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 大家はため息をつきながら、さも重々しくうなずき、

「いつ、どこでといってもね、お(めえ)さんよ。縁日(えんにち)(よい)の口や、顔見せ興業の夜明といった、はっきりそのときその場所からいなくなったわけじゃない。その娘はね、長いあいだ(わずら)って寝ていたんだ。それから行方(ゆくえ)が知れなくなったよ」

 子供芝居のとりとめないせりふとしては、ちょっと変なことを言う。

「へい」

 舞台の饂飩(うどん)屋も不審そうな顔をして、

「それではご病気を苦になさって、死ぬ気で家を出たのでござりますかね」

「寿命だよ、ふんっ」と、また(はな)をかんで、大家は鼻紙を(たもと)に入れる。

「ご寿命ですか、へい。なんに致しても、それはご心配なことで。お怪我(けが)がなければようござります」

(さい)の河原は石ころだらけ。石があるからつまずいて怪我をすることもあろうかね」と、大家が陰気なことを言う。

「なにを言わっしゃります」

「いえさ、饂飩屋さん、ものわかりが悪い。その娘はもう亡くなったんでございますよ」と、青月代(あおさかやき)(そば)から言った。

「お前さまも人が悪い。死んだ迷子(まいご)というものが世の中にござりますかい」

六道(ろくどう)の道に迷えば、はて、迷子ではあるまいか」

「やっ、そんならお前さまがたは、亡者(もうじゃ)をお(さが)しなさりますのか」

「そのための、この白張提灯(しらはりぢょうちん)

 と青月代(あおさかやき)が、白粉(おしろい)で真っ白に塗った顔の前へ、ぶらりと提げる。

「捜して、捜して、(やみ)から(やみ)へ行く路じゃ」

「なんとも……気味の悪いことを言いなさる」

「饂飩屋、どうだいっしょに来るか」

 と(かしら)は、鬼のように身構えて棒を突きだす。

 饂飩屋は、あっと尻餅(しりもち)をついた。

 それにかぶせて青月代が、

「ともに冥途(めいど)へ連れて行かん」

「来たれや、来たれ」と、大家は異様な作り声を出す。

 恐ろしさを(こら)えきれず、饂飩屋は、頭を抱えて倒れこんだ。渋団扇(しぶうちわ)を頭に当てると、ちょんまげの(かつら)ががさがさと鳴る。

「しめたぞ」

「食い逃げだ」

 と(ささや)きあった三人の子は、ひょいと踊りあがって、(かえる)のようにポンポンと幕内に飛びこんだ。すると、幕の(かげ)から声だけが聞こえる。

 ――迷子の、迷子の、お稲さんやあ――

 幕に描かれた藤は、どんよりと重い匂いを含んだようで、閃々(さんさん)とおなじ色に金糸をきらめかせた美しい(ひと)半襟(はんえり)と、陽炎(かげろう)づたいに光を交わしあった。そのときも、観客たちはひっそりとしたままだ。楽屋にした狭い場所に大人数を包みこんだせいか、紙の幕はなかほどから客席に向けて、風をはらんだように(ふく)れて見える。……その影が(おお)いかかるのであろう。破れ(むしろ)は濃い(ねずみ)色になって、しゃがみこんで舞台を見ている子供たちの胸のあたりにまで持ち上がったが、そこに四、五匹の(あり)がうようよと()っていた。……それがなぜか、なにかの本の古びた表紙に――来たれや、来たれ……と仮名で書き散らしたような形に見えた。

 蟻を見ながらそんなことを思うほどに、来たれや、来たれ……と言った大家のことばは、(あや)しいまでに心の(うち)に響いて、幕の(ふくら)み具合から見ても、そこにだれか大人がいて、(かげ)で代わりにセリフを言ったように聞こえたのだった。

 観客の子供たちは、神妙(しんみょう)に、黙って(ひか)えている。

 頬被(ほおかぶ)りのずんぐり男は、腕を組んで、立ったままでこくりこくりと居眠りをしている。……

 倒れ伏していた饂飩屋が、ぼんやりとした顔を上げた。饂飩屋の道具一式になぞらえた行燈(あんどん)が元のままに置かれている様子からして、現実が草紙の絵のような恐ろしい光景に変わっていたわけではない。

 蟻は隠れたのである。


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