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空き家事件 その3

如月中とはひと筋縄ではいかない変人である。けれども彼の行動原理には必ず何か深い意図が隠されているのだ。


彼は常に裏の事情を本線として置いて、表向きは(ヒョウヒョウ)々として誰にも気づかれず、誰にも気づかせずに堂々と、例えそれが気妙奇天烈(きみょうキテレツ)な事であっても必ずやり逐げるのである。


その際、多少他人から嫌われたり、気味悪がられても、全く気にしない胆力を備えている。


ここまで述べると少々褒め過ぎかも知れないが、特に私は褒めている訳でも無い。単にそこまで徹底出来る彼の気概を称えているだけに過ぎない。


どんな形であれ、物事を用意周到に計画し、(ひる)まず腐らず最後までやり通す信念には脱帽するのみである。なぜなら普通の人間にはなかなか到達し得ない(いただき)だからなのだ。


そして彼はその手法をけして悪事には使わない。むしろ悪事を許さない立場である。


そう考えると彼が悪党を倒すために、それを上回る叡知を示し、進めて来たこの手法は全て職業病から来ているに違いないと想う向きも在りそうだった。


そして願わくば、彼の信念が折れない事を念じて止まない。もし彼の心が折れて、悪に魅入られでもすれば、果たして彼を止められる者がこの世に居るだろうか、私はそう想うのだ。


彼がなぜ私のような凡人に声を掛けてくれたのかは未だに謎であるが、もし仮にこの私に彼をこちら側に引き止める力が在るのだとしたなら、私はこの命の続く限り応えて行こうと想っている。これが私の覚悟である。




【解決編 その1】


中君の暗躍の結果が、少しずつ彼の口から漏れ出て来て、私は彼と言葉を交わす。その時である。大家さんのお宅を見張っていたジェームズが我々の注意を換起した。


「oh♪お婆チャン、出掛けマ~ス♪♪」


その言葉に私達は話しを中断し、視線を移した。確かに大家さんが荷物を引いて出掛ける所だった。


彼女のボストンバックの底には車輪が付いていて、重い荷物を持たなくても引いて行けるように工夫されている。


「どうやらジェームズ!君のお手柄だな♪お婆ちゃんもちゃんと約束を守ってくれたようだ。ここまでは予定通りだね?史郎君にも最低限の話は出来た。ここからが本番だ。簡単に説明するから良く聞いてくれたまえ♪」


ジェームズは照れている。正直な奴だ。褒められると顔に出る。それに彼も上手く行った事を喜んでいた。


中君も相棒の成果を誇らしく想っている様だ。彼に向ける優しい微笑みがそれを証明している。


けれどもまさに彼の言う通り、本番はここからなのだ。中君は場を引き締めると端的に説明を始めた。


「段取りはこうだ!僕と史郎君は屋内に侵入し、待機する。待機場所は決めてあるから従ってくれ!いいね?」


「おぃおぃ!素人の僕がジェームズを差し置いていいのかい?」


「ハッハッハ♪気にするには及ばんよ!ジェームズも了解している。彼には他にやって貰う事があるんでね!それに侵入口は狭過ぎて彼にはどう頑張っても入れる余地が無いね♪」


