真夏の作業
いつものように朝食を食べて、畑に向かおうとするとジャージに着替えたセラムが声をかけてきた。
「ジン殿、今日の仕事は私も手伝おう」
セラムが仕事を手伝ってくれること自体は歓迎することなのだが、夏祭りの帰り道に下駄の鼻緒が切れて足をくじいてしまったのは四日前の話だ。
「足は大丈夫なのか?」
「万全とはいえないが、いつも通り農作業をする分には何も問題ないぞ」
ピョンピョンとその場で跳ね、問題ないことを示してみせるセラム。
「ちょっと足を見せてみろ」
「うむ」
念のために靴下を脱いでもらった足を見せてもらったが特に問題もない。
「四日前はちょっと腫れていたが随分と治るのが早いんだな」
「魔力を集めて自己治癒力を高めていたからな。通常よりも治りが早いんだ」
「魔力ってのは、そんなこともできるのか」
道理で治りが早いはずだ。
「とはいえ、怪我をしたばかりなんだ。もう少し安静にしていてもいいんじゃないか?」
「仕事があるのに何もしないで家にいるのは辛いんだ。私に仕事をさせてくれ」
念のために提案をしたが、セラムは懇願するように言ってきた。
まるでワーカーホリックのようだが、元々セラムはジッとしているのが性に合わないタイプだ。動けるなら動き、何か役目を果たしたいのだろう。
「わかったわかった。その代わり、無理はするなよ」
「ああ、わかっている。あまり無理はしないさ」
許可を出すと、セラムは嬉しそうに頷いて玄関で長靴を履き始めた。
俺も作業用靴を履くと、外に出る。
すると、ギラリと輝く太陽の光が俺たちに降り注いだ。
あまりの眩しさに思わず目を細める。
「……今日も暑いな」
八月も末になり、最近は暑さも少し和らいだように思えたが、今日は一段と暑い。
まだ夏は終わっていないと太陽が盛んに主張しているようだった。
炎天下の中であるがセラムは暑さにへこたれた様子も見せず、生き生きとしている様子だった。
久しぶりに畑に出られるのが嬉しいのがわかる。
なんだかんだセラムの農家としての生活に馴染んできたのかもしれない。
「ジン殿、そろそろ次のトマトが収穫時であろう? 今日の作業はトマトの収穫か?」
「正解だ。セラムも復帰したことだし、収穫をしようと思う」
「おお! 収穫だ!」
最初の頃はどのような仕事をすればいいか理解していなかったセラムだが、畑仕事を繰り返し、作物の成長具合がわかるようになったことで、次にやるべき作業の推測が立てられるようになったようだ。
何をするべきかわかると、次にやるべき作業もわかる。
一から何まで指示しなくても理解して作業をしてくれるようになるのは、雇い主として素直に嬉しいことだった。
向かうべきビニールハウスは前回収穫したハウスとは、別のハウスだ。
そちらに今回の第二陣となるトマトたちが待っている。
ビニールハウスに入ると、厳しい暑さが和らいだように感じた。
ここは温度管理がされているので外よりも暑さは大分マシなのだ。
トマトの収穫は前回もやっているので、一から作業を説明する必要はない。
各々が収穫するためにカートを引っ張り出して、その上にコンテナを載せる。
「おお! 私が見ない間にこんなにも身を大きくして! 男子三日会わざれば刮目して見よとはこの事か!」
大きく実ったトマトたちを見て、セラムが驚いている。
「どこから拾ってきたんだそんな言葉……」
「テレビだ!」
どうやら足をくじいて家にいる間は、ずっとテレビを見ていたようだ。
使いどころが間違っているような、でも微妙に合っているような……。
とはいえ、この時期の野菜たちの成長は目を見張るものがある。油断しているとあっという間に成長し、収穫時期に突入なんてこともザラになる。
