三
三
片側は水がどす黒く淀んだ川に沿って、がたがたと物置が並び、米俵やら、筵やら、炭やら、薪やらが置かれている。そのなかを蛇が這うように、ちょろちょろと鼠が縫っていく。
あの鼠が太鼓をたたいて、鼬が笛を吹くのではないかと思った。……人通りは全然なし。
右側にあるその物置の並びの反対側は、ただ雨戸や障子をつなぎ合わせた小家が続く。一、二軒の八百屋や駄菓子屋の店は見えたが、鴉もいなければ犬もいない。居酒屋のような縄暖簾をかけた米屋の店先に、コトンと音をさせて一羽の鶏が歩いていたが、通りかかった松崎を見ると、高らかに一声鳴いた。
日盛りの太陽が白い。
のんびりした雲からサッと落ちてきたかのように、目の前に真っ青に映ったのは、竹屋の物置のなかにある竹だったが、それさえ茂った山吹の葉に見えた。
町の通りはそこから曲がる。
分岐点で路が替わって、木曽街道へ差しかかる。左右の家並みに軒行燈が掛かっている。
ここにも、そこにも、ふらふらと、春の日の明かりを取りこんで白く点したかのようで、真昼にもかかわらずぼうっと明るく浮き出て見える。どれも、御泊り、木賃宿、といったものだ。
どの家も、軒から、屋根から、これが大事と掲げていて、その昼行燈ばかりが目につく。なかには廂の先に高々と燈籠のように吊り下げた白看板が高く首を伸ばして、建物の本体は土の上に獣のように這いつくばって見えるものさえある。
吉野、高橋、清川、槙葉という名の宿がある。また、美濃、近江と、寝物語の伝説を思い出させる宿もあって、かつては寝物語にささやかれた哀れな遊女たちの名は、屋号になってここに留まる。……ちょっと柳が一本あれば、滅びた廓の白昼の幻にも思えただろう。けれども、あまりの寒さに夜が暖を取ったとでもいうのか、すっかり焼け尽くして、一里塚のしるしであった小松さえも残っていない。荒涼として、砂地に人影もない光景は、祭礼の夜に起こった地震で土の下に埋もれた町が、壁の肉も、柱の血も朽ち果てて、そのまま骨に落ちぶれたかのようだ。
絶壁に咲く躑躅かと思って見ると、崩れた壁に干されたずたずたのおむつである。猿まわしが猿に着せるのだろう。
この様子では、だれかが身を投げたかもしれぬ、命を掛けた掛け橋に立ち、そこから見ると、危なく傾いた家の二階の廊下に、日向に目も向けず、背後向きになって鼠色の綿入れの背を曲げた、首の色の蒼い男を、ふと一人見かけた。軒に掛かった蜘蛛の巣で、ぷっくり膨れた蜘蛛の腹より、人間は痩せていた。
こんな土地に月や日のように照り輝いているのは、露地から突きでている、剥げた金銀の雲に乗った、土御門家一流易道という真っ赤に目立った看板だけである。
両側から迫る屋根は薄暗く、軒行燈の白さも目立つから、覗くようにしか空は見えない。
この春の日向の道も、寂れた町の形も、それら自体が行燈のようで、しかもその白けた明かりに包まれている。……
町のちょうど真ん中と思えるところで、表に御泊りと書かれた字の影法師のように、曳き棄てたらしい荷車が一台、屋台を乗せてガタリと停まっている。
いや、近づいてみると、荷の蔭に人がいた。
男か、女か。
見た様子では、丈の短い、あせた茶の筒袖を着て、袖を重ねて腕を組み、紺の脚絆を穿いた草鞋がけの細い足を揃えて、荷車の裏にじっと伸ばしている。抜き衣紋になった首に手ぬぐいを巻いているので襟元が隠れ、男とも女とも見わけがつかない。貼りつけるように折り合わせた編み笠を、紐で結んで深くかぶった姿で、がっくりとうつむいているのは、どうやら居眠りをしているようだ。
自分の城だと縄張りをしたように、床几に腰を落として、荷車の引き棒のなかにきちんと収まっている。
飴屋なのか、豆屋か、団子売りか。いずれにしても荷が大きくて……おでんを売るにしては水気がない。そしてその看板が面白い。……