やはり、危険な娘だ
メディナとイワンに連れられ、王の待つ寝室に向かいながら、アイリーンは思っていた。
王様は爆睡なさるタイプかな?
そうであってくれれば、朝まで何事もなく過ぎるんだが……。
「こちらです」
と通されたのは、今までエルダーが使っていたのとは違う部屋だった。
まあ、部屋だけはたくさんあるからな、とアイリーンは城の3階にあるその部屋に入る。
以前からこの部屋にあった古い天蓋つきのベッドは丁寧に修復されていた。
上の木製パネルの部分からはアイリーンがよく着ているのと同じ、薄手の布と、藤のような花がたくさん下がっている。
紫と緑の花だ。
これ、中庭で見たな……とアイリーンは思う。
中庭のツルが巻きついている棚に蔓延っていて。
美しいけど邪魔だとメディナがバサバサと切っていた。
再利用したのかな、とベッドの天蓋から薄紫と緑の花が混ざり合いながら落ちてきているようなその花を眺める。
「私ではなく、花に夢中のようだな」
ベッドの横に立っていたエルダーが言った。
「あ、申し訳ございません」
よい、とエルダーも透けるような布と上品な色合いの花々の共演を眺める。
「美しいな。
感謝せよ、アイリーン。
あのメイドは、これを私の機嫌をとるためではなく。
初夜に慄くお前の気持ちを盛り上げるためにやったのだと思うぞ」
そうですね。
ここまでしてもらったら、引き下がれませんね……とアイリーンはメディナの消えた扉の方を見つめる。
こんなに力を尽くしたのだから、逃げないでくださいよ、という脅しにも感じたが。
王が言ったような気持ちがあるのもほんとうだろう。
先ほど涙ぐんでいたメディナを思い出しながら、アイリーンがそう思ったとき、エルダーがベッドサイドのミニテーブルの上にある器をとった。
おそらく東洋で作られたのだと思われる、ゾウが皿を背に載せている器だ。
皿には四角く切られた鮮やかな果物がいくつも載っている。
エルダーはオレンジの瑞々しい果実をひとつとると、アイリーンの唇にそれを押し付けた。
今日、エルダーたちが届けてくれたばかりの果物だ。
エルダーの仕草が丁寧で、儀式のようだったので、アイリーンはもごもご食べたあと、
「これは初夜の決まりごとかなにかですか?」
と問うてみた。
「いや、単に新妻が可愛いからやっているだけだ」
淡々とした口調でエルダーは言う。
いや、可愛いからとか……。
そんな口説き文句のようなことを言われ、アイリーンはどきりとして、後退してしまう。
覚悟は決めたつもりだったが、ちょっと逃げたくなってきた。
エルダーはアイリーンをまっすぐ見つめて言う。
「なにも緊張することはない。
大丈夫だ」
「王様……」
大丈夫だ――。
そうエルダーは繰り返した。
「私も緊張しているから」
……それは大丈夫ではないのでは、とそういえば、ゾウをつかんだまま動かないエルダーをみる。
それでも、エルダーは自分がリードしなければ、と思っているようで、
「……覚悟を決めろ、アイリーン」
と言ってきた。
「はい……」
ちょっと笑って、そう答えたあとで、アイリーンは思い出していた。
このあと、覚悟を決める必要があるのは、王様の方であることを――。
事前に言うべきか。
言わざるべきか。
でも、王様が爆睡されるタイプの人なら、言う必要ないかもしれないしな。
私の秘密が知らなれないですむのなら、それに越したことはない。
以前から心配していた通り、こんな娘を寄越すとは、と激怒されるかもしれないから。
いや、送り返されるだけで済めばいいが……。
……って、今更、送り返されるのも、ちょっと寂しいかな。
アイリーンは、この城をともに直した仲間たち、そして、今、大切なものを見つめるように自分を見つめてくるエルダーの瞳を思った。
悩むアイリーンの手をエルダーがとる。
その大きく温かい手にアイリーンは覚悟を決めた。
なるようになれ――、と。
「私、覚悟を決めました。
王様も……
お覚悟ください」
その鬼気迫る言い方に、エルダーは、いや、なにをだっ、と身構える。
「アイリーンよっ。
もしや、私の寝首をかくつもりか!」
――いや、そんな莫迦な……。
だが、エルダーはそこで逃げずに、ぐっとアイリーンの手を握ってきた。
「アイリーン、例えそうであっても、私はお前を妻にしたい」
――こんな奇特なこと言ってくれるの、この人くらいしかいないかもしれないな。
「が、頑張りますっ!」
とアイリーンはエルダーの手を握り返す。
「いや、別にお前が頑張らずともよいのだが………」
なにか頑張れるのか?
と問われ、
「ああいえ、なにも……」
ははは……と笑ったとき、エルダーの手が肩に触れた。
身を乗り出し、口づけてくる。
「お前はほんとうに可愛いな……」
そう、ささやくようにエルダーは言った――。