エピローグ~空き家事件後始末~
翌日は私も割りとのんびり起きて来た。中君は既に起きていて、コーヒーを片手に何やら外国語でパソコンに話し掛けている。
昨今のパンデミック以来、我が国でもすっかり定着した観のあるリモート会議というものである。
私が部屋に入って行くと、気づいた中君は少し顔を上げて会釈した。私は重要な会議かと想い、手を上げるとそのまま素通りしてキッチンを借り、シナモンティーを入れる。
私はこのお茶が割りと好きで常備している。最近はシナモンティーに始まり、シナモンティーで終わると言っても過言では無かろう。
スッとして尚且コクがあり、渋みも感じさせる。頭を切り換えたり、気分を高揚させたい時にとても有効である。
特に物書きの私にとっては、気分のアゲサゲは周回軌道が決まっていて、必ず引き起こるものだから、そういう時の対策を二つ、三つは持っていないと厳しい。
喩え前向きとは言えない私でも、対抗手段くらいは持っているのだ。そういった意味では、シナモンティは私の手段の中でもかなり有効な方法であった。
やはり本来、香辛料として使われる程のものだから、シナモンの爽やかな刺激が鼻からもスッと抜ける感覚が良いのだろう。よって目覚めに最高であり、疲れている時の緩和策としても非常に効果がある。
敢えて語るとすれば、肉体よりも精神的高揚に重点を置いたものであった。
しばらくすると、中君がヒョッコリと首だけ出して「おはよう♪寝覚めは如何?」と声を掛けてくれる。
どうやら面倒なリモート会議が終わったらしい。私も笑みを溢しながら、「おはよう♪昨夜はお疲れ様!」と答えた。
すると中君は朝っぱらからご機嫌が良いらしい。頬を緩めて、「あぁ、どうやら狙い通り。快心の一撃だったな!」と満足そうにそう告げた。
私たちは自然と昨日の応接間に腰を掛けて面と向き合う事になる。
『そういえば昨日はここにあのサー・ジェームズ君が同席していて、やたらと菓子パンに噛じり付いてたんだっけ?』
私はそう想い、流れのままに問い掛ける。
「それでジェームズはあれからどうしたんだい?」
「うん?あぁ、彼なら…」
中君は天井を指差す。否…この場合は空って事かなと私は想った。その通りだった。
「…ファントムを捕えたら、司法当局に引き渡すまでは、端から付き添う予定だったからね♪今頃は空の上かな?」
成る程、そんな過酷な日程が詰まっていたなら、彼が菓子パンを必死でガツガツ食う訳も判る。多少なりとも意地汚いなどと想っていた私は自分を恥じた。
中君は端からそのつもりだったのだろう。今想えば、菓子パンを購入して来たのは彼なりの気配りだったのだと謂える。
「そらぁ御苦労な事だな!すっかり失念していたよ。捕らえたら終わりという訳でも無いんだな!」
私は感心した様に頷く。すると中君は多少は私に付き合う気に為ったらしい。
それというのも彼にとっては私が指摘した様に捕えるまでがその目的であったからである。
彼は既にファントムの事についてはすっかり興味を無くしていて、それが証拠に昨晩の帰り道も全く押し黙ったままであった。
私は単に疲れがどっと押し寄せただけかと想い、重責を果たした彼に阿り、会話を控えて静寂を提供した。
けれどもよくよく考えてみると、彼はあのファントム相手に自分なりのけじめをつけた事で、既にその直後から興味を無くして居たのだろう。
なぜなら、彼が想い描いた策が嵌まり、ものの見事に意趣返しを果たす事が出来たからである。
でもその現場に同席した私としては、余りにも彼の作戦が見事に成功した事に興奮する余り、全ての疑問を解消する事が出来なかったという憂いが残っていた。
そこで彼には申し訳ないが、もう少し付き合って貰う事にした次第である。
まぁ確かに彼が私の私的興味に付き合う謂われは全く無いのだが、好奇心の塊である私を友と選んだからには、彼にも責任の一端は在るのだ。
その辺りを重々承知しているからこそ、彼も私に付き合う事にしたのだろう。同じ付き合うなら、嫌々付き合うよりは楽しく付き合う方が良いに決まっている。
