人魂事件
天体観測を終えると、高台から撤収して帰ることにする。
「よーし、そろそろ帰るぞ」
「えー! もっとここにいたい!」
「もう少しだけダメですか?」
「……もっと遊ぼう?」
撤収の声を上げると、めぐるだけでなく、ことりやアリスまで不満げな声を上げた。
「なに言ってんだ。天体観測ならもう終わっただろ?」
「夜に皆と遊ぶなんて滅多にできないんだもん! もっと遊びたい!」
「気持ちはわかるが却下だ。こっちは親御さんから子供を預かってる身なんだ」
滅多にできない夜間外出が新鮮で楽しい気持ちはわかるが、人の子を預かっているこちらとしては、あまり遅くまで連れ遊ぶわけにはいかない。もし怪我でもすれば申し訳が立たないからな。必要な用事が終えたらすぐに帰るに限る。
「そうだな。もう二十一時を過ぎてるし、この辺りで引き上げだ」
「ぶーぶー!」
海斗が助け舟を出してくれるが、それでもめぐるたちが不満そうだ。
しかし、次の一言でめぐるたちの態度は豹変した。
「ここで母ちゃんたちの機嫌を損ねたら、今度の夏祭りの許可が貰えなくなるぞー?」
「うわわっ! それはヤバい! 今日のところは帰ろう!」
「そうですね! 夏祭りに行けなくなるのは困りますから!」
「……今日のところはこの辺で勘弁する」
あれだけ駄々をこねていたにも関わらず、めぐるたちは我先にと帰りの準備を始めた。
夏の最大イベントともいわれる、夏休みが行けなくなるのは大層困るようだ。
「さすがは海斗。子供をたぶらかすのが上手いな」
「その言い方は、俺の印象が著しく悪くなるからやめろ」
「言い換えるのであれば、子供の心に寄り添うのが上手いだな!」
据わった目をしていた海斗だが、セラムが訂正してくれた言葉に表情を緩ませた。
実にわかりやすいやつだ。
にしても、もうすぐ夏祭りか。
海斗の言葉でその行事の存在を思い出した。
「夏祭りというのは、夏に行われる祭りのことか?」
「そうだぜ」
「具体的な意味は?」
セラムに尋ねられた海斗の動きが固まる。
「あれ? 改めて聞かれると、夏祭りってなんのための祭りなのか知らねえな? 屋台が並んで、綺麗な花火が上がって……なんのための祭りなんだ?」
「豊作を妨げる害虫や台風を追い払うことが由来だな。あとは疫病が流行りやすい季節ということもあって疫病退散の意味も込められている」
首をかしげる海斗の代わりに、俺が夏休みの由来を教えてやる。
「ほう、そのような意味があるのだな」
「そんなことよく知ってるな」
「農家だからな。そういった祭りや仕来りみたいなものは自然と耳に入ってくるんだ」
農家は老人が多いために、こういった変な知識が増える。
逆に農家でなければ、俺も耳にしなかっただろうし、知ろうとも思わなかっただろうな。
とはいえ、俺には無縁の行事だ。思い出したからといって行くこともないだろう。
それ以上、夏祭りの話題が出ることもなく、帰り支度を整えると俺たちは山を下って、駐車場に停めてある海斗の車に乗り込んだ。
「俺たちはここでいい」
「カイト殿は、メグル殿たちを先に送ってあげてほしい」
程なく進み、家の近くまでたどり着くと俺とセラムは降りることにした。
子供たちを早く返してやるのが優先だし、三人の家を回っていたら帰るのが遅くなるしな。
少し歩くことになるが、この辺りで降りるのがいいのだろう。
「わかった。暗いから足元に気をつけろよ」
扉を開けて、助手席と後部座席から俺とセラムが降りる。
田舎道なので店はないし、民家や街灯もほとんどないので暗い。
しかし、今日は天体観測で懐中電灯を持ってきているので問題ない。速やかに足元を照らした。
「またね! ジン、セラムさん」
「おやすみなさいです」
「うむ、メグル殿たちもいい夢を」
めぐるたちとセラムが挨拶を交わすと、海斗が車を発進させることはなかった。
「どうした?」
いつまでも出発しない海斗を見て、思わず声をかける。
すると、何か悩んでいた様子の海斗が意を決するように口を開いた。
「なあ、ジン。せっかくだし今年は皆で夏祭りに行かねえか?」
「夏祭りかー。俺、人混みが苦手なんだが……」
「いいではないか! 夏祭り! どのようなものか詳しく知らないが、私は行ってみたいぞ!」
海斗の誘いに思わず苦い顔するが、セラムは顔を輝かせてかなり乗り気だった。