中君は自信満々にそう告げた。心無しかジェームズはホッとしている。


「いったい君はどこから入るつもりなんだ?」


私がそう訊ねると、彼は何の抑揚も無く事務的に答えた。


「うん!?どこってあそこに住んでいた君ならどこから入るよ?玄関は戸締りされてるんだぜ♪自明の理だな!」


彼は当たり前の事を聞くなと言わんばかりである。そう言われてみて始めて私もそこに気づく。


「ウェ~!まさか君はトイレの汲み取り窓から入る気かい?」


私は絶句してしまった。


大家さんのお宅は、今時珍しい汲み取り式のトイレである。


彼女は昭和のノスタルジーに浸っている訳では無い。単なるしまり屋なのである。質素検約を棟としていて、その分、人に親切にしたり助けてやるのに使うそうだ。


私はむしろそんな経験をした事が無いから、その経験が嬉しくて不平不満を言った事は無かった。


大家のお婆ちゃんの話だと、昔はこれで畑に肥料をやっていたのだそうだ。謂わゆる食物のリサイクル構造が見えて来る。


それにしても、日頃綺麗に清掃しているとはいえ、まさかあの汲み取り窓から侵入する羽目になるとは想わなかった。さすがに気色の良いもんじゃあ無い。


けれども中君は全く躊躇(ちゅうちょ)していない。


「大丈夫だよ!大家さんは心好く承諾してくれたから、少なくとも不法侵入では無いね♪」


彼は平気の平左でケロッと宣う。


さすがにその非常識さは枚挙に暇が無い。そういう問題じゃ無いのだ。


でも事が事だけにそうも言ってはいられないから、私は仕方無く従う事にした。


車から出る前に中君はジェームズに声を掛ける。


「ジェームズ!判っていると想うが、今回の肝は君だからね?必ず果たしてくれよ!頼んだぜ♪」


中君とジェームズはハイタッチを交わす。物欲しそうに見ていた訳では無いが、ジェームズは私ともハイタッチを交わしてくれた。


私達二人は暗闇に紛れて静かに車を出ると、家屋の裏手に回り、中君がササッと塀を乗り越えると裏のお勝手口を開けてくれた。


私は塀を乗り越えようと、手を掛けたものの意外に難しい。すると勝手口からヒョコリと首を出した中君が小声ながらも(やぶ)から棒に告げた。


「おぃおぃ…勘弁しろ♪まるで木にぶら下がったお猿さんだな!遊んでる場合じゃないんだから、早く来いよ♪」


そう言われた私は、余りの自分の不甲斐なさに涙目になってしまった。誠に不本意では在るが、不承不承、勝手口から入り後に続く。


こうして我々は庭に潜入した。いよいよである。


"臭いものには(フタ)"なんて、良く聞く言葉だが、おそらくその起源を知る者は少ないだろう。私は想う。


それはズバリこれである。汲み取り式は見た目は和風式のトイレで、昔風に言えば当然股がってする。


そしてその致す所に木目調の木の蓋がしてあり、普段は下が見えない。事を致す時に蓋を外せば、真下が見降せるという構造である。


下までの距離が在る事から、擬音語を用いてポットン便所などとも呼ばれる。下の終着地点が所謂(いわゆる)肥溜めである。


さすがに大の大人が落ちる事は無いと想うが、小さい子供なら下手をすればスルリと行きそうである。大人が注意して観ておいてやらないと、(クソ)を致すのもまさに命懸けなのである。


まぁそんな蘊蓄(うんちく)はこの話には直接関係の無い事なので、適当に引き上げるとして、私の前で中君はトイレの窓をガラリと開けた。


窓は当然、汲み取りに使うから人の足許の辺りにある。中君は座り込んで窓を開けると、エッコラセと身体を入れてあっという間に通過する。


その早い事、世界記録を樹立出来そうであった。すると躊躇(ちゅうちょ)している私に遠慮の無い罵声が飛んで来る。


「おぃ、だから何やってるんだ!早く来いよ♪(やっこ)さんがいつ来るか判らんのだぞ!見つかった日にゃあ作戦がパァ~だ♪」


「あぁ、判ったよ!今、行く♪」


私も覚悟を決めた。


こんな事なら洗濯バサミだけでも持って来るんだったと後悔したがもう遅いので、とっとと潜入を試みる。『えっ!洗濯バサミなんて何に使うんだって?』当然、鼻を摘まむためである。


私は摂生はしているつもりが少々辛い。けっきょく中君の手を借りて、引っ張り込んで貰う。


さすがに綺麗好きの大家さんの事だ。事前の清掃状態は悪くなかったので、服を汚す事は無かったが、木の蓋の隙間から漏れ出る臭ぐわしい香りに包まれて、私はその瞬間に原始に戻った気がしていた。


さて、中君は一度しか来ていない割には、中の構造をしっかり把握していて、私が案内するまでも無い。


先日の引っ越しの際には、やたらとトイレの回数が多いと怪しんでいたものだが、いつの間にか屋内の探険を済ませていた様である。


「おぃ…偉く詳しいじゃあ無いか?」


私はポツリと嫌味を言う。すると中君は誇らしげに堂々と答えた。


「そらぁそうさ!(やっこ)さんと対峙するんだ。相手はこの家屋を知り尽した、勝手知ったる立場なんだぜ?僕も同じ情報がなければ立ち向えない。下手すると逃がしてしまうからな!」