彼の言い回しを借りるとすれば、そんな事は自明の理なのである。彼もその辺りの事は予め想定内だった様だから、その気に為ってくれたのだろう。
しばし私に付き合う事に決めてからは、進んで協力を示してくれた。
「まぁ君が気にする事は無いさ!これは僕らの間で決めてある役割分担だからね♪彼の進む道を示し、その先で罠を張り巡らせておくまでが僕の仕事。実際に捕え、官権に引き渡すのは彼の仕事。まぁ簡単に言うとそんな所かな?彼も承知している。それに彼は変に感情的にならない冷静さがあるから、向いているのさ!僕にはとんと無理な事だがね♪」
中君はそう卑下した。確かに彼がファントムを連行した日には道中喋り続けて口撃の応酬に成りそうである。
十分、想像が可能なだけに私も苦笑せざる逐えなかった。彼の話では、ファントムはかなり厳重な見張りの許、移送されるそうで、司法当局に引き渡すまでは安心出来ないのだそうだ。
今回その方策を考え、手配したのは実際の所、ジェームズ本人で在り、中君は関与していないのだそうである。
そこは彼らなりの信頼関係に基づいているのだ。私は興味があったから、まずそこら辺から質した。
「うん?あぁ…詳しくは知らんが、ジェームズは至る所にお友達が居てね、お互いに持ちつ持たれつ協力関係を築いている。今回は確かCIAのお友達のコネで米軍が動いてくれるそうだよ♪まぁ彼の事だ!下手は踏まんよ♪」
中君はあっさりそう答えた。
CIAだ米軍だ…そんな物騒な言葉が次から次へと自然に飛び出す。私の様な一市民からすれば、驚きの余り返す言葉も無かった。
昨日まで身近に感じて接していた男が、今頃はあのファントムを移送するために、米軍と共に居るのだ。それがどんだけ普通じゃ無いか、中君は認識しているのだろうか。
私は聞いただけで頭が可笑しくなりそうだった。すると中君は然も心外と謂わんばかりにチクリと刺した。
「言っておくが、僕は知らん連中だ!僕まで変わり者だと想われたら心外だね♪」
「嫌々…それ以前の問題として、君は別格!十分過ぎる程の変わり者だぜ?」
私はここぞとばかりにその言葉尻を捉えて反論する。中君は少し気分を悪くした様だったが、少し考えてからむしろ同意してしまった。
「まぁ百歩譲って、変わり者だとは認めよう。けどね、餅は餅屋に任せる。これは僕がこの道で培った経験に基づく結論だね!蛇の道は蛇とも言うがね♪」
中君は愉しそうにそう語った。彼に依れば余計な詮索はしないに限るそうだ。下手に素人が首を突っ込まない方が、結果オーライに成るらしい。
その点はどうやらジェームズに一日の長があるらしく、中君でさえ踏み込む事を躊躇う分野の様である。そこは長年の信頼関係と変わらぬ絆を貫く必要があるのだ。
彼はそれを充分判っていて、黙ってジェームズに任せているのである。要はそれが彼の言う役割分担というものなのだろう。
私は彼らの強い絆を改めて感じると共に、少し羨ましい気持ちにもなった。そしていつか私もそんな絆が築ければいいなと想った次第である。
けっきょく中君はその点に関して言えば、それ以上の詳しい説明を避けた。重箱の隅をつつく行為は避ける事。彼もそれを徹底しているのだ。
私も今さらながらに、ひつこく窘められた事を思い出し、苦笑せざる逐えなかった。そこで話題を変える事にした。
「君の言う通りだ!そこはジェームズを信じて待つしか在るまい。そこでものは相談だが、今回の君の役割の範囲内で少々聞いてもいいかな?まだ判らない事があるんだ!勿論、無理強いするつもりは無いから、話せる範囲内で結構なんだが、付き合って貰えるかい?」
私は思い切ってそう提案してみた。すると中君は溜め息混じりに頷いた。仕方ないなという仕草で同意してくれたのである。
「まぁ君を巻き込んで、現場に連れて行った責任の一端は僕に在る。だからそう頼まれれば嫌とは言えないね♪何だい?取り敢えず言ってみたまえ!話せる範囲内でなら、誠実に答えると約束しよう♪」
中君は覚悟を決めた様にそう言った。私は結果として思惑通りに疑問を解消出来る事になったのである。
