女騎士とかき揚げ
「ジン殿! 昼食はニンジンの葉を使った料理にしよう!」
仕事を終えて家に戻ってくるなりセラムが言った。
ニンジンの葉といえば、サラダ、おひたし、和え物、炒め物、スープと幅広く使うことができる。が、どれも副菜としての一品が強くてメインとはあまり言えない。
セラムからこうも期待に満ちた視線を向けられると、サラダやおひたしなんかでお茶を濁すのは何となく気が引けるな。
「それじゃあ、かき揚げでも作るか」
これが一番ボリュームがあってインパクトも強いだろう。
暑い夏に油ものを作るのは嫌だったが仕方がない。
「かき揚げとはどんな料理だ!?」
「小さく切った野菜や魚介なんかを小麦粉を溶いた衣で揚げる料理。まあ、野菜版の天ぷらみたいなものだ」
「つまりは揚げ物か! 揚げ物は大好きだ!」
以前、フードコートで食事をした時に、セラムは夏帆から天ぷらを分けてもらっていた。
その時の味を覚えているのだろう。
具体的にどんな料理かはイメージができなかったようだが、揚げ物だとわかって喜んでいるみたいだ。
台所で手を洗うと、必要な食材を用意する。
冷蔵庫の中にはニンジンもあるが、間引きしたニンジンの葉を使うのに、スーパーで買ったニンジンを使うのはなんだか負けた気がする。
かき揚げの定番食材ではあるが、今回はニンジンを抜いて他の食材で作り上げることにしよう。
ニンジンの葉、タマネギ、枝豆、エビを使うとするか。
さすがに剥きエビはないので、こちらは冷凍ものにさせてもらおう。
「ニンジンの葉を適当な大きさに、タマネギは薄切りで頼む」
「わかった!」
食材を渡すと、セラムが包丁を手にして食材をカットし出す。
その間に俺は冷凍庫から取り出したエビを解凍しつつ、枝豆を鞘から出しておく。
コンロにフライパンを置くと、そこにたっぷりの油を流し込んで加熱。
「できたぞ!」
細々とした作業を進めていると、セラムが声を上げた。
ふと視線を向けると、セラムが誇らしげな顔をしている。
ややタマネギが分厚い気もするが、かき揚げとして食べるなら問題ないだろう。
「なら、そこのボウルに入れてくれ」
セラムがニンジンの葉とタマネギをボウルに入れ、俺も解凍したエビと剥いた枝豆を投入。
別のボウルを用意すると、薄力粉を大さじ五、片栗粉大さじ二を入れる。
「水を加えるから少しずつ混ぜてくれ」
「お? おお」
セラムに泡だて器を渡すと素直に混ぜてくれたので、俺はそれを見守りつつ水を加えていく。
「もういいぞ」
少し粉が残っている程度まで混ぜると、セラムに手を止めてもらう。
あまり混ぜすぎると、粘りが出てしまってサクッと揚がらなくなってしまうからな。
「衣ができたら、さっき用意した食材を投入だ」
ニンジンの葉、タマネギ、枝豆、エビを衣に和えると準備は完了だ。
加熱していた油も揚げ物をするのにちょうどいい温度になっている。
お玉を用意すると、野菜をすくい上げる。
この時に菜箸を使って、お玉の上で野菜が平らにしてあげる。
こうすることで油に投入した時に分散しにくくなるのでオススメだ。
形を整えるとお玉の上からゆっくりと油に投入。
「わっ!」
油の弾ける音に驚いたのか、セラムが短い悲鳴を上げて肩を震わせた。
それから自分の口から盛れた声を自覚したのか、頬を少し赤くして咳払いした。
「……少し驚いただけだ」
厳かな声を出しているのは恥ずかしさを誤魔化すためなのだろうな。
「いや、離れすぎじゃないか?」
さっきまで隣にいたのに、今では三メートルほど距離が空いていた。
いくら油がはねることがあるといっても、そこまで飛んでいきはしない。
「そんなことはない」
などと首を横に振っているがセラムの表情はかなり硬い。ビビっていることは明白だ。
「なにか油に嫌な思い出でもあるのか?」
「ジン殿は熱した油の恐ろしさを知らないのだ。戦場では数多の兵士や騎士が熱した油を浴びせられて亡くなっている」
尋ねてみると、セラムの口から意外とハードなコメントが出てきた。
そういえば、こちらの世界の戦争でも攻城戦なんかで熱した油や熱湯なんかを浴びせて、敵を撃退するような戦法があったっけ。
原始的だが非常に有効的な戦法だな。それを実際に経験したとあれば、煮えた油を見てビビってしまうセラムの気持ちもわからなくもない。