中君はハッキリと物を言った。


『やれやれ…効き目無しか♪どんだけ前向きだよ!』


私の嫌みは空転し、あっさりとスルーされてしまう。その時に私はふと疑問を感じて問い掛ける。


「おぃ!さっきも(やっこ)さんて言ったよな?どういう事だ。この家を知り尽したって言ったか?まさか君は、御本人様がここに来ると想ってるのかい?」


私は半信半疑でそう訊ねた。


すると中君はサラリと「そうだよ?当たり前の事だろう!」と平然と答えた。


「いゃ、待ってくれ!でも君は司法当局の手にあると言ったじゃあないか♪あれも嘘なのかい?」


「おぃおぃ、勘弁してくれ!今さら何言ってんだ。司法当局だってそんなに長期間、彼を拘束しておく事は出来んだろう。何しろ証拠が無く、彼の悪事が立証された訳じゃあ無いんだぜ!我が国でだって、金さえあれば弁護士が仮釈放手続きくらい踏むだろうよ♪ましてや相手は表向きはVIPで資金力もある。当然の事ながら、やり手の弁護人も付いている訳だしな!但し、監視体制は万全だし、司法当局も事が事だけに、一切の手は抜かんだろうからそう言ったまでだ。本来なら万全だろうがね…」


「違うのかい?」


「いゃ…当局は少なくともそう想ってるよ!こればかりは見解の相違だね?僕は騙されないけどな…」


「じゃあ、そう言ったら良いじゃん?」


「ハッハッハ…言ったさ♪でもお偉いさんは見栄張りで鼻高君が多いからね!僕やジェームズの話など、どこまで聞いているか判らんよ♪無論、何度も警告はしたがね?」


中君は苦虫を噛み潰しながらそう答えた。


『どこの国も変わらないんだな…』


私は少々腐ってしまった。


念のため言っておくが、トイレから出入りしたからでは無い。


「いゃ、仕方無い面もあるがね!法の精神は有罪と決まるまでは誰で在れ、人権の保証はしているからな…」


中君は残念そうにそう言うと、すぐに立ち直ってしまった。


「まぁ今夜確実に捕えれば良いだけの話だ!結果はすぐに僕らの味方さ♪」


彼は却ってウキウキしている。


「前向きだね…参ったな!それにしても、愉しそうだ♪」


私は想ったままの本音をぶつける。すると中君は喜びを発散させた。


「そりゃあそうさ!そのためにこんだけの準備と罠を張り巡らせたんだ。(やっこ)さんが掛かってくれなかった日には全ておジャンだ!目も当てられないね♪」


彼はそう言って笑った。


けれどもその笑いの下には多少の緊張感が窺えた。さすがの彼でも緊張はするらしい。


つまりはそれだけの相手なのだという事である。私は彼にエールを送る。


「そうだね♪人智を尽そう!」


そう言うと、ようやく中君本来の笑みが浮かぶ。


「まぁ成るようになるさ!君は余り無理をしなさんな♪君はある意味、時代の証人なんだからね!」


中君はそう念を押す。


私は彼の言葉がこの時、今一つ飲み込めなかった。


『時代の証人て何だろう…?』


そう想ったのである。


後で判った事だが、彼の対峙する敵は四半世紀の長きに渡り欧州(ヨーロッパ)を席巻し、暗躍した秘密組織だった。


今まさにそれに終止符を打とうというのである。彼の意気込みが如何ばかりか判る気がした。


中君の勧めで私は長持(ながもち)の中に身を潜める事になった。こいつは本来、布団や衣類などをしまう木箱(チェスト)だが、今の時代にこんなものを現役で使っている家はどこにも在るまい。


