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金の斧と銀の斧

「さぁ、どれにする?」


中君は言った。然も愉快とばかりに私を眺めている。


彼には私がどれを選ぶのか、ある程度の想像はついているようだった。それは私にとっては(しゃく)な事だ。


ここは大いに彼の期待を裏切ってやろうと意気巻いた。だから慎重には慎重を重ねて事に臨む。


これはある意味、叡知に対する挑戦だった。まぁそうは言っても事は単純だ。


三択である。


そしてそのどれを選んでも損は無いと、ディーラーの彼自身が保証してくれているのだから、そこに迷いは無かった。


あるとすれば、彼の鼻を明かしてやりたいという想いだけだった。




これは有名な童話に出て来る手法である。


題名は忘れてしまったが、善良な木こりがある日、湖に自分の(オノ)を誤って落としてしまう。その時にそれを憐れに思った湖の精が助け船を出す。


木こりは斧が無ければ生計が立てられないから必死である。この気持ちは良く判る。まさに今の自分に投影してしまう。


ところが湖の精はここで木こりを試す。


弱者の立場からすると、大いに余計なお世話である。助けてくれるなら、さっさと本人の斧を返してやれば良いものを、ここで究極の三択を迫るのである。


まるで嫌がらせの極みである。


物は考えようと主張する諸民もいるだろう。けれども弱者には弱者の論理が在るのだ。


そもそも湖の精が取り上げた訳では無いのだから、悪く言うのは間違っているという向きもあるだろう。


けれども幾ら自分のテリトリーである湖に落ちて来たからといって、相手の気持ちも考えずに自分の気分のままに物事を推し進めようなんて、考えそのものが烏滸(おこ)がましい。


それにまだ無条件に選んだ物を与えるならまだ判るが、嘘を付いたら返さないというのも傲岸不遜な考え方である。日々苦しい生活を送る者にとってはいちかばちかの選択である。


しかも湖の精の決めたルールに乗っ取ってのかなり不利な選択となる。繰り返すが、日々追われるように生きている者にとっては、切っ羽詰まった選択なのだ。


ついつい悪魔に魂を売ったとしても、それは仕方無い事である。


それに同じ聞くならまだ本人の斧から聞いてやる優しさが欲しいものだ。それならまだ救済の意味合いも在るというものである。


ところが湖の精はわざと金の斧から聞いて行く。この辺りがとてもいやらしい。


まるで落とす事を目的とした入試の(たぐい)にも見える。謂わゆる引っ掛け問題である。


さらにはそこで引っ掛からない者には次の試練が待っている。湖の精は然り気無く、銀の斧を差し出すのである。


一度揺さ振りに耐えた者でも二度目は正直キツい。ここで 陥落する者も出て来よう。


やり方があからさまであり、神の傲慢さが窺える。要はこれは明らかに助け船では無い。


その言葉を借りた神の試練である。味方の振りをして、その実、自分の自己満足に付き合わせるという、かなり卑劣で情容赦の無い鉄槌である。


けれどもこの試練が強訓として(まこと)しやかに伝聞されて来ているのは非常に残念な事だ。


なぜなら『人は貧しくとも心には綿を!』(など)という考え方が尊ばれているからだ。


生計を賭けるとは簡単に言えば、自分の命を賭ける事である。そんな時にその心を持て遊ばれた木こりは気の毒な事である。


私はいつの間にか、その木こりの心に投影して少々腹が立って来た。


もはやこれは選択の問題では無い。自分の心を守る問題である。


にもかかわらず童話はそこで正直に申告をした木こりを尊ぶ。金の斧を欲しがったもう一人の木こりをわざわざ悪い木こりと呼ぶのである。


せめて気の毒な木こりと呼んでやる事は出来ないものなのか。欲を出したからと言って、迷いが生じるのが人間という生き物なのだ。


そんな感情を与えた者が神だと仮定するならば、少なくとも救済措置は欲しいものである。それが神の慈愛の心というものだ。


本人の斧を取り上げる事は則ち、その命を絶つ事だからである。




私はそこで少々苦笑する。


私は中君の言が正しいのならば、冤罪でその生涯に"逮捕"という汚点を残すところだった。でも今私は無事である。


それはある意味、中君のお陰と見る事も出来るが、そもそも広くあまねく存在する私のような凡人には、危機感そのものが希薄だった。


普通に考えれば、単にアルバイトに精を出していただけの真面目な人間なのである。そんな事になっているとしたなら、もう運が悪かったと想うほか在るまい。


勿論、中君には感謝している。人の親切心が判らぬ私では無い。だから礼も言ったし、納得もした。


どうもやはり私はお人好しなのである。悪い木こりにすら同情し、神を批判する大馬鹿者でもある。


そして私のために今正にチャンスを与えようとしてくれている彼は、わざわざ私を探してくれたのだから、これは感謝に値する行いと言えた。にも拘らず私は挑戦する気満々なのである。