異世界の祭りと言われると、俺もどのようなものか興味があるのでセラムの気持ちを否定するのは難しいし、あまりしたくない。
「まあ、お前たちがそこまで言うなら……」
「よし、決まりだな」
「えっ!? ジンとセラムさんも夏祭り行くの!? やったー! 絶対楽しいじゃん!」
「来週の夏休みが楽しみですね!」
「夏祭りとやらに名物はあるのか?」
「……焼きそば、フランクフルト、綿あめ、りんご飴、いっぱいある」
「おお、食べたことのないものばかりだ。どのようなものかはわからないが、楽しみだ」
仕方なく了承すると、海斗が嬉しそうに笑い、後部座席にいるめぐるたちとセラムがワイワイと話し出す。
そんな微笑ましい光景を眺めていると、運転席にいる海斗がニヤニヤとした笑みを浮かべながらこちらを見ていることに気づいた。
「……なんだ?」
「セラムさんが来てからジンは変わったなーと思ってな。前のお前なら皆で祭りなんて絶対に来なかっただろ?」
「……そうだな」
海斗の言葉を聞いて、自分でもそうだと思っていた。
都会の会社で人間関係のトラブルに遭ってからは、人間というものをあんまり信じられなくなり、こっちに戻ってきてもそれは変わらず、海斗以外の知人とは疎遠になっていた。
そうやって一人で生活し、農業をしていたのだが、セラムを田んぼで拾ってしまったせいで同居することになり、気が付けばこのような人の集まりに参加することになっている。
海斗の言う通り、少し前までの俺ならば考えられないことだろう。
「結婚すると人は変わるって聞くけど、本当なんだな。なにはともあれ、俺は昔みたいにジンと遊ぶことができて嬉しいぜ」
「急に気持ちの悪いことを言うな。さっさと帰って寝ろ」
自分の変化と海斗のストレートの言葉が恥ずかしく、俺はそれを誤魔化すように乱暴な言葉を放った。
「うーわ! ひっでえ! 傷ついたから俺たちは帰るぜ!」
言葉とは裏腹に海斗はまったく傷ついた様子は見せず、飄々と笑うとハンドルを操作して車を発進させた。
残ったのは車から降りた俺とセラムだけだ。
海斗やめぐるたちがいなくなると途端に静かになる。
リーンリーンと涼やかな音を立てる鈴虫の鳴き声や、ウシガエルの鳴き声がやけに大きく響いているように感じた。
「さて、俺たちも帰るか」
「うむ」
懐中電灯を照らして歩くと、セラムが横に並んで歩く。
「あれ?」
「どうした?」
「スイッチを押しても光が出ないのだ」
カチカチとスイッチを押すセラムだが、懐中電灯から光が照射されることはない。
「電池切れだな」
「壊れたわけではないのだな?」
「ああ、光を生み出してくれるエネルギー源である電池が切れただけだ。それを取り換えてやれば、また光はつく」
「よかった。壊してしまったのではないかと思ったぞ」
ホッとしたように胸に手を当てるセラム。
「懐中電灯はもう一つある。セラムのが切れても大丈夫だ」
そう気楽に笑いながら言った瞬間、不意に光が消えた。
「わっ! ジン殿! また私をからかっているのか!? さすがに冗談が過ぎるぞ!」
「いや、わざとじゃねえよ! 急にどうしたんだ?」
暗闇の中、セラムが憤慨しているが、驚いているのは俺も同じだ。
俺は意図して光を消したわけではない。
慌てて懐中電灯のスイッチを押してみるが、カチカチと乾いた音がなるだけだ。
いくらスイッチを入れようが光が灯ることはない。
「……セラム、どうやら俺の懐中電灯も電池切れみたいだ」
「……なるほど」
この懐中電灯は同じ時期に電池を入れ替えたものだ。
片方が切れれば、もう片方の寿命も近いというのは当然わかることだった。
久しぶりに引っ張り出しただけあって失念していた。こんな時のためにせめて替えの電池くらい持ち歩いてこればよかった。
「とはいえ、問題はない。俺にはスマホがある。この灯りをつかえば真っ暗になるということはない」
「おお!」
俺はスマホを取り出して、ライトをつける。
すると、一メートル前が明るく照らされた。
「……あまり明るくないな?」
「……言うな。ないよりもマシだろ?」
型番も昔のものだけあって性能が低いようだ。というか、完全に真っ暗な空間をスマホの灯りだけで乗り切ろうというのが無茶なんだ。
「ジン殿、一つ提案がある」
「なんだ?」
「私の魔法で光源を出しても良いだろうか? そうすれば、懐中電灯以上の明るさを発揮でき、安全に家に帰ることができる」