私はせっかくの機会だからと少し頭の整理をする。そしておもむろに訊ね始めた。
「私が一番に気になったのは彼自身がやって来た事なんだけれども、そもそも彼はどういう腹づもりだったのかな?」
私はそう語りかける。色々と聞きたい事があったせいか整理をした割には中途半端な問い掛けになった。
私は想わず苦笑いした。しかしながら中君は落ち着いていて順を追って話してくれた。
「そうだな…まず始めに言っておきたいのは、いみじくもファントムの前で突き付けた様に、これは偶然から始まった副産物だったって事かな?」
中君はそう前置きした。
「そう言えば確かに君はそう言っていたね♪ファントムに肉薄した結果として恥を掻かされたんだよな?それで傷心を癒す為に帰郷したと君は言っていたね!」
「そうだよ♪やつは聞いていなかったが、君はどうやらしっかりと聞いていたらしい。全く!鼻持ち成らない輩だったよ♪まぁそれはさておき僕は偶然に日本に戻って来た。そして落ち着く間も無く例の麻薬事件の依頼が舞い込んだ。これもある意味、偶然の産物だったんだが、彼の悪運が尽き欠けて居たのかもな?」
「偶然に偶然が重なった訳か!君もツイていたね?」
「否…どちらかというと彼、即ちファントムのツキが落ちかけて居たんだろう。何しろ長らくツキ巻くってたんだからね!僕が肉薄した時点で彼のツキは既に尽きかけていたのだろう。そう考えれば、この偶然も必然だったのかも知れないな…」
「そうだな!そうかも知れないね♪」
私も同意した。否、むしろ中君の悪運が彼の悪運を上回っただけかも知れないが、それは言わぬが花だ。私はここは忖度する事にした。
「後はこの僕がその偶然を上手く活用出来るかどうかに懸かっていたと言って良い。まぁでもこれって相手在っての事だからな!気がつかなければそのままスルーしていたかも知れない…」
「だね♪そこなんだが、君はどうして気がついたんだい?」
私は訊ねた。
「君も知っての通り、僕は麻薬事件の依頼を受けて喋らない黙々とした人物を演じながら、犯人の特定を急いでいた。当然の事ながら、潜入している時の僕は神経を研ぎ澄ませている。本来、こんな勤めはジェームズの十八番で僕は余り得意では無い。だから、いつ背後から襲われても良いくらいに意識を周りに向けていたんだ!」
「へぇ~とてもそんな風には見えなかったがな!至極、おとなしく穏和に見えたぜ?」
「そらぁ君、そこが生命線だからな!あからさまに見えたら潜入に成らんよ♪」
中君はほくそ笑んだ。私もつまらん事を言ったと少し後悔する。そして想わず呟く。
「そりゃあ、そうだな!アハハハ…」
「まぁそんな時に僕は誰かに見張られている事に気づいたという訳なのだ。詳しい事は割愛するが、それは確かにファントムの連れのひとりだった…」
「それはエグいな!私の知らない所でそんな出来事が進行していたなんて、今想えば恐ろしい事だね。私は知らない内にそんな虎口に身を置いていたんだな!」
私は自分で口にして空恐ろしく成った。いつの間にか二重事案の中に身を置いていたのだから然も在らんという所だ。けれども中君は平然としている。
「そらぁ君、知らぬが花さ!むしろ幸せな事だね♪この世の中、日々どこかで悪事が進行し、悪党が暗躍しているんだ。いちいち目くじら立てていたら、こちらの神経が持たないからね♪」
中君はサラリとそう述べた。私は納得せざる逐えなかった。
「それで君はどうしたんだい?」
私は訊ねる。
「ハッハッハ♪笑っちゃうよな!犯人を追う狩人、この場合は僕の事だが、その狩人を追う敵の下僕が居て、しつこく追尾して来る訳だ。まさに前門の虎、後門の狼さ!僕はそれに狭まれた憐れな子羊という訳だね♪だが、ファントムの狙いが今ひとつ僕には判らなかった…」
「それはなぜだい?」
「だってそうだろ?僕は散々恥を掻かされ、敗北感を背負って、傷心が癒えぬまま帰国して来たんだぜ!勝ち誇っている筈の彼がなぜ、そんな僕に手下を付けるんだい。可笑しいだろ?」
「そりゃあ、そうだよな!あの男なら気にも留めない筈だね?」