セラムの言ったことわざの通り、三日も経っていると別人のように野菜たちは変化しているものだ。
「よし、それじゃあ前と同じように収穫を頼むぞ」
「うむ! 赤くなっているのは取って食べていいのだな?」
「……構わん」
嫌味かと思ったが、ニコニコとしたセラムの顔を見ればそうじゃないのは一目瞭然だった。
獲れたてのトマトを食べられるのが嬉しいのはわかるが、もうちょっと表情を隠せ。
収穫時期にあってはいけないものなんだからな。
複雑な気持ちになりながら俺たちは手分けしてトマトの収穫作業に入る。
一段目、二段目の枝になっているトマトを手でもぎ取って、邪魔なヘタを落としてコンテナに入れる。
この段階ではまだ青いのだが、卸先や農協で箱詰めして冷蔵保存している間に追熟し、赤くなるので問題ない。
カートを押して前に進み、収穫サイズに達しているものを次々ともぎ取っていく。
「おっと」
生い茂った葉っぱの裏側まで念入りに確認すると、丸々としたトマトを発見した。
こういうのが最後まで見つからず、赤くなった頃にセラムに発見されてしまうのだ。
危ない。念入りに確認しないと見逃すところだ。
「おお! 赤いトマトだ!」
フッと一息ついた瞬間に苗の向こう側からセラムの喜ぶ声が聞こえた。
「マジか!? 本当にあったのか!?」
「二段目の葉っぱの奥に隠れていたぞ!」
思わずセラムのところに移動すると、彼女の手には真っ赤なトマトがあった。
収穫時期にあってはいけないものだ。
くそ、今回こそは一つも出さないように注意して見ていたというのに見逃しがあったらしい。
「うむ! 皮に色艶があってとても綺麗だ! きっとお前は美味しいに違いない!」
俺の複雑な心境とは裏腹に、セラムは宝物でも見つけたような無邪気な笑みを浮かべていた。
なんだかこちらの毒気が抜けるようだ。あってはいけいないものだが、ある事でここまで喜ばれるというのも悪くないのかもな。
トマトの収穫が終わると、速やかに軽トラの荷台へと積み上げる。
足をくじいたばかりであったが、セラムはなんなく三つのコンテナを一人で持ち上げていた。
「……おい、無理をしないっていう言葉はなんだったんだ?」
「? 大事を取って一度に三つしか運んでいないぞ?」
思わず突っ込んだが、セラムは何が問題なのだとばかりに首を傾げた。
確かにこの間は一気に五つ持ち上げていたが、今日は三つになっている。
それでも一つのコンテナの重量は約十三キロほどなので、三つで約四十キロということになる。
俺とセラムの中で大事を取るという言葉の意味が大きく違うような気がした。
まあ、それで足に大きな負荷がかからないのであれば問題はないか。
妙なすれ違いがありつつも、速やかにコンテナは荷台へと積まれた。
シートを被せ、荷台から落ちないようにロープで固定。
トマトなどは収穫してすぐに出荷しないと痛みやすいので、すぐに出荷だ。
「これから農協に行くが、セラムはどうする?」
「今回は遠慮する! ちょっと畑の雑草が気になって除草しておきたいのだ!」
以前はセラムと一緒に農協に向かったのだが、今回は出荷よりも畑の状態が気になるようだ。
二人で行ったところで劇的に効率が上がるわけでもないので、俺が出荷している間にセラムが除草作業をしてくれることは素直に嬉しい。その方が作業効率もいいしな。
「わかった。今日は暑いし日差しも強い。少しでも異変を感じたら家で休めよ?」
「大丈夫だ、ジン殿。元の世界ではフル装備で行軍をしていた。このくらいの暑さなら平気だ」
ポンと胸を叩いて自身満々で頷くセラム。
ここは気温調節がされているビニールハウス内だから暑さがマシなのだが、そのことをわかっているのだろうか?
