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女騎士とサイクリング


 朝の仕事を終えて、少し遅めの昼食を食べ終わる。


 まだ暑さが残っているため、午後は外作業をしない。


 暑さが厳しい中での外作業は大変危険で、体力をかなり消耗するからだ。


 午後は内作業や家事を済ませ、暑さの和らいできた夕方に残っている外作業にとりかかる。それがここ最近のルーチンだ。


 畳の上に腰を下ろす中、廊下にいるセラムは玄関にあるクロスバイクに視線をやっていた。


 何を言い出すのか予想がつくな。


 しばらくボーッとしてると、セラムがおずおずと尋ねてくる。


「ジン殿、自転車に乗ってもいいだろうか?」


「こんなに暑いのにか?」


 外での農作業と自転車での外出を同列視するつもりはないが、気温が三十度に達している中で外に出たいとは正気とは思えない。


「うむ、それでも乗りたい」


 が、セラムはそれでも自転車で外出したいようだ。


 自転車を買ってからというもの、色々とゴタゴタしていたせいでセラムはほとんど自転車に乗っていない。


 自転車に乗れるようになったばかりの彼女が、外出してみたいと思うのも不自然なことではないだろう。


「ダメだろうか?」


 返事に悩んでいると、セラムが伺うようにこちらを見上げてくる。


「どの辺りまで行きたいんだ?」


「自転車屋の方まで行ってみたい!」


 となると、自転車で向かうとなると片道で四十分くらい。


 いや、クロスバイクで向かうならもう少し早いか。それでも中々の遠出になる。


「もうちょっと近いところにしておかないか?」


「近くなると徒歩で行けてしまうではないか」


 それもそうか。セラムは散歩好きなので日頃から周囲を歩き回っているからな。


「……なら、しょうがない。俺が付いていく」


「む? 私はもう自転車に乗れるようになったので平気だぞ?」


 一人では頼りないと思われたことが不満なのか、セラムがちょっとむくれた顔をする。


「わかってるが遠出するとなると別だ。ここら辺は人や車の通りが少ないが、自転車屋の方は車の通りも多いし、人も多い。とてもセラム一人じゃ行かせられないな」


 田舎を走り回ると、人通りが多いところを走り回るのは難易度がまるで違う。


 今までなあなあでやってきた交通ルールもしっかりと守らないと危険だ。


 異世界人であり、こっちの世界の交通ルールをあまり把握していないセラムを一人で遠出させるわけにはいかない。


「むう、ジン殿の手を煩わせるのであれば……」


「変な遠慮はするな。それも含めて楽しんでるって言っただろ?」


 セラムからすれば、俺に迷惑をかけると思ってしまうかもしれないが、それを俺は受け入れている。


 あの夜の言葉を思い出してくれたのだろう。


 思い悩んでいたセラムの顔がスッキリとしたものになる。


「そうだったな。では、申し訳ないが一緒に付いてきてくれ」


「わかった」


 出かけることになったので、俺は私室に引っ込んで作業服から外出用のラフな私服に着替える。


 Yシャツと短パンだ。近所を散歩ならサンダルでいいのだが、自転車を漕ぐのでスニーカーを履いておく。


 いつもは外している時計を身に着けて準備を整えると、台所には同様に着替え終わったセラムがいた。


 白のオーバーサイズのシャツに黒のジーンズ。装いは俺と同じく単調なのに、素体が違うとここまでイメージが違うものなんだなと思わされる。まるでファッション服の広告に映っている外国人のモデルみたいな着こなしだ。


