女騎士セラフィムの独白
目を覚ますと、カーテン隙間から夕日が差し込んでいることに気づいた。
昼間にジン殿に運び込まれてから、数時間ほど寝ていたらしい。
あれだけ火照っていた身体は嘘のように平常な状態へと戻っていた。
まだ少し身体の重さはあるが、十分に身動きができそうだ。
自然治癒力を向上させるために体内にある魔力を循環させる。まだ本調子じゃないので、魔力の動きが鈍いが、これで回復するスピードも早くなるはずだ。
むくりと上体を起こすと、額からポトリと濡れたタオルが落ちた。
「冷たい……」
私が眠ってから数時間は経過している。このタオルがまだ冷えているということは、ジン殿がこまめに看病してくれていたのだろう。
それがわかると不思議と胸の中に暖かな気持ちが広がった。
しかし、そんな嬉しい気持ちも束の間。
「……やってしまった」
落ち着いて振り返ると、今日の出来事は後悔しかない。
ジン殿に役に立とうとし、率先して仕事に取り掛かり、効率良く仕事を消化しようとした。
しかし、夏の暑さに私の身体は持ちこたえることができず、ジン殿の前で無様を見せることになった。
役に立つどころかジン殿に大きな迷惑をかけることになっている。空回りもいいところだ。どうして私はこうなのだろう。自己嫌悪で死にたくなる。
一か月ほど前。私はツイーゲの森に魔物討伐の遠征に赴いたところ、気が付けば異世界へと迷い込み、ジン殿の田んぼで倒れることになった。
そして、田んぼの持ち主であるジン殿と私は出会った。
真っ黒な髪に黒い瞳を見た時は、珍しいと思うと同時に綺麗だと思った。
私の住んでいた地域には、ここまで綺麗な黒髪黒目をする者は皆無だったからだ。
そんな綺麗な見た目とは裏腹にジン殿の反応は冷たかった。
騎士である私は見ても臆することもなく、媚びることもなく、ひたすらに胡乱げな視線を向けられた。
民を守り、畏敬の念を抱かれる騎士である私が、どうしてこのように邪見にされるのか不思議でしょうがなく、不安だった。
しかし、それでも毅然と振舞うことができたのは、帰らなければならないという使命感だった。
私たちは民の賄った食料や税金によって生きている。
その代わり、有事の際は率先して民を守るのが騎士の務めだ。
こういった時に役に立たないでどうする。
しかし、この地は祖国であるラフォリア王国やツイーゲ地方とまったく関連がなかった。
冷静に観察してみると、ここは私の住んでいた場所とあまりに景色が違う。
見たことのない食べ物に、猛スピードで走る白い鉄の車、蛇口を捻るだけで湧き出す水、スイッチを押すだけで眩い光を放つ道具。それらには一切魔力が使われていない。
私の世界では到底ありえないことだった。
ジン殿と言葉を交わす内に、私はここが自分の知っている場所と違うことを悟った。
唯一の手掛かりである田んぼに戻り、何かしらの痕跡や魔力反応を探ってみたがまるで手がかりはない。つまり、元の世界に戻る手段はなかった。
家族、友人、身分、居場所を失った。
それだけであれば、まだ何とかなった。私には剣がある。
たとえ、世界が変わろうとも、剣があれば魔物から人々を守ることができる。
そう息巻いていたのがジン殿に、ここには人々を襲うような魔物はおらず、戦争もほとんどない平和な世界だと知らされた。
私の唯一の取り柄である剣すらも役に立たないのが確定した瞬間だった。
「……うちの農作業を手伝ってくれるなら、三食付きの家賃無しでここに住んでもいいぞ」
平和な異世界の常識に打ちのめされた私だったが、ジン殿の一言に救われた。
剣がなくても何とかなる。などと言ってみたものの、私は騎士の家に生まれて剣一本で生きてきた。
まともに炊事や掃除といったまともなこと役割すらこなしたこともなく、国から装備や給金を支給されていただけでまともに稼いだことすらなかったので、ジン殿の提案は渡りに船だった。
でも、あまりにも私にとって都合がいい提案だったので、最初は少し警戒していた。
私の身体が目当てなのではないかと。
敢えて隙を晒すことで反応を見ていたが、ジン殿と一緒に農作業をして生活をしているとそんなつもりは無いことはすぐにわかった。
ジン殿の興味は農作業に向いており、とても真摯に野菜と向き合っていた。
そんな御仁を疑って妙な勘繰りをしていた私は、自分を恥じることになった。
ジン殿は常に不機嫌そうな顔をしており、言葉遣いもぞんざいではあるが、性根はとても優しい御仁だ。
異世界からやって来たという私のことを胡乱な目で見つつも、追い出すこともなくしっかりと話を聞いてくれた。
お金のない私に温かい食事を出してくれ、快適な部屋を提供してくれた。
本人は従業員を雇っているので、働きやすいようにしているだけだ。などと言い張っているが、元の私の職場はボロい宿舎で四人部屋だった。
明らかに私が暮らしやすいように配慮してくれているのがわかった。
ジン殿は私に仕事を与えてくれた。
私に農作業の知識を惜しげもなく伝えてくれた。
わからないことがあっても面倒くさがることなく、懇切丁寧に教えてくれる。
料理のできない私に料理を教えてくれた。
生活するための服だけでなく、オシャレな服も買ってくれた。
私が一人で物を買えるように給金をくれた。
剣を振るうための広い場所を与えてくれた。
自転車を買ってくれて、乗り方を教えてくれた。
興味のあるイベントや遊びがあれば、連れて行ってくれた。
思い返せば、私はジン殿に与えられてばかりだ。
私はジン殿の優しさに報いることができているのだろうか?
――いや、否だ。
ジン殿が私のお陰で作業ペースが向上していると言ってくれたが、それは私でなくても同じことだ。
お金を払うのであれば、農業未経験で知識も皆無な私を雇うよりも、農業経験者を雇う方が遥かに効率がいいに決まっている。
私が勝っている点など精々が人一倍多い体力と力持ちということだろう。
そんなタフな身体が取り柄でもある私だったが、現在では夏の暑さに参ってこの様だ。
夏祭りで足をくじいて仕事に四日も穴を空け、復帰した直後に暑さにやられてジン度に介抱をさせている始末。
これで一体何の役に立っていると言えるのか。
またしてもジン殿に迷惑をかけることになってしまった。
積もりに積もったこの恩を何とかして返したい。
剣を使ってジン殿を守る?
無理だ。この世界が平和なのは少し生活したけでわかった。
この世界で剣は不要だ。
ならば、炊事や掃除を頑張る?
いや、ジン殿はどちらも一人でこなすことでできる上に、私よりも美味しい料理を作ることができる。私が代わったところで満足は得られないだろう。
ならば、どうすればいい?
どうすれば、ジン殿の与えてくれたものや、優しさに見合うような報いができる?
布団にこもりながらどうすればいいかグルグルと考える。
「……あった。たった一つのものが」
外の景色が茜色から闇色に染まる頃、私は一つの案にたどり着いたのだった。