まあ、異世界での過酷な修練を乗り越えてきたセラムだ。
自分の体調ぐらい管理できるだろう。
「それじゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃいなのだ! ジン度が帰ってくるまでには雑草たちを根絶やしにしておこう!」
セラムの物騒ながら陽気な笑い声を聞きながら、俺は車を走らせた。
●
農協での出荷作業を終えると、真っすぐに自宅に帰ってきた。
時刻は午前十一時。
太陽は益々激しさを増して、気温はグングンと上昇しているのを感じた。
帰ってくる途中で田んぼや畑を見たが、外に出て作業をしている人はほとんどいなかった。
皆、この炎天下の中で作業をするのは、危険だとわかっているのだろう。
今日は日中の作業は控え、内職か休憩するのが望ましい。
いくら身体が丈夫とはいえ、無理をしてもいいというわけではない。
軽トラを停めて、玄関に入ってみるとセラムの靴はなかった。
縁側でくつろいでいる様子も見えなかったので家にいるわけではないようだ。
「……さすがにまだ除草作業をしていないよな?」
実里さんの家に遊びに行って休憩しているとかだといいのだが……。
少し嫌な予感がしつつも畑に歩いていくと、外で除草作業をしているセラムがいた。
背中を丸めてせっせと雑草を抜いて、ひとまとめにしている彼女の姿が見える。
「ジン殿、お帰りなのだ」
やっぱりか。さすがにセラムとはいえ、この暑さの中で作業は危険だ。
「今日は暑さが厳しい。作業はこの辺で切り上げるぞ」
「待ってくれ。もう少しでこの辺りの雑草もなくなるのだ。もう少しだけ作業を――」
立ち上がって雑草をひとまとめにしようとセラムの身体がぐらりと傾いた。
慌てて駆け寄って身体を支えると、全身からすごい勢いで汗が噴き出しているのがわかった。息も荒く、肌も上気している。一目で尋常ではないとわかる体調だった。
「おい! ちゃんと水分補給して休みながらやったのか?」
「……水分補給? 作業に夢中になってして……いないな」
この様子を見る限り、水分補給だけでなく休憩すら挟んでいなさそうだ。
こんな暑さの中、ぶっ続けで作業をすればこうなってもおかしくない。
農作業をしていると、もう少しと思って作業の切り上げどころがわからなくなる。
完全にそれにハマってしまったのだろう。
「……すまない。もう大丈夫だ。自分で立てる」
「完全に熱中症だ。家に連れて帰る」
息を荒げながら何か言おうとしているセラムだが、俺はそれを無視して無理矢理抱き上げた。
恥ずかしいのか手で叩いてきて抵抗しているようだが、体調が悪いせいかまったく痛くなかった。
取り合うことなくそのまま寝室に運び込むと、クーラーをつけて室温を涼しくさせる、
「ほら、スポーツドリンクだ」
こんな時のために用意しているスポーツドリンク。
自分で飲むくらいの体力はあるようだったので少し安心した。
セラムが水分補給をしている間に、扇風機を持ち運んで風を当てる。
それから冷凍庫から氷を取り出して、袋に詰めた。
「体温を下げるために上着を脱いでくれ」
「あ、ああ」
そう言うと、セラムは身を起こして上着を脱ごうとする。
しかし、身体がだるいのか上着を脱ぐことがままならないので、俺が手伝って脱がせてやる。
ジャージを脱がせると、セラムは薄いTシャツ姿になった。
肌着であるシャツは汗でびっしょり濡れており、ブラジャーが透けて見えていた。
滴る汗のせいで妙に艶めかしい光景になっているが、病人に欲情するほど節操無しではない。
セラムを寝かせると、首、脇下、足の付け根、足首に氷の入った袋を押し当てた。
「……ああ、冷たくて気持ちがいい」
冷たさにビクリと身体を震わせたセラムだが、徐々に表情を弛緩させた。
熱中症になって体温が上昇しているときは、こうやって動脈などが通っている部分を冷やしてやるのが一番だ。
「ジン殿……」
「なんだ?」
「本当にすまない」
たった一言であるが、その声音には申し訳なさや悔しさやら色々な感情が含まれているようだった。
「色々と言ってやりたいことはあるが、今は病人だ。余計な気は遣わず、体調を回復させることだけを考えてくれ」
病人に謝罪を求めるほど、こちらは鬼畜ではない。
叱ってやるにしろ体調が回復してからだ。
「……わかった」
そのように言うと、セラムは静かに頷いて目を閉じた。
 