なぜなら、昭和の時代に入って以降、長持に箪笥(たんす)が取って代わったからである。ちなみにこの長持は明治時代から大正時代にかけて使われて来たものだ。


題名は忘れてしまったが、これはあの乱歩先生の作品にも出て来るものである。




若い後添いを貰った華族の男が、妻の不貞を疑っているも言い出せず、浮気をしに行く事が判っていて、笑顔で送り出す。


暇を囲ってしまった昼下がり、子供たちと家屋の中で隠れん坊に興じる内に、絶対に見つかりっこない場所を閃く。


それが長持(ながもち)の中である。長持の蓋は昔の物ほどしっかりと造ってあって、子供の力くらいじゃあ開かない。


つまり返事さえしなければ、見つかる事は無いのだ。始めはちょっと驚かせよう、大人の威厳を見せてやろうくらいの気持ちだったろうが、本来隠れん坊なんて、見つけた見つかったくらいが愉しいものなのだ。


そして子供の恐しいところは、"直ぐに呆きる事"である。(いく)ら探しても見当たらないのでだんだんと呆きて来て、結果探すのを止めて解散してしまう。


長持(ながもち)の中は多少、空気が持つものだが、本来的に人が入る物ではそもそも無いから、通気性には特化していない。そりゃそうだ。布団などを入れる物だからである。


つまりはだんだんと息苦しくなり、男は遅ればせながら悲鳴を上げるが、妻は承知の通り、間男と浮気の最中で出掛けていて、子供も女中さんもまるで無関心であり、夕食の卓に黙々と向かっている。


彼は懸命に手の力だけで長持の蓋を押し開こうとするが、その程度で開くものでもない。


なぜなら長持は長方形の横長の木箱だから、入るためには寝転ばねば成らず、手に力が伝わり難いのだ。


おまけに由緒正しい長持には家紋の他に蓋に掛け金が付いている物すら在ったから、この場合も蓋を閉じた時の反動で掛け金が閉まっていたという設定に成っている。


それじゃあ開く訳が無い。蓋が開かずに彼が苦しみ始めた頃になって、ようやく合瀬(おうせ)から帰って来た妻の気配がした。


突如として生き延びる希望の芽生えた彼は、必死に叫び助けを求めるのである。




敢えて結果は書くまい。想像するも、作品を見つけて読み返すも自由である。


何故なら、私が言いたかったのは、長持(ながもち)に入った瞬間に、その事を想い出したからであり、男の身になって恐怖を憶えたからだった。


「おぃ!ちゃんと開けてくれよな♪忘れないでくれ?」


私は中君に声を掛ける。


「乱歩だね?何だ!君も読んでいたのか♪こんな物持ってるんだから、大家さんの家系はかなり裕福だったんだろうな。でも心配はないさ!実は僕もコッソリ入ってみたからね♪こいつは割とエグい優れ物だよ!出来たら僕の記念館に収蔵したいくらいだね。今度相談してみようかな?何てな♪それ、横にスライドする秘密の窓がついてるだろ?中から外が見えるんだ!そして多少非力な者でも自力で開けられる。心配無い。それに掛け金も蝶番(ちょうつがい)も付いてないから、万一の事故も起こらないね♪だから都合が良いのさ!じゃなきゃ君に勧めたりしないぜ♪」


彼はそう語る。


「あっ!本当だ♪」


私が蓋を中から両手で軽く押すと、蓋は簡単に開いた。長持(ながもち)から顔だけ出す私を認めて、中君はクスリと笑う。


「なんだよ?」


私が口を尖らせて文句を言うと、彼は愉しそうに答える。


「まぁクライマックスをそこで存分に愉しんでくれたまえ♪特等席だからね!君の本棚があった付近に注目して観ていると良いよ♪」


彼はそう言って笑った。


するとその時にガタガタっと物音がする。どうもそれは入口の戸を揺するようにも聞こえた。


中君は小声で言った。


「必ず近くに居るから、心配するな♪僕は外との繋ぎがある。けして長持(ながもち)から出るなよ!いいね?」


彼はそれだけ言うと、長持(ながもち)の蓋を閉めた。

【後書き】


《参考文献》


江戸川乱歩著『お(せい)登場』


文中の内容はあらすじではありません。私が過去に読了した際のイメージを元にして書いたものです。よって小説の内容とは若干違うところが在ります。尚、当然の事ながら、表現方法も筆者独自のものです。興味のある方のために執筆後に調べて参考文献として記載しておきます。読んで下さる皆さんが居てくれるお陰で筆者も励みになります。さっそく評価して下さった方に感謝です!次回、空き家事件の完結編です。


byユリウス・ケイ

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