「だろ?君だってそう想うくらいだから、この僕はより一層、そう感じていたんだ。じゃあ、なぜ彼はこの僕をそんなにしつこく追い掛けるのか?そう考えた時に、僕が無意識に何か彼の嫌がる事をしたのだと想った。それしか理由は考えられないからね。そして考えた末に、僕はそれが帰国した事にあると結論付けた訳さ!そうなると、ここ日本に彼の弱みがあるとしか考えられない。そこで僕は追手をわざと泳がせて観察する事にしたんだ。何かヒントが見つかると想ったんでね!実際、ここからが少々面倒臭かったな!」
「そうだろうな!二つの問題を抱え込んだ君は、平行して目を配らなきゃならなかったろうからね♪」
「まさにその通りさ!特にちょうど売人の元締が特定出来て、神経を使わなきゃいけない頃合いだったからね♪でもここで可笑しな事に気がついた!」
彼はそこでほくそ笑んだ。
「何だ!何だい?何が起きたんだい♪」
私は先を急く様にそう叫んだ。
すると彼は意外な事を口走る。
「アッハッハ♪そう言われると笑っちゃうな!何しろ君は無意識な当事者♪言い方を変えれば、まな板の上の鯉なんだからね!何を隠そう、彼ら二人が注目していたのはズバリ君だという事に、今さらながらに気がついたという訳さ!それが判ってからは観察がとても楽になったね♪つまり君は知らぬ間に、互いに身を置く場所が違う三人の男たちから、注目の的になっていたという訳なんだ。なっ?面白いだろう♪」
中君は遂に我慢が効かずにゲラゲラと笑い出した。私は恥ずかしいったら無かった。けれどもある種の恐怖も同時に感じていた。
「何だって!」
私は叫んだ。
「そうか…だから君は、私により一層注目したんだね?」
「まぁ、そうかもな♪僕は麻薬事案でも十分、君に引き込まれていたから、ある意味オマケみたいなもんだったけどね!僕はそれから仕事が終わる度に君に目を向け、後を着けたい衝動に駈られたが、何しろ僕にも金魚のフンのように着いて来る、面倒な奴が居るからな!そこで作戦を変える事にした♪」
「へぇ~どうしたどうした?」
私はいつの間にか合いの手を入れる。すると中君は気分を良くしたのか、すぐに答えた。
「金魚のフンを撒く事を止めただけさ!どうせ彼も僕の自宅まで来たら、しばらく観察してから引き上げるのは判っていた。なぜなら、決まって同じ奴が着いて来るんだからね♪然も在らんさ!つまり追っ手は彼一人でもう間違いないと判ったのさ♪彼も翌日もあるんだから、そらぁ引き上げるだろうし、後、彼としても僕に君と接触されたり、住まいを特定されると面倒だと想ったんだろ?彼は体よく僕を自宅に押し込めた後に、君の家に向かうつもりなんだと、当たりを付けた訳さ!なかなかナイスアイデアだろう♪」
「ちょっと、待ってくれ!そいつは何故、僕の家が判ったんだろう?」
私は焦ったようにそう訊ねた。知らぬ間に他人に自分の家を知られているなんて、気色悪い事この上無い。
すると中君は呆れたようにガン見している。そして溜め息混じりにこう答えた。
「君!君!今さらそれは無いぜ?まぁ、いいや!彼は君の家を知ってたんじゃない。今だから言える事だが、おそらくそれは逆なのさ!」
「どういう事だ?」
「つまりだね、彼は当初の日課として僕を自宅まで着けた後に、月の鍵を隠してある場所に行って、今現在住んでいる男を特定するように、おそらく首領であるファントムに言われてたんだろう。そこで彼も驚いたんじゃ無いかな?住んでいるのが君であり、その現場、目と鼻の先にこの僕が居るんだ。彼の心情たるや、察しても余りあるよねぇ。判った途端にとっととご注進に及んだ事だろう!まぁそういう事だね?」
中君はケラケラ再び笑っている。
私はごくごく当たり前の事を聞いた事に、ようやく気づいて赤面する。成る程、仰る通りである。箱が先で人は後って事になる。
彼らは私の家だからマークしてたんじゃない。彼らの大事なブツが隠されている真上で寝起きしていたから、私をマークしていたのだ。
中君の言う通り、それなら彼らもぶったまげる筈だ。接触されたら厄介な相手が、偶然にも目と鼻の先に居るのだ。