常人であれば、何言ってるんだこいつ? となるが、セラムは異世界人だ。
魔力のある世界からやってきて魔法を扱えるという。
こんな時間に出歩いている人もいないだろうし、家に帰るまでなら使ってもいいんじゃないだろうか? スマホの灯りだけでは、歩いて帰るのに心もとない。
足を踏み外して転倒したり、ハブなどが表れて噛まれる危険性もある。
「わかった。なら、魔法を頼む。ただし、あまり目立たないようなものにしてくれよ?」
「心得た」
こくりと頷くと、セラムはブツブツと何かを呟いた。
呪文のようなものなのだろうか? 明らかに日本語や英語ではないことは確かだった。
やがて詠唱が終わると、セラムの人差し指から小さな光が生まれた。
それは宙に舞い上がると、俺たちの周りを明るく照らしてくれる。
「すごいな。何もないところから光が生まれた」
「厳密にはかき集めた魔力を光に変化させている」
セラムの言っている理屈はよくわからないが、身体強化以外にも色々と魔法が使えるんだな。
こうして引き起こされている超常現象を見ると、改めてセラムは異世界の住人なのだと実感した。
「これなら道を踏み外す心配もないな。さっさと家に帰ろう」
夜とはいえ、いつ誰が出歩いているかわからない。
俺たちはセラムの出してくれた光源を頼りに歩いていく。
「待ってくれ、ジン殿。前から人の気配がする」
「な、なんだって!?」
こんな真夜中にうろついているのはどこの誰だよ。セラムの魔法を見られでもしたら、面倒くさいことになる。
「とりあえず、隠れるぞ!」
誰かと鉢合わせする前に俺はセラムの手を取って、近くにある塀の裏に隠れた。
「おや? そこに誰かいるのかーい?」
程なくして光源を目視したらしい人物の声が聞こえる。
この聞き覚えのある間延びした声は、多分茂さんだ。
そういえば、最近は涼しい夜に犬の散歩をすると言っていた。
そのタイミングでたまたま鉢合わせることになってしまったのだろう。
「……え? 街灯もないのに光が浮いてる?」
「ワンワン!」
やがてこちらにやってきた茂さんだが、宙に浮いている光源を見て顔を真っ青にした。
好奇心を発揮する犬だけはけたたましい鳴き声を上げていた。
「も、もしかして、人魂!? ひ、ひいい! まだあの世に行きたくない! 婆さんー!」
茂さんは腰を抜かし悲鳴を上げながら来た道を引き返していた。
ああ! そういう勘違いをする!? でも、真夜中に宙で光が浮いていれば、そんな勘違いをしても無理はないか。
「……あ、あの、ジン殿」
「なんだ?」
「そろそろ手を離してくれないだろうか?」
セラムの視線をたどると、彼女の手をしっかり握る俺の手があった。
茂さんに意識がいっていたのでまったく気づいていなかった。
落ち着いてみると、俺の手に柔らかな手の感触が重なっているのを感じた。
「すまん。とっさに隠れるためについ……」
「わかっている。謝るほどのことではない」
などと言っているが、セラムの顔は真っ赤になっていた。
異性と手をつなぐことに免疫がないのかもしれないな。
「しかし、シゲル殿を驚かせることになってしまったな」
「ああ、特に転んだり怪我をしていないのが救いだな。隠れるのが間に合ってよかった」
「別に隠れなくても魔法を解除すれば、良かったのではないか?」
「あっ」
セラムの言う通りだった。宙に浮いていた光が一瞬目視されていたとしても、消してしまえば如何様にでも誤魔化せただろう。
後は適当に懐中電灯が切れたという事実を伝えれば問題はなかった。
「ジン殿もそんな風に慌てることがあるのだな」
呆けた声を漏らす俺を見て、セラムがクスクスと笑った。
俺だって人間だ。予期していないことが起こると慌てることもある。
「というか、気づいていたのなら先に言ってくれよ」
「そ、そそ、それはジン殿が急に手を握ってくるからだ!」
つまり、セラムも手を握られて慌てており、冷静になって気づいた事実のようだ。
「つまり、どっちもどっちというわけか」
「そうだな」
なんだか互いに慌てていたのがおかしくて俺とセラムは笑った。
次の日、茂さんが人魂が出たと取り乱して話し回る姿が見えたが、高齢ということもあり遂にあの人もボケたかと周囲に誤解されていたのが可哀想だった。
 