こんな私の方こそ、木こりの方々に恥ずかしい行いをしようとしているのではないかという気がしていた。


「さあ、どれにする?」


中君はその言葉で選択を迫っていた。


私の目の前の机の上には、大中小の玉手箱が置いてある。少なくともその内の一つは今から開けられる事が判っていて、今か今かとその時を待っているのである。


私は考えあぐねた末に結果として大きな玉手箱を指さした。


これには多くの諸氏も驚かれた事と想う。それだけ謙虚な精神に立ち返ったなら、普通は小さい玉手箱を選ぶ事だろう。


そうで無ければ中くらいの玉手箱に抑えるはずである。仮に私が前提としての全ての情報を知らされておらず、単に選べと言われたならば、間違いなく小さい玉手箱を選んでいた。


奥ゆかしいというよりは小心者の私にとって、そのくらいが関の山だからである。


そして仮に私が中君に対する挑戦剥き出しの気概でいたなら、中くらいの玉手箱を選んでいたはずだ。およそ意気巻いた心は直線的であり、真ん中の箱に注目するからで ある。


また目立つ真ん中の箱は選ばないだろうという意表を突く考え方でもあるので、躊躇(ちゅうちょ)しなかったはずだ。


でも今の私はいつも以上に謙虚だった。その結果として"大は小を兼ねる"というおよそ愚にもつかない考え方に到達した。


そしてマトリョーシカである。中君は玉手箱を出す時に、マトリョーシカの十体目からウォード錠を抜いた。


"大は小を兼ねる"という言葉にピッタリだと私は妙に納得した。大きい箱には大きい物を入れるとは限らない。


そんな考え方はおよそ欲深い者がそう考えるだけであって、今の私にはそこに大いなる希望が詰まっていると想えたのだ。


希望であるならば、それは大きい方が良いに決まっている。遥か彼方まで続く大海原を臨むが如し。


そう想えたからこその選択だった。中君はクスリと笑うと確認した。


「これは驚いた!本当にそれでいいんだね?」


彼はそう訊ねる。


これは最終解答(ファイナルアンサー)かと聞いているのだ。私はもはや躊躇(ちゅうちょ)する事なく頷き、貢定した。


「じゃあ、それ開けてみなよ♪」


中君はそう勧める。私は前屈みとなって、真険に大きな玉手箱に向き合い、その蓋の紐を(ほど)く。


いよいよ中身との御対面だ。私はゴクリと唾を飲み込み蓋に手をかけた。


中君は涼やかな瞳でそれを見ていた。


「カバッ!」


私は思い切って蓋を開けて中身を覗く。するとそこには赤い文字で「おめでとう♪」と書いた紙が入っていた。


「なっ!何だこれは?」


私は驚きと共に中君を見つめた。けれども中君はけして小馬鹿にする事も笑う事も無かった。


私は紙を取り出して裏側も眺めた。そして箱の中も丹念に調べた。隠し蓋などは当然無かった。


するとおもむろに中君が呟く。


「大丈夫!調べても他には何も無いよ♪」


その言葉に私は彼の瞳を見つめた。とても誠実で優しい目をしていた。


私は想わず問い掛ける。


「えっと!これはどういう事か説明してくれるんだろ?」


「それは勿論そうさ!受け合うよ♪でもその前に他の箱も開けてごらん!許可するから大丈夫♪」


彼はそう言うと始めて微笑んだ。


「やるからには禍根(かこん)を残したくない!もし仮に君が僕の申し出を聞いてから、残り二箱の内どちらかを選びたくなったら遠慮無く言ってくれたまえ♪三つの内どれでも願いを叶えよう!」


