自転車の乗り方
荷台から自転車を下ろすと、セラムが自転車を押して公園に入っていく。
この辺りは柔らかな草が生えており、地面の凹凸が少ない。
もし、転倒することになっても怪我は最小限に抑えられるはずだ。
「さあ、どうやって乗ればいい!?」
「まずは自転車に慣れるところからだな。適当にそのまま押して歩くといい。真っすぐに進んだり、右や左に曲がったり」
セラムの運動神経がいいことは理解しているが、自転車に触れるのは初めての異世界人だ。
ゆっくりと慣れさせるのがいいだろう。
そう言うと、セラムは跨らずに自転車を押して進む。
自転車初心者のセラムはそれだけでも割と楽しいらしく、表情を緩まわせてハンドルを左右に切ったりして歩き回っていた。
遠回りな練習のように見えるが、自転車のハンドル操作に慣れるのは大事だ。
実際に跨って車体のバランスを取ると、同時にハンドルの操作感覚も身に着けるというのは意外と大変だからな。
「ちなみにハンドルの傍についてるレバーがブレーキな。そこを握ってやれば、止まれるようになっている」
「わっ!?」
早速、ブレーキを握りしめたらしいセラムがつんのめった。
初めてなので仕方ないと思うが、実に予定調和で笑ってしまう。
「急にブレーキをかければ、そんな風につんのめるわけだ。走っている人間がすぐに止まれないのと同じで、タイヤの回転もすぐに止まらないから、止まりたいときは徐々にブレーキを握り込んでいく感じな」
「……な、なるほど」
ブレーキの説明をすると、セラムが押して歩きながらブレーキをかける。
「左側のブレーキが後輪に対応していて、右側が前輪に対応している。どちらか一方だけに急にブレーキをかけると転倒するから気をつけろ」
「では、どうやってブレーキをかければいいのだ!?」
一度に説明し過ぎたからだろうか。セラムが混乱した様子で尋ねてくる。
「最初に優しく左側のブレーキをかけて、それから右側のブレーキをかければ問題ない」
「そ、そうか」
ひとまずの正解を教えてやると、セラムは確認するようにハンドルを握った。
まあ、この辺りの理解や怖さは実際に乗ってみればわかるだろう。
「ちょっと乗ってみるか」
「おお!」
そのように言うと、セラムは待ってましたとばかりにサドルに跨った。
「で、どうすればいい?」
「地面を足で蹴って進むんだ」
「……わかった」
まだこげないことに残念そうな顔になったセラムだが、素直に従って地面を蹴って進む。
トーンと地面を蹴っては止まって、それをひたすらに繰り返す。
ちょっと運動神経の残念な子は、この段階で転倒しそうになるがセラムはまったく問題ないな。
「よし、そろそろこいでいいぞ!」
「こぐ?」
「ペダルに足を置いて、前に回転させるんだ」
「わかった!」
言い直すとセラムはペダルに足を置き、少し前に回した末に転倒した。
静かな公園にガシャンッと自転車の倒れる音が響き渡る。
「転んだぞ!?」
起き上がったセラムが大袈裟に事実を伝えて抗議してくる。
「転ばないようにバランスを取ってこぐんだ」
「それは無茶というものではないか!?」
「皆、それを乗り越えて乗れるようになってるんだ」
「……先ほどまでは丁寧に教えてくれたのに、急に大雑把になっているような気がするぞ」
「ここに関しては感覚で覚えるしかないからな」
どれだけ理論的にアドバイスをしてもすぐに理解して乗れるわけではない。
まさに感覚の世界。逆に言えば、そこさえ乗り越えれば問題ないといえる。
「こぎ始めが一番バランスを崩しやすいからな。ペダルをこぎながらバランスを取れ」
「うぐぐっ!」
もう一度トライするセラム。
今度は少しだけ進んだが、すぐに失速してバランスを崩す。が、今回はとっさに足をつくことで転倒を回避できたようだ。こういうところの反応はすごい。
「馬ならこんな無様を晒すことはないものを……」
……現代日本で馬に乗って買い物に行くやつはいない。
五回ほどセラムがトライするのを見守っていたが、すぐに乗れる様子はない。
セラムの運動神経なら一瞬で乗れるようになるのではないかと思っていたが、自転車に限ってもそうではないのだろうか。
「しょうがない。俺が後ろを押さえていてやるからこいでみろ」
「ええっ!? お尻!?」
「触ってねえよ! サドルの後ろを押さえてるだけだ!」
人にものを教える最中に尻を触るようなことをするか。
「ほら、こいでみろ」
「わ、わかった」
やや頬を赤くしながらもセラムはペダルをこいて進みだした。
俺がサドルを押さえてバランスを取っているお陰か、自転車は転倒することなく前に進んでいく。
「お、おお! すごいぞ! ジン殿! 自転車が前に進んでいる!」
「気持ちはわかるが、少しスピードを緩めてくれ! 俺が付いていけない!」
しかし、セラムは自転車で進める爽快感に興奮して話を聞いてくれない。
サドルを押しながら走って付いていくのも限界だ。
俺は敢えてそのまま手を離す。
すると、セラムは気づくことなくスーッと進みだした。
「すごいすごい! 自転車とはこれほどに快適なのか!」
前に進むのに必死で俺が手を離したことにも気づいていない様子だ。
……うん、普通に安定して走れているな。
そのまま見守っていると、セラムはハンドルを切って右に曲がった。
そして、平然と立っている俺を見てセラムがギョッとするような顔になった。
「ジン殿!? サドルを押さえてくれているのではなかったのーーわあっ!」
ようやく気付いたセラムが後ろを見ようとしてバランスを崩す。
しかし、何とか足をつくことで転倒を免れた。
「運転中に後ろを向くと危ないぞ?」
「ジン殿が無言で離れるからではないか!」
「でも、俺が押さえてなくても乗れていたじゃないか」
「……そういえば、そうだったな」
そう言うと、セラムは今気づいたとばかりのような顔を浮かべた。
「今度は一人で乗ってみたらどうだ?」
「そうだな! 今のでコツを掴んだ気がする!」
再度ペダルに足を乗せて、セラムがこぎだす。
スタートで若干バランスを崩しかけたが、重心移動やハンドル操作でなんとか体勢を回復させて進みだす。
シャーッと公園の土を駆けていくセラムの自転車。十メートルほど進むがバランスを崩す様子はない。
「お、おおー! 一人でも乗れた!」
安定して前に進む自転車に興奮の声を上げるセラム。
乗り始めてから十五分も経過していない。
初めて自転車に触れて、このタイムは中々に驚異的だな。
元から身体能力が高く、運動神経も良いセラムだ。一度、バランスを取るという感覚さえ掴めば乗れるようになるのではないかと思っていた。
公園の中を縦横無尽にセラムの自転車が駆け回る。
宙にたなびく金色の髪がセラムの嬉しさを表しているようだった。
右回りの旋回や左回りの旋回もまったく問題なく、安定している。
先ほどまでの不安定さが嘘のようだった。
「ジン殿! 乗れるようになったぞ!」
ついには余裕までできたのかセラムがこちらを振り返って手を振り出した。
苦笑しながら手を振ろうとした俺だが、セラムの前方にある遊具を見て慌てる。
「バカバカ! 前見ろ! 前!」
俺が警告の声を上げるも間に合わず、セラムは公園にあるタイヤ遊具に激突した。




