表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/26

二十三

二十三


「それほど聞きたければの、こうさっしゃれ」

 幕の(かげ)の声はいったん間を置いて、落ちついた様子でふたたび話しはじめた。

「お稲の芝居は死骸(しがい)の黒髪が長いというところまでじゃ。それから後のことは、ここでは知らん。ここを去って、二度添(にどぞ)いどのに聞かっしゃれ、二度添いの女子(おなご)に聞かっしゃれ」

二度添(にどぞ)いとは? なんです、二度添いとは?」

 扱帯(しごき)を締めながら手繰(たぐ)る仕草のように、くり返して問い返した。

「かっ、知らぬか、のう。二度添(にどぞ)いとはの、二度目の妻のことじゃ。男に取り換えられた玩弄(おもちゃ)女子(おなご)じゃ。古い手に()まれた、新しい花のことじゃいの。後妻(うわなり)じゃ。後妻(ごさい)と申しますものじゃわいのう」

 一度は踏みとどまったかのように見えたが、雲が影をさすように、(むしろ)の端をちらりと踏んだ、美しい(ひと)の雪のように白い足袋(たび)は、友禅(ゆうぜん)(すそ)も鮮やかに舞台に乗った。

 目を光らせながら、声の聞こえるほうをじっと見つめて、

「その後妻とは、二度添(にどぞ)いとは、だれなの。そこにいる人」と肩を斜めにして、()びてはいるが(たて)にしようと構えるように、行燈(あんどん)にしっかりと手を置いた。

「おおおお、だれだか知らぬ、その二度添いというのはの……お稲の望みが遂げられなんだ、縁の切れた男に、あとで枕添(まくらぞえ)となった女子(おなご)のことだの。……世間の評判はいい、虫のいいその男はのう、我が手で水を向けて、お稲の心を誘っておいて、弓でも矢でも(つらぬ)こうという心はなく、先方(さき)の兄者にただ断りを言われただけで、指をくわえて退(すさ)ったわいの。その上にの。

 我勝手(わがまま)なものや。娘がこがれ死にをしたと聞けば、おのれの顔を鏡で見るほどに自惚(うぬぼ)れてのう。なんと、もう自分の胸に抱いた気で、お稲はその身の前妻じゃなどと言う。――

 それでじゃ。お稲がまだ死なぬ前に、さっさと祝言をした花嫁御寮(はなよめごりょう)に向こうてのう――お主は後妻じゃ、二度目の妻じゃと思うておくれい――との。なんと虫がいいことか。その芋虫(いもむし)にまたすぐに、花の(うてな)(しべ)()められる、二度添(にどぞ)いの女もたいがいなもんじゃ」

 と言ったことばを聞いたとたん、

「ほほほほほ」

 と美しい(ひと)は口紅がこぼれるように、散って舞うかのように花やかに笑った。

 ああ、(はだ)が透きとおる。心が映る。美しい(ひと)の身の震えが放つ光は、縞御召(しまおめし)小袖(こそで)柳条(しま)に、くまなく(から)みながら揺れた。

「帰ろう、品子、なにをしている」

 若紳士はずかずかと近寄って、

「つまらん。さあ、帰るんです。帰るんだ」

 と急きたてるように言ったものの、身動きもしないのを見て、我慢できないといったふうに、美しい(ひと)の肩をぐいっとつかんだ。

「帰らんですか。おい、帰らんのか」

 その手はサッと(そで)で振り払われた。

「あなたはなんですか。女の身体(からだ)に、勝手に手を触れていいんですか。他人のくせに」

「他人とはなんだ」

 紳士がむきになって前へ踏みだすと、

「舞台に靴で上がるとは、だれだお前は」

 さっきから、柳が枝垂(しだ)れるようにずっと行燈(あんどん)にもたれていた、黒紋付(くろもんつき)の雪女が、(りん)とした態度になって、紳士の胸を両手で押し戻した。

 若紳士はハッとした様子で、よろよろと後ずさったが、腰がふわついて、ひょろつきながら、松崎のもとへすがるように寄ってきたかとおもうと、不意にがっしりと手首を握ってきた。

「あなたを仲間、仲間になってくれる方だと思います。あ、あ、あの、楽屋のなかを、探検……」

 紳士は探検などと言った。

「た、た、探検したい。手を貸してください。ご、ご助力が願いたい」

「それはよくない。いけません。観客はみだりに芝居の楽屋へ入るものではないんです」

「そ、そんなら、妻を、あなた、連れ出してください、引っぱりだしてください。――人目のあるところで、夫が力ずくでやるのはみっともない。お願いします。僕を、他人だなんて思わないで……妻は発狂しました」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