彼はそう言ったのである。これこそが慈愛の心というものだ。湖の精に私が求めていたものである。


でも私は男同士の約束を選ぶつもりでいたから、仮に中君の申し出が納得の行くものでは無かったとしてもそれを選ぶと既に心に決めていた。


けれども彼の申し出には素直に従う事にした。彼も後々の事まで考えた末での結論なのだろう。私は二つの箱を順に開いた。


まず中くらいの箱には、たくさんの現金が詰まっていた。帯封(おびふう)が巻かれた札束をこの時私は初めて見た。


中君の話だと帯封は百万円毎に巻かれる物だという事だ。それが五つ重ねられて入っていた。


これこそがこの選択に冗談が無い事の(あかし)である。彼はおもむろに口を開き補促してくれた。


「これはね!さっき話した財界の御大からの謝礼の気持ちさ♪勿論、いやらしい話しだが、この中には口止め料も含まれている。大切な孫娘がスキャンダルにならないようにとの意味合いが込められたものだろう。一千万あったがこれは折半だから半分の五百万を入れておいた。どうだい?かなり後髪引かれる大金だろう♪」


中君はそう告げた。


もし仮に私が先程の初心に従い、男同士の約束を選ぶ場合には、この五百万も含めた 一千万というお金は当然、中君の物になる。


そういう約東事なのだ。だから彼は敢えてそんな憂いを告げたのだろう。


次に小さい箱の中身だが、こちらには向こう一年分のお米券が入っていた。


おそらく概算してもせいぜいそれは二十万たらずの価置にしかならないだろうが、その日の生計にも困っている私にとってはそれでも有り難い申し出であった。


「これは依頼を下さった校長先生の心尽くしだ。御覧の通り、僕には必要が無い物だから君に進呈するつもりだった。まぁ五百万の現金を見た後では些か軽く見る向きもあるがね?でも考えてもみて御覧よ♪財界の大物にとっちゃ一千万は果した金かも知れないが、しがない公僕の校長先生にとっての二十万はかなりの大金だと思うけどね?まぁそれは貰う側の考え方次第だな!」


サラリと言うが、中君の言葉には物事の真理が垣間見える。物書きの私なら、それが判る気がした。


この事はせいぜい作品に生かす事にしようと私は気持ちを切り換えた。


「では改めて君の申し出を聞こうじゃないか♪予め言っておくが私の気持ちは決まっている。もうけして揺るがないさ!さぁ、どんな申し出か言ってくれ♪君の提案に必ず従うと約束するよ!」


私は男らしくそう告げた。


中君はコクリと頷き、ニコやかに笑った。


「まぁそう固苦しく考えなくていいよ♪僕も自分の言葉を今さら取り下げる気は無いからな!後の二つの方が良かったら遠慮はいらないからね♪」


中君は改めてそう前置きをした上で「じゃあ、いいかい?」と言った。


私は「勿論だとも!」と応えた。


彼は一旦、姿勢を正した後に口を開いた。私も彼に吊られるように背筋を伸ばした。


おそらくこれ以上は無い程の神妙な表情で聞いていたに違いない。


「"おめでとう♪印"の大きな玉手箱の景品は、このマンションの空き室の中で君が選んだ部屋を進呈するものだ。勿論これに嘘は無い。永遠に君の物という訳だ!」


彼はそんな空恐ろしい言葉を平気の平座で宣った。この高そうなマンションのひと部屋を永久にくれると言うのだ。


私は驚きで腰が砕けそうになった。


「どうだい?驚いたろう♪僕から君に対する細やかな贈り物という訳だ。実は僕は君の事がとても気に入っていてね。君を見つけたら、必ずこの申し出をしようと考えていたんだ。何しろ僕にとっては始めて友として心を通い合えそうな相手だったんだからね♪実はね、僕は図書館で資料と向き合う君をしばらく観察していたんだ。おそらく君は気づいていなかったろう。僕は既にその時、確信していた。この人なら僕の友として申し分が無いとね。そして君と話す内にその気持ちは益々膨らんで行った。だからこう言っちゃあ何だが、今回の特別報酬とはある意味、無関係とさえ言える。どうだい?こんな僕の申し出を受けてくれるかい?」


