと男を癒して喜ばせる方法を教えるべきだの、相当鬱憤が溜まっていたのか口が止まる気配が無い。
それを否定も肯定もせずに聞いている侍女だが、彼女もまた影の1人なのだ。シャーロットの言葉は一言一句記憶しており、後でそれを全て文書でしたためて国王夫妻に報告する任務を任されている。
そうとも知らず彼女は自分が不利となる台詞をペラペラと喋る。
まず根本から誤解しているようだが、男を楽しませるのは側室の役割であって正室の役割ではない。正室は夫のサポートをしたり、夫が家を離れている間の代理で家を切り盛りしたりと、実質領地の共同経営者の役割を担うのだ。
つまり男を癒して喜ばせるどうのこうのを話す時点で王妃になる気は無いと言っているのも同然である。
「それは大変でございましたでしょう。ですがジョエル殿下をお支え出来るようになる為にも頑張りましょう」
「はぁ?私はとっくにジョエルを支えているわよ!」
侍女が言っているのは政治的な意味での支えだが、通じていないシャーロットはとうに支えていると言って憚らない。
結局彼女の愚痴はアパルトメントに着いた後もメイドを捕まえてまで続いていた。




