ウェーダー
「あれはカイト殿ではないか?」
午前中の出荷作業を終えて軽トラを走らせていると、助手席にいるセラムが前を指さして声を上げた。
黒色のシャツに真っ赤な金魚が何匹も泳いでおり、青色で波紋のようなものが広がっている。和柄シャツというやつだろう。この近辺であんな派手なシャツにプリン頭をしている男は海斗以外にいな
い。
「おっ、ジンにセラムちゃんじゃねえか! 仕事から帰ってきたところか?」
速度を落として傍に寄っていくと、海斗が嬉しそうな顔になった。
「ああ、ちょうど出荷を終えたところだ。そっちはこれから釣りか?」
海斗の手には釣り竿やらクーラーボックスやらが抱えられており、これから釣りに行くのが丸わかりの格好だった。
「おう! ちょうど二人を誘おうと思ってな! どうだ! 一緒に釣り!」
俺の家の方角に歩いていると思っていたが、まさに誘いをかける途中だったようだ。
「釣りかぁ……たまにはいいかもなぁ」
「ジン殿が珍しく乗り気だ!」
「だな! 明日は雪が降るぞ!」
思わず呟くと、セラムと海斗が失礼な物言いをしてくる。
「別に俺はなんでもかんでも渋るわけじゃないからな? 前もって予定を尋ねてくれたり、俺好みのイベントであれば喜んで行くさ」
子供たちを連れて天体観測をしたいだとか、突然皆でプールに行きたいなどと面倒なことを言うから渋るだけだ。
アクティブな海斗と好奇心旺盛なセラムの誘いにすべて付き合っていてはこちらの身体が持たないからな。
「ということは、ジン殿は釣りが好きなのか?」
「渓流や川で楽しむくらいのものだが、それなりに好きだな」
シーズンになると海釣りに繰り出したり、遠征するようなガチなタイプではなく、軽く嗜む程度。
大人になってからはメッキリとやっていなかったので、海斗から誘われて久しぶりにやってみたいと思った。
「ジン殿が行きたいのであれば行こう! 今はそれほど急ぐ作業もなかったはずだ!」
釣りが好きだと言ったのは俺なのに、なぜかセラムの方が乗り気になっているのが不思議だった。
「おお、そんなに釣りに行きたいのか……」
「違わないが、違う!」
「なんだそれは?」
セラムの言っている言葉の意味がわからない。行きたいのに違うってなんだ。
「今までジン殿は私の行きたいところや、やりたいことを尊重してくれることが多かっただろう? だから、今回はジン殿がやりたがっていることを一緒にやってみたい」
尋ねるとセラムがもじもじしながら答える。
「ああ、そういうことか。ありがとな」
「う、うむ」
どうやらセラムにしては珍しく気を遣ってくれたようだ。
改めて言われるとこそばゆいな。
畑の作物の生育も順調だし、セラムの言う通り急いでやらないといけない作業もない。
「というわけで俺とセラムも釣りに行くことにする」
「そうこなくっちゃな!」
俺たちも釣りに同伴することを告げると、海斗は嬉しそうな顔になった。
「荷台だが俺の家まで乗ってくか?」
「いや、のんびり歩くから荷物だけ乗っけてくれ」
海斗はそう言うと、釣り竿やクーラーボックス、バケツなんかの小道具を荷台に載せて歩き始めた。
家にたどり着くまでに準備を終えておけということだろう。
海斗の意図を察した俺は軽く手を挙げて、自宅へと軽トラを走らせた。
●
「野郎ども準備はできたか?」
帰ってきて釣りの準備を整えた頃、ちょうど海斗が家にたどり着いた。
手ぶらとはいえ、さすがに気温が暑いために汗をかいているが、海斗の表情はまるで疲れを感じさせないものだった。よっぽど釣りが楽しみな様子。
「バッチリだ、カイト殿!」
そして、それは隣の女騎士も同じだった。
野郎でもないにもかかわらず、海斗の声に威勢よく返事していた。
一番の大荷物となるクーラーボックス、バケツなどは海斗が用意してくれている。
俺たちが用意するのは必要最低限の釣り竿や仕掛け糸、餌くらいのもので準備はすぐに整った。
「お、セラムちゃんもウェーダーを着てるのか? よく持ってたな?」
海斗はいつも通りラフな私服だが、俺とセラムはきっちりとウェーダーを着ていた。