「でも、揚げ物は好きなんだろ?」
「揚げ物は好きだ」
恐れつつも即答する辺り、食い意地が張っているのがよくわかるな。
まあ、無理に手伝わせる必要はないので、セラムには程々の距離を維持させて作業を続けることにした。
食材がしっかり固まったらトングでひっくり返す。
そこからさらに一分ほど加熱すると、衣がしっかりと狐色に染まってくれた。
「こんなもんだな」
トングでゆっくりと挟むと、かき揚げを下にして油を落とす。
余分な脂を落としたら、キッチンペーパーを敷いたお皿に置いた。
カリッと表面が揚がっておりとても美味しそうだ。
一つ目が完成すると、二つ目、三つ目とお玉ですくって野菜を油に投入していく。
かき揚げが浮いてきたら菜箸で真ん中を突き、生地を分散させ、均等な大きさになるようにしてあげる。
均等な大きさになったらフライパンの壁を使って、丸い形に整えてやる。
片面にしっかりと火が通ると、同じように裏返して一分ほど加熱。
油をしっかりと切って、お皿に盛り付けた。
「やっぱり整えてやると形が綺麗だな」
綺麗な丸い形に揚がったかき揚げを見ると気分がいい。
適当に揚げる方が楽ではあるが、ちょっとした手間で綺麗になるならその方がいい。
お皿にかき揚げを盛り付けていると、かき揚げの端っこの部分が少し砕けた。
ちょうどお腹が空いていたので、俺はそのまま口に放り込む。
「あああっ!」
離れてこちらを見ていたセラムが思わず声を上げた。
その声音を聞く限り、ズルいという意味合いだろうな。
「最後まで料理に携わっている者の特権だ。うん、やっぱり揚げ物は揚げたてが一番だな!」
油が怖くて揚げ物ができないセラムを挑発すると、彼女は悔しそうな顔になった。
まあ、冗談はやめてセラムにも味見をさせてやろうと思っていると、彼女がこちらに近づいてきた。
「……ジン殿、私にも揚げさせてくれ!」
「そこまで揚げたてを食べたいのか」
「食べたい」
どうやら恐怖心よりも食欲が勝ったらしい。
「油が怖いんじゃなかったのか?」
「ここは平和な異世界だ。熱した油を浴びせられるようなことはない」
「とはいえ、油が跳ねることはあるぞ?」
「それについては対処法がある」
「それはどんな?」
揚げ物をする時にもっとも恐ろしいのが油の跳ねだ。それは多くの料理人を悩ませている。
料理初心者のセラムが、どんな風に対処するのか純粋に気になる。
見守っているとセラムはブツブツと呪文を唱えると、目の前に透明な壁を生み出した。
「魔法による障壁だ。これを目の前に展開しておけば油が跳ねてこようと問題ない」
どこの世界に揚げ物が怖いからといって魔法で障壁を展開する者がいるだろうか。
シンプルにすごいと思うよりも呆れの方が勝った気分だ。
「ジン殿、どうやって揚げればいい?」
鼻息を漏らし、やる気満々のセラムに先ほどやった手順を教える。
セラムはお玉に衣を纏わせた具材を載せると平面に整形。
そっとフライパンの中に入れた。
じゅわああという油の音にセラムは少しだけ驚いたが、先ほどのように何メートルも離れることはなかった。
障壁があれば油が跳ねても問題がないからか、セラムはかき揚げをガン見していた。
「ほれ、ジッと見てないで具材が固まらないように菜箸で突いてくれ」
「おお、そうだった!」
肩を突くと、セラムは我に返ったように動き出してかき揚げの中心部を菜箸で何度か突いた。
やがて、具材が固まってきたらフライパンの縁を使って整形。狐色になったらトングで裏返し、一、二分ほど加熱したところで油を切って皿に上げた。
「どうだ! ジン殿!?」
「上手くできてるぞ」
「そうか! では、味見を……熱っ!?」
早速味見をしようとしたセラムがかき揚げを口に含もうとして悲鳴を上げた。
「当たり前だ。百七十度の油で揚げてるんだぞ」
「……うう」
悶絶するセラムに氷水の入ったグラスを渡してやる。
セラムは水をチビチビと口の中に含んで、口の中や舌を冷やしているようだった。
「ほれ、こっちの端っこくらいなら熱くないだろ」
味見ようにかき揚げを崩すと、セラムはそのまま目を閉じて大きく開けた。
これは食べさせろということだろうか?