「何をやってるんだ?」


 すぐに行きたがること思いきや、セラムは冷蔵庫や戸棚をガサゴソと漁っている。


「麦茶の用意だ。自動販売機は便利だが、たくさん買うとお金がバカにならないからな」


「それだったら毎日のようにしてる買い食いを控えたらどうだ? 昨日なんて駄菓子屋で八百円も買ってただろう?」


 などと節約家ぶっているセラムだが、俺は毎日のように無駄遣いをしていることを知っている。


「な、なぜ、私の使った額がわかるのだ!? もしや、カイト殿が内通しているとか……?」


「ズボンのポケットの中にレシートが入っていたんだよ。洗濯する時はポケットの中の物を出せって言ってるだろ!」


「す、すまない!」


 ついでとばかりにセラムのずぼらさを突いてやると、彼女は素直に頭を下げた。


「でも、お菓子を買うのはやめない! あれは日々を生き抜く上で必要なものなのだ!」


 だけど、お菓子の買い食いを控えるつもりはないらしい。


 清々しいくらいに言い切った。


 駄菓子屋で八百円ってどう考えても使いすぎだ。


 麦茶を用意して得意げにするのであれば、より大きな消費を削る方が賢いだろうに。


「そうか。なら、別にいい」


「う、うむ」


 てっきり怒られるとでも思ったのだろうか、セラムが拍子抜けしたような顔をした。


 人にとって何が大事かは人それぞれだ。何事も効率良く生きればいいというわけではないからな。


 セラムがそこまでお菓子を気に入っていて、大事に思っているのであれば咎めることはしない。もちろん、日々の生活に害が出れば、その限りではないが。


「それじゃあ、行くか!」


「うむ」


 二人分の水筒にお茶を入れると準備完了だ。


「おっと、帽子だな」


 玄関に移動すると、壁にかけてある麦わら帽子をセラムが取ろうとする。


 が、代わりに俺は部屋から持ってきた黒のスポーツキャップを渡してあげた。


「自転車を乗る時はこっちだな」


「これも帽子か?」


「運動用のな」


 さすがに麦わら帽子じゃ邪魔な上に、走行中に風で飛んでいってしまう可能性がある。


 それに自転車で麦わら帽子はダサいからな。


「わざわざ買ってくれたのか?」


「いや、俺のやつだ。お古でも良かったら使ってもいいぞ」


 俺が被っているのは同じスポーツキャップの紺色だ。ここ最近はあんまり出かけることなくて、そこまで使っていなかったからな。セラムに一つあげても問題ない。


「おお、感謝する!」


 そう伝えると、セラムは嬉しそうにスポーツキャップを被った。


「むむ、少し髪が邪魔だ」


「髪を後ろでまとめてキャップの穴から出せばどうだ?」


「ジン殿は頭がいいな!」


 助言すると、セラムはヘアゴムを取り出して後ろでくくり始めた。


 まだ慣れていないせいかややもたついたが、セラムは無事に後ろでまとめた髪をキャップの穴から出すことに成功した。


「どうだ?」


「いいんじゃないか?」


「うむ、では行くか!」


 適当に相槌を打ってやると、セラムは嬉しそうに笑って玄関の扉を開けた。


 すると、暑い日差しが俺たちを照らし、熱気が身体を包み込んだ。


「……セラム、外出はまた今度にしないか?」


「嫌だ! 先ほどは遠慮するなとカッコよく言ってくれたではないか!? あれは嘘だったのか?」


「いや、嘘じゃないが」


 これだけ暑いのは聞いていない。


「では、予定通り行くぞ。自転車が私たちを待っている」


 玄関に置いてあるクロスバイクを引っ張り出すと、速やかに跨った。


 セラムが予定を覆すつもりはないことを悟った俺は、諦めて裏に停めてあるママチャリを引っ張り出すと跨った。


「では、いくぞ!」


 スタンバイが完了すると、セラムが威勢のいい声を上げながらペダルをこぎ出した。


 俺も少し遅れてこぎ始める。タイヤがドンドンと回っていく。


 さらにペダルを踏み込んでいくと、さらに加速した。


 風をグングンと切っていく感触が心地いい。


 熱気の孕んだ空気を振り払うかのようだ。


「一本道を走るのは気持ちがいいな!」


 セラムがポニーテールをなびかせながら気持ち良さそうに叫んだ。


 家の周りは真っすぐの一本道だ。誰もいないし、車も通りやしない。


 こんな暑い中、自転車をこいで外出している物好きは俺たちくらいだろう。


 だけど、周囲を気にせず思いっきりペダルを踏み込めるのは悪くない。


「これだけ快適に走れるのも道がきちんと整備されているからなのだろう。ジン殿の国はすごいな」


「セラムの世界の道路事情はどうなんだ?」


「整備されていたのは王都などの大きな街の周辺だけだ。それ以外の場所は、良くて踏み固められた土といったところか」


「あまり道の整備に力を入れない国だったのか?」


「いや、私たちの世界には魔物がいるからな。街の外での長期間の作業は危険な上に、作っても壊されてしまうことが多いのだ」


