女騎士と図書館
時系列間違っておりました。こちらの図書館のエピソードが先です。
農業協同組合にて今朝獲れのキュウリ、トマト、ナスを出荷してきた俺たちは、そのまま軽トラを少し走らせて市内にある大き目の図書館へとやってきていた。
「ジン殿! この大きな建物のすべてに書物が収められているのか!?」
「食堂、自習室、会議室、映像室、多目的ホールなんかもあるが、大部分は本を置いているエリアで埋められているな」
「なんと! これほどの規模のものは王都でも見たことがない!」
「とりあえず、中に入るぞ」
「う、うむ」
軽トラを駐車場に停めると、俺とセラムは図書館の中に入る。
自動扉をくぐって中に入ると、真っ白で清潔なエントランスが俺たちを出迎える。
公共設備による建物の規模の大きさ、デザイン性などにセラムは圧倒されているようだ。
ここは公共図書館であるが、有名な建築士が手掛けたらしく、デザイン性の高い造りになっており、一般人にはよくわからない建造物なんかが設置されている。
異世界人であるセラムはそれを必死に理解しようとしている。
「ジン殿、あの茶色い箱が積み上がっているものは何なのだ?」
「俺にもわからん」
「そ、そうか」
芸術家の考えることなど俺たちには到底わからない。
「本があるのはあっちだ」
「あ、ああ」
図書室はエントランス側の右側にあるのでセラムと一緒に移動する。
自動扉をくぐった瞬間、紙の匂いが俺たちの鼻孔をくすぐった。
「ジン殿! すごいぞ! 本がいっぱいだ!」
シーンとして館内にセラムの声が響いた。
それはもう静かな分、めちゃくちゃに響いてしまった。
ソファーに腰掛けているおじいさん、カウンターにいる眼鏡をかけた司書のお姉さん、椅子で大人しく本を読んでいる子供、自習スペースで勉強をしている学生といった利用者からの視線が突き刺さる。
俺は慌てて人差し指を口の前に立てて、セラムに小声で注意した。
「ここは本を借りたり、読んだり、勉強したりする場所だからな。館内での会話は控えめに頼む」
「わ、わかった」
なんとなく館内の雰囲気がわかったのだろう。セラムがこくりと頷く。
視線を向けていた利用者だったが、セラムの日本人離れした容姿を目にすると視線の温度感が温くなった。外国の人なのでしょうがないと思ってくれたのだろう。厳密には異世界人なのだが、同じようなものなので誤解してくれて助かった。
「ジン殿、ここの蔵書数はいくらなのだ?」
ほっとしていると、セラムが小さな声で尋ねてくる。
「蔵書数? 確か六十万くらいはあったはずだ」
「ろ、ろくじゅ――!?」
記憶を頼りに応えると、セラムがまたしても驚きの声を上げようとしたので咄嗟に手で覆う。
チラリと司書から視線が飛んできたので謝意を込めて軽く頭を下げた。
「す、すまない。あまりの数に動揺してしまった」
「気を付けてくれ」
「しかし、六十万とは……王立魔法学園の蔵書数の十倍以上もあるではないか」
俺からすれば、印刷技術もない世界なのに六万冊もの本がある学校の方が驚きだ。
「この図書館は世界でも有数なのだろうか?」
「田舎にしては大きい図書館ってだけで、そこまでの蔵書数があるわけでもないぞ」
日本でも最大の蔵書数を誇る図書館は六百三十万以上の蔵書数を誇っている。
都市部の図書館だと百万冊を越えている図書館は多い。控えめにいっても有数とは言えない。
「……け、桁が違う」
そんな説明をすると、セラムは口をあんぐりと開けていた。
これだけの蔵書数を誇る施設はセラムの世界にはなかったようだ。
「セラムはどんな本が読みたいんだ?」
「こちら世界のことを知れる本がいい。あとは有名な小説などを読んでみたい」
すぐ傍の書棚には『世界史』『教養としての世界の読み解き方』『よくわかる近代史』などといった分厚い本が並んでいる。
いきなり専門書のようなものを見せても、この世界の基礎的な知識が不足しているセラムが読み解くのは難しいだろうな。
パラッと手にとって読んでみると地の文がびっしりと詰まっていた。
イラストや写真なども少なく、文章の言い回しも難しい。
説明として過去の歴史など述べていたりするので俺でも理解するのに時間がかかりそうだ。
俺が専門書の確認をしている横目ではセラムが『戦国時代』についての本を手に取っていた。
「この世界の本をとても綺麗なのだな」
本の見事な装丁にセラムが見惚れている。
「内容は理解できるか?」
「まったくわからない」
だろうな。
「そもそもこの大名や将軍とやらはなんなのだ?」
「セラムの世界でいう王族や貴族みたいなもんだ」
「な、なるほど」
やはり、基礎的な知識が欠如していると読み解くことが難しい。
「よし、セラム。もっとわかりやすい本があるところに行くぞ」
俺は手にしていた本を元の場所に戻すと、セラムを連れて別の書棚へと移る。
「こ、これは!」
「どうだ?」
「……ジン殿、これは本ではなく子供向けの漫画だと思うのだが」
セラムを連れていって渡した本は『日本の歴史』と書かれた歴史コミックだ。
ポップなキャラクターによって彩られた表紙や、周囲にいる子供たちを見たセラムがやや不満そうな表情を浮かべる。