俺は戸惑いつつもセラムの口の中に小さなかき揚げを放り込んだ。
セラムはパクリとかき揚げを口に含むと、ゆっくりと咀嚼する。
「どうだ? 揚げたてのかき揚げは?」
「なんだかドキドキして味がわからなかった」
セラムのコメントを聞いて、がっくりとしそうになった。なんだそれ。
「食べさせろって要求してきたのはお前だろうが」
「う、うむ! やっぱり普通に食べるのが一番だな! 料理をリビングに運ぼう!」
セラムは気恥ずかしさを誤魔化すようにパタパタと動いて、かき揚げの入ったお皿や食器をリビングに運ぶ。
これ以上追及してもいいことはないので得に突っ込むことはせず、後に続いて他の料理を運ぶことにした。
テーブルの上にはメインのかき揚げ、白米、今朝の残りの味噌汁、漬物といった品々が並んでいる。かき揚げ定食ってやつだ。
食材が揃った頃にはセラムの羞恥心も吹き飛んだようで、いつもの顔色に戻っていた。
視線はテーブルの上に並んでいるかき揚げに釘付けだ。
「かき揚げはそのまま食べてもいいし、めんつゆに浸して食べてもいいし、塩をかけてもいい。自由に食べてくれ」
「わかった!」
「それじゃあ、食うか」
セラムの実にいい返事を聞いて、俺たちは手を合わせて昼食にとりかかる。
まずはかき揚げだな。揚げ物は熱いうちに食べないと意味がない。
セラムも同意見なのか真っ先に箸をかき揚げに伸ばしていた。
俺とセラムの口から小気味のいい音は同時に響いた。
油から上げて五分以上は経過しているが、衣のサクサク感は健在だった。
「ニンジンの葉とは、揚げるとこんなに美味しくなるのだな!」
かき揚げを食べるなり、セラムが目を大きく見開いた。
「そのまま食べるにはちょっと癖が強いが、揚げ物にすると食べやすくなるんだ」
噛むと枝豆とタマネギの甘み、エビの旨みが染み出してくる。
そしてメインであるニンジンの葉からは独特の苦みがあり、遅れてパセリやセリのようなハーブの香りがフワッと感じられた。
「うん、美味い」
爽やかなニンジンの葉の旨みと香りが、蒸し暑い夏に清涼感を与えてくれるようだった。
今度はかき揚げをめんつゆに浸す。
水分を吸って少しだけ柔らかくなってしまうが、衣のサクサク感はそれでも残ってくれる。
かき揚げがめんつゆに含まれた出汁や醤油の旨みを吸い込み、食材とのさらなる味の昇華を果たしてくれた。
やや味が濃くなってしまうが、白米と一緒にかき込んでしまえば見事に調和されて満足感も倍増だ。
朝からしっかりと肉体労働をこなしたこともあり、俺とセラムはあっという間にかき揚げ定食を平らげた。
「ふー、まさかニンジンの葉がここまで美味しい料理に変化するとは」
セラムが伸びをしながら満足感のこもった声音で言う。
「まあ、どんな部分でも工夫次第で美味しくできるってことだな」
たかがニンジンの葉と侮るなかれ。小さな芽や葉っぱの状態でも、美味しく食べられるもんだ。
「……ジン殿、次の間引きはいつ頃だ?」
「お前、間引くのに味を締めただろう?」
「そんなことはない。純粋に気になっただけだ」
ぷいっと顔を背けるセラムだが、間引いて食卓に上がることを楽しみにしていることは誰の目にも明らかだった。
にしても、一人で住んでいた頃だと揚げ物なんて絶対に面倒くさがって作らなかっただろうな。
その頃との明確な変化は、セラムという同居人がいること。
毎日一緒に食べる相手がいると、面倒くさい料理でもあっさりと作る気になってしまうものなんだな。
そんな自分の心の変化が不思議で、でも意外と悪いとは思わなかった。




