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二十二

二十二


「どうするの、それから」

 細いがよく通る、力のある音調である。美しい(ひと)のその声に、松崎の目は、また舞台へと引きつけられた。彼は先ほどから背後(うしろ)をふり返って、(にじ)んだ(ひだ)をなした雲が(おお)いかかっている、この舞台からすれば桟敷裏(さじきうら)ともいえるであろう、人気(ひとけ)のなかった町に、ようやく影法師のような人足(ひとあし)(しげ)くなったことに、気を取られていたのである。

 舞台へ向き直ろうとした瞬間に、向こうから、先刻の編み笠をかぶった(からす)のような新粉細工(しんこざいく)売りがふと身を起こして、のそのそとやって来るのを見た。しかもそれが、たとえば一里ばかりも離れた場所から――古綿(ふるわた)のようにむくむくと()いている白い空がひとかたまり残って、底のほうに(かす)かに蒼空が見えている、(はる)かに遠いところから――黒雲を背後(うしろ)()きながら(おそ)い来るように感じられた。

 それ、もうそこにいる。新粉(しんこ)売りが編み笠を深くかぶったまま、舞台を(のぞ)いている。

 三人に座席を貸した古女房も、いつの間にか戻ってきて、子供らに交じって立っている。

 向こうに置き捨てた屋台車(やたいぐるま)が、主人を追って車輪を(きし)らせて来るのかと思うような響きが地をうねった。轟々(ごうごう)と響く(らい)の音である。幕に描かれた絵の藤も、風に吹かれてサッと(かげ)を落とす。その幕の彼方(かなた)から、紅蓮(ぐれん)、大紅蓮というその声が、赤い舌をめらめらとひらめかしているかのように(しゃべ)り続ける。

「まだ続きを聞きとうございますか。お稲は狂い死ぬるのじゃ。や、じゃが一族親族が外から見たところでは、鼻筋がすらりと通って、柳のような眉毛(まゆげ)で、糸のように閉じた目を睫毛(まつげ)が黒々と(ふさ)いでいてのう、長わずらいで死ぬる身には(ちり)も積もらず、抜けるほどの色の白さばかりが目についておる。それほど()せもせず、苦患(くげん)もなしに息絶えたのだと親族どもは見たけれどものう、心の(うち)苦痛(くるしみ)はどうじゃ、人の知らぬ苦痛(くるしみ)はどうじゃ。そのことを芝居で見せるのじゃ」

「そして、次は」

 と美しい(ひと)は白い両手で、紫の(えり)をぐっと押さえた。

死骸(しがい)になっての、もぬけの空蝉(うつせみ)となった(はだ)は、人間の手を離れて牛頭馬頭(ごずめず)の腕に上下からつかまれる。やっ、そこを見せたい。その()(かつら)じゃ、お稲の髪には念を入れた。……島田(まげ)が乱れて、一糸まとわぬ(はだ)に黒く輝くあの髪が、天女の後光のように娘の身体(からだ)を包むのを見なさい。先は(かかと)よりも長く()くぞいの。

 鼓草(たんぽぽ)の花の散るように、娘の身体(からだ)は幻に消えても、その黒髪は金輪奈落(こんりんならく)の底に長く深く残って()ちぬ。百年(ももとせ)千年(ちとせ)も消えず、枯れず、次第に伸びて(つや)を増す。その千筋の髪の一筋ずつを、獣が食えば野の草から、鳥が()めば峰の花から、同じお稲の同じ姿となって、一人ずつ世に生まれて、また同じ年、同じ月日に、親兄弟、一族親族、おのが身勝手な利欲のために、恋を妨げられ、情けを破られ、縁を()られて、同じ思いで狂い死にするわいの。それ、厄年(やくどし)の十九の娘らを見なされ。五人、三人、いっぺんに()せるじゃろうがの。死ねば思いが黒髪に残って、その一筋がまた、同じ女として生まれる。生きかわるわいの。死にかわるわいの。

 そのだれもが(みな)(そろ)って、親兄弟を(うら)む、一族親族を恨む、人を恨む、世を怨む。人倫(じんりん)の道は乱れて、白黒(あやめ)もわからず日を(おお)い、月を(やみ)に塗る。……魔道の呪詛(のろい)じゃ。なんと! 魔の呪詛(のろい)を見せますのじゃ。そこをよう見さっしゃるがよい。

 お稲の髪の、乱れてなびくところをのう」

「死んだお稲さんの髪が乱れて……」

 と美しい(ひと)は、ハッと手で(びん)を触ったが、ほつれ毛よりも指を(ふる)わせて、

「そして、それからは?」

 と、キッとして言う。

「こなた、親があれば(しか)られよう。さあそれからと聞きたがる、もっと詳しくと問い続けるのは、愛嬌(あいきょう)がのうてよくないぞ。ことに女子(おなご)は、根掘り葉掘りと聞かないものじゃ」

 雲の暗さが増すと、周囲(あたり)のなにもかもが、黒く(つや)めきはじめる。

 そのなかに、美しい(ひと)は、声も白く思えるほどに際立って、

「いいえ、聞きたい」


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