おはぎの健康的で文化的な生活
「ふう、ちょっと食い過ぎたか?」
「私もです。もうお腹がいっぱいです」
久しぶりのしゃぶしゃぶに舞い上がっていたからだろうか。ちょっと食べ過ぎてしまった。
俺だけじゃなく、ことりも同じようでお腹を擦っていた。
テーブルの上には器が山積みとなっていた。最初は頻繁に器を回収していた従業員だが、あまりにもセラムの食欲がすごいので頻繁に回収するのは止めたようだ。
「……セラムさん、すごく食べましたね」
「ああ、セラムだけで国産牛を四十皿くらいは食べたんじゃないか?」
積み上がった器と注文履歴を確認すると、本当にそれくらいの数を食べていたことがわかった。イベリコ豚なんかの他の種類を合わせると、七十皿くらいは食べている計算だ。
凄まじいな。大食い選手か相撲選手なのか?
「さすがにこれだけ食べればお腹は膨れただろ?」
「七分目といったところか。まだ食べられるぞ?」
これだけ食べてもまだ限界ではないらしい。
こんなにも細い身体のどこに入っているのか本当に不思議だ。
「食べ放題だから好きに食えと言いたいところだが、時間制限もあるからそろそろ終わりだ」
「なに!? 食べ放題ではなかったのか!?」
「限られた時間内での話だ」
「そういうものか」
「最後まで粘ることもできるが、めぐるたちを待たせているし、午後から仕事もある。ここらが切り上げ時だ」
「待ってください、ジンさん! 最後にワッフルだけ食べさせてください!」
会計に進もうとすると、ことりが待ったをかけてきた。
「はぁ? お腹が膨れていたんじゃなかったのか!?」
「デザートは別腹なんです! すぐに食べますから!」
「私もデザートを食べるぞ!」
ことりがデザートを取りに向かうと、セラムも後を追うようにして立ち上がる。
「あいつらの胃袋はどうなっているんだ」
さっきまでお腹を膨らませて苦しんでいたのに意味がわからなかった。
●
「帰ったぞー」
「ジン、おっそーい!」
玄関の扉を開けるなり、めぐる、アリスが待ち受けるようにして言った。
昼過ぎには戻ると告げて、帰ってきたのは十四時半過ぎ。
午前中からおはぎの面倒を見させていたので、軽く六時間くらいは家にいさせていたことになる。
「これに関してはすまん。色々と買い物をしていたら遅くなった」
「すまない。私がしゃぶしゃぶをたくさん食べていたから……」
「いえ、私がデザートにワッフルを作り出したのがいけないんです!」
「バカ! お前ら、言い方を考えろ!」
「あー! 私たちに留守番させておいて自分たちだけしゃぶしゃぶとか食べてるんだ!」
「……三人ともズルい」
セラムとことりがバカ正直に言うものだから猛然とした抗議が入る。
別に間違いではないがそんな都合のいいところだけを切り取って言ってしまえば、めぐるとアリスが怒るのは当然だった。
「まあ、ことりにはおはぎの用品を買うためのアドバイスを貰ったからな。その報酬というやつだ」
「だったらそれに協力したあたしたちにも少しくらいはご褒美をもらう権利はあるよね!?」
「……ご褒美、しゃぶしゃぶ」
「さすがに今からしゃぶしゃぶは勘弁してくれ」
さっきしゃぶしゃぶを食べてきたばかりだ。またすぐに買い物に出かけて家でしゃぶしゃぶを用意するなんて重労働が過ぎる。
「ところで夏帆はどうした?」
「あっちで寝てるー」
リビングに併設されている和室を覗くと、夏帆が布団に包まって寝ていた。
傍にはおはぎが丸まって眠っており実に穏やかな光景だな。
ただ掛け布団がずれているせいかお腹の辺りが捲れ上がっている。
それを隠してやるために掛け布団をかけ直してやった。
それにしても夏帆も大きくなったものだな。
昔はもっと身体が小さく、掛け布団で身体のほとんどが埋まっていたというのに。
「……ちょっと乙女の寝顔を勝手に覗くだなんてデリカシーがないわよ?」
まじまじと見つめていると、夏帆が目頭を擦りながらむくりと上体を起こした。
丸まっていたおはぎもむくりと顔を上げる。
「すまん。起こしたか……」
「ジンさん、布団かけ直すのヘタ過ぎ」
「俺はそういうのに慣れてないんだよ」
家族に姉はいても妹や弟はいないのでそういった面倒を見るのが下手なのは仕方ない。
夏帆は両腕を上げてぐーっと伸びをすると、大きく息を吐いて時計を見やる。
「おそ。もう十五時じゃん」
「それもすまん」
そちらに関しては言い訳のしようもない。
「まあ、お陰でおはぎちゃんといい時間を過ごせたし、そこまで文句はないけどね」
おはぎと一緒のお昼寝は端から見ても気持ちが良さそうだったな。
家にいさせることになったが彼女なりにいい時間を過ごせたのなら幸いだ。
「セラム、食材を冷蔵庫に入れてくれ」
「わかった」
ついでに買ってきた食料品をセラムに任せ、俺は日用品などを棚に入れていく。
