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 屋台の正面を横向きに見せて、両方に立てた柱を白木綿(しろもめん)で巻いているのは寂しいけれど、そこに(べに)金巾(かなきん)の布を、左右に渡してひらりと()って、下に掛かった横長な行燈(あんどん)に、芝居の招き看板のような文句が書かれている。


     一 ………………………………板東(ばんどう)よせ(なべ)

     一 ………………………………尾上(おのえ)天麩羅(てんぷら)

     一 ………………………………大谷おそば

     一 ………………………………市川(いちかわ)玉子焼

     一 ………………………………片岡(かたおか) 腕盛(わんもり)

     一 ………………………………(あらし)  お(はぎ)

     一 ………………………………板東あべ川

     一 ………………………………市村しる粉

     一 ………………………………沢村さしみ

     一 ………………………………中村 洋食

 初日(しょにち)出揃(でそろ)い 出演者一同 精一杯に(あい)務め申し(そうろう)


 名前の上に、下にいくほど次第に濃くなる紫で描いた藤の花が描かれ、口上のあとの余白には、赤い福面女(おかめ)に、黄色い瓢箪男(ひょっとこ)、蒼い般若(はんにゃ)の恐い面。黒の松茸(まつたけ)浅黄(あさぎ)色の(はまぐり)、ちょっと蝶々もあしらって、薄くぼかした(かすみ)をたなびかせている。

 引きよせられて追い求めてきた囃子(はやし)の音には、これほど似つかわしいものはない。だが松崎は、板東あべ川、市村しるこ……と読み返してみて苦笑いした。

 彼は筆名を春狐(しゅんこ)と称する、福面女(おかめ)に、瓢箪男(ひょっとこ)般若(はんにゃ)の面が踊るような、色物芝居の駆け出しの座付き作者だったから。――

「冗談じゃないぜ」

 思わず、独り言が声に出てしまう。

親仁(おとっ)さん、おう、親仁さん」

 この木賃宿(きちんやど)の国、行燈(あんどん)の町に、壁から抜けだした落書きのように、陽炎(かげろう)のように現れて、浅黄(あさぎ)の頭巾をかぶった、自分をからかうかのような人物は、いったい何者なのか?

 屋台の様子からして、子供を相手に新粉細工(しんこざいく)の菓子を売っているらしい。片岡牛鍋(ぎゅうなべ)尾上(おのえ)天麩羅(てんぷら)などという名前に、新粉(しんこ)にかけた春狐(しゅんこ)も並べるつもりか。

「おい、お()い」

 あまりに反応がないので、つい言葉が荒くなる。わざとむかっ腹を立てたように呼んでみたが、静かなことといったら黒子(くろご)のようである。

 糸の切れたあやつり人形のように、手足を伸ばしたまま、ぐったりと寝ている。居眠りの様子をよく船を()ぐというが、これは(いかだ)を流すといったところ。

 そんな相手に対して、そのままひらりと(たもと)を分かつというのは、あちらこちらを飛び回って羽繕(はづくろ)いをする蝶のようで、松崎は自分でも、気ままなものだと思うほどに浮かれていた。

 そこからまだ十歩も離れていない。

 綿入れを着たその物売りの、丸い背中の斜め向こうに、同じ木賃宿(きちんやど)(ゆが)んだ角から、その区画だけ苗代(なわしろ)を囲ったように広く取った場所があって、意外なほどに屋根瓦(やねがわら)を高く積み上げた一軒の家屋が建っていた。(こい)の背中の(うろこ)を見るように、中空(なかぞら)へと斜めにそびえ立ち、電信柱のかなたに(のき)(かす)んで見えている。

 そこは空き家なのか。皮をめくった顔に大きな二つの節穴(ふしあな)が残ったように、窓や入り口が、がっくり(くぼ)んだ(まなこ)に見える、骸骨(がいこつ)を重ねたような家である。

 それでも、月に(すすき)を合わせるように、(ひさし)に伸びた若草も春めいて、町から路地裏に引っこんだだけ、生ぬるく思えるほどほかほかとしている。

 周辺(あたり)では見かけない大構(おおがまえ)な空き家の前に、二間(にけん)ほどの船板塀(ふないたべい)が立っているのも、水のぬるんだ川水をせき止めている(せき)のように見える。その前に、おたまじゃくしがみっしりと(むら)がるように、大勢の子供が集まっていた。

 おけらのようなその子らは皆、もじゃもじゃもじゃとどよめいている。

 そのくせ、静まりかえって声を立てない。

 すぐ(そば)にいた物売りの前に立っていても、この混みあった小さな群衆に気がつかなかったのは、そのせいである。上演中に、ひっそりとした見物人のいる桟敷(さじき)席の後ろから(のぞ)いているようなものだと思ったのは、松崎には芝居小屋の生活がすっかり身に染みているからである。

 役者は舞台で飛んだり、跳ねたり。子供芝居がばたばたと演じられていた。


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