八
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大家はため息をつきながら、さも重々しくうなずき、
「いつ、どこでといってもね、お前さんよ。縁日の宵の口や、顔見せ興業の夜明といった、はっきりそのときその場所からいなくなったわけじゃない。その娘はね、長いあいだ患って寝ていたんだ。それから行方が知れなくなったよ」
子供芝居のとりとめないせりふとしては、ちょっと変なことを言う。
「へい」
舞台の饂飩屋も不審そうな顔をして、
「それではご病気を苦になさって、死ぬ気で家を出たのでござりますかね」
「寿命だよ、ふんっ」と、また洟をかんで、大家は鼻紙を袂に入れる。
「ご寿命ですか、へい。なんに致しても、それはご心配なことで。お怪我がなければようござります」
「賽の河原は石ころだらけ。石があるからつまずいて怪我をすることもあろうかね」と、大家が陰気なことを言う。
「なにを言わっしゃります」
「いえさ、饂飩屋さん、ものわかりが悪い。その娘はもう亡くなったんでございますよ」と、青月代が傍から言った。
「お前さまも人が悪い。死んだ迷子というものが世の中にござりますかい」
「六道の道に迷えば、はて、迷子ではあるまいか」
「やっ、そんならお前さまがたは、亡者をお捜しなさりますのか」
「そのための、この白張提灯」
と青月代が、白粉で真っ白に塗った顔の前へ、ぶらりと提げる。
「捜して、捜して、暗から闇へ行く路じゃ」
「なんとも……気味の悪いことを言いなさる」
「饂飩屋、どうだいっしょに来るか」
と頭は、鬼のように身構えて棒を突きだす。
饂飩屋は、あっと尻餅をついた。
それにかぶせて青月代が、
「ともに冥途へ連れて行かん」
「来たれや、来たれ」と、大家は異様な作り声を出す。
恐ろしさを堪えきれず、饂飩屋は、頭を抱えて倒れこんだ。渋団扇を頭に当てると、ちょんまげの鬘ががさがさと鳴る。
「しめたぞ」
「食い逃げだ」
と囁きあった三人の子は、ひょいと踊りあがって、蛙のようにポンポンと幕内に飛びこんだ。すると、幕の蔭から声だけが聞こえる。
――迷子の、迷子の、お稲さんやあ――
幕に描かれた藤は、どんよりと重い匂いを含んだようで、閃々とおなじ色に金糸をきらめかせた美しい女の半襟と、陽炎づたいに光を交わしあった。そのときも、観客たちはひっそりとしたままだ。楽屋にした狭い場所に大人数を包みこんだせいか、紙の幕はなかほどから客席に向けて、風をはらんだように膨れて見える。……その影が覆いかかるのであろう。破れ筵は濃い鼠色になって、しゃがみこんで舞台を見ている子供たちの胸のあたりにまで持ち上がったが、そこに四、五匹の蟻がうようよと這っていた。……それがなぜか、なにかの本の古びた表紙に――来たれや、来たれ……と仮名で書き散らしたような形に見えた。
蟻を見ながらそんなことを思うほどに、来たれや、来たれ……と言った大家のことばは、怪しいまでに心の裡に響いて、幕の膨み具合から見ても、そこにだれか大人がいて、蔭で代わりにセリフを言ったように聞こえたのだった。
観客の子供たちは、神妙に、黙って控えている。
頬被りのずんぐり男は、腕を組んで、立ったままでこくりこくりと居眠りをしている。……
倒れ伏していた饂飩屋が、ぼんやりとした顔を上げた。饂飩屋の道具一式になぞらえた行燈が元のままに置かれている様子からして、現実が草紙の絵のような恐ろしい光景に変わっていたわけではない。
蟻は隠れたのである。