「おや? 冷蔵庫にオムライスがあるぞ? ジン殿の作り置きか?」
「いや、俺は作ってない」
冷蔵庫の中を覗いてみると、見覚えのないオムライスにラップがかけられて保存されていた。
「あっ、ごめんね。お腹が空いたから適当に材料を借りて作っちゃった」
めぐる、アリスの昼食は夏帆が作り、食べさせてくれたらしい。
おはぎの面倒を見ていたのでヘタに外出もできないし、デリバリーなんかをすれば高くついてしまう。そんな中で夏帆は最良の選択をしてくれたといえるだろう。
「いや、気にしないでくれ。むしろ、助かった」
「その分のお礼は期待してるんだけど~?」
「任せてくれ。今、ちょうどいいものを持ってくる」
俺はクーラーボックスを開けると、真っ白な箱を取り出した。
「え!? これってもしかして『シャルパンティエ』のケーキ!?」
箱を見ただけで夏帆が目を輝かせて言う。
「……開けてもないのによくわかったな」
「このマークを見れば、誰でもわかるでしょ」
いや、少なくとも俺にはケーキのブランドなんて一つもわからんのだが……などと思いながらケーキの入った箱を開ける。
「わあ、ケーキがたくさんある!」
「……どれも美味しそう」
「お前たちの好みがわからんからショートケーキにしておいた。今すぐ食べるか?」
「もちろん!」
夏帆たちが頷くのでケーキを食べるための食器やフォークを用意してやる。
飲み物も麦茶や緑茶でなく、ティーバッグを使ったアイスティーを作る。
ご褒美としてケーキを用意していたとわかると夏帆だけでじゃなくめぐる、アリスの機嫌も良くなった。わかりやすい奴らだ。
「ジンさん、ケーキが六つあるけど?」
「一人二つずつだ」
「二つも食べていいの!? ジンさんってば太っ腹!」
アイスティーを作っている間に夏帆たちはそれぞれが何を食べるか話し合っている。
ただケーキを食べるだけなのに随分と楽しそうにするものだ。
「ほいよ。アイスティーだ」
「ありがとう。それじゃ、遠慮なくいただくわね」
「「いただきまーす!」」
準備ができると、夏帆、めぐる、アリスが両手を合わせてケーキを食べる。
「クリームのコクとミルク感は残しつつも軽めのクリームに仕上げているわ。クリームとスポンジのふわふわ感も絶妙だし、さすがはシャルパンティエのショートケーキだわ!」
「ブルーベリーのレアチーズケーキも美味しい!」
「……ザッハトルテ、美味しい。フルーツのピューレがいいアクセント」
夏帆の感想だけ熱量が違うな。
やはり、一目ロゴを見ただけでブランドがわかるのは一般常識ではないだろう。
「いいですね。ケーキ」
「ああ、とても美味しそうだ」
「お前たちは散々食っただろうが」
美味しそうにケーキを頬張っている三人を見て、ことりとセラムが羨ましそうな視線を向けていた。
あれだけ食べたのにまだ羨む気持ちがあることに驚きだ。
「にゃーん!」
二人の無尽蔵なデザート欲に呆れていると、おはぎが足元にやってきて鳴き声を上げた。
言葉は通じなくても俺にも何か食べさせろと訴えているのがわかる。
「そうだな。お前もお腹が空いたよな」
「おはぎ、待っていろ! 今、私がご飯を用意してあげるからな!」
おはぎの鳴き声を聞いて、セラムが我に返って準備を始める。
今朝貰ったばかりの猫用食器を取り出すと、そこにキャットフードを注いでいく。
「コトリ殿、量はもっといるだろうか?」
「最初は様子を見ながら与えてあげた方がいいので減らしましょう」
「わかった!」
ことりからアドバイスを受けて量を調節すると、セラムが台所から戻ってきた。
「ほら、おはぎ専用のご飯だぞ!」
食器を差し出すと、おはぎは匂いを確かめるようにくんくんと鼻を動かす。
それからキャットフードを口に含んだ。
「どうだ? 美味しいか?」
「にゃーん!」
セラムの言葉に返事するかのように鳴くと、おはぎは続けてキャットフードを食べた。
ポリポリカリカリと小気味の良い音が響く。
「そうかそうか。よかったな」
食事をするおはぎの背中を撫でて、セラムはご満悦だ。
おはぎが食事に夢中になっている間に俺は買ってきたばかりの猫用トイレとベッドをリビングに設置していく。
「にゃーん!」
設置作業を終える頃には、おはぎも食事を終えていたようですぐにベッドへとやってきた。
おはぎは猫ベッドの感触を確かめるように何度もテシテシと触ると、ゆっくりと乗って丸くなった。
まん丸になった姿は本当に名前の通りにおはぎだな。
「……これは気に入ってくれたと捉えていいんだな?」
「はい! どうやら居心地がいいと思ったみたいです!」
ことりからお墨付きを貰えて安堵の息を吐く。
買ってきたおはぎのためのベッドが無駄になることはなさそうだ。
「これでおはぎもうちで生活ができるな!」
安心したように眠るおはぎの姿を見ると、朝から忙しくしていた俺たちの苦労が報われたようだった。




