二十三
二十三
「それほど聞きたければの、こうさっしゃれ」
幕の蔭の声はいったん間を置いて、落ちついた様子でふたたび話しはじめた。
「お稲の芝居は死骸の黒髪が長いというところまでじゃ。それから後のことは、ここでは知らん。ここを去って、二度添いどのに聞かっしゃれ、二度添いの女子に聞かっしゃれ」
「二度添いとは? なんです、二度添いとは?」
扱帯を締めながら手繰る仕草のように、くり返して問い返した。
「かっ、知らぬか、のう。二度添いとはの、二度目の妻のことじゃ。男に取り換えられた玩弄の女子じゃ。古い手に摘まれた、新しい花のことじゃいの。後妻じゃ。後妻と申しますものじゃわいのう」
一度は踏みとどまったかのように見えたが、雲が影をさすように、筵の端をちらりと踏んだ、美しい女の雪のように白い足袋は、友禅の裾も鮮やかに舞台に乗った。
目を光らせながら、声の聞こえるほうをじっと見つめて、
「その後妻とは、二度添いとは、だれなの。そこにいる人」と肩を斜めにして、錆びてはいるが楯にしようと構えるように、行燈にしっかりと手を置いた。
「おおおお、だれだか知らぬ、その二度添いというのはの……お稲の望みが遂げられなんだ、縁の切れた男に、あとで枕添となった女子のことだの。……世間の評判はいい、虫のいいその男はのう、我が手で水を向けて、お稲の心を誘っておいて、弓でも矢でも貫こうという心はなく、先方の兄者にただ断りを言われただけで、指をくわえて退ったわいの。その上にの。
我勝手なものや。娘がこがれ死にをしたと聞けば、おのれの顔を鏡で見るほどに自惚れてのう。なんと、もう自分の胸に抱いた気で、お稲はその身の前妻じゃなどと言う。――
それでじゃ。お稲がまだ死なぬ前に、さっさと祝言をした花嫁御寮に向こうてのう――お主は後妻じゃ、二度目の妻じゃと思うておくれい――との。なんと虫がいいことか。その芋虫にまたすぐに、花の萼も蕊も舐められる、二度添いの女もたいがいなもんじゃ」
と言ったことばを聞いたとたん、
「ほほほほほ」
と美しい女は口紅がこぼれるように、散って舞うかのように花やかに笑った。
ああ、膚が透きとおる。心が映る。美しい女の身の震えが放つ光は、縞御召の小袖の柳条に、くまなく搦みながら揺れた。
「帰ろう、品子、なにをしている」
若紳士はずかずかと近寄って、
「つまらん。さあ、帰るんです。帰るんだ」
と急きたてるように言ったものの、身動きもしないのを見て、我慢できないといったふうに、美しい女の肩をぐいっとつかんだ。
「帰らんですか。おい、帰らんのか」
その手はサッと袖で振り払われた。
「あなたはなんですか。女の身体に、勝手に手を触れていいんですか。他人のくせに」
「他人とはなんだ」
紳士がむきになって前へ踏みだすと、
「舞台に靴で上がるとは、だれだお前は」
さっきから、柳が枝垂れるようにずっと行燈にもたれていた、黒紋付の雪女が、凜とした態度になって、紳士の胸を両手で押し戻した。
若紳士はハッとした様子で、よろよろと後ずさったが、腰がふわついて、ひょろつきながら、松崎のもとへすがるように寄ってきたかとおもうと、不意にがっしりと手首を握ってきた。
「あなたを仲間、仲間になってくれる方だと思います。あ、あ、あの、楽屋のなかを、探検……」
紳士は探検などと言った。
「た、た、探検したい。手を貸してください。ご、ご助力が願いたい」
「それはよくない。いけません。観客はみだりに芝居の楽屋へ入るものではないんです」
「そ、そんなら、妻を、あなた、連れ出してください、引っぱりだしてください。――人目のあるところで、夫が力ずくでやるのはみっともない。お願いします。僕を、他人だなんて思わないで……妻は発狂しました」