「いいからいいからちょっとだけ読んでみろって」
「……少しだけだぞ」
などと渋々といった様子を見せていたセラムであるが、三分もしないうちにコミックのわかりやすさによってページが止まらなくなっていた。
この調子なら自分から続きを手に取るだろうと判断し、俺はセラムが欲しがりそうなわかりやすい本を探しつつ、自分の趣味に刺さりそうな本を探すことにした。
館内を歩いているとふと一冊の本が目に留まった。
「……懐かしいな。この本」
手に取ったのは『現代農業入門』というもので、俺が農家を始める前に初めて読んだ本である。
パラパラとページをめくってみると、農業についての基礎知識が書かれている。
今となっては当たり前の知識だが、あの時は初心者だったので読んでみてもピンとこないものも多かったなぁ。
「これも借りておくか」
発行されたのは五年以上も前なので現代の農業と照らし合わせると少し古い情報もあるが、基礎的な部分は今も昔もそこまで大きく変わってはいない。
俺と一緒に農業をやっているんだ。ベースとなったものをセラムが学んで損はないだろう。
「こっちの米作りについての本も借りるか」
お米がどういう風に育てられるか本人も気になっていたし、これからは田んぼ作業を手伝ってもらうことになる。どういった風に出来上がるのか知っておいた方がいいだろう。
「おっと、いつの間にかかなり時間が経っているな」
農業本の最新版が出ていたのでついつい読みふけってしまった。
セラムを放置して既に四十分が経過してしまっている。
俺は手早く必要な本を三冊ほど手にすると、セラムのいる場所に戻る。
子供向けの本が置かれているコーナーに戻ると、なぜかセラムの周囲に子供がたむろしていた。
「せらむ、次のページ」
「待ってくれ。私はまだ前のページを読み終えていない」
「せらむ、読むのおそーい」
「いや、皆が早すぎるのだ」
窓から日光が差し込む中、日本人離れした容姿のセラムが子供たちと一緒に本を読んでいる姿は妙に絵になる。
「あっ、ジン殿」
「なにやってるんだ?」
「子供たちが私の読んでいる漫画に興味を示してな。一緒に読むことになったのだ」
「そ、そうか」
それでどうして一緒に読むことになるのか理解できなかった。
俺なら素直に漫画を渡すか、適当に違うものを読んだりするだろうな。
「午後の仕事もあるし、そろそろ引き上げるぞ」
「む、もうそんな時間か……では、迅速に借りる本を選ばなければ!」
セラムは子供たちに席を外す旨を伝えると館内を移動し始めた。
その後ろ姿を見守っていると、不意に袖を引っ張られる。
「せらむの代わりに漫画読んで」
「お、俺がか?」
どうして見ず知らずの子供ために俺が漫画を読んでやらないといけないのだろう。なんて思ったが子供たちと書棚を整理している司書の視線には抗うことができない。
俺はセラムが本を借りるまでの間。子供たちのために漫画を音読する羽目になった。
「ジン殿! お待たせした!」
十分ほどすると、セラムが大量の本を手にして戻ってきた。
「……多すぎだ。この図書館で借りられる本の数は十冊までだ」
「そ、そうなのか?」
既に俺が三冊選んでいるのでセラムが借りられるのは七冊までだ。
そのことを伝えると、セラムは慌てて本を吟味して七冊にまで絞り込んだ。
読んでいた漫画の続きが三冊、同じシリーズの世界史コミックが二冊、有名な魔法ファンタジー小説と童話が一冊ずつ。
図書館にきて借りる本の半分以上が漫画というのはどうなのかと思ったが、オススメしたのは俺自身なので文句を言えるはずもない。
基礎知識をわかりやすい漫画で取り入れていき、より詳細な部分は本で獲得していければいいだろう。
十冊の本をカウンターに持っていくと、俺は図書カードを提示。
司書が確認をすると、貸し出し本のバーコードを読み取ってくれる。
「では、二週間後の二十四日までにご返却ください」
「わかりました。ありがとうございます」
図書カードを受け取り、本を受け取ると貸し出し完了だ。
俺たちは本を持って図書館を出る。
「これだけの本を借りて本当に無料なのか?」
「ああ、無料だ」
本を抱えるセラムは未だにおっかなびっくりといった様子で周囲を見回している。
セラムの世界の暮らしていた世界と、こちらの世界では本の価値が違うので仕方がないが、そんな風に本を抱えてキョロキョロしていると万引きをしたかのような気分になるので止めてほしい。
「安心しろって。俺たち以外にも本を借りているやつはいるだろ?」
周囲を見渡すと、俺たちと同じように本を借りて出てくる子供連れの家族や、青年たちがいる。他には借りた本を返すために図書館へ入っていく者も。
「こちらの世界は本当に図書館で本を無料で借りることができるのだな」
小さな頃から好きに本を読むことができなかったセラムからすれば、その言葉に込められるものにはたくさんの想いがあるのだろう。
「ここではいつでも本を借りることができるからな。また借りたくなったら行けばいい」
「ありがとう、ジン殿。これらの本を読んで、少しでもジン殿の力になれるように努力する」
セラムは本を大事に胸に抱くと、晴れ晴れとした笑顔で言うのであった。