中君は笑顔を絶やさず、軽快な口調を崩さない。けれども内心は心臓がバクバクで至極、緊張の面持ちに見えた。


それはおそらくこの私が彼の表面の顔では無くて、心の内の表情を自分の心で見つめていたからに違いないのだ。


私はこの申し出を受ける事が、烏滸(おこ)がましい事だとは承知していた。何しろつつましい暮らしをしているしがない物書きだ。


こんな暮らしをしているこの男と、果たして釣り合うのかは自明の理だった。けれども彼は私の事を"我が友"と言ってくれた。


そんな事を言われたら嬉しく無い筈がなかった。それに私はいつしか彼と心を通わせていた。


アルバイトの時を除けばまだプライベートでお付き合いした初日である。


でも本当に気の合う仲間と出会った時に、人はおのずと心を開き、言いたい事が自然と口から沸き出るものだ。


それがこの日、嫌と言う程判った。少なくとも私はそう想えたのだ。


だから私は躊躇(ちゅうちょ)無く答えた。


「あぁ…勿論だとも!君さえ良ければ喜んで受けさせて貰う。こちらこそ宜しくな!何でも遠慮無く言ってくれ♪必ず善処すると約束しよう!」


私は彼に負担をかけぬようにハキハキとそう答えた。その瞬間の事は一生忘れない。


中君は今まで見た事も無い様な溌剌とした笑みを浮かべたのだ。


『至福の喜びというものが本当にあるとしたなら、きっとあぁいう笑顔を言うのだろうな!』


その時の私はそう感じて疑わなかった。


彼は案の定、頬を染めて嬉しそうに「良かった♪」と言った。そしてその幸せを噛みしめるように、頷きながら小さく遠慮気味にガッツポーズをしたのだ。


私は然り気無く眺めてはいたものの、そこは忖度して見て見ぬ振りをした。武士の情けというものである。


それに彼には再三に渡り、重箱の隅をつつく行為はいただけないと言われたでは無いか。私は今こそそれを実践する時とばかりに、素知らぬ振りを決め込んだ。


すると彼は珍しくこう言ったのだ。


「君も喜んでくれるんだね?」


私は即座にこう返す。


「当たり前じゃあないか!さっきそう言ったろう?聞こえなかったなら、もう一度言おうか?」


私は冗談混じりにそう答えた。


すると彼は含み笑いするかのように問い続けた。


「それで何だっけ?何でも遠慮無くって言ったかい?」


彼は惚けた様にそう宣う。


私はそこで端と気づき、『そういえば言ったな…』と急に嫌な予感に(さいな)まれた。けれども男に二言は無いのだ。


それに私は正直さと素直さが売りの男であると、自分でも自覚していた。だからここで(ひる)んで言葉を濁す訳にも行くまい。


そう覚悟を決めた。そこで堂々とその問い掛けに真向から挑んだ。


「うん、言ったよ♪何か希望でもあるのかい?何でも従うよ♪」


そう言った途端に後悔した。


なぜならその瞬間に中君はニタッと笑ったのだ。彼はぶっきら棒にこう提案した。


「じゃあ、遠慮なく言わせて貰う。君に部屋を譲渡する契約条件だが、ひとつ!転売しない事。ひとつ!必ず住み続ける事。まぁこれは最悪部屋の権利を放棄してくれれば不問としよう。ひとつ!又貸ししない事。ひとつ!他人を同居させない事。但し、これは君が結婚した家族と同居する分には不問としよう。まぁ僕は理解がある人間だ。同棲には目を(つぶ)る。以上だ。今言った事を守ってくれれば、部屋は永久に君の物だな♪」


中君はいけシャーシャーにも淡々とそう述べた。


私は呆気に取られた。あんなに気安くくれた割には条件が多すぎる。


でも"何でも聞く"と言った手前もあるから同意するしか在るまい。


それに例えそんな条件でも、こんな良い立地と環境の中で、これだけの高級マンションに住めるのだから、文句を言う筋では無かった。


「判ったよ♪今、君が言った条件は全て飲もう!」


私は即時決断した。それを聞いた中君は満面の笑みを浮かべて握手を求めた。


「おめでとう♪これで君も我がファミリーの一員だ。改めて宜しくな♪三枝史郎君!」


如月中はそう言うと握った手に力を込めた。私は(ただただ)々、戸惑いながら苦笑いする他なかった。


これが如月中君との腐れ縁の始まりだった。

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