否、もしかしたら既に接触済みで、敢えて見張っているのかも知れない。そうなると確かに厄介である。
彼がひつこく中君を追い掛け回し、自宅に戻るまで手を抜く事が無かった筈である。私と中君を接触させない事に躍起になると共に、最悪の事態も想定した訳である。
ファントムもその報告を聞いて、さぞや気が気で無かった事だろう。そこで私はその想いを中君にぶつけてみた。
「判ったぞ♪君は自宅に押し込められた後に、油断した彼の後を尾行して、私の住まいを特定したんだね!それが君のナイスアイデアという事なんだな?」
私がそう言うと、中君は嬉しそうに私を見つめた。
「その通り!正解だ♪君もなかなか判って来たじゃあないか?そこまで判れば僕も勘が働く。僕の帰国が彼らにプレッシャーを与えた事はもう間違い無い事実だ。隠し場所はほぼ間違いなく、君の住まいなのだと知れた。けど、どう料理しようか正直まだ迷っていた。僕には麻薬事案の解決も残っていたからね!だからしばらく事態が停滞してくれる事を願って止まなかった。僕はさっそく麻薬事案の解決に動き、事実を掴んで睦ちゃんにリークしたという訳だ。少なくともこれで二方面作戦は避けられたんだから、月の鍵事案の方に集中出来る事になった。そんな時にジェームズが尋ねて来たんだよ♪これでこちらの事件の方も一気に加速する事になった訳だ♪」
中君は淡々と事実を積み重ねながら、説明して行く。私は偶然を必然に変えた彼の行動がここから始まった事に驚いた。
「それでどうした?」
私は唸る。
「あぁ…聞くとジェームズも彼らを追って来たのだと言う。埒が明かないと知ったファントムが応援を寄越したのだろうね!だから彼には二つの事を命じた。ひとつは君も知っての通り、大家のお婆ちゃんを抱き込む事さ!そこから彼のにっ参が始まったが、あくまで気づかれないように簡単な変装をする事は忘れなかった。そしてもうひとつは一気に敵の二人を一網打尽にする事さ!一人は僕に、一人は君に張り付いていた。君は知らなかったろうがね♪」
中君はまたまた恐しい事を平気の平左で宣う。
「それでどうした?」
私は既に済んだ事でもあるし、興味が優先したから、もう迷わずそう訊ねる。すると中君はズバリ言った。
「僕はこの時点で君と接触すると決めた。そう図書館さ♪なぜそれまで接触を躊躇っていたのか?それは簡単さ!彼らは割と乱暴者だからね♪下手をすると君を消しかねないとすら踏んでいた。だから準備が整うまでは、敢えて避けていたんだよ。君を守るためだった。そして準備万端整えて、決行した訳さ♪」
私はそれを聞いて冷汗が迸る。自分が死ぬ可能性すらあったと知ったら誰だってそう想う事だろう。
絶句した私に配慮したのか、中君はひと呼吸おいて先を続けた。
「準備は万全だったと言ったろう。僕は計画を練る時には念には念を入れるんだ。後々後悔したく無いからね。石橋を叩いて渡る。そういう事だね?実際、この時も餌と引き換えに、神無月警部殿に一般人に混じって待機して貰っていた。三人目が居た日には、僕らだけじゃ手に負えないからね。まぁ僕が君に話し掛け、先に室内から出た後に、君もそんな捕り物が起きてたなんて想いもしなかった事だろう?」
「なっ!それでか♪それであの時、とっとと行って待っててくれなかったんだね?」
私は驚いてしまった。やはり彼の行動原理には必ず裏があるのだ。
それに一般市民の僕に配慮するために、警察まで動かしていたなんて、私は感動すらしてしまった。そしてこうした場合、お約束のように彼は必ず裏切る。
「否、別に君のためだけじゃ無い。昨今、公的な図書館なんて、時間によっては人もまばらだが、全く関係無い人達を巻き込む訳にはいかないからね!まぁ当然の帰結だ。自明の理だね♪」
中君はそう言い切った。
そこはある程度、オブラートに包む所なんじゃないかと私などは想うものだが、根っからの正直者である。私は苦笑した。
「それで?」