ウェーダーとは水中に入っても濡れないように胸や腰まで伸ばした胴長の服だ。
川や湖、海などに入って釣り人が釣りをしているのをよく見かける。
「農作業用の奴だがな」
「ああ、なるほど」
釣り人だけでなく、田んぼ作業などをする農家にも愛用されている。雨でぬかるんだ日とかにも使いやすいからな。
「どこで釣るんだ?」
「ジンの山にある川」
「確かにあの山には綺麗な川があって魚もいたな!」
「まあ、そうだろうと思ったよ」
うちの所有している山には綺麗な川がある。
昔から俺たちが釣りをする場所と言えば、うちの山だった。
昔は時間をかけて歩いて行っていたが、車を運転できる今となってはすぐの場所。
今なら気楽に行って帰ることができる。
「んじゃ、早速向かうか」
釣り場所が決まったところで俺たちは移動するために軽トラへと乗り込む。
「私が荷台に移ろうか?」
俺が運転席に乗り込み、セラムが助手席の扉を開けたところで言ってくる。
「勘弁してくれ。男二人をここに詰め込んだら暑苦しくて敵わん」
「同意見だ。俺は荷台でいいぜ」
気を遣ってくれるのはありがたいが、むさ苦しい車内で過ごすなら広い荷台で過ごす方が快適だろう。
「だが、荷台だと日光が厳しくないか?」
荷台には屋根がない上に、冷房による恩恵も受けることができない。
「問題ない。こうやってシートを被せれば日光は防げる」
「……なんだか密輸してるかのような光景だな」
荷台にいる海斗にブルーシートを被せると、セラムが微妙な顔になった。
確かに危ないものや死体でも運んでいるんじゃないかっていう怪しさが出ている。
「まあ、これは冗談だ」
ふざけるのは程々にしてコンテナを固定するためのロープを利用し、ブルーシートを屋根のように広げてやった。
「こうしてやれば日光は防げるだろ。走れば風も吹くし、それなりに快適なはずだ」
「なんだかこっちの方が楽しそうだな! やっぱり、私も荷台に乗りたい!」
「おお! セラムちゃんもこっちに来るか!」
「荷台は遊び場じゃないんだ。ダメに決まってる」
妙な好奇心を発揮しているセラムの背中を押し、助手席に押し込むことで静止。
改めて運転席に乗り込むと、シートベルトを装着して軽トラを走らせることにした。
家の裏手側に車を走らせること十分。三田家の所有する私有地へと到着した。
「カイト殿、荷台の乗り心地はどうだった!?」
荷台から荷物を持って降りてくる海斗にセラムが尋ねる。
「景色がよく見える上に風が吹き込んできて気持ちよかったぜ」
「おお! 機会があれば私もやってみよう!」
できれば変なことにはあまり興味を示さないでもらいたい。
釣り道具を手にすると、俺たちは砂利道を進む。
以前は鍛錬も兼ねて甲冑を身に纏っていたセラムだが、今日は一般的な釣り人衣装。
しかし、腰にはしっかりと帯剣をしていた。
海斗たちはセラムの帯剣について、日本文化が大好きな外国人みたいな微笑ましい感じで受け止めているので今更突っ込みやしないが、それが本物の剣だと知っている俺は気が気じゃない。
俺は前を歩くセラムに近づいて小声で話しかける。
「今日は釣りをするだけだし剣はいらないんじゃないか?」
「もし、熊や猪でも出たらどうする?」
「……猪はともかく、熊とか出るのか?」
猪や鹿、猿などがいるのは知っているが、熊が出るなどといった情報が聞いたことがない。
しかし、ここ最近は鍛錬のせいかセラムの方が山に入ることが多い。ひょっとした見かけたことがあるのだろうか?
「今のところ形跡は見たことがないが、用心するに越したことはない」
「そ、そうか」
自然に絶対ということはないし、セラムの言うように野生動物に対する警戒はあった方がいいか。
「もしもの時は私がジン殿とカイト殿を守るから安心してくれ」
少し不安になったが、セラムの心強い言葉と笑みで安心した。
「その時はよろしく頼むよ」
「ああ!」
そうだよな。異世界の女騎士がいれば、多少の野生動物なんて敵ではない。彼女が傍にいる限り安心だろう。