「……それは大変だな」


 道路を作っても壊されてしまうか。こっちの世界では考えられないことだ。


 想像していた以上にセラムの世界のハードみたいだな。


 一本道を進んでいると、徐々にセラムの後ろ姿が遠くなっていく


 さすがにママチャリとクロスバイクでは出せる速度に差がある。


「セラム、少しだけスピードを抑えてくれ。俺が追いつけない」


「わかった」


 セラムが速度を俺に合わせてくれる。


 あまり速い速度で走らせると、もしもの時が怖いしな。


 そうやって進み続けると、一本道を抜けて交差点に差し掛かった。


「赤は止まれだな」


 この世界にやってきて早々に簡単な交通ルールは伝えてある。


 横断歩道の信号を確認するなり、セラムはピッタリと自転車を止めた。


 やがて、車道にある信号が黄色となり、赤へと変化する。


「よし、青だな!」


 横断歩道の信号が青になるなり、進もうとしたセラムを見て、俺は彼女のポニーテールを掴んだ。


「待て」


「ぬわっ!? なにをする! 危ないでは――」


 無造作に髪を掴まれたセラムが振り返って憤慨を露わにするが、背後で通り過ぎる自動車の気配を感じて口を閉じた。


「なっ! 信号は赤だぞ! ちゃんと止まらないか!」


 セラムが抗議するが、既に車は視界の彼方だ。


 エンジン音や風の音も相まって、セラムの声が聞こえることはないだろう。


「青だからと言って無警戒に進むな。今の車みたいに無理矢理突っ込んでくるやつもいる」


「むむむむ」


 そう言うと、どこか納得いってなさそうな顔をするセラム。


 正義感の強い騎士だけあって、公共のルールを乱す輩が許せないのだろう。


 こればかりはセラムが悪いわけじゃない。


 赤になっているのに無理矢理突っ込んだ車の方が悪い。


 だけど、世の中には色々な奴がいて、ルールを守れない者もいる。


 そういった奴から自分の身を守るためにも、いかなる時も注意が必要だ。


「ルールは守ることはもちろん、周りをよく見て、危険を予測することが大事だな」


「そうだな。ジン殿の言う通り、気をつけることにする」


 深呼吸することによって気持ちを落ち着けたのか、セラムは冷静にペダルをこぎ始めた。


 自転車屋のある町の方に近づいていくと、車だけでなく、人通りも増えてくる。


「おお! 軽トラで何度も通ったことのある場所だ!」


 おなじみの場所へと自転車でやってこられたのが嬉しいのだろう。


 セラムが景色を見ながら喜ぶ。


 畑の割合は随分と減ってきてスーパー、飲食店、ホームセンター、ドラッグストアなどが立ち並んで賑やかになってきた。


「この辺りまでくると、車や人が多いのだな」


「生活していく上で必要なものが集まっているからな。俺たちのように何もないところに住んでいる奴はここにくる」


「なるほど」


 何をするにも、ここまで出てくる必要がある。


 ここに人が集まるのは必然というわけだ。


 田舎道と違って、スピードを出すことができない町中であるが、それでもセラムは自転車をこげることに喜びを感じているようだ。


 道路交通法に準拠して、粛々とペダルをこいでいくことしばらく。


 俺たちは『サイクルショップ伊藤』の前にたどり着いた。


「ジン殿、自転車屋に着いたぞ!」


「三十八分か……思っていたよりも速く着いたな」


 交差点でヒヤリとする場面はあったが、そこから先の道のりは危なげなく進むことができた。


 俺の自転車の速度に合わせ、なおかつ教えながらだったので、セラム一人であれば、もっと速くたどり着くことができるだろう。


 影になっている屋根下に移動すると、水筒を開けて水分補給。


 香ばしい麦の香りが口内に広がり、するりと喉に落ちていく。


「やっぱり、麦茶が一番だな」


 世の中には数多くの飲料で溢れているが、やっぱり最後にたどり着くのは麦茶だな。


 セラムも同様に麦茶を飲んでいる。


 ごくりごくりと喉を鳴らしており、実にいい飲みっぷりだ。


 水分補給を終えると、セラムは自転車に乗ったまま通りを眺めていた。


 何台もの車が、自転車屋の前を通り過ぎていく。


「……先に店の中に入ってるぞ」


「もう少し達成感の余韻に浸らせてくれていいではないか」


 セラムはそうかもしれないが、俺からすればひたすらに暑くてしょうがない。


 早く冷房の利いている店内に避難したい。


 そそくさと自転車を降りてロックをかけると、セラムも同じように駐輪所に停めた。


「なあ、ジン殿。次は一人で行っても大丈夫か?」


「ちゃんと家まで無事に帰ることができたらな」


 返事しながら自転車屋に入ると、セラムは嬉しそうに笑って付いてきた。







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