「うん?あぁ…けっきょく奴等は二人だけだった。僕とジェームズで一人ずつ手刀で仕留めた。その後、集まって来た警部とその部下三人に彼らを引き渡した。一時的に勾留して貰い、どうせビザなんて端から持ってない連中だ。国外退去にして貰えばそれで良かった。勿論、そんな甘ちゃんでは無いけどね!行く先を調べて貰い、到着先の空港ロビーでは現地警察が手ぐすねひいて待っているって寸法さ!どうだい?水も洩らさぬ手際だろう!やっぱり僕って天才かね?」
中君は自画自賛している。私は想わず笑ってしまった。
「成る程…良く判ったよ!でも君、せっかく手柄になる筈だったのに、無罪放免の国外退去じゃあ警部も浮かばれないのじゃあ無いか?」
私はついつい重箱の隅をつつく。すると中君はまたまたゲタゲタ笑い始めた。
「何だ!君も鈍い男だね?奴等は確かに国内じゃ大した事はやってない。でも君の殺人未遂に相当する企みもあった事だ。それに忘れて貰っては困るが、彼らは腐ってもファントムの配下だ。欧州各地ではかなりの余罪がある身なんだよ!警部にはファントムを必ず誘き出し、引き渡す約束をしていたし、何より現地警察が彼らを捕えた時点で、情報提供を果たした事にもなる。警部には予め、恩を売っておくように入れ知恵をしておいたから、感謝状は必ず来る。警部の顔も立つって寸法さ!史郎君、人の行動原理の中でも嬉しい事は、褒められ、感謝される事にある。人間心理を研究するなら、然るべき時に活用出来なきゃ宝の持ち腐れだ。良く憶えておくと良い。そして僕の狙いはここに極まったと言って良い。いよいよファントムは自ら出馬して来ざる逐えなくなったという訳だ♪これで十分、君の説明には成ったろう?」
中君は爽やかな表情でそう述べた。
私はその計算しつくされた計画に手放しで拍手を送った。
「良く判ったよ♪人間心理を上手く衝いた君の計画が確かに偶然を必然に変えたね?見事だな!」
私はそう言って彼を称えた。
中君は少し照れた様だった。
「それで私の引越しに立ち合い、家財道具一式を取り除く事で、君は月の鍵を取り出し易くして、大家さんにも協力して貰い、相手が来る日すら限定したという訳だね?もう素晴し過ぎて、文句ひとつ出て来ないな♪」
私は再びそう言って、その感激を最大限に言い表す。すると、中君は困ったような顔をしてこう言った。
「ハッハッハ♪君も僕の言葉は憶えているだろう。完璧な計画なんてものは、実際は無いのさ!在るとすれば、それは願望が見せる幻想だね♪今回の事だって、ファントムが自分の心に負けず、鍵を取りに来なければ、失敗していた筈だ。そもそも月の鍵は金庫の中身を証拠隠滅するための保険だった訳だから、余計な誤解をせずに、無理に配下を送り込まなければ、僕も気づかなかったのにね♪今回はファントムの三回に渡る判断ミスに助けられた形となった訳だから、僕も会心の出来という訳でも無かった。でもある意味、引き寄せた運を手離さず、最後まで粘り強く闘った僕らの勝利だと言う訳さ♪」
中君は誇らしげにそう語り終えた。
私は感極まる。
「君は今、僕じゃなく、僕らって言ったね!僕らの勝利だって…それはこの私も含むのかい?」
中君は当然の事に水を差す私を嗜める。
「君は今さら何を言っているんだい?君こそが、今回一番手柄と言っても過言じゃないんだからね?危険を冒し、君に今回特等席を与えたのは、この僕の細やかなお礼だよ♪誇りに想ってくれて良い!」
中君はそう言って、最後は手放しでこの私を称えてくれた。私はこの時、初めて彼らの一員に成れた気がしていた。
そして今、私はこの事件の記録を見返しながら、私が関わる事になったあのファントムとの激闘を思い出している。
如月中という、私の前に彗星の如く現れた、ちょっと可笑しな探偵さんが、終わってみれば、この私を感極まらせる程の存在感を示し、ファントムを駆逐し、見事に意趣返しを決めて見せて、その結果として世界を暗黒の魔の手から見事に救ったのであった。
私も小説家の端くれとして、この事件を必ず小説に昇華させて、この私の記念すべき処女作とするべく奮闘して来た。
この度それがようやく叶い、私はその事件を小説として発表するに当たり、題名を一生懸命考えている。
私が「怪盗ファントムとの激闘」、「月の鍵の秘密」などとノートに書き記し、どうしようかと頭を捻っていると、中君はいきなり肩越しから覗き込んでクスリと笑った。
「何だよ!失礼だな♪」
私はついつい毒を吐く。
すると中君は笑みを浮かべながら呟く。
「怪盗ファントムとの激闘ねぇ、月の鍵の秘密かい?まぁ悪くないが、在り来たりだねぇ~♪ベタ過ぎやしないかい?まぁでも、作家先生がそうしたいなら、素人の僕が口を狭む事でも無いだろうねぇ♪いゃはゃ怪盗に月の鍵とは…」
中君は、まるで陳腐なものでも見るような目つきで舐める様に流し見ると、途端に興味を失くしたらしい。直ぐに回れ右をすると、とっとと自分の部屋へと戻り始めた。
私は余りにも自分のお気に入りの題名を貶されて、癪だったものだから、彼を呼び止め、こう訊ねた。
「おぃおぃ♪そこまで言うなら、せめて教えてくれよ!いったい君なら何て題名にするつもりなんだい?」
私は悔しさからそうせがんだ。
すると中君はまるで呼び止められるのが、予め判っていたかの様に、また身軽にクルリと回れ右をすると、スススッと近づいて来てこう訊ねる。
「聞きたい?そんなに聞きたい?」と、例の如く気色の悪い猫撫で声を出した。
私は仕方無く、「聞きたいよ♪」と丁重に申し出た。
すると彼は諭すようにこう言った。
「僕なら文句なく、空き屋事件にするがねぇ~♪まぁでも書いたのは君だからね!作者のご意向は尊重するべきなのかなぁ~♪」
それだけ言うと、今度は本当に自室に引き上げてしまった。
私はノートに空き屋事件と記してみて、三つの題名を見比べる。
しばらくそうしていただろうか。やがてひとつ、大きな吐息をつくとニコリと微笑み、大きく題名を○印で囲った。
私の処女作は、こうして空き屋事件として発表される事になったのである。《了》
【後書き】
如何でしたか?|'◇'*)".。oO これで空き家事件は本当の大団円を無事に迎えました。
想えばこの二週間ほどで7万近い文章を構築し、走破しました。仕事を抱えながらよくぞ乗り切ったと自分でも薄氷を踏む想いです。
先に示した通り、この二人の掛け合いで話が進んで行く手法は、私が言葉遊びで培ったものです。今回の如月中と三枝史郎の掛け合いは、言葉遊びに於ける緑蒼生とユリウス・ケイの掛け合いに割りと近いものが在ります。
そもそもの起源は古典推理小説で既に確立されたスタイルと謂えます。シャーロック・ホームズでのホームズとワトソン、名探偵ポアロでのポアロとヘイスティングズなどが有名ですよね。日本でも似たようなコンビ者の推理小説を多く見掛けます。
私もそんな推理小説に憧れ、自分だけの固有のキャラクターを生み出す事が出来れば幸せだなと想って来ました。
ただ、私には今までそんな筆力が無かったので実現は難しいと想っていました。執筆三年目の節目に挑戦してみて、素直に感じた事には、想いは届くという事でした。
私の数少ない読者の方は御存知でしょうが、私は作品の後書きなどで元々妄想作家であると自称しています。元々は形に残らない、寝る前のひとときの妄想から始まっているからです。
私が筆を取り、それを形に表し始めたのが今から三年前の事になります。ある方が勧めて下さり、背中を押して下さったからです。
私も妄想、つまりアイデアですが、それが形となって残って行くに連れて、自分の中に新しい可能性を見出だした様に感じて止められなくなりました。
勿論、独学も必要ですし、知識もその都度仕入れなければ成りませんが、今ではそれも愉しみでさえ在ります。
筆力も書けば書く程に上がって行くのが判りますし、表現方法も多岐に渡って随分と使いこなせる様になったと感じています。
地道な取り組みは自分を裏切らない。今ではそう想える様になりました。これからも切磋琢磨し、良質な作品を発表出来ればと想っています。
願わくば、たくさんの方々に読んで貰える様な作品に成るよう、今後も努力して行きたいと想っています